カテゴリー「ブログ普及委員会「答えてブログ」」の6件の記事

2006年1月22日 (日)

「わんぱくですね」~友人、知人の間で流行っていること~

人間は、年をとっても、子ども心を忘れたくないものである。例えば、電車に乗るとついつい先頭車両の運転台の背後を陣取ってみたり(これはタダの鉄ちゃんか)、新車を購入して乗ってもいないうちからピカピカに磨いてみたり、子どもといっしょに見ていたヒーローものに密かに心をときめかせたり…。

オイラの場合、お酒を飲んで発散するということがないものだから、ついつい食べ物でストレスを発散させることになる。ファミレスに入ると、超大型なハンバーグを食べてみたり、近所の中華屋さんで唐揚げ定食大盛りにしてみたり。山盛りのご飯は、よくファミリー向けのアニメに、例えば、ど根性ガエルのヒロシとか、一発貫太くんとか、いなかっぺ大将の大左エ門とかが食べていたよね。ハンバーグといえば、何と言っても、ハクション大魔王。

そんなとき、オイラは、例えば、山盛りのどんぶり飯や特大のハンバーグを眺めながら、心の中でささやくのである。

オイラって、わんぱくだなあ。

三十路を越えれば、油っぽいものは避けたいと思うし、実際避けているんだけれど、どうしても、子どもの頃憧れた特大ステーキや山盛りご飯にチャレンジしたくなることがあるんだね。

そんな食事を、友達や同僚とかと食べていると、オイラの山盛りご飯や特大ハンバーグを見て、彼らも一言、つぶやくのである。

相変わらず、わんぱくですね。

わんぱくシリーズは、さらに広がりを見せ、丸いまんまのケーキに丸ごとかじりつくとか、卵焼きにマヨネーズをてんこ盛りするとか、様々なわんぱくな技が増えていくのである。

わんぱくだね。

うん、わんぱくだよ。

そんな、謎の会話を繰り広げる不思議空間。

今日の髪型、わんぱくだね。←ボサボサになっていた。

もう帰るの? わんぱくだな~。←午後5時終業と同時に帰る同僚を見て。

もっと、流行らせたいと思っている。

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2006年1月 7日 (土)

その日オイラは、ほ乳瓶とオムツを捨てた~人生で一番古い記憶~

それは、おそらく幼稚園に入る、ほんの少し前だと思う。

覚えているのは、オムツをはいているオイラが、初めてコップでジュースを飲んだのだ。おそらく、林檎ジュースだったと思う。両親と祖母が、「うまい、うまい」と誉めていた。その頃住んでいた家は、愛知県名古屋市の熱田神宮の近くだった。木造の狭苦しい家の1階の畳部屋。8畳ほどの部屋の片隅…何故か片隅にコタツがあり、父が猫背で座っていた。

オムツをはいている記憶は、この後途絶えているから、おそらく、オイラの記憶が確かならば、この日、オイラは初めてコップで飲み物を飲み、オムツを放棄したのだ。

これ以前の記憶は、必死に遡っても、存在しない。

実は、子どもの頃にも同じように記憶を遡ったことがあるが、やはり、この記憶から昔には遡ることができなかった。子ども心に、もしかして、自分はこれ以前に存在していなかったのではないかと、疑ったこともある。何故、この記憶が最古になるのか、いくら考えても分からない。ただ、平和な一コマだったことだけは、確かだ。

そして、この後の記憶は、いきなり幼稚園のバスが家の前を通り過ぎる。幼稚園通園第1日目の記憶だ。幼稚園の制服を着て、黄色いカバンを提げて、母親に連れられて、家の玄関を出た。すると、家の前を幼稚園の黄色いバスが通り過ぎた。オイラの左手にバスのお迎え場所があった。オイラは、生まれて初めて、家族から離れた。名前を呼ばれたら返事をする、という、普通のコミュニケーションができなかった。何度も怒られたが、卒園するまで治らなかった。

オイラの記憶が正しければ、昭和46年4月のことになる。

ちょうどこの頃、時代は高度経済成長期だった。名古屋市では、地下鉄の建設が着々と進み、路面電車が次第に姿を消していた。オイラは、祖父に連れられて、路面電車…いわゆる市電に乗った記憶がある。

昭和49年に地下鉄名城線の金山・新瑞橋間が開通。路面電車も市内から全廃された。生まれて初めて乗った地下鉄は、どんがらがっしゃんと、騒がしかった。現在のように冷暖房はなく、トンネルから下水臭い風が車内に吹き込んでいた。電車の音がうるさくて、車内では会話にならなかった。

実は、オイラは、両親から、これ以前の出来事を聞かされた覚えがある。何度も、何度も、しつこく聞かされたので、聞かされた記憶だけが鮮明に残っているが、残念ながら、その出来事自体は、今ではまったく覚えていない。

1970年に大阪で万国博覧会が開催された。両親とオイラは、新幹線で万博見物に訪れたらしい。関西弁を初めて耳にしたオイラは、とにかく関西弁が気に入ったようで、途中に立ち寄ったレストランで、覚え立ての関西弁を大声でしゃべって、失笑を買っていたらしい。万博の目玉でもあった月の石も、この目で見ているようだ。帰りの新幹線は大混雑で、父親に肩車されたオイラは、新幹線の入口の上部に頭をぶつけて、大泣きしたそうだ。

まだ3歳だったから、最初に書いた記憶よりも、さらに昔になる。

まったく覚えていない(-_-;)

両親には、よほど記憶に鮮明らしく、いつまで立っても、昔の話と言えば、この話題になる。何百回話されても、思い出せない。

両親には悪いが、もしかしてガセネタではないかと疑っている。

・・・・・・この記事は、眞鍋姉さんが委員長の「ブログ普及委員会」の「答えてブログ」にエントリーしています。

ban-s

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2005年12月30日 (金)

2年間自炊をしない男のこだわり料理~これはウマイ!変だけどハマるレシピ~

オイラは、もう2年間、台所には立っていない。それは、いろいろな理由があるのだけれど、要はめんどくさいからだ。が、もともとは、オイラは料理が大好きで、カレーからハンバーグから鍋料理から毎朝の朝食にお弁当に至るまで、台所に立つのが似合う男だったのである。

そんな男の、なんじゃこら?でも、意外にハマるかも?というレシピを1つだけご紹介しよう。本来なら、実際に料理して、写真で紹介するのがいいのだろうが、最初にも触れたように、オイラは2年間、自炊から遠ざかっている。レシピの紹介にとどめることをご容赦願いたい。

用意するのは、アスパラオリーブ油

まずは、アスパラを食べやすい大きさに切り(おおざっぱだなあ(^_^;))、太さが大きいようなら少し切り目を入れよう。フライパンにサラダ油を大さじ1杯程度入れて温め、油がなじんだところで、アスパラを3~4本程度炒める。アスパラに熱が通ったら、焦げないうちに、アスパラの上から卵を落とし、目玉焼き状態にする。フライパンにふたをして、しばらく蒸し焼きにする。水を入れると蒸しすぎるので、ここは水は入れない。黄身が半熟の状態でふたをとり、お皿に盛る。上から、オリーブ油をたっぷりとかけよう。

料理名が決まっていないなあ(^^;)

アスパラエッグオリーブ風味…ってことでいかがだろうか。誰かに教えてもらったのか、本で読んだのか、覚えがない。でも、トロリと半熟の目玉焼きの黄身を遠慮なく破壊して、アスパラをそれに混ぜて食べると美味。オリーブ油の風味もいいし。

フランスパンを焼いて、カリカリかじりながらってのはいかがだろうか。100%のオレンジジュースなんか飲んでね。

うーん…(-_-)

なんか普通すぎるなあ(^_^;)

ごめん、眞鍋姉さん、やっぱ、ぶっちゃけるわ!(^^)!

オイラは、大学時代は、家賃が月1万8000円の部屋に住んでいた。トイレも共同の、4畳半の部屋。しかも、部屋の形は三角形という、妙な部屋である。何もかもかさばって仕方ないのだよね。毎月12万円くらいで生活していた。今では考えられないくらいの貧乏生活だった。

こんなとき、オイラを支えたレシピは…、

マヨネーズ丼

作り方は簡単である。どんぶりにご飯をたっぷり盛って、マヨネーズを上からたっぷりとかけよう(笑)…これだけ、ほんまにこれだけである。実家から送られてきた焼き海苔といっしょに食べても美味しい。海苔とマヨネーズは意外に合うのだ。

もう少し食費に余裕があるという方には、こんなのはいかがだろうか。

厚焼き玉子丼マヨネーズ風味

作り方は簡単である。どんぶりにご飯をたっぷり盛って、厚焼き卵を作って、ご飯の上にきれいに並べよう。その上から、マヨネーズをたっぷりとかければ完成(笑)実家から送られてきた焼き海苔といっしょに食べても美味しい。海苔と卵とマヨネーズは意外と合うのだ。

野菜が足りない?うん、そういうベジタリアンなあなたには、

ツナキャベツ丼マヨネーズ風味

作り方は簡単である。どんぶりにご飯をたっぷり盛って、キャベツの千切りをのせる。ツナ缶を開けて、キャベツの上にのせよう。その上から、マヨネーズをたっぷりとかければ完成。ツナ缶は、100円ショップで売っているのをまとめ買い。キャベツは、丸ごと1つ買えば、当分このレシピで生活できる。

ん?そろそろ気づいてもらえただろうか。

オイラは、生粋のマヨラーである。

とにかく何を食べるのも、マヨネーズである。さすがに持ち歩くことはしないが、家ではマヨネーズが欠かせない。

おかげさまで、オイラは20代後半で脂肪肝の診断を受けた。

マヨラーの諸君、健康にはくれぐれも気を付けてほしい。

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2005年12月26日 (月)

ブログ普及委員会「答えてブログ」の第1回お題でオイラの記事が選ばれました。

真鍋かをり姉さんを委員長に始まった「ブログ普及委員会」の「答えてブログ」の第1回目のお題「今だから笑える、2005年トホホな出来事」にエントリーしたところ、オイラの記事が選ばれた。

〝自作自演〟な転職スカウト~今だから笑える、2005年トホホな出来事~

真鍋姉さんのコメント付きで紹介されている。

姉さん、ありがとう。

取り急ぎ、ご報告まで。

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特製バナーが届きました。(12月27日)

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2005年12月19日 (月)

バラで30枚買っちゃったよ~宝くじ当たったらどうする!?~

買ったよ。「ブログ普及委員会」の「答えてブログ」にエントリーするため、買っちゃったよ。バラで30枚。買いもしないのに、ネタにはならんもんなあ(^_^;)

会社でさっそく、横に座る2人の同僚に聞いてみた。

「宝くじ、当たったらどうする?」

「しんかい2000で日本海溝に潜ります」

「そ…それは、夢にあふれているね~(^^;)」

「いくらくらいかかりますかね」

「さ…、さあ…、でも、3億円当てても、足りるかなあ」

「そうですよね。国家予算を使って潜るくらいですもんね」

ところで、調べてみたら、「しんかい2000」は、現在、引退して、今は、「しんかい6500」なのだそうだ。ちなみに所有しているのは、独立行政法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)。もしも、彼女が3億円当てたら、売ってあげて欲しい(無理)。

「そういう、あなたは?」

「オイラっすか。うーん、

全額1頭の馬に賭けてみるかな

「それいいですね。でも、可能なんですか、そんなこと…」

「当てちゃったら、すごいことになるよね」

万馬券なら、JRAが潰れちゃうかもしんないなあ。

うーんと、2人で悩んでいると、ふと気づいた。

どっちも、3億円当てても、実現できないかもしれない。

っていうか、問題は、額の大きさなのか?

もう1人、入社したばかりの女の子は、にっこりと笑い、こう語った。

「あたし、マレーシア、行きたいです(^^)」

い…いいのか?

余っちゃうぞ。

っていうか、宝くじ当てないと、行けないのか?(@_@)

で、思ったのである。

リアリティのない想定では、人間の想像力は貧困なのである。

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ところで、オイラは、宝くじを買うとき、連番を買わない。当選番号を確認するとき、連番だと、すぐに全部外れと分かってしまうからだ。1枚、1枚、当たっているかどうか、確認しながら、友達や恋人と盛り上がりたい。「きゃーっ、惜しーっ!」って。

今回も、バラで30枚。

あ、いけね。

「1等と前後賞あわせて3億円」

これじゃあ、3億円、当たらないや(T_T)

ban-s

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2005年12月 5日 (月)

〝自作自演〟な転職スカウト~今だから笑える、2005年トホホな出来事~

まだ1年も過ぎていないけれど、もう勝手に時効にしようと思う。先方には申し訳ないが、暴露してしまおう。

年明け早々、オイラのメールに、ある会社のエラい人から連絡が入った。

「近況などお聞きしたくメールいたしました」

この方は、昨年、転職しようと採用試験を受けた会社なのだ。そのときはあっけなく落とされたものだから、あまり良い印象はない。が、「お昼を食べませんか?」というので、美味しいランチをおごってくれるなら嬉しいなと、ヒョコヒョコと先方へ出向いたのだった。が、これが、驚くべき話をされた。

「もしも気が変わっていないなら、うちに転職しないか?」

マグロ丼を食べる手がぴたりと止まってしまった。

何っ?

あんた、一度、オイラを落としたじゃないか!

この方、オイラを落としたときに、履歴書をちゃっかり自分の机にしまい込んで、チャンスがあれば、オイラを入れることができないかと企んでいたらしい。そのときは、年齢が高いからと落としたが、年末に突然、会社の中堅が2人も退社して独立するものだから、その穴埋めに即戦力が欲しいという話だった。

それにしても、個人情報保護にうるさい時代に、履歴書をこっそり隠してましたって、あんた、そりゃ、ビミョーだよ。

が、突然舞い込んだ転職話に、すっかりオイラは食いついてしまった。

「よろしくお願いしますm(_ _)m」

即決した。先方は用意周到で、その時点で、代表取締役の面接、健康診断と研修の日程、3月1日入社という具体的なスケジュールまで決まってしまった。

「社長との面接は、形式的なものだから…」

この一言が、怪しかった。

オイラは、それを受けて、すぐに現在の会社の、一部の人間にだけ、転職する旨を伝えた。何人かの同僚が、「思いとどまれ」と、説得に来た。が、その1つ1つを説き伏せて、あとは会社に退職願を出すだけ、というところまで来た。

さて、代表取締役との面接である。

その会社は、霞ヶ関に近いビルの1室にあった。社長は、憮然とした表情で面接会場に現れた。

ん???

社長「君は、うちに来ると年収が下がるみたいだ。やめたほうがいい」

な・・・・なんですとーっ(?_?)

オイラ「ある程度下がるのは、承知の上でお受けしましたが…」

社長「いや、絶対後悔する。そうやってうちに入社して、居着いた試しがない」

は・・・・・はあっ?

社長「だってなあ、うちの連中、変なやつばっかりだからなあ、絶対、後悔するよ」

・・・・・・???????

社長「もう一度、考え直してみてくれ」

ぼう然。

その日、夕方、メールが来た。

「実力とお人柄については、全員が認めるところでございますが、年収の件などを含め、現在の職場にいてもらったほうが、よろしいのではないか、ということになりました」

転職を誘ったのは、あんたたちですから!!!!!

そんなわけで、オイラは、今も、細々と今の会社で働いている。

正直言って、オイラの転職をやめさせようと説得にあたった同僚たちが、一番驚いているし、彼らにとっては、もう、笑い事ではなくなっている。

オイラは、とりあえず、笑ってやろうと思う。

本当は、社名まで暴露したい気持ちなのだが、とりあえず、そこは理性を働かせて、踏みとどまりたい。

ただ、社名を聞いただけで、今にも爆発しそうな会社だということだけは、明かしておこう(笑)

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さて、この記事は、眞鍋姉さんが今日からスタートした「ブログ普及委員会」の「答えてブログ」にエントリーするために書いています。

kt01

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