カテゴリー「文化・芸術」の5件の記事

2007年8月 3日 (金)

ル・コルビュジエと後藤新平

月が変わってしまったが7月に2つの展覧会に顔を出した。

1つ目は、六本木ヒルズ森タワー53階にある森美術館で、『ル・コルビュジエ展 建築とアート、その創造の軌跡』

今年生誕120周年を迎えた20世紀最大の建築家、ル・コルビュジエ。彼は多くの絵画や彫刻を生み出した画家でもある。展覧会では、絵画という自己探求から始まり、それを形にした彫刻、1つの建物の建築設計、さらにそれらの総体である都市計画の世界へと、ル・コルビュジエのイマジネーションの世界を広げてくれる。

ル・コルビュジエの『300万人のための現代都市』『輝く都市』という代表的な都市計画のスケッチや、集合住宅の内部を再現した空間など、ル・コルビュジエの世界をとことんまで体感できる企画となっている。

どっかの自称ジャーナリストが考えるような「陰謀」など妄想の余地のない20世紀最大の建築家の素顔に触れて、改めて現代の日本の都市との比較や、日本の建築家に与えた影響などを図書館の書籍で確認してみた。

そこで感じたこと、考えたこと、妄想したこと、それはまた次の機会に。

会期:2007年5月26日(土)ー9月24日(月・祝)
開館時間:月・水ー日 10:00-17:00 火 10:00-17:00 ※いずれも入館は閉館時間の30分前まで
入館料:一般1500円 学生1000円 子供500円 ※展望台東京シティビューも入館できる
会場:六本木ヒルズ森タワー53階

2つ目は、両国にある江戸東京博物館の『生誕150周年記念後藤新平展ー近代日本をデザインした先駆者』

オイラたちが住む東京をデザインした人・後藤新平。東京市長として東京市政調査会を起ち上げ、おそらく史上初めてにして最後の、東京という大都市を「経営」した人物である。今、現代の人たちが狭苦しそうに動き回っている道路も公園も、みんな後藤新平が築いた空間をずっと更新し続けているだけで、東京は未だにあの頃から後藤の遺産を食いつぶしているだけだ。

そんな後藤の生涯に触れる資料が並んでいる。

後藤は、どっかの自称ジャーナリストが唱えるような極秘地下鉄マニアではない。

白い髭と鼻眼鏡。後藤のトレードマークは、日本の近代化の象徴でもあったに違いない。

ビーアド博士自筆の『東京市政論』なんかは、後藤ファンとしてはちょっとちびりそうである(笑)

これもまた、何を学び、何を妄想したのかは、次の機会に。

開催期間:2007年7月24日(火)ー9月9日(日)
休館日:毎週月曜日(8月13日を除く)
開館時間:9時30分ー17時30分(土曜は19時30分まで。入館は閉館の30分前まで)
会場:江戸東京博物館6階常設展示室
観覧料:一般600円 大学生480円 高校生・中学生・65歳以上300円 中学生以下無料

偶然ではあるが、世界の都市をデザインしたル・コルビュジエと、東京やアジアの都市をデザインした後藤新平が、同じ時期に展覧会で登場することになった。

何かの縁のような気がして、2館をハシゴしてみたわけだ。

(関連サイト)

森美術館

江戸東京博物館

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2006年11月14日 (火)

よく分からん

部屋を片づけていたら、小説が出てきた。オイラが書いたらしい。考えてみると、書いたような気もする。

読んでみたら、やたらと恥ずかしい。

どういう精神状態で、こーゆーこっぱずかしいものを堂々と書けるんだろうか。

パソコンで書いたらしいので、ハードディスクの中を検索してみたが、ファイルが見つからない。

昔のパソコンか?

タイトルのページが抜けている。

さあ、どうしたもんか。

このパソコンを買ったのは、もう4、5年前だから、それ以前のものだと思う。

若いなー(爆)

いろいろと考えてみて、せっかくブログなんてものを操っているのだから、ここで公開してしまうことにした。

おそらく、今のオイラは、逆立ちしても書けないような小説だと思う。

このブログのsorameku.air-nifty.comのアドレスを使って、もう1つブログを立ち上げて、週1回くらいのペースで徐々に更新していこうと思う。たぶん、7、8週くらいで最終回を迎えるくらいかな。

猛烈に恥ずかしいので、コメント欄やトラックバックは設けないことにする(笑)

しばらくお待ちを。

てか、タイトル考えないとなー。

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2006年8月 3日 (木)

Bunkamuraシアターコクーンに『あわれ彼女は娼婦』を見に行った。

もう1週間も前になるけれど、7月27日、東急Bunkamuraのシアターコクーンに、『あわれ彼女は娼婦』を観に行った。

実の兄と妹の恋愛を描いた物語。400年も前の戯曲を、蜷川幸雄さんが演出した。出演は、兄ジョヴァンニに三上博史、妹アナベラに深津絵里。オイラは、深津ちゃんのファンなので、物語の内容はほとんど気にもせず、ただただ深津ちゃん目当てに劇場に足を運んだのだ。

オイラは演劇については専門家ではないし、蜷川幸雄と言われても、エラい人なんだなーくらいにしか分からないので、難しい批評は避けておくけれど、大昔の戯曲は、単調というか、現代の人には飽きてしまうんじゃないかと思ったけれど、おそらく蜷川さんのうまさなんだろう、メリハリがきいていて、最後まで飽きさせなかった。

深津ちゃんは、ちょっとテンション高すぎる気もしたけれど、愛らしくアナベラを演じていた。

三上博史さんは、狂った男を演じて、これだけハマる人もなかなかいないと思った。苦悩しながら歩いている姿や、難しい単語を次々と繰り出す姿、アナベラの心臓抱えて走り回る姿、もう、三上さんしかあり得ない。

兄と妹の恋愛っていうと、「血がつながらない」というお決まりの条件がついてくるものだけれど、この場合、血はつながっているし、妊娠もするし、殺しちゃうし、という、とにかく、やるだけやっちまう物語なので、物語の内容そのものには、何ともケチのつけようがない。ここまでやると、お腹一杯という感じ。400年も前の人は、とてつもないことを考えるなー。

「宗教」とか「戒律」とか「家族」みたいな壁に対して、「近親相姦」という究極の恋愛は、一番インパクトがあるし、究極の枷だったと思う。現代のドラマに近親相姦を入れても、そんなに大したインパクトはないもんね。

それより何より驚いたのは、コクーンシート。2階のバルコニー席で、舞台に対して直角にせり出した場所なので、普通に座ると手すりで舞台が見えないし、舞台の端っこで演技されると声しか聞こえない。うーん。気分は、皇室関係者?思わず、客席に向かって手を振りたくなる(謎)

観るのにコツが必要だけれど、オイラは、迫力ある舞台を上から見下ろすスタイルが、結構気に入ったような…。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、最近、ココログのアクセス解析がバージョンアップした。訪問者のあれもこれも、みーんな解析してしまうのだね。逆に、アクセスする立場からすると、ネットサーフィンって、結構見られているんだなって感じた。

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2006年7月10日 (月)

岡本太郎「明日への神話」

岡本太郎「明日への神話」

午前11時から午後7時まで、汐留の日テレ前ゼロスタ広場で公開しているらしい。8月31日まで。

このケータイの欠点は、横のものを縦にすることができないってことだな。

みんなは、ニコニコ笑いながら、見入っていたけど、オイラは、正直怖かったよ。「原爆」の恐ろしさが、圧倒的は迫力で迫ってくる。恐怖や憎しみや悲しみが。痛い、熱い。

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2005年8月10日 (水)

LOVE LETTERS

D1000016夜、渋谷のPARCO劇場の公演「LOVE LETTERS」を観てきた。演じるのは、バレエダンサーの西島千博さんと、シノラーこと篠原ともえさん。私自身、芝居を観るのは、10年ぶりくらいになる。実は、篠原ともえさんはデビュー当時から密かに好きだったのだが(笑)、あのハチャメチャな芸風というか動作というか振る舞いというか、あれは、おそらく彼女なりの照れ隠しのようなものだと感じていて、もしも自分が演出家とかプロデューサーになったなら、彼女を何もない舞台にジッと座らせて、あの「照れ隠し」なしに淡々とした演技をさせてみたいと思っていたのだ。今回の舞台は、まさにそのまま実現するわけで、珍しく前売り券を速攻で買ったのだった。

が、そんな期待感は、今日、舞台が始まる直前までのことで、舞台が始まり、2人が舞台中央の椅子に腰掛けて、すぐに、この舞台と私との出会いが、どこかハイヤーパワーに支配されたものだということに気づいた。

「LOVE LETTERS」は、幼なじみのアンディとメリッサがお互いに出した手紙を読み合うだけというシンプルな舞台。ネタバレになるのを避けるため、ほんのさわりのみとするが、アンディは海軍を経て上院議員にまで登りつめる幸せな人生をおくるのに対して、メリッサは父親がアルコール依存症で、彼女自身も依存症から精神的な破綻をきたしていく。お互いに意識しあい、求め合いながら、すれ違い続ける2人。その顛末は、とても哀しいものだったが、人生にとって最も大切な人を思い出させてくれる。アンディ演ずる西島さんは、途中何度も噛んでしまい、「おや?」と思わせる場面もあったが、クライマックスは力が籠もっていて、その言葉の1つ1つに共感し、同じ男性として涙なしには観ていられなかった。篠原さんは、破天荒なメリッサにしては少しおしとやか過ぎた気もするが、天真爛漫なメリッサを好演していたと思う。

私の愛した人は、今、幸せにしているのだろうか。クライマックスのアンディの手紙を聴いていたら、私にとって大切な人たちの顔が思い浮かんだ。私にとって無駄だったり邪魔だったりした人は、1人もいない。今も愛しているし、これからも忘れることはないと思う。せめて、幸せでいてほしい。あの頃の私は、愛することと慈悲を混同していた。牧師は恋人にはなれない。仮に彼女に依存症のような問題があるなら、それは彼女自身が「底」を見て、感じることなしには回復の道は開けないのだ。

また、もう一度、「LOVE LETTERS」を観たいと思った。そのときはきっと、独りぼっちではなくて、大切な恋人を誘おうと思う。

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