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2009年1月12日 (月)

「自己責任」論の行き着く先にある、ギスギスした弱肉強食の社会

P1000782 「年越し派遣村」に対する世論が、先週末あたりから、徐々に同情論から批判へと変化しつつある。

インターネットとはやっかいな媒体で、あたかも自分が世論であるかのようにふるまうことが、結構簡単にできる。某巨大掲示板とか、Web2.0なんてのは、そういう錯誤の起きやすい場所だ。例えば、オイラのブログは、一時期、秋庭系のキーワードでGoogle検索すると軒並み上位にヒットした。でも、それはオイラのブログが支持されているからではない。

ネット上で議論された結果が、真実である保証などどこにもないし、ネット上にある情報が正しいかどうかなど、調べてみないと分からない。むしろ、ネット上の情報は、地球上の情報の氷山の一角でしかない。

そんなこと、冷静に考えれば分かることだが、人はネット上で共有したことが、一番正しいと思い込みがちなのだ。

みのもんたの言葉を、もう一度、引用しよう。

「(政府も)努力をしなければいけないでしょうけれど、派遣を切られたりとか、職が無いとか、と言う方たちも何か努力し なきゃいけないですよね。権利だけを主張して、住むところ、暖かいところ、食い物をって。ハローワークの方が言ってらして、仕事はあると言 うんですよね。そんなにあるんだったら、とりあえず仕事をしたらどうなのかと思うことがある」

これは典型的な自己責任論で、派遣村の問題に限らず、生活保護や社会保障の議論になると、多かれ少なかれ、必ず出てくる。

少なくともオイラは、今の会社に就職するまで、とりとめて他人より努力したという記憶がない。努力はしたが、なかなか就職できなかった。大学を2年半も留年した。就職するまで1年かかった。すべては自己責任の問題で、それを社会に責任転嫁するつもりはない。

親にも苦労をかけたし、仲間にも心配をかけたと思う。

大学を卒業しても就職しなかったのは、東京でシナリオライターになりたいという夢があったからだ。オイラは、7年半も大学にいて、結局、その程度の夢しか抱けなかった。

東京に来て、シナリオの勉強をしながら、プー太郎の生活を送っていたが、そのうち、ふとしたきかっけで、今の仕事に就いた。

今の仕事は、小さな会社で、いつ倒れるか分からないくらいの弱小会社だが、正社員で、それなりに給料をもらっている。

たぶん、自分よりもはるかに苦労して、もっと死ぬ思いをして、それでも、正規社員になれなかった人が多いのではないだろうか。

派遣村のやつらは甘いと叱咤している人たちは、彼らよりも苦労しているという自信などあるだろうか。

500人のそれぞれの人生は分からないけど、おそらく、苦労している人も、していない人もいるのではないか。それは、オイラたち正規社員として現在、ぬくぬくと仕事をしている人たちだって、苦労した人と、そうでない人がいるんだと思う。

一人の人間が、そこにたどり着いた道程は、その人それぞれに事情がある。

本来、人間は、いろいろとあっても、最後には守られる最低限の場所が確保されているものではないだろうか。戦後、日本人が脈々と伝えてきた家族とかコミュニティーといったものは、そういう存在だったんじゃないだろうか。

家族が丸い食卓を囲んでご飯を食べている。テレビがあって、炊飯器があって、冬はこたつがある。

オイラたち日本人は、そういう当たり前の家族の風景を、確かに高度経済成長の中で、自らの力で勝ち取ってきたはずなのだ。

そして、そこからこぼれ落ちる人に対して、生活保護や社会保障といったセーフティーネットが存在していた。

かつての社会は、その人が努力しようが、しまいが、最低限、このくらいのレベルは保証していたのだ。

それが、1980年代くらいから徐々に、「小さな政府」という言葉が盛んに使われるようになって、先輩たちが高度経済成長で築いた最低限のレベルが、次々に切り崩されてきた。

この5年くらい、日本の企業の業績は良かったが、働く人たちの賃金はさっぱり増えなかった。逆に、株主の権利はやたらと高くなり、企業の敵対的買収なんて物騒なことが世間を騒がせた。

今までセーフティーネットの網がちゃんとすくい取ってあげていた人たちが、どんどん網からこぼれ落ちるようになった。

今も、昔も、努力する人と、しない人がいる。そして、努力する人も、しない人も、運が良ければ出世し、運が悪ければ、人生を転落させる。

そこは何も変わっていない。

変わったのは、この社会なのだ。

「派遣村」が政治利用されているのは、事実だ。あそこに集まった野党の党首は、ほとんどがパフォーマンスだろう。だが、パフォーマンスでも、現実に政府と行政は「派遣村」を支援する方向に動いた。政治利用されているというのは正確ではない。

「派遣村」は、政治そのものだ。

人を奈落の底に落とすのも政治だし、救ってあげるのも政治だ。そういう血みどろの争いの果てに、民主主義社会は多数決で物事を決めている。

派遣労働を際限なく広げてきたのは、政治に他ならない。「派遣村」を救おうとしているのも、政治だ。厚生労働省の講堂を開けたのも政治だし、弱者のことなど考えてもいない石原慎太郎が、「派遣村」を擁護しているのも、政治だ。

派遣労働者を苦しめているのも政治だし、オイラがこうしてぬくぬくと仕事ができているのも、政治の恩恵だ。

そして、「自己責任論」を説く人たちに、聞きたいのだ。

あなたは、そんなに立派な人生を歩んでいるだろうか。彼らとどこが違うだろうか。

たぶん、「俺は死ぬ気で働いているぞ」なんて努力家がいるかもしれない。そうでない人もいるかもしれない。

そして、多かれ少なかれ、政治に振り回されている。某巨大掲示板で「派遣村」を批判しているのも政治だし、みのもんたが朝の番組で酔った勢いで派遣労働者を罵倒しているのも、政治なのだ。

自己責任の行き着き先は、余裕がなくて、行き場のない社会のように思える。

P1000779 どんな事情があろうと、年の瀬に理由もなく首を切られ、路上に放り出され、行き場を失っている人がいれば、手をさしのべて助ける。そのくらいの余裕のない社会になったら、ギスギスして、息苦しいったらありゃしない。

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