« 【秋庭系東京地下物語'07《初恋》】(第2話)「GHQが作成した地図」に惚れた恋・その1 | トップページ | 良いお年をお迎えください。 »

2007年12月31日 (月)

【秋庭系東京地下物語'07《初恋》】(第3話)「GHQが作成した地図」に惚れた恋・その2

「GHQの地図」の実物をお見せする前に、少し寄り道を(笑)

慌ただしい大晦日にお付き合いいただき心より感謝したい。

今回はまず、秋庭先生が提示する3つの地図のうちたった1つGHQが作成した地図、『CITY MAP CENTRAL TOKYO』について解説したい。

この地図は、1947年米空軍によって撮影された航空写真が使われている。地上の物件等は第123施設大隊によって調査された。建物の一覧表はGHQの業務隊、道路の分類等は第123施設大隊が作成した。記載されている建物名や軍の施設等については1946年8月現在のものが収録された。

正真正銘、GHQの地図である。

ただし、「インテリジェント・リポート」と記された文字はどこにも見つからない。いわゆる「諜報」とは何の関係もないものだ。

てか暗号なんて書かれちゃ困るのだ。GHQの地図は、GHQが現地で使うために作ったのだ。一部の人間にしか分からない地図では困る。

秋庭先生はおそらく、この地図に都立中央図書館東京室で出会っている。

福島鑄郎『G.H.Q.東京占領地図』雄松堂

この本に秋庭先生が使った地図が丸ごと添付されている。地図のベースになった航空写真も添付されており、当時の東京を把握できる数少ない資料である。

GHQの司令官マッカーサーは、日比谷の第一生命相互館にいた。このビルには天井がひときわ高い地下四階があり、ビルの外にはぐるりと幅一メートルほどの地下道のようなスペースもある。(『帝都東京・隠された地下網の秘密』新潮文庫、P358)

確かに当時の第一生命相互ビル(相互館ではない)は、地下4階まであった。でも、マッカーサーは地下4階に足を踏み入れることはなかったと思われる。

前述した『東京占領地図』に当時のエピソードが書かれている。

地下3階は大金庫で、地下4階は保険契約書類格納庫だったそうで、当時の写真まで掲載している。

1945年9月、GHQの参謀将校が第一生命を訪れた。そのとき将校に館内を案内しながら、ここは生命保険会社であること、日本で最初の相互会社であること、創立者である父が数百万の契約書を守るために、重要書類を地下に格納するように設計したことなどを詳しく話したそうだ。さらに地下にある書類やカードは社業の中核であって、全国の契約者との連絡はすべてこれを中心として行われているから、これを四散することはできないと説明した。

GHQから政府へ申し入れた公文書には、会社の事業の性格を考慮して地下は除外する、立ち退き先のためには隣接の建物の中に必要な面積を用意することを要望するという旨が記されていた。

つまり、秋庭先生が言っていることとは真逆で、GHQは最初から地下を除外して第一生命館を接収したのである。

この資料は、秋庭先生が参考文献一覧にあげているので、間違っていると分かっていて、秋庭先生は第一生命館の地下4階と「極秘地下鉄」とを結びつけようとしたのである。いや、むしろ、この本で初めて第一生命館に地下4階があるという事実を知ったのだろう。

「ひときわ天井が高い」っていうのは謎だけど、写真を見る限りにおいては天井がひときわ高いようには見えない。

GHQは、民間の建物を接収する場合には意外に紳士的だったようだ。ただ第一生命の幹部は気性の荒い戦闘部隊にだけは接収してほしくなかったらしくて、「できれば総司令部が一番好ましい」と思っていた。そんなときに総司令部の参謀将校が訪れたので、「必要ならお貸ししましょう」と話を持ちかけた。

そんなこともあってか、総司令部側は2階以上を使うことを提案し、1階は第一生命の事務室に使っていいということになった。結果的にスペースの関係で1階もGHQが使うことになってしまったが、GHQは地下については手をつけなかった。

では、GHQの「City Map Central Tokyo」に戻ろう。

これは占領軍が接収し、利用している施設の位置を示した市街地図である。

この地図を解説した最も新しい著作に、『図説占領下の東京』(佐藤洋一著、河出書房新社)がある。

GHQの地図には複数あり、秋庭先生は何故か『東京占領地図』に添付された1枚だけを使っている。おそらく『東京占領地図』以外の地図が手に入らなかったのであろう。

特徴は、地図が示す範囲が、日本人の行政区域や生活圏とは関係ないということだ。1946年に作成した初期の地図では日本人が作成した地図と同じように皇居を中心とした圏域で作成しているが、それ以降に作成された地図では皇居が東側に偏り、江東区や墨田区などの下町地域はほとんど範囲から外れてしまった。

これは米軍の爆撃で下町地域は壊滅してしまい、接収した建物が西側に集まっていたことが理由だ。GHQが作成した地図だから、GHQが使わない地図は必要ないわけだ。

秋庭先生が「インテリジェント・リポート」として主張するAMS-L774やAMSL874との決定的な違いは、この辺にある。

明らかに占領軍の生活の範囲(場)を意識して作成された「City Map Central Tokyo」とは異なり、AMS(旧米陸軍地図局)が作成した地図は、占領軍の生活圏とは特に関係ない。

両者の地図は、性格も目的も異なるのだ。

では、AMSが作成した地図とは、どんなものだったのか。

次回はその実物に迫ろうと思う。

が、今日の更新はこれにて終了(笑)

良いお年を(爆)

(つづく)

秋庭系東京地下物語'07《初恋》

第1話 第2話 第3話 第4話 第5話 第6話

延長戦1 延長戦2 延長戦3 延長戦4

|

« 【秋庭系東京地下物語'07《初恋》】(第2話)「GHQが作成した地図」に惚れた恋・その1 | トップページ | 良いお年をお迎えください。 »

秋庭系東京地下物語2007」カテゴリの記事

コメント

「東京占領地図」 秋庭さんは、
>占領史の専門家福島鑄郎がニューヨークで見つけてきた
とか、例によっての嘘八百を書いておられましたね。
あれは基本的には、コネチカットのセントピータースバーグ辺りから来たべ~兵に東京をガイドする地図でしょう?洗濯工場とか、駐車場とか、騎兵隊の砦とか(これはないか?)が書かれていたりする。
まぁ、それが秋庭さんに罹ると怪人二十面相の地図になっちまうんだから。どうしようもありませんが。
興味深いのは地図本体より進駐当時の犬丸帝国ホテル、mori-chi さんが書かれたような、矢野第一生命ビルについての当事者の回想、そしてあのノストラ五島勉の銀座の危ない所の案内と言う所でしょうか。

投稿: 陸壱玖 | 2007年12月31日 (月) 18時07分

こんばんは(^.^)

日本には占領期の資料が少なくて、これらの地図は占領軍がどの建物や土地を接収したのかを示す貴重な資料なんだそうです。要は占領軍の兵隊さんや家族、関係者が自分たちの生活圏を把握する、ごく普通の地図だったということでしょう。

興味深いのは当時の航空写真で、焼け野原の東京を写した数少ない記録です。最初見たときは、戦後はここから始まったんだなぁと感慨深かったです。

あと5時間くらいで今年も終わりですね。一年間大変お世話になりましたm(__)m良いお年をお迎えください(^.^)/~~~

投稿: mori-chi | 2007年12月31日 (月) 18時40分

謹んで新年のお慶びを申し上げます。
今年も活発にスタートされたようで、益々のご活躍ご健勝を念願しております。
漸く私の方の「新宿・都営軌道」もこの元旦で書きあがりました。
私の通った小学校のすぐ向かいに国土地理院がありました。年に一度オープンハウスがあって、空中写真画像の立体視鏡で少年雑誌の付録の赤青の立体画像でない、モノクロでの精緻な立体画像に初めて触れた記憶が、今も残っています。
占領軍→進駐軍→駐留軍→在日米軍。このナポレオンの帰還の如き、日本人の哀しさは何なのか?
貴ブログからこの年の瀬、新年に思いいたしております。
本年も変わらぬご厚誼の程種々ご教授の程お願い申し上げます。

投稿: 陸壱玖 | 2008年1月 1日 (火) 13時09分

明けましておめでとうございます。

戦後ずーっと日米関係はワンパターンで来てしまいましたね。神奈川は厚木や横須賀があるせいでしょうか、「在日米軍」とやらがやたら飛んでいます。

今年もよろしくお願い申し上げます。

投稿: mori-chi | 2008年1月 1日 (火) 17時32分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/109926/17528951

この記事へのトラックバック一覧です: 【秋庭系東京地下物語'07《初恋》】(第3話)「GHQが作成した地図」に惚れた恋・その2:

« 【秋庭系東京地下物語'07《初恋》】(第2話)「GHQが作成した地図」に惚れた恋・その1 | トップページ | 良いお年をお迎えください。 »