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2007年8月 6日 (月)

今年の『広島宣言』にはこれまでにない意味がある。

まずは、今日の広島市平和記念式典での秋葉忠利市長の『平和宣言』からの抜粋である。

しかし21世紀は、市民の力で問題を解決できる時代です。かつての植民地は独立し、民主的な政治が世界に定着しました。さらに人類は、歴史からの教訓を汲んで、非戦闘員への攻撃や非人道的兵器の使用を禁ずる国際ルールを築き、国連を国際紛争解決の手段として育ててきました。そして今や、市民と共に歩み、悲しみや痛みを共有してきた都市が立ち上がり、人類の叡智(えいち)を基に、市民の声で国際政治を動かそうとしています。

唯一の被爆国である日本国政府には、まず謙虚に被爆の実相と被爆者の哲学を学び、それを世界に広める責任があります。同時に、国際法により核兵器廃絶のため誠実に努力する義務を負う日本国政府は、世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり「ノー」と言うべきです。また、「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め、平均年齢が74歳を超えた被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。

被爆62周年の今日、私たちは原爆犠牲者、そして核兵器廃絶の道半ばで凶弾に倒れた伊藤前長崎市長の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げ、核兵器のない地球を未来の世代に残すため行動することをここに誓います。

これまで数ある平和宣言の中で、原爆犠牲者以外に哀悼の意を表したことがあっただろうか。かつて本島市長が凶弾に倒れたことがあったが、その年の広島平和宣言は、そのことには触れていない。今年、伊藤市長の名が平和宣言に刻まれたことは、1つの大きな意味を持っているように思える。

広島は広島、長崎は長崎。それぞれの平和宣言に初めて架け橋がかかったような気がした。

歴史はいつも、尊い命を犠牲にして、大切なメッセージをオイラたちに伝える。

原爆で亡くなった人々、凶弾に倒れた市長、それぞれのメッセージを、核兵器が地球上から消えるその日まで、語り継がなければならない。

(関連サイト)

広島市・平和宣言

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