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2007年8月12日 (日)

22年目の夏

高校時代の夏休みだった。今日のように蝉が騒がしく鳴いていた。

1985年8月12日、オイラはおそらく予備校からの帰りだったと思う。少し早めの夕食が終わり、居間にあるテレビを観ると、臨時ニュースが流れていた。

第一報は、日航123便が行方不明、のようなものだった覚えがある。

その瞬間は、「墜落」という言葉は浮かばなかった。

その頃までオイラは、飛行機に乗ったことがなかった。初めて飛行機に乗ったのは、高校の修学旅行だった覚えがある。飛行機が墜落するというイメージ自体、あまり想像できなかったのだ。

しばらくして、「レーダーから消えた」が、「墜落」に変わる。夜9時頃を過ぎると、テレビはどこも事故の特別番組に変わってしまっていた。

翌朝、目を覚ますと、家がやけに静かだった。

階段を下りて、夕べの居間へと進むと、両親が黙ってテレビを眺めていた。

青い背景に、日本人の名前が延々と映し出され、名前を読み上げるアナウンサーの声が静かに繰り返されていた。

両親とも、茫然自失の状態だったと思う。

知り合いの名前がないのか、最後まで確認を続けたが、見つからなかった。

「日航には乗らんとこう(乗らないでおこう)」

・・・母のそんな言葉が記憶に残っている。

以来、日本航空の飛行機に乗ることはめったになく、主に日本エアシステムを愛用していたが、両社が経営統合してしまい、日航のジャンボ機に遭遇することもあった。

あれから22年間、オイラが生きてきたのは、偶然と必然の融合なのだと思う。

何年か前に初めて、事故機のボイスレコーダーが肉声で公開された。最後の最後までコックピットで戦っていたクルーたち。もっと早くあの声を聞いていたら、この事故に対するイメージはずいぶん変わっていたのかもしれない。それを匿名でしか公開できない日本という閉鎖された社会にも、問題があるのだろう。

オイラはたぶん、これからも飛行機に乗ると思う。

事故に出くわすこともあるのかもしれない。

その瞬間、オイラは何を残せるだろうか。

 

1985年、当時日本は一番幸せな時間にあったような気がする。あの瞬間、はり倒されたんだと思う。

22年目の夏。

今年も、何も変わらない暑い夏がやってきた。

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コメント

事故現場から私の住む街は50~60キロ位離れているにも関わらず墜落時の衝撃があり、商店街を歩いている人は一瞬パニックになったと、当時父が話していました。

そんな父は他界しているし、時間がたつのは恐ろしいことで
事故のことはすっかり忘れ去られています。

年に一度でいいから思い出し、手を合わせなければいけないと、
こちらの日記を読み胸に刻みました。

投稿: らん | 2007年8月14日 (火) 07時22分

墜落現場は、意外に首都圏に近いのですよね。横田基地が123便の受け入れ態勢を整えていたくらいですから。
人づてにしか記憶のない若い人が増えてきたのを実感します。22年も前のことですもんね。

投稿: mori-chi | 2007年8月14日 (火) 08時08分

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