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2007年8月20日 (月)

【秋庭系東京地下物語'07《隠蔽》】(第6話)隠された後藤新平「帝都復興」の秘密・その1

Sn380020_0001以前もこのブログで紹介したけど、今、東京・両国にある江戸東京博物館では、「生誕150周年記念後藤新平展 日本の近代をデザインした先駆者」が開催されている。

1500円もする特別展とは違い(笑)、常設展で観覧することができるけど、中身は特別展なみに濃い内容になっている。いや、特別展よりもこっちのほうがお得な気がする。

後藤新平は、かつての東京市長でもあり、関東大震災後の山本内閣では内務大臣を務め、自ら帝都復興院総裁として帝都復興を担った。

 東京市を東西に横断する道路は、大正通りと名づけられることになっていた。大正通りは新宿と両国をまっすぐに結ぶ道路になるはずだったが、軍部の反対が強く、ついに後藤は大正通りを諦めている。市谷の外堀を東西に横断できなかったそうである。代替案として靖国神社から両国へ向かう道路が敷設され、靖国通りと名づけられている。
 戦後、靖国神社から新宿の大ガードへ至る道も靖国通りと命名されたが、道路が外堀を東西に横断できたわけではない。市ヶ谷橋をはさんで二つの道路に同じ名をつけただけのことで、本来なら反則だと思う。(『新説東京地下要塞』講談社+α文庫、P163)

地下の都市伝説の権威・秋庭俊先生は、上のように書いている。帝都復興計画が作成される経過で、この市ヶ谷の外堀を横断する大正通りは、どのように構想されていたのか、どの段階で横断できなくなったのか、もしかしたら分かるかもしれないと思い、江戸東京博物館まで足を運んでみた。

帝都復興計画の起点は、関東大震災から1週間後の大正12年9月7日、内務省が都市計画局会議を招集したところから始まる。この会議では、長岡外史都市計画局長から復興計画の速成が指示され、翌日からさっそく本格的な立案作業が始まっている。内務省の本庁が焼失している状況で、彼らがよりどころにしたのは、後藤新平が東京市長時代、ビーアド博士の手を借りて立案した「東京市政要綱」、いわゆる“後藤の大風呂敷”8億円計画である。

後藤は、復興計画を作成する初期の段階では、経費を無視して理想案を作ることを奨励している。

それもあってか、最初の案は、総額41億円、完成まで20年を要する巨大な計画だったという。ありとあらゆるものを詰め込んだものだったんだろう。当時の国家予算が年間13億円だから、さすがに作成者自身も、到底ものになるはずがないと考えていたらしい。そこで、30億円、20億円、15億円、10億円という規模の段階別の案を立案した。

内務省内ではいったんは15億円計画を後藤内相に建議することになっていたが、内務省内の予算会議ではさらに5億円削ることになってしまった。これを、後藤内相に報告している。9月23日のことだった。

その後、後藤が自ら総裁に就任した帝都復興院が設立され、内務省案をもとに帝都復興の素案づくりが始まる。最初は3案があったと言われる。

第1案は、総額13億円の経費で、品川・上野間を南北、渋谷・両国間を東西とする幅員約22メートルの道路を十字型に配置するというもの。第2案は、それら2つの幹線にもう1本、東西線もしくは南北線を付け加える案で、経費は17億円ないし18億円の経費がかかると推計された。第3案も、第1案の十字型幹線道路を基本とし、それに細線を加えて米字型にするもので、経費は30億円に及んだという。

だが、ここでいったんストップした方も多いのではないだろうか。その感覚はまさに正しく、「東海道と日光街道を一直線に南北にとおしたような道路」(『帝都東京・隠された地下網の秘密』新潮文庫、P319)は、どこに行ってしまったんだろうか。「甲州街道と青梅街道を合わせたもの」(同)もない。極秘地下道の秘密を命がけで暴露した設計士の話とは、ルートがかなり違う。

・・・と、まあ、茶化しても仕方ないけど、要は秋庭先生は地下道があるような気がすれば、何だっていいんだよね。

「後藤新平展」では、大正末期の「帝都復興概念図」も展示されていた。

解説では、こう書かれている。

「この図の来歴や計画案の検討に占める位置は明らかではないが、同心円・放射線状の街路パターンや新しい交通結節点や都市の拠点、隅田河口の築港など、震災前に東京市の技師・福田重義らによって検討された「新東京」計画の影響がみてとれる」

この図は岩手県にある後藤新平記念館の所蔵で、この「後藤新平展」が終わると東北まで帰ってしまうので、見るなら今しかない。この図では靖国通りに値する通りがない。南北の幹線道路は昭和通りに近いが、東西の幹線道路は、亀戸、両国を経て、飯田橋、音羽、目白を結んでいる。青梅街道は宮城の西側を通り、新橋駅へと伸びている。

つまり、街路計画ってのは、様々な設計士が様々な案を練って、最終案へとつながっている。設計士のイマジネーションのレベルで語られていることを、「そんな街路は存在していない」なんてツッコミを入れるのは、絵描きのデッサンの下書きに「へたくそ」と文句をつけているのと同じなのだ。秋庭先生が見つける「極秘地下道」は、そういう類のものが多い。

こうして復興院は、甲案、乙案とされる2種類の復興計画をまとめた。甲案は総規模12億9500万円、乙案は9億6300万円。このとき初めて、品川・新橋・千住に至る、現在の昭和通りが登場する。そして、大正通り、現在の靖国通りもこのときに登場した。

オイラは、当時の都市計画図を見ようと、江戸東京博物館を訪れた。

まずは甲案。

江戸博は撮影OKなので、本当は画像でお見せしたいが、なんせ展示されているものは巨大なので、ちょっと・・・(笑)

甲案の大正通は、新宿から靖国神社を通り、両国まで結ばれている。今の靖国通りとほぼ一致するだろう。

乙案の大正通は、新宿から市ヶ谷の外堀を渡るところで途切れている。そして靖国通りの前くらいから両国まで伸びている。市ヶ谷から靖国神社までは、既存の道路をそのまま拡幅しないで残しているだけだ。

問題の、大正通が市ヶ谷の外堀を渡る地点はどうなっているのか?

両案とも、現在と同様、大正通りは市ヶ谷橋を渡っている。

断っておくが、この乙案と甲案は、帝都復興院の内部で立案し、幹部会で決議したもので、10月27日に閣議の了承を得た。つまり、外部に案が公表される前にすでに、大正通は外堀を渡るのに市ヶ谷橋を渡っているのだ。

最初の立案段階では、新宿・両国間の幹線道路は存在しない。その後、甲案・乙案の立案で初めて、現在の靖国通りが登場する。それまでおよそ1ヶ月弱。軍部がいったいどこで介入できたのであろうか。

江戸博の「後藤新平展」では、震災前の「東京都市計画地図」が展示されていた。これは1921年(大正10年)の都市計画東京地方委員会が定めたもの。この地図の市ヶ谷付近でも、通りは市ヶ谷橋を渡っていて、道路が東西には貫通していない。当時の東京市長は後藤新平である。

秋庭先生は、何を根拠に大正通が市ヶ谷の外堀を東西に横断しない理由を、軍部のせいにしたのだろうか。少なくとも、上記の経過を見ると、後藤新平には関係なさそうである。

『帝都復興』では、国会議事堂から桜田門への道路を敷こうとしたが、とうとう許可は出ないままに終わっている。(『帝都東京・隠された地下網の秘密』新潮文庫、P305)

これも確認した。「帝都復興計画実施案」・・・つまり、帝都復興計画の最終案だが、国会議事堂から桜田門に至る道路が記載されている。認められたのだ。

念のため、1930年(昭和5年)、復興局がまとめた都市計画図も確認してみた。後藤の死後、最終的に帝都復興事業で行われた街路整備、区画整理、公園整備、運河整備などの事業と関連事業をまとめたものだ。国会議事堂から桜田門に至る道路が、しっかり記載されていた。

ここまで来ると、もう秋庭先生の「帝都復興」に関する記述はまったく信用できなくなる。帝都復興どころか、後藤新平という人間そのものに対する認識も、根本から間違っているような気がしてくる。ル・コルビュジエの「輝く都市」を他の都市計画とすり替えて隠蔽したのは、秋庭先生自身だった。中村順平の「東京近郊」に勝手な解釈を加えて、地下計画の立案者に仕立てたのも秋庭先生だった。内田祥三の「大同の都市計画」を、原図と複製をすり替えて、複製の印刷時のゴミを暗号と強弁したのも、秋庭先生だった。

こうなると、後藤新平が戦前に極秘地下鉄の計画を立てて、実際に建設したという話は、極めて怪しいことになる。

戦前の東京市の地下鉄については、政府は一つも建設されなかったとしている。だが、おそらくそのほとんどが建設されていたと私は思う。(『帝都東京・隠された地下網』新潮文庫、P296)

しかし、これをどうやって論破する?

オイラは、そんなことを考えながら「後藤新平展」の会場を彷徨った。

すると…。

次回は、後藤新平が極秘に建設したと秋庭先生が妄想する6ルートの地下鉄網に迫る。

(つづく)

【秋庭系東京地下物語'07《隠蔽》】

(第1話)隠されたル・コルビュジエ「輝く都市」の秘密・前編

(第2話)隠されたル・コルビュジエ「輝く都市」の秘密・後編

(第3話)隠された中村順平「東京近郊」の秘密・前編

(第4話)隠された中村順平「東京近郊」の秘密・後編

(第5話)隠された内田祥三「大同の都市計画」の秘密

(第6話)隠された後藤新平「帝都復興」の秘密・その1

(第7話)隠された後藤新平「帝都復興」の秘密・その2

                   ・・・(補足

(最終話)隠された後藤新平「帝都復興」の秘密・その3

(関連サイト)

江戸東京博物館

後藤新平記念館

(関連書籍)

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