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2007年7月 3日 (火)

『ガリレオの遺伝子』を読んだ〜日テレが秋庭俊先生の「1−8計画」をオカルト扱い

これは、日本テレビ系列で6月14日に放送された番組『ガリレオの遺伝子』を本にまとめたもの。「それでも地球は動いている」と唱えたガリレオ・ガリレイの仮説は、その当時、非常識で現実離れした仮説にすぎなかったが、今では誰もが認める定説となっている。そんなガリレオの遺伝子が息づく仮説を紹介しようという番組だ。

・・・って、まあ、そう書けばかっこいいけれど、要は、現代のトンデモ仮説を片っ端から集めて、垂れ流す、マスメディアが得意なオカルト番組である。

その中に、地下のオカルト作家・秋庭俊先生が「東京には極秘の巨大な『地下迷宮』が存在する!?」という仮説の提唱者として登場しているのだ。

ちなみに、その他にどんな仮説があるかというと、「誰でも死者と会話できる!?」「地球の内部は空洞で地底人が住んでいる!?」「人間の『魂』は存在し、その重さは21g!?」「誰でも太陽と水だけで健康に生きる『光合成人間』になれる!?」といったもの。

つまり、オカルトオンパレード。

秋庭先生は、どんな仮説を披露しているのか、ワクワクとページをめくってみたら、なんてことはない。いつものように、ネタの使い回し。

ほとんどが、『帝都東京・隠された地下網の秘密2』(新潮文庫)の「第6章 1−8計画」の焼き直しだった。

秋庭氏は、とあるルートで手に入れた『1−8計画』の公式文書の分析を中心に、その謎に迫っている。(P94)

「とあるルート」って(笑)

95ページにその文書とやらが掲載されていて、「『千代田線建設史』より抜粋」って書いてある。日テレさん、『千代田線建設史』は、図書館に行けば、誰でも閲覧できるってば。

実は、当時、建設省(当時)が発行した地下鉄敷設の許可文書に、千代田線のルートとして、「丸の内1丁目8番地先から有楽町2丁目2番地先まで」と明記されていたことを秋庭氏は見つけている。さらに、そこには翌年4月までの着工を義務づける覚書が添えられていたというのだ。(P94)

この文書には、「翌年4月までの着工を義務づける覚書」など添えられていない。

こう書かれている。

「営団は、工事施行の認可に附した期限内に工事に着手し、かつ、工事施行の認可に附した期限内に工事をしゅん工させなければならない」

この文書は、建設省が営団に対して、道路に地方鉄道を敷設することを許可した命令書で、この許可を受けて、営団はさらに工事施行の認可を建設省に申請しなければならない。なので、この文書の中には、いつまでに着工しろという内容はいっさい書かれていない。あえて、期限について書かれている項目をあげれば、「この許可の期間は、昭和51年11月9日までとする」との一文がある。いずれにせよ、着工云々という話ではない。

1966年(昭和41年)当時の丸の内1丁目8番地、すなわち『1−8』は、大手門前のパレスホテルあたりであった。(P94,97)

Sn380016 1966年当時の丸の内1丁目8番地は、パレスホテルの周辺ではなく、現在の新住友ビルのあたりである。この画像の周辺になるのではないかと。地下鉄大手町駅の出入り口がある。

パレスホテルは、区画が日比谷通りを挟んで向かい側にあたるため、秋庭先生の事実誤認と思われる。

Sn380015 パレスホテルは、内堀通りと永代通りの交差点の角に建っているが、実際には、日比谷通りと永代通りの交差点が「丸の内1丁目8番地」だった。

仮説を立てる初っぱなから、この有様だから、先が思いやられる。が、思いやられるどころではなかった(笑)

工事は計画書に従い、この位置から有楽町2丁目2番地を結ぶルートで進められた。ところが、このルートがほぼ完成していたと思われる1969(昭和44)年、新住居表示の法律が施行されたのだ。それによって、「丸の内1丁目8番地」は、大手門前から東京駅八重洲側に移転したのである。(P97)

大手町・霞ヶ関間の工事が着工されたのは、1968年(昭和43年)11月23日である。開通の目標は、昭和46年3月であった。1969年の段階で「ほぼ完成していた」という事実はない。

新住居表示については、完全な事実誤認である。

そもそも、新住居表示とは、法律で規定されているが、具体的な町名・番地までは法律では規定されず、それを決めるのは地元の区市町村、丸の内なら、千代田区である。

「住居表示に関する法律」が施行されたのは、昭和37年5月10日である。法律では、昭和43年3月までに実施するよう求めており、千代田区もそれに即した計画を立てたものの、実際には平成に入った現在でもすべて実施されていない。何故か?

住み慣れた町名が変わってしまうことに、激しく反発する住民がいたからである。

丸の内1丁目が新住居表示に移行したのは、昭和45年1月1日。有楽町2丁目は、昭和50年1月1日である。昭和44年の段階では、丸の内1丁目8番地は、旧住居表示の場所、つまり、現在の新住友ビルのあたりにある。

そして、その直後、建設省(当時)は最初に出した地下鉄敷設許可文書を変更。なんと、新しく制定された「丸の内1丁目8番地から有楽町2丁目2番地」へと地下鉄の敷設を命令したことがうかがわれる。つまり、完成間近であった旧「丸の内1丁目8番地」から造られたルートは、この命令によって、まったくの無駄になったのである。(P97)

この「変更」されたという地下鉄敷設許可文書の日付は、「昭和44年5月21日」とある。丸の内の新住居表示が施行されたのは、昭和45年1月1日だから、この時点で、「丸の内1丁目8番地」は、旧住居表示の場所である。工事は始まったばかりなので、何が無駄になったのか、意味不明である。

まあ、この本自体が、「ガリレオ仮説=オカルト仮説」という暗黙の了解があるから、それが事実であるかどうかは、どうでも良いことなのかもしれない。本の一番後ろには、こう記されていた。

この本で紹介した新仮説は、あくまで研究者(提唱者)独自の仮説です。一般的に事実と考えられている説と食い違う点があることをご了承ください。

つまり、最初から事実でないという前提から始まっている。心霊写真やUFO、悪霊と同じレベルで扱われていることが分かる。それなら、それでいい。むしろ、そういうネタの数々に、秋庭先生の仮説が入っているということがおもしろい。これまで、曲がりなりにもジャーナリズムだったはずの秋庭式の仮説が、ようやくオカルトとして定着してきたということだろうか。

「1−8計画」については、まだまだ矛盾がたくさんあるんだけれど、とりあえず今回はここまで。残りは、次の機会としたい。

(関連サイト)

ガリレオの遺伝子公式サイト

(関連書籍)

ガリレオの遺伝子(日本テレビ放送網)

帝都東京・隠された地下網の秘密2ー地下の誕生から「1−8計画」までー(秋庭俊著、新潮文庫)

・・・「1−8計画」の全貌は、この本が詳しい。

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コメント

「1―8計画」の最大の矛盾は、他でも書きましたが、「1―8」これをなんと読むかでしょうね。
「いち の はち」計画?
「いち ハイフン はち」計画?
「いち はち」計画?
「いっぱち」計画?
「一か八か」計画(笑
紙で見るのと、小耳に挟むでは随分と違うのに。何でコードネームで、地番って判ったんでしょうね。

投稿: 陸壱玖 | 2007年7月 4日 (水) 09時46分

オイラは勝手に「いちはち」と読んでいましたが、秋庭さん本人は何て読んでいるんでしょうね。

いろいろ読んでみても、「1-8計画」が何なのかさっぱり分からない。何の目的なのか、何の意味があるのか、そもそも何をもって1-8計画なのか。証拠の書類は、『千代田線建設史』のみ。

何だかなー。

投稿: mori-chi | 2007年7月 4日 (水) 14時43分

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