おそらく、「1−8計画」という実態は、存在しないのであろう。秋庭先生が、『帝都東京・隠された地下網の秘密2』を出版する際に、どうしても必要な妄想だったに違いない。江戸時代がどうだとか、お堀の下がどうだとか、そんな内容をいくら解説しても、収支がとれる出版物など不可能である。そういう意味では、出版に携わった出版社も共犯と言える。
「丸の内1丁目8番地」が、地下鉄千代田線建設の工事施行許可を申請したときも、許可を得たときも、現在の新住友ビルの付近だったことは前にも述べた通りである。
では、有楽町2−2は、どうだろうか。
前回紹介した『ガリレオの遺伝子』では、新住居表示の前後では、「有楽町2−2」の場所が変わっていないという注釈をつけていた。
が、調べてみたら、新旧住居表示で微妙にずれていることが分かった。
有楽町2丁目が新住居表示に移行したのは、昭和50年1月1日である。
これが、現在の「有楽町2−2」。ニュートーキョーがある場所である。秋庭先生は、どうやらこれが、新住居表示とそれ以前で変化がないと思いこんでいるようである。
実際に調べてみると、新住居表示以前、つまり「地番」だったときは、場所が違っていた。
右の画像が、新住居表示以前の「有楽町2−2」である。この左に走る道路のさらに左側が、ニュートーキョーのビル。つまり、新住居表示の「有楽町2−2」なのである。
場所は、移行している。
もう1つ、おもしろい例を紹介しよう。
昭和44年5月21日付の建設省が営団に出した許可文書に、以下のような文章がある。
第1条 帝都高速度営団(以下「営団」という。)に対して道路を敷設することを許可した地方鉄道の路線は、次のとおりである。
(略)
千代田区日比谷公園地先から
同 区内幸町2丁目22番地先まで
特別区道千第58ー2号 延長270メートル
千代田区内幸町2丁目1番1号先から
同 区霞ヶ関3丁目3番1号地先まで
都道301号線 延長44メートル
上から順番に千代田線のルートに従い、住所が記されている。内幸町2丁目22番まで来た地下鉄が、突然内幸町2丁目1番1号までワープしている。
これ、何を意味しているのか。
実は、内幸町2丁目22番と、内幸町2丁目1番1号は、ほぼ同じ場所なのだ。
前者は、新住居表示以前の「地番」。後者は、新住居表示である。両者は、ほぼ同じ場所に位置する。内幸町の新住居表示移行は、昭和42年4月1日。この文書の日付では、すでに新住居表示である。新住居表示では、内幸町2丁目に22番地は存在しない。
この文書、微妙に間違っているのだ。
建設省が作成した公式文書がこんな有様なわけで、この文書の矛盾をいくら探し出しても、間違っているという結論以外に導きようがないのである。
そこで、有楽町2−2である。
確かに、千代田線のルートは山手線の内側だが、有楽町2−2は、新旧住居表示ではいずれも山手線の外側である。これ、地下網の秘密を暴く決定的な証拠として、いかがなのであろうか。
「有楽町2丁目2番地先から」・・・「地先」というのは、その土地からすぐ近くという意味。2丁目2番地先には、日比谷線の日比谷駅がある。これって、当時は千代田線も三田線も日比谷駅がなかったから、日比谷線の日比谷駅の「地先」を素直に書いているだけなんじゃないだろうか。
もう1つ、おもしろい文書の文言を紹介しよう。
昭和42年4月25日付の運輸大臣が営団に出した文書である。
都営路面軌道との関係について
綾瀬起点15K470Mにおいて都営路面軌道(桜田門〜虎の門間)の下を横断いたしますので、「地下鉄建設工事に伴う軌道の防護ならびに復旧工事の処理について」の東京都交通局長との覚書謄本を提出いたします。
そして、これは、『帝都東京・隠された地下網の秘密2』からの引用。
このような「広場」はほかに、銀座や赤坂見附、半蔵門などにもあって、こうした「広場」は、地下を走る都電で結ばれていたそうである。この都電の地下鉄を、営団地下鉄では「路面軌道」と呼んでいたのだという。(P256,257)
最近、秋庭先生の発想法にも慣れてきた。彼は、ボキャブラリーが豊富な人ではない。どこにも見たことのないような単語が出てきたときは、どこかの文書から無断で引用している可能性が高い。「路面軌道」はおそらく、上記の文書から「拝借」してしまったのだろう。
このような地下網を、一部の人々は「側道」と呼んでいる。しかしながら、首都高やモノレールの地下などは、いかがなのものか。(P262)
「側道」というのは、地上にある。例えば最近高架化された小田急線には、複々線の高架橋の脇に必ず地上の「側道」がある。都市計画でそう定められているからだ。モノレールにも、側道がある。こちらはあってもなくてもいいが、都市部を走るモノレールはルートの両脇に「側道」がある。高速道路も同じ。
おそらく、この「側道」という単語も、秋庭先生が何かの書物で見つけた言葉なんだろう。
千代田線のこの区間には、大手町、二重橋、日比谷の三駅しかないが、この一覧表には、もう一つ、馬場先濠駅がある。(P255)
まあ、おそらく秋庭先生が言いたかったのは、馬場先濠駅ではなく、馬場先門駅だと思うが、確かに『千代田線建設史』には、馬場先門駅が登場する。
千代田線には“国民に隠された”駅がたくさんあるって記事
今更ちゃかしても仕方ないので書いてしまうと、馬場先門駅は、二重橋駅の仮称なのだ。
おもしろいのは、こんな単純な話を、秋庭先生が書くだけでなく、その後を追うオカルト作家も真似して使うってことなのである。
こうやって、1つ1つ解明していくと、「1−8計画」という実像は、消えてなくなってしまう。
いったいマスメディアは、いつまで秋庭先生のオカルトに振り回されているのだろうか。確信犯なら、それもよかろう。でも、天然でマジに秋庭先生のしゃべっていることを真に受けているとしたら、ちょっと自分の脳みそを疑ったほうがいい。自宅に、意味不明の壺とか買っていないだろうか。価値がない絵画が何枚も倉庫に眠っていないだろうか。むしろ、そっちのほうが心配になる。
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