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2007年5月11日 (金)

「母の日」の憂鬱

何が悲しくて、母親にカーネーションなんぞ贈らなければならないのだろう。

少なくとも、オイラは、自分の母親には、エラい目に遭わされた。今も実家に帰る気にすらならないのは、同じ屋根の下で布団を敷くような真似をしたら、朝起きたら、オイラが息の根を止められているのではないかと怖いからだ。一般的にこんな話は冗談でするものだが、オイラのばやい、かなりマジである。

いったい、オイラの知らないところで、オイラには、いくらの保険金をかけられているのだろうか。

世の中には、いろいろな親子がいる。いろいろあっても、家族はいいもんだと、世間はそう納得しようとする。

壊れた家族関係で生死をさまようと、例え正常な家族であっても、その家族っぽい臭いだけで息が詰まりそうになる。まして、社会全体で、あたかもすべての母親が素晴らしいかのように大宣伝をされると、ほとんど社会的な虐待にしか感じられないのだ。

一度、過呼吸になるまで母親に蹴られ続けてみれば、きっと母の日なんていらないと思うだろう。

一度、自分の名義で勝手にネットビジネスの会員証をつくられてみれば、きっと母の日なんていらないと思うだろう。

一度、会社に母親の借金の取り立て屋から恫喝の電話が入ったら、きっと母の日なんていらないと思うだろう。

子どもは、母から生まれることを拒否することはできない。子どもは、親を選べない。

世の中の「母」に伝えたい。母は、感謝されて当然だとは思わないで欲しい。母を愛したくても、母が妖怪だったという子どもは、たくさんいる。子どもが母を再確認する日。それは、母が、自分を鏡に映す日でもある。

あなたは、人間だろうか。妖怪だろうか。

妖怪から生まれた子どもは、いったいナニモノなのだろうか。

5月13日「母の日」…

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コメント

いろんな親はいますが、親がいないと自分は世にでてこれなかっからね〜。
おいしいもの食べたりできるのも、親が産んで育ててくれたおかげです。

投稿: らん | 2007年5月13日 (日) 12時20分

人は例外なく母から生まれる。これは、否定できない現実ですしね。らんさんは、今日、親孝行したのかな。少し蒸し暑いですね。

投稿: mori-chi | 2007年5月13日 (日) 13時47分

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