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2007年4月18日 (水)

選挙という死角を狙った卑劣な凶弾

暴力団幹部の凶弾に倒れた伊藤一長長崎市長が亡くなった。

伊藤さんは、4選を目指して、長崎市長選挙に立候補し、選挙の遊説を終えて、長崎駅前の選挙事務所に帰ってきたところを後ろから撃たれた。

選挙は、政治家にとって無防備になる期間でもある。選挙カーから身を乗り出して、市民に向かって手を振る。駅前の交通広場で、大勢の人たちの視線を一身に集めて演説する。商店街を、市民と握手したり談笑しながら、練り歩く。市民から見えやすいように演出するし、市民に身近な存在としてアピールする。

怖い顔したSPが候補者の周りを取り囲んでしまったら、集まる票も集まらなくなる。警護がいらないわけではないが、過剰な警備をすると、支持拡大に影響する。

だから、基本的には、よほどの大物ではないと、候補者は無防備なのだ。

今回、伊藤さんを撃った犯人がどの程度それを認識していたかは分からないが、普段なら執務中は、市役所の庁舎内の市長室にいるだろうから、そこまで銃を片手にたどり着くのは至難の業だ。行き帰りは、職員が送り迎えするだろう。なかなか、襲えるものではない。

核兵器廃絶と平和の取り組みに尽力した人だった。長崎からの被爆者たちの声を、世界に伝え続けたメッセンジャーだった。基本的には保守系の政治家だが、様々な発言からは、保守や革新という枠にはまらないバランス感覚のある人だったように思える。今回の選挙も、実質的には自民党・民主党などの支援を受けていたものの、政党の推薦は受けていなかった。

今、全国の自治体で策定が進んでいる国民保護計画について、伊藤さんは、国が定めた基本方針が核兵器攻撃への対処を定めていることに対して疑念を示し、被爆の惨状を誤解される恐れがあると、市の国民保護計画から削除するよう市の国民保護協議会に諮問した。

2006年12月8日長崎市議会定例会本会議での伊藤市長の発言

 国民保護計画の策定は、国民保護法第35条第1項の規定に基づきまして、市町村に義務づけられた法定受託事務でありまして、長崎市といたしましても作成を進めているところであります。
 長崎市といたしましては、この国民保護計画を万が一の有事の際を想定した危機管理計画として作成しなければならないものと認識いたしておりますが、あわせて国民保護計画に基づく措置が実施されることが決してないように、最大限の努力をする必要があると考えております。
 また、国が策定した基本指針においては、核兵器攻撃からの対処方法が定められておりますが、核兵器が再び使用されれば、国民保護計画に定められる措置が不可能となる大きな被害が生じることは、被爆の惨状を経験した長崎市の市長として十分に認識をいたしております。このため、核兵器攻撃による具体的な被害想定及びその対応策を国の責任において示すよう、2度にわたり国へ要望をいたしましたが、現在まで、残念ながら明確な回答は得られていない状況にあります。
 長崎市といたしましては、これらの要望に対する国からの明確な回答がない場合は、長崎市国民保護計画の中から核兵器攻撃の対処に関する記述を削除する方向で、国民保護協議会にお諮りしたいというふうに考えているところでございます。
 また、あわせて国民保護計画を作成するに当たって、長崎市が過去経験した原子爆弾による被害と惨状、長崎市の平和理念、長崎市の平和活動と今後の取り組みを国民保護計画の中に盛り込み、被爆都市長崎市の平和行政の基本的考え方を明確にすることといたしております。
 いずれにいたしましても、核兵器廃絶、世界恒久平和を希求する長崎市といたしましては、この国民保護法が適用される事態とならないよう努めることが何よりも重要であると考えておりまして、今後とも恒久平和実現に向けた努力を積み重ねてまいらなければならないというふうに、気持ちを新たにしているところでございます。

今思えば、一癖も、二癖もある政治家だった。

オイラは、長崎が大好きだ。子どもの頃、生まれて初めて、「被爆」の現実を教えてくれたのも、長崎だった。坂の町が印象的で、町のどこからも海が見えるのがうらやましかった。何度も訪れた。

この地で、2度にわたり、市長が凶弾に倒れた。本島市長は一命をとりとめたが、伊藤市長は道半ばにして命を落とした。

彼が残したメッセージには、オイラたちがたくさん受け継がなければならないことが溢れている。今一度、1つ1つの言葉を噛みしめておきたい。

長崎平和宣言(PCのみ)

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コメント

伊藤一長は何か罪を犯したのか?
「銃殺テロ」?
銃殺とは刑罰のことだ。射殺されることは銃殺とは言わない。銃を以って確実に殺す。それは処刑の方法。だから銃殺なのだ。
何処ぞの馬鹿メディアがやると思っていた。
案の定、日本語に不自由な週刊朝日がしでかした。
伊藤一長は何か罪を犯したのか?
小尻知博は「銃殺テロ」に倒れたのか?
小尻知博

投稿: 陸壱玖 | 2007年4月23日 (月) 22時24分

日本語は難しいですよね。メディアがやっちゃうのがおもしろいです。

オイラは、個人的には、今回の事件に「テロ」という言葉を使いたくないです。そういう側面があるのかもしれませんが、今ひとつしっくりこないんですよね。

投稿: mori-chi | 2007年4月24日 (火) 01時17分

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