1日遅れで語る、1月17日、阪神淡路大震災から12年の月日
その日、オイラは、今の会社に入るちょっと前で、採用試験を受けたあと、内定の電話を待っているときだった。朝、いつものように、ぐーたらと寝ていて、けたたましい電話の音に起こされた。
「もんち、今すぐ、テレビつけて!」
大学時代の友人からの電話で、オイラは、眠い目をこすりながら、テレビをつけた。
そしたら、テレビ画面には、巨大な高速道路が横たわっていて、ヘリに乗ったアナウンサーが、興奮した声で、その様子をレポートしていた。
!!!!!!!!!
驚いたってもんじゃない。友人は、大学時代の同級生に電話してみたが、つながらないと伝えてくれた。
神戸で、激震。震度は7。
オイラは、大学時代、京都で過ごした。神戸は、オイラが最もあこがれた街だった。住むのなら、こんな街に住んでみたかった。思い出の場所もたくさんあった。大学時代の研究テーマは、都市問題で、神戸のまちづくりは、オイラたちのお手本でもあった。
世界観が丸ごと崩れていくような感覚。
6000人を越える死者。
それから、数日後、オイラは、今の会社の採用が決まる。
あれから12年。オイラにとって、阪神淡路大震災は、すべての原点なのかもしれない。
今でも、ふと後ろめたさに襲われることがある。どうして、あのとき、神戸に駆けつけなかったのか。就職試験の採用通知を待っていたからだが、そんなことを振り払って、現地に行き、自分にできることをすべきだったんじゃないか。あと1人、もう1人、助けられてんじゃないのか。
今さら振り返っても、仕方ないけど、今でも、あの瞬間、東京に踏みとどまった自分に対する罪悪感は、残されたままなのだ。
阪神淡路大震災から12年。オイラは、今の職場で、できることは尽くしたつもりだ。が、あれから、ずっと、今でも、引っかかっているのだ。
今、何をすべきか。今、自分がすべきことは、これなのか?
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