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2006年8月の32件の記事

2006年8月31日 (木)

DVD『テイチク運転室展望・東京メトロ銀座線』に激しく萌えた今日この頃である。

いや、オイラは、鉄道マニアなんかじゃないし、地下鉄銀座線の駅を全部覚えているかというと、さっぱりなのだ。走っている車両が、どんな名前だとか分からないし、秋庭俊さんがいなければ、たぶん、戦前から走っていることすら知らなかったかもしれない。

『テイチク運転室展望・東京メトロ銀座線(浅草~渋谷~浅草)』(TEBD-38077)

展望撮影日 2006年3月28日 浅草11時02分発 渋谷11時42分発

このDVDは、日本初の地下鉄、東京メトロ銀座線の01系の運転室の展望を、延々と収録している。浅草・渋谷間、14.3キロ19駅、所要時間32分を、編集なしで、しかも、上りと下りを両方観ることが出来る。

さらに、乗客が普段見ることができない場所を撮影していて、渋谷駅の乗客下車後の引き込み線まで、乗客乗車前の引き込み線出発シーン、検車区からトンネルに入り上野駅まで、上野駅から地上検車区まで、両者とも地下鉄唯一のゲート付き踏切のシーンが収録されている。

もちろん、秋庭俊さんが大好きな、幻の新橋駅への分岐、その際に奥にチラッと見える幻の新橋駅の照明、総合駅になる前に使用されていた幻の旧表参道駅、かつて使われていて廃止された仮説の万世橋駅の痕跡など、地下マニアなら鼻血が出るに違いない素材がギューギュー詰め。お腹いっぱいである。

そう言えば、秋庭俊さんが、「東京メトロのトンネルは撮影禁止」と宣っていらっしゃったが、こうしてDVDになっちゃうくらいだから、完全シャットアウトというわけでもなさそうだ。

このDVDを観ていると、溜池山王駅へと侵入する際に島式ホームの両側にある線路と、真ん中を走る線路との分岐があり、もともとは真ん中を走る線路が本線だったことが分かる。ここの工事は、まず両側に膨らむ部分の空間と線路を最初に構築して、本線をそちらに切り替え、さらに空いた真ん中の2本の線路部分をホームへと作り替えて、現在の島式ホームが出来たことが伺える。

そんなマニアックな想像をしながら、幼い頃、運転席のある最前部にしがみついて、運転士気分を味わっていた光景を思い起こしながら、妄想を膨らませた。

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aikoのLove Like Aloha vol.2を観に、茅ヶ崎の海水浴場まで遠征した夏

そんなわけで、夕方、さっさと仕事を片づけると、オイラは、一路、湘南新宿ラインの特別快速で茅ヶ崎に向かった。途中、藤沢では豪雨だったので、もしかしたら中止もありかと思ったが、aikoのライブを待っていたかのように雨は止んだ。

茅ヶ崎は、普段からそんなに人が大勢集まる街ではないが、この日は、海岸に向かうまでの通りが、人、人、人…。商店街のおばちゃんが、「今日、何かあるの?」「こんないっぱい、気持ち悪い」なんて話している。

このイベントは、3年ぶりになる。前は、2003年8月で、江ノ島だった。

当時、オイラはブログをやっていなかったので、昔のメールを振り返ったら、その時の思い出が書いてあった。

海の家専用のテーブル席でライブを見ていた2人組の男の子がいて、aiko登場とともに、大興奮でいすの上にのって大盛り上がり。1曲目の「アンドロメダ」に併せていすの上でピョンピョン跳びはねていたら、片方の人のいすの脚が壊れて、彼は空中で1回転して崩れ落ちていった。同時に、崩れ落ちる足が前のテーブルをなぎ倒し、テーブルの上のビールや焼きそばやフランクフルトが散乱。そして、「アンドロメダ」が響く会場で、焼きそばとビールまみれになった男の子が呆然としていた。海の家の店員さんたちがあわてて飛び出してきて、彼を起こして、壊れたいすも「気にしない、気にしない」と、新しいいすを持ってきて、無事、彼は再びいすに座ってライブを観戦できるようになったが、もう、完全に落ち込んでしまった様子で、aikoが「花火」で大いに盛り上がっているというのに、下を向いて泣きそうな顔で落ち込んでいた。

今、当時を思い出したら、そのときの男の子の崩れ落ちっぷりは、胴上げ監督のV字型だったことに、ふと気づいた。

彼は、今日も茅ヶ崎に来ていたのだろうか。

aikoは、やっぱりライブが一番。オイラは、CDで聴いても、今ひとつピンと来なくて、いつもライブDVDを観る。この人は、やっぱりライブでこそ冴えるし、盛り上がる人なのだと思う。

オイラは、開演ギリギリに会場入りしたので、オイラの位置からステージは、ずーっとはるか彼方。aikoの声は聞こえども、aikoがどこにいるのかも、よく分からない。

よーくステージを観ていると、赤いTシャツを着た座敷わらしっぽい女の子が、ステージをあっち行ったりこっち行ったりしているのが分かって、おおっ、たぶん、あれがaikoだーっと、勝手に想像してみる。確か、3年前も、aikoの姿は、豆粒同然で、たぶん真ん中でピョンピョン跳びはねてるちっちゃいのがそうだよなーなんて、やはり想像していたような気がする。

今夜は、Vの字で崩れ落ちる男の子はいなくて、ブログのネタになるような出来事はなかったのだけれど、短い夏の終わりを、そこはかとなくaikoの「花火」と実物の花火で締めくくった、そんな夜だった。

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2006年8月30日 (水)

茅ヶ崎の海水浴場に

茅ヶ崎の海水浴場に

人、人、人…\(゜□゜)/

続きは、また今夜。

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2006年8月28日 (月)

東京の地下鉄は戦前にすでに作られていたという噂は本当か?20

Imageyasukuni_2 先日、秋庭俊さんの公式サイトに、左のような地図が掲載された。地図の意味は良く分からないが、「靖国神社の極秘地下道」とある。これをいくら眺めても、どこに地下道があるのか分からないし、あったから、だから何なんだとツッコミを入れたくなる。秋庭さんの特徴は、戦前からあった地下網が、現代の地下鉄に転用されているというだけでなく、今も政府があちこちで、国民に隠された地下網を築いていると主張しているところである。でも、現代の政府がつくった極秘地下網の実物を、オイラたちに提示したことは、まだ一度もない。あの、豊島変電所の下にある「広大な道路」にしても、代々木駅の下を走っている地下道にしても、外からあるぞ、あるぞと騒いでいるだけである。

今夜は、『帝都東京・隠された地下網の秘密』(秋庭俊、新潮文庫)からの引用である。

 一九六六年(昭和四十一)四月、「交通安全施設等整備事業に関する緊急措置法」が公布された。都内を迅速に移動すべき重要人物のため、特別のルートが整備されることになった。当時、とくに反対の声は上がらなかったが、戦後の地下ルート建設のよりどころになっているのはこの法律だと私は思う。東京市の第五線はこうして合法的な存在となった。(P385)

「交通安全施設等整備事業に関する緊急措置法」が、どうして「都内を迅速に移動すべき重要人物のため、特別のルートが整備される」という話になるのか、オイラにはさっぱり分からない。この法律が出来た背景は、高度経済成長期に急増した交通事故対策である。

この法律には、第一条にこう書いてある。

交通事故が多発している道路その他緊急に交通の安全を確保する必要がある道路について、総合的な計画のもとに交通安全施設等整備事業を実施することにより、これらの道路における交通環境の改善を行ない、もつて交通事故の防止を図り、あわせて交通の円滑化に資することを目的とする。

法律の条文のどこを読んでも、重要な人物は登場しない。

この法律に基づいて行われる事業は、以下のようなものである。

一 都道府県公安委員会(道路交通法(昭和三十五年法律第百五号)第百十四条の規定により権限の委任を受けた方面公安委員会を含む。以下同じ。)が同法の規定に基づいて行なう信号機、道路標識又は道路標示の設置に関する事業

二 道路管理者が道路法の規定に基づいて行なう次に掲げる事業

イ 横断歩道橋(地下横断歩道を含む。)の設置に関する事業又は緊急に交通の安全を確保する必要がある小区間について応急措置として行なう歩道の設置その他の道路の改築で政令で定めるものに関する事業

ロ 道路標識、さく、街灯その他政令で定める道路の附属物で安全な交通を確保するためのもの又は区画線の設置に関する事業

そもそも、国民に極秘に地下自動車道を建設するのに、法律などいらない。こっそり作ればいいのである。予算など、流用すればいい。

ネットを調べれば、法律の条文が出てくるので、実際に読んでみてほしい。秋庭さんの見解は、妄想以外の何ものでもない。いや、そもそも、この法律から想像することさえ困難だ。何故、この法律を使うと、地下自動車道が建設できるのか、むしろ、秋庭さんから問いただしたいところである。

 一九七〇年(昭和四十五)、営団地下鉄は高温高湿対策研究会を設け、それまでの駅冷房からトンネル冷房への転換を決めている。
 一般の利用客にとっては、駅と車両のなかが冷房されていれば十分だったが、この法律以降、地下鉄の「B1」には重要人物のための地下自動車道が整備されることになった。そのトンネルを冷房すると決めている。これに対して政府は当初、三〇〇億円の補助をしている。(P386)

秋庭さんの展開は無茶苦茶なので、正しい流れを追いたい。

昭和40年9月、営団は、山内副総裁(当時)を委員長とする「高温高湿対策委員会」を設置し、地下鉄構内の温湿度調査を行った。

さらに、昭和45年、内田秀雄東大教授を会長とし、外部の学識経験者も交えた「高温高湿対策研究会」を発足した。

昭和46年夏、銀座線・日比谷線の銀座駅、銀座線・東西線の日本橋駅で、駅の冷房実験が始まる。さらに、銀座線上野・稲荷町間では、営団本社から冷水を供給して、トンネル冷房試験が始まった。銀座線の京橋・日本橋間では、通風口2カ所から外気を吸引し、冷却して、トンネル内に吹き出す試験も行われた。

こうした実験などを経て、上の研究会は、昭和48年に「地下鉄の空調システム」を策定した。それによると、相互直通のない路線(銀座線・丸ノ内線)では、主要駅とトンネルを冷房、通風口に機械換気を設置、車内冷房を行わず、トンネル内の冷気を車内に取り入れることになった。相互直通のある路線では、地下鉄トンネル内で冷房車両を運転した場合、電車用電力が約30%増加することや、さらに排熱設備が必要となることから、当面、銀座線・丸ノ内線との関連のある主要駅からの冷房化を行うことになった。

総額は、358億円。営団は、これを自己資金で行った。秋庭さんが300億円補助しているというのは誤りで、この経費の一部について、当時の運輸省を通じて、大蔵省に財政投融資を依頼、つまり、政府から借りたのである。

営団は、昭和46年から平成2年末までに、406億円を投じ、地下鉄の121駅のうち、63駅の冷房化を実施した。冷房化率は、52%に引き上げた。当時、JRや私鉄では、主要路線でほぼ100%を達成していたのを考えると、確実に遅れていた。昭和62年10月、「営団地下鉄の冷房化計画」を決め、駅冷房とトンネル冷房を並行して実施することになった。これを受け、昭和63年、日比谷線、東西線、千代田線、有楽町線、半蔵門線に冷房車両を導入した。

銀座線01系、丸ノ内線02系では、車両設計上、冷房装置の搭載が困難とされていたが、薄型冷房装置の開発によって解決し、平成2年から車内冷房を開始した。

こうした冷房化の進展は、車両からの排熱という問題を生じさせる。さらに、運賃値上げによる風当たりも強かったため、平成4年、営団は、新しい冷房化計画を策定し、ようやく全路線の地下駅を対象に冷房化を決めた。

平成8年夏、ついに営団地下鉄は、車内冷房の100%完備を実現した。

同時にこれは、トンネル冷房の役割の終焉を意味した。

平成11年2月、営団は、トンネル冷房の停止を決定した。

さて、秋庭さん曰く、重要人物のためにB1にある地下自動車道を冷房していたのだが、営団は、その冷房を止めてしまったらしい。地球の温暖化は、都市を暑くしているというのに、今年の夏、重要人物が使っている地下自動車道では、冷房が止まったままである。そして、オイラたち一般市民は、冷房が効いた地下鉄で快適に移動している。さすがは、政府の重要人物である。冷房の使いすぎは、地球温暖化につながる。きっと、クールビズでやせ我慢しているのだろう(笑)

こういう滑稽な展開を読んで、大真面目に、政府専用地下道があると信じて興奮している人は、少ないと信じたいものである。秋庭さんは、あちこちで戦後も政府専用の地下道や地下鉄が建設されていると繰り返している。が、その根拠は、ほとんど提示しないし、これに関しては、戦前モノに登場する中川さんも営団OBも証言をしてくれていない。証拠もない、証言者もない。秋庭さんはそれでも、あると主張する。どうしてそこまで自信を持てるのだろうか。それは、ぜひ本人に聞いてあげていただきたい。オイラのほうは、「いろいろ、あるんだよ」とでも言うよりほかない。


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東京の地下鉄は戦前にすでに作られていたという噂は本当か?

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『新説東京地下要塞-隠された巨大地下ネットワークの真実-』を読む

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『写真と地図で読む!帝都東京・地下の秘密』(洋泉社MOOK)を読んでみた。

『大東京の地下99の謎』(秋庭俊著、二見文庫)を読む

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2006年8月27日 (日)

最初のうちは結構感動してテレビにかじりついていたような気がするんだよね。でも、24時間走り続けるって、そんなにエラいのか?

オイラだって、最初、間寛平が走っていた時期くらいまでは、それなりに感動しながらテレビを観ていたような気がする。

人が、何かメッセージを伝えようとして、自分を痛めつけることは、結構あるんだと思う。テレビだから、そこに、いろんな演出が伴ってしまうのも、まあ、仕方のないことだと思うんだよね。テレビカメラの被写体が、芸人とかタレントなら、アスリートたちのマラソンではやらないような演出を加えるのも、それはそれとして、テレビって、そんなものだと思う。

それにしても、あのマラソンが始まったのは、それまでの24時間テレビの路線がマンネリだということで、新たな流れをつくりたくて、歌を唄ってみせたり、深夜の時間帯にお笑いを入れたりしたんだと思うけど、今となると、それ自体ももう、マンネリと化していて、予定調和と化していて、観ていられなくなったんだよね。

ランナーが武道館に近づくと、ハマったように「負けないで」を歌い出し、ゴールすると、ハマったように「サライ」を唄っちゃうところも、同じドラマを毎年リメイクしているような気持ち悪さを感じてしまう。『男はつらいよ』は、何十年も年末年始になると、同じようなストーリーで繰り返し上映されるけれど、それでも、毎年楽しめるんだよ。でも、こいつは、同じことを繰り返すたびに、だんだん痛くなってくる。

で、つまり、マラソンランナーが24時間、ひたすら走り続けるって、エラいのか?

途中で挫折して、走れなくなっちゃ、いけないのか?

頑張らなきゃ、いけないのか?

世の中ががんじがらめで、頑張りすぎて、空気もピンピンに張りつめているっていうのに、もっと頑張れ、立ち止まるな、迷うな、ゴールまで走り続けろと、追い立てる。そんな番組コンセプトって、オイラには、ちょっと苦しすぎるし、痛すぎる。

むしろ、オイラなら、

もう、立ち止まっていいよ、

と伝えたい。

頑張れないなら、頑張らなくていい。

壊れないうちに、休んでいいから、

と。

そんな、ゆるーい24時間テレビ…、無理だろうなー(笑)

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2006年8月26日 (土)

初出没の恵比寿天窓.switchで、松岡ヨシミちゃんとKoyo様のライブを楽しんだ夜

オイラがひいきにしている『Piano&Woman Episode03』の11人のアーティストは、だいたい、次のような分類ができる。

(1)実力派

(2)印象派

(3)キャラ派

今日、恵比寿天窓に御光臨あそばした、koyo様は、典型的な“キャラ派”であらせられる。その美しきいでたちと、気品ある振る舞い、華麗なピアノさばき、天から降り注ぐ御声…。何から何まで、koyo様のキャラクターは、出来すぎているといっても過言ではない。ライブ全体が、歌声とピアノとオーラを全身に浴びる癒しのリラクゼーションである。

koyo様のライブは、実に半年以上ぶりである。ライブの回数が少ないお方なので、1度逃すと、延々とご無沙汰してしまうことになる。3年前、初めてお姿を拝見したときから、あのキャラは変わることなく、むしろ拡大強化されているようである。

そして、もう1人。松岡ヨシミちゃんは、“実力派”の部類に入るアーティスト。

11人のアーティストの中では最も人間に近いが、ライブを重ねるごとに、普通の女の子から一歩成長して、松岡ヨシミという路線がハッキリしてきたような気がする。それは、決して、エロカワという姿形のことではなく、同じ歌でも、松岡ちゃんらしい歌い方が定着してきたなという感じがしている。

今日の予約特典お菓子は、猫型クッキーだった。

美味しゅうございました('_')

さて、今月のライブは、これでまだ、わずか3本。散々な結果である。仕事が忙しくなったのが一番の理由なのだが、いい加減に不義理を続けていると、忘れられてしまいそうである。このブログの話題も、もっぱら地下ネタばかりで、音楽ネタが少ない。何とも、せつない8月である。

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2006年8月25日 (金)

眞鍋姉さん、おかえりー。香港旅行は、オイラにとって、トラウマが多いかも。

オイラは、大学時代に、まだオイラの両親のバブルが弾けていなくて、よく休みになると、両親といっしょに、成田から香港までのキャセイパシフィックは、いつもファーストクラスで往復したんだな。

オイラの家族といえば、両親も含めて、とてもじゃないがファーストクラスって顔も姿もしていなくて、眞鍋姉さん同様、庶民オーラ全開だった。でも、セレブな方々といっしょに、ファーストクラス専用のラウンジでほっこりして、ファーストクラスでは豪華機内食を食べ、高級なワインを赤も白も美味しくいただき、完全に金銭感覚が崩壊してしまっていたよ。

そもそも、オイラの両親が、どうしてそんなセレブな旅行を、しかも家族全員で実行できたのかは謎だが、そのときは、てっきり商売がうまくいっているものと思いこんでいたんだよね。

両親は、香港に着くなり、「ここに、私たちの会社がある」なんて、これまたぶっ飛んだことを言っていて、銀行口座も、おそらくペーパーカンパニーであろう会社もあり、香港の収入はここに全部入ってくるって仕組みだったみたいだ。

一番驚いたのは、その香港のマンションを1室買っていたらしく、そこには、イギリスの企業のエラい人が借りて住んでおられて、その賃料が100万円はしたというから、いや、どこまで本当の話か分からないけどね、そのときは、半信半疑だが、もう働かなくても食っていけるくらいに思えていたよ、オイラはね。

そんなセレブな家族旅行では、必ず、どこか変な人に会いに行くことになる。両親が仕事で世話になっているらしいけど、どっかの社長さんだとか、どっかの投資家さんだとか、どっかの起業家さんだとか、いろいろと会うんだ。みんなセレブな人生をおくっていて、社長さんなんか、社長室の床に金貨を並べてゴルフのパターの練習をしていたりして。起業家さんなんて、とっても気さくで素敵できれいなお姉様だったりするんだけど、どの人も、みんな、どっか怪しいんだよね。

この人たち、何して食っているんだ?って。

両親がそういう人間関係の中にいること自体、さらに怪しかった。

だって、オイラの母親は、香港のカフェで、コーヒーを頼むのに、

「ホット、ホットちょうだい」

って、やっちゃう人。

何度、ホットドックを食べさせられたことか。

中華料理のお店では、

「チャーハン、チャーハン、ちょうだい」

香港にチャーハンは、ないって(汗)

さすが、高級北京料理店。お茶を持ってきたよ。

そんな母親が、九龍国際空港からホテルへと移動するとき、何故かロールスロイスのお出迎えを受け、その車の中で、何食わぬ顔でおしぼりがある場所を知っていたりする。

が、ホテルに着いて、チェックインしたのはいいけれど、鍵がいったい何号室なのか分からず、広いホテルを延々と彷徨う。

おかしい。何かが狂っている。

そんな予感は、すぐに当たった。

両親は、あっという間にバブルが弾け、極貧生活に突入し、実家を手放し、マンション住まいへ。これはまあ、最初からある程度予想できた結果である。借金で首が回らない人間が、ファーストクラスで香港行っちゃだめだよね。

現地で出会ったセレブな方々は、どうしているのか。

あのパットの練習していた社長は、逮捕されたらしい(驚)

母に聞いたが、罪状はよく分からない。いろんな人に出会ったが、今もつながっている人はいないみたいだ。そう言えば、香港につくったというペーパー会社は、いったいどうしたんだか。マンションは?いろいろと謎ばかり残ったが、おそらく、借金といっしょに整理されてしまったのだろう。

出来れば、プライベートで、エコノミークラスでいいから、香港を旅行したみたいと思う。あーゆー、意味不明な投資目的だけの街ではないはずなんだ。もっと、楽しめる香港があるはずなんだ。

そういえば、ほんの半日だけ両親とは別行動で、香港の歴史博物館に行ったことがある。

日本って加害者なんだなーと、英語の分からないオイラでも認識できた。いろんな香港を見てみたい。次に訪れるときこそ…。

そんなわけで、眞鍋姉さんにトラックバックを送るのだ。

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2006年8月24日 (木)

たぶん、昨夜の半額穴子天ぷらが問題だと思うが、一晩中ゲロッていた。

昨夜、仕事を終えると、午後9時過ぎ。疲れ果てて帰り、駅前のスーパーに寄った。総菜コーナーで、穴子天ぷらが半額で、何とも美味しそうだったので、残り物だけどなあと思いつつも、他の総菜も合わせて買って帰ったのだ。

で、寝る前にご飯を食べるのは、あまり良いことではないのだけど、食いしん坊のオイラは、空腹に耐えきれず、パクパクと食べまくったわけだ。

深夜、胃から食道を昇ってくる異物に気づいて、飛び起きた。

今日は1日お休み。

いかんな。こーゆー当たり方は、初めてかもしれない。

2日酔いでもしないと、こーゆーことはあまりない。

とにかく、寝る前の穴子天ぷらには要注意である。

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2006年8月23日 (水)

えっ、マジっすか?いつの間にやら、累計アクセス数4万突破。

本日、23時28分現在、累計アクセス数は40565である。1日あたりの平均は、88.76だった。

3万アクセスは、7月29日だった。あれから、まだ1か月も過ぎていない。このブログを立ち上げて以来、最速である。

それもこれも、秋庭俊さんのおかげなのであろうか。それとも、東京大停電のおかげなのであろうか。

何にせよ、ありがたいことである。

過去4か月を振り返ると、最もアクセス数が多かったのは、8月17日の730である。これは、東京大停電を受けての反応であろう。

一番少なかったのが、5月20日で、たった14である。

オイラは、大ヒットするブログを目指しているわけではないが、テレビの深夜枠くらいに、一部のマニアでは圧倒的にウケるブログならいいなと思う。きっと、ゴールデンタイムに進出しても、すぐに撤退を余儀なくされるだろうが、そのくらい現実的な夢のほうが肩の力が抜けて、おもしろいことができそうな気がする。

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2006年8月21日 (月)

東京の地下鉄は戦前にすでに作られていたという噂は本当か?19

今夜は、少し変化球を投げようと思う。いつもいつも否定ばかりしていては、ただのクレーマーだと思われてしまう。オイラは、秋庭さんが主張しているような、国民に隠された地下網が、すべてガセネタだとは思っていない。むしろ、検証して、暴くべきものを暴くべきと思う。

大切なのは、秋庭さんが正しいかどうかではない。秋庭さんの論に信憑性が薄いことは、これまでにも述べてきた通りである。

大切なのは、そこに、あるのかどうか、である。

秋庭さんは、国民に隠された地下網が、江戸時代の抜け穴や上水を再利用してものだという考え方を持っているようである。一見、荒唐無稽な話ではあるが、当時の人たちに、現代の地下鉄に迫る「穴」を掘ることができたのだろうか。当時の技術水準で、それは可能なのだろうか。

『歴史文化ライブラリー33 災害都市江戸と地下室』(小沢詠美子、吉川弘文館)という本では、江戸の町人たちが、「穴蔵」を利用していて、江戸の地下は穴だらけだったということが、よく分かる。

穴蔵とは、地下に設けられた倉庫のことである。

江戸時代のいつ頃から、穴蔵が使われていたのかは、よく分かっていない。

甘露寺親長著『親長卿記』の文明10年(1478)12月25日の条には、「今夜火事あり、五霊殿なり、(中略)予、近辺に及び、具足等穴蔵に収納終わる」とある。

慶長8年(1603)に日本イエズス会編の『日葡辞書』には、「Anagura 地下、または洞穴の中につくってある穀物や食料をおさめる倉庫」とある。

穴蔵が、普及したのは、明暦の大火(1657年)がきっかけである。消失町数934カ所、死者数万~10万人、行方不明4060人あまりを数えた。この大火直後、江戸の土地の10分の1は穴になったという。

穴蔵の機能は、防火施設でもあり、金庫や隠れ家の役割も果たしていた。

皆さんもご存知の『南総里見八犬伝』では、八犬士のメンバーである犬川荘介と犬田小文吾が、長尾景春の母に命を狙われた際、長尾家の執事・稲戸津衛由充に助けられる。このとき、由充は、防火用の穴蔵に2人をかくまった。

火事と喧嘩は、江戸の花。当時の江戸は、何度も大火に襲われ、町人は、自分の家の敷地に穴蔵を掘って、大切な財産を守っていたのだ。

この穴蔵、人が落ちると死ぬほどのものだったらしい。穴というより、人が住んでいても不思議ではない、立派な地下室である。江戸の土地は、地下水が多いので、地下水が溜まって、子どもが溺れたなんて、物騒な話もある。現代といっしょで、ちゃんと地下処理せずに放置しておくと、そのうち崩壊する。当時の文献でも、ある屋敷の庭から、ある日突然煙が上がって、地面が崩れ、掘り返してみると古い穴蔵と思われる、6畳ほどの日壁の小部屋が現れたという話が出てくる。

日本橋駿河町の三井家江戸本店の図面を見ると、1軒の店舗の中に12カ所もの穴蔵の存在が確認できる。宝暦期(1751~63年)のことである。

現代になり発掘された遺跡からも、穴蔵っぽいものが発見されている。

新宿区では、市谷仲之町遺跡、四谷三丁目遺跡では、アーチ状の天井を持つ穴蔵が発見された。千代田区皇居外苑の和田倉遺跡では、南北に長い長方形の穴蔵があったという。文京区の龍岡町遺跡、台東区の旧岩崎邸住居所在遺跡では、袋状の穴蔵があった。千代田区にある尾張藩麹町邸跡遺跡には、半時計回りのらせん階段が18段もついた穴蔵があったという。

当時の江戸には、「穴蔵屋」という穴蔵専門の工務店があったらしい。この穴蔵屋は、掘方人足に穴を掘らせ、地上で言えば大工の役割を持つ穴蔵大工が内装を施していたようである。「雪隠や湯殿、流しなど家庭内の施設から上水に至るまで、水回りの普請に幅広く穴蔵屋がかかわっていた」

時代は、明治に入り、穴蔵は江戸の町から消えていく。

きっかけは、明治5年の大火である。これをきっかけに、銀座煉瓦街が建設され、官民で「燃えない町」づくりが進んでいく。穴蔵の防火としての役割は薄らいだ。

そして、銀行の登場。穴蔵がなくても、代わりに財産を守ってくれる。

とどめは、火災保険の登場である。1888年10月、東京火災保険会社が営業を開始した。

とはいえ、一度掘った穴である。

明治以降のまちづくりは、当然、これらの穴を「処理」するところから始まっていることは、容易に想像できる。

その後、穴蔵大工たちがどうなったのか、詳しい資料はない。明治以降、市区改正などによって東京には近代上下水道が敷かれたので、これらの工事に携わってたのかもしれない。東京に初めて地下鉄が敷かれるのは、まだずっと後なので、残念ながら、地下鉄づくりには従事できなかっただろうね。でも、明治以降に穴蔵大工の組合が出来たそうだから、少ないながらも、脈々と生き続けていたことは間違いないようだ。

「少なくとも東京、つまり江戸においては、『都市用水用のトンネル』である上・下水道が発達し、『穴蔵』が、ところ狭しと掘られていた」

長くなったが、江戸時代の人が無数の地下道を築くだけの技術と能力を有していたことは、確かなのである。だからこそ、玉川上水は、四谷大木戸から先の江戸市中へは、地下管路を流れていた。江戸には、下水道も敷かれていた。これらが、現代にも存在する、東京のあちらこちらに見られる、無数の地下トンネルや地下構造物と、どのように関連しているのかは、オイラには分からない。その辺は、ぜひ秋庭俊さんに調べてもらってほしい。オイラのほうは、「いろいろ、あるんだよ」とでも言うよりほかない。


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東京の地下鉄は戦前にすでに作られていたという噂は本当か?

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2006年8月20日 (日)

眞鍋姉さん、3時間もエステすると、どうなっちゃうんですか?別人になっちゃうんですかね。

オイラは、よくマッサージに行くんだけど、1時間とかやると、さすがに癒されるより、終わると疲れが出てくるんだよね。以前、1時間半コースにチャレンジしたけど、残り30分は、もう苦痛だったもんね。やるんなら、ボディと足裏とか、時間を半分ずつ分けないと、ボディだけ1時間以上やると、逆効果かもね。あ、これはエステとは違うか。3時間もエステすると、どうなっちゃうんでしょう。

しかも、和のテイストなわけでしょ。

眞鍋姉さんが、とりあえず日本美人に変身する?

急に和服が似合うようになるとか?

・・・ああ、発想貧弱やね。

そんなわけで、眞鍋姉さんにトラックバック送信!!!

で、「青の家」のサイトを調べてみる。

フルボディヒーリング+リンパトリートメント=35,700円(180分)ゲルマ温浴付

おそらく、これだろうか。

眞鍋姉さんのようなグラビアアイドルが通うのだから、もっとものすごい値段かと思いきや、このお値段は、オイラたちがマッサージ行くのとあまり変わらないかもね。

いいなー。

男子向けのリラクゼーションって、少ないんだよね。勘違いされていると思うけど、男は、居酒屋で一杯やればストレス解消できると思われている。

酒なんて飲んでも、ストレスは解消できないんだけどね。むしろ、熟睡できなくなったり、昼間に変なテンション上がったりして、何のメリットもない。

マッサージ屋さんも、最近は増えてきたけれど、男性対象のサービスって、ステレオタイプなものしかないんだよね~。

女の子も大変かもしれないけど、

男の子も、大変なんだよ(^_^;)

誰か、男の究極のリラクゼーションスペースを作ってけろ。

ところで。

オイラの部屋の隣には、豪快なクシャミ+咳をする人がいる。以前も、ここで書いた覚えがあるけど…。

ぎゃふん!

ごぼーっ!

だあーっ!

ばーっ!

すごいんだな、この辺一体に響き渡る。

先日、自宅に帰ると、アパートの管理会社からチラシが。

「音楽のような音が響くと、住民から苦情が出ています」

・・・・音楽っすか(汗)

「音量を控えめにするか、ヘッドホンをお使いください」

・・・・いや、まあ、そうっすね。

このスゴい大音量のクシャミと咳は、さすがに取り締まるわけにはいかないらしい。まあ、そりゃそうだわな、クシャミするなとか、咳をするなとか、病気を治せとは言えないもんね。でも、オイラは、周りから音楽の音がすることはない。そもそもオイラの部屋は、スピーカーで音楽流すことはほとんどないもんなあ。

そんな不思議なチラシ。

今夜も、隣の住民が、苦しそうにクシャミと咳を連発させている。

ぜえー、ぜえーと、苦しそうな息まで聞こえる。

うん。彼にもリラクゼーションが必要だな。

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2006年8月18日 (金)

ロイホで食べた穴子カレーには、さすがにぶったまげたよ.。ooO(゜ペ/)/

ロイホで食べた穴子カレーには、さすがにぶったまげたよ.。ooO(゜ペ/)/

昨日は、残りの夏休みを1日消化し、夕方から、南大沢の映画館で『日本沈没』を観てきた。奈良の大仏さまが、気持ち良さそうに水に浸かっていた。てっきり、前作同様、沈没するとばかり思っていたら…。あ、ネタバレ注意o(_ _*)o

アメリカのハリウッドは、1人の変わり者が地球を救うみたいなパターンが大好きだが、あんなノリだろうか。何億という人間が犯した罪を、たった1人の変人が背負うなんて、ちょっと宗教がかっているような気がするのは、オイラだけだろうか。

もしかして、ブルースウイルスの『アルマゲドン』をパロってる?

さて、今日は朝から目黒区某所を仕事で訪れている。

お昼休みにロイホに入り、穴子カレー御膳をいただいた。ご覧のように、巨大な穴子が五穀米の上に鎮座なさっている。本人たちも、まさかカレーをぶっかけられるとは、夢にも思ってはいなかっただろう。

ここで、穴子カレーを待っていると、お隣のテーブルにもお客様。6人の団体さんである。

「何名様ですか?」
「続々と来ます」
「だいたい何名くらいで?」
「10人かなあ。どんどん来るんですよ」
「席が離れてしまうんですが…」
「構いませんよ」
「だいたい、どのくらいの時間で集まりますか?」
「さあ?続々と向かっているんですよ」
「では、いらっしゃってからご案内することでよろしいでしょうか」

オバサンが不満そうに同意する。

このあと、続々と訪れるはずのお客様は、現れることはなかった。

謎の「続々」軍団の正体はいかに?

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2006年8月17日 (木)

眞鍋姉さん、ジブリ台詞はオイラもやたらと使うけど、あんまりやると周りから見て不気味だよね。

オイラも場合、相方とやるのは、別れ際に、「パズー!」「シータ!」ったやつ。道路隔てて、2人でこれをやっていると、単純に不気味だよね(汗)

相方は、ジブリアニメ、特に、『天空の城ラピュタ』の大ファンなので、2人で歩いていると、突如として、ラピュタの台詞をしゃべり出して、オイラはただただ、笑ってごまかすしかなかったりする。

いや、本来なら、そういうのにノリツッコミくらいしてあげたいのだけれど、とにかく台詞の1つ1つまで全部覚えているから、繰り出される台詞はかなりマニアックで、とてもオイラにはついていけなくなるんだよね。

そんなこんなで、眞鍋姉さんにトラックバック送信!

オイラのばやい、ジブリアニメの時代より若干古いもんだから、日常会話に組み入れるキャラも、若干古かったりもする。

例えば、

がっはっはっはっはっはっはっ…

と、ついついバカ笑いした後は、

ヤマトの諸君

と、付け加える。

この笑いっぷりと台詞には、デスラー総統バージョンと、ズオーダー大帝バージョンがある。

ズオーダー大帝バージョンは、どっちかというと、アホみたいに声を枯らして笑いこけて、鼻高々に「ヤマトの諸君」と呼びかけるのがコツである。

デスラー総統バージョンは、どっちかというと、少しズオーダー大帝よりは、クールで冷静な笑い方をして、ちょっと気取ったしゃべり方で、音程も低く、「ヤマトの諸君」と呼びかけたりする。

あんまりやると、うっとーしがられるので注意しよう。

あ、居酒屋で店員がなかなか来てくれなくて、イライラしているとき、『うる星やつら』の諸星あたる風の呼び方で店員を呼ぶ。

お、ねえっ、さあーん!

これは、かなりインパクトがあり、店員も血相をかえて飛んでくる。

でも、瞳は半分怒っている。

うーん、これもかなり古いな。

ちょっとタイプは違うけれど、どこかに出かけるときや、レストランで食事して立ち上がり移動を始めるときとか、横断歩道を歩き出すとか、そんなとき、

意味もなく、ゴジラのテーマを口ずさむ。

これも、なかなかいとをかし。

ちなみに、オイラが相方に電話すると、着信音は、『となりのトトロ』から猫バスのテーマが流れるらしい。相方がオイラに電話すると、同じくトトロから、「風の通り道」が流れる。

そんなこんなで、今夜はもう寝ます。

おやすみなさい。

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2006年8月16日 (水)

サン・テグジュペリの生涯に涙した「星の王子さまミュージアム」

まあ、あまり期待はしていなかったのだけれど、オイラは、サン・テグジュペリの「星の王子さま」のファンなので、箱根に行ったなら、ここに来なければと思ったのだ。こういう温泉地にある美術館とかって、裏切られることが多い。何となく雰囲気が味わえれば、それで十分だと思っていた。

8月12日、箱根旅行の最終日、ポーラ美術館でピカソ展を楽しんだ後、バスで星の王子さまミュージアムへ移動した。

今にも雨が降りそうな曇り空。あちらこちらで雷の鳴る音がして、一気に豪雨になっても、おかしくなかった。

で、星の王子さまミュージアムの門をくぐった途端、雷が鳴り響き、雨が降り出した。

慌てて、オイラたちは、建物の中に飛び込むと、そこは、サン・テグジュペリの生涯を綴る展示。クーラーが効いていて、外からは雷の音が響くけれど、中は静寂に包まれていた。

彼は、日本では「星の王子さま」で有名だけれど、飛行家でもあり、ジャーナリストでもある。世界を飛び回り、空軍でパイロットを経験したこともある。

空とともにあり、空とともに歩んだ生涯。

それは、第一次世界大戦から第二次世界大戦へ向けて、飛行機が、夢を載せた乗り物ではなくて、「兵器」と変貌してきた歴史でもある。

宮崎駿さんが、新潮文庫版『人間の土地』に後書きを寄せている。

「人類のやることは凶暴すぎる。20世紀の初頭に生まれたばかりの飛行機械に、才能と野心と労力と資材を注ぎ込み、失敗につぐ失敗にめげず、墜ち、死に、破産し、時に讃えられ、時に嘲られながら、わずか10年ばかりの間に大量殺戮兵器の主役にしてしまったのである」

古き良き時代の飛行機乗りたちの物語を、宮崎さんは、『紅の豚』というアニメで描いている。あのとき、ポルコが大戦で失った「友」は、もしかして、サン・テグジュペリではないだろうかと、オイラは妄想してみた。ジーナが愛し、ポルコとともにジーナを愛した「友」は、飛行機同士の空中戦の末、雲の上へと旅立ってしまう。

そう言えば、サン・テグジュペリも、ニューヨークの亡命生活を経て、再び飛行機乗りとして、戦地へと赴く。

1944年7月31日、写真偵察のために飛び立ったサン・テグジュペリは、地中海上で消息を絶った。

「世界は蟻の塚だ」と書き遺して…。

王子さまはいいました。

「さあ……もう、なんにもいうことはない……」

『星の王子さま』(岩波書店)より

オイラたちは、サン・テグジュペリの歩んだ歴史を振り返り、ちょうど近づいていた終戦の日に思いを寄せていた。可愛らしい絵本からは想像できない、行動する作家の姿。これまでずっと思っていたサン・テグジュペリとはまったく違うイメージに、戸惑ったり、感動したり、共鳴していた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「星の王子さまミュージアム」

営業時間 9時00分~18時00分(チケット販売終了17時00分)

入園料 一般1500円 小・中学生 700円

小田急・箱根登山線「箱根湯本」より箱根登山バスで約30分

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2006年8月15日 (火)

もしも…

小泉首相が、イスラム教徒だったら…。

ちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃちゃん…♪

ちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃちゃん…♪

午前8時、某公共放送局のニュース番組。

「今入ったニュースです。終戦の日の今日、小泉総理大臣が、東京都港区にあるイスラム教のモスクを訪れ、メッカに向かい、祈りを捧げました」

映像では、ターバンを巻いて、土下座をして、祈りを捧げる小泉首相。

「小泉首相は、就任して間もなく、イスラム教への入信を告白し、終戦の日にはアラーの神に祈りを捧げることを明らかにしていました。昨日、記者団からの質問に答えた首相は、『公約ですから』と答え、モスクで祈りを捧げることを示唆していました」

翌日の朝日新聞の社説

「政教分離の原則に違反する」と批判。

翌日の読売新聞の社説

「あきれてものがいえない」と批判。

翌日の毎日新聞の社説

「日中の摩擦に配慮」と同情。

翌日の産経新聞の社説

「言語道断」と激怒。

翌日の東京新聞のTOKYO発

「都内にもモスクがある」と潜入ルポ。

・・・・あ、すんません。

茶化すつもりはないのだ。

今年は、随分、終戦の日が慌ただしく、騒がしい。正直言って、オイラは、手の届かないところにいる人が、終戦の日に何をしていようが、あまり興味がない。もしも、オイラの家族が靖国に参拝に行くと言い出したら、羽交い締めにしてでも行かせまいとするかもしれないけれど、オイラは、自分で彼を選んだわけじゃないし、そもそも彼の選挙区には住んでいないし、支持もしていない。

自分にコントロールできない人が、どこで何をしようが、あまり感情は沸き立たない。

少し前なら、湯気を立てて怒り狂っていたような気もする。

でも、今は、冷静に一歩引いて、彼の行動を、テレビや新聞で見ている。

終戦の日、今日も、日本は平和だった。

オイラは、それで十分だと思っている。

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2006年8月14日 (月)

東京大停電で考える・・・東京の電気はどこから流れてきたのか?

今日は、午前中、お盆休みをとっていたのだが、朝、寝ぼけ眼でテレビをつけると、都心で大規模停電というニュースが流れていて、びっくり。慌てて用意して、会社に向かった。

帰宅してアクセス解析を調べると、普段の4倍近いアクセス数が…。ほとんど、停電の関係を調べに来ているらしい。おそらく、この記事が目当てだろう。

東京の地下鉄は戦前にすでに作られていたという噂は本当か?17

もっとも、この記事は、ほとんど別の趣旨で文章を書いているので、分かりにくい部分があろうかと思うので、今夜は若干、解説を加えたい。

まず、この記事で紹介している『ニューフロンティア地下空間』は、1990年に発売された書籍で、現在と比べるとかなり古い資料であることをご了承願いたい。

この本の138ページには、「首都圏における基幹送電系統」という図がある。

都内で最初の超高圧送電線は、1960年代から70年代にかけて、縦断するルートと横断するルートが建設された。縦断するルートは、新所沢から、南狭山、新座、豊島というルート、北東京から、京北、豊島というルートが合流し、豊島から高輪、池上、南川崎に至る。横断するルートは、新京葉から、江東、城南、新宿、北多摩に至る。さらにその後、新座から、練馬、水道橋に至るルート、新野田、北葛飾、墨東、永代橋に至るルート、荏田(横浜市)、世田谷に至るルートが完成している。

この図では、工事中だったり計画だったりしているルートもある。確認していないが、おそらくこれらのルートは、すでに完成しているらしい。北葛飾から、上野、水道橋、東新宿、新宿に至るルート、新京葉から、新豊洲、新大田、さらに豊島からの縦断ルートに合流するルート、永代橋から南渋谷、世田谷へと至るルートである。

これらのルートのほとんどは、27万5000ボルトで、新京葉から新大田に至るルートのみ、50万ボルトである。

記事にも書いたが、23区内では、これらのルートのほとんどが、地中を走っている。

今日、早朝に事故が起きた箇所は、新京葉から江東に至る架空送電線が旧江戸川を渡る地点である。このルートは、江東変電所から地中送電線で城南へと流れるが、途中で永代橋から南渋谷、世田谷、荏田に至るルートがある。今日、都内だけでなく、横浜でも停電が起きたのは、こうした系統に起因する。

それにしても、都内の送電系統は、意外にもろいと思った。経済産業省の事務次官が、過去の停電事故と比べて3時間という時間は短いと言っていたが、都心で3時間停電するというのは、かなり深刻な事故だと思う。ここは、大阪や名古屋ではない。

マスコミは当初、都心のビルのあちらこちらから煙が出ているため、「テロか?」と疑ったという。これは、自家発電が動き出したときに上がる煙なのだが、仮にテロだったとしても、実に簡単に都内をパニックに落とせるということが、証明されてしまったような気がする。

ところで、先日の山手線隆起事件の教訓からすると、そのうち秋庭さんが、自分のホームページで、「停電は、隠された地下網で起きた」なんて冗談を飛ばす可能性がある。現場の場所も知らずに、付近をウロウロと歩いて、すっかり撤収されているのも気づかず、何もないと騒ぎ、やはりここには地下道があると妄想し、国を憂い、嘆き悲しむのであろう。

でも、秋庭さん、違いますから(笑)

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2006年8月13日 (日)

東京の地下鉄は戦前にすでに作られていたという噂は本当か?18

1945年8月15日、日本は終戦を迎えた。

「右ノ如キ新秩序ガ建設セラレ且
日本国ノ戦争遂行能力ガ破砕セラレタルコト確証アルニ至ル迄ハ
連合国ノ指定スベキ日本国領域内ノ諸地点ハ
吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スル為占領セラルベシ」
(「ポツダム宣言」第7条)

同年8月30日、連合国最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥が厚木飛行場に到着。9月2日、東京湾上に浮かぶミズーリ号で降伏文書の調印が行われた。GHQに接収された建物は、道路も含めて1147カ所に及ぶ。都心部で焼け残った建物は、ほとんど接収された。米軍は、空襲で東京のほとんどを焼き払ったが、肝心な建物だけは爆撃を避けて、終戦後に自分たちが使ったらしい。

さて、今夜はまず、『帝都東京・地下の謎86』(秋庭俊、洋泉社)からの引用である。

下の図は「インテリジェント・リポート(諜報報告)」というもので、終戦後のGHQが製作した。最近まで米軍の極秘資料だったが、五〇年という期限が切れて公開されたものである。これが何を表した地図なのか、どのように見ればいいのか、ほとんど説明がない。「航空写真に写らない道路については、道幅は保証しない」と注意書きがある。パレスサイドビルの周辺には太い斜線が引かれている。(P16)

17ページには、パレスサイドビルを中心とした地図が、現代のものと、GHQの地図が上下に並んでいる。秋庭さんは、どうやら、太い斜線が引かれているから、何かあるぞと言いたいらしい。この地図には、太い斜線に「Ruins」と書いてある。Ruinsとは、Yahoo辞書で調べると、「廃墟」という意味がある。地図は終戦直後のものだから、要するに、この斜線は、地下を意味するものではなく、焼け残りと考えるといい。

これと同じ地図が、『東京地下要塞』(秋庭俊、講談社)でも登場する。彼にとっては、この地図は、切り札のようなものらしい。

この地図は東京の地下を表しているのではないかと、これまでにも何回か提示してきたものである。(P224)

226ページには、都心部全域にわたる地図が掲載されている。黒色に建物の形が示してあるのが、空襲で破壊されず残った建物である。地図全体を薄いグレーが広がっている。これは、空襲による爆撃で焼き払われて、地面がむき出しになっている場所である。広すぎないかと思うかもしれないが、当時の写真を見ると分かる。東京は、そのとき、広大な空き地になっていた。

同じ地図が、135ページにもある。

新橋-三原橋間には、結局市電の線路は敷かれず、戦後もこの区間には都電は走っていなかった。だが、米軍が一九五三年(昭和二八)年に製作した地図には、矢印の先に線路が書かれている。左の地図では銀座線と同じ広軌の線路幅である。
公式の銀座線は中央通りを走っていたが、私は、極秘の銀座線のターミナルが三原橋(東銀座)にあったと思うが、どんなものだろう。(P134)

つまり、秋庭さんは、この地図に示された線路を根拠に、地下に都営浅草線があったと言いたいのである。が、オイラが当時の市電路線図を入手したところ、新橋から東銀座に至る昭和通りには、市電の路線があった。東銀座から岩本町までは、市電はない。これは、後藤新平が帝都復興計画を立てたとき、幹線道路には、路面電車を敷かない方針にこだわったからだ。

このGHQの地図は、航空写真をもとに書かれているようである。従って、見えないものは、見えないし、見えるものは忠実に描いた。

これは、オイラの妄想だが、この地図は、終戦直後の東京の建物の被災状況を表した地図である。秋庭さんが探している地下鉄は、この地図には描かれていない。

ここで、『帝都東京・地下の謎86』に戻ろう。

75ページに、再びGHQの地図が登場する。でも、気を付けて見てほしい。この地図は、これまでの地図とは違う。現物は、日本人学者により、『G.H.Q.東京占領地図』(雄松堂出版)として解説書付きで出版された。

この地図には、インテリジェント・リポートという但し書きはない。「シティ・マップ・セントラル・トウキョウ 1948年6月」という地図である。

占領軍は、都内を管轄するために、宮城(皇居)を中心とした重要道路にそれぞれアベニュー名、ストリート名を与えていた。アベニューは、皇居を中心として四方に延びる放射状の道路で、時計の針の進行と同じ順序にアルファベットのAからZまで名付けられていたのに対し、ストリートのほうは複雑な都内の環状線道路で、皇居に近い順に1ストリートから60ストリートまで名付けられていた。(『MPのジープから見た占領下の東京』)

アベニュー名もストリート名も、当時の日本の地理とは何の関係もなく、占領軍が理解しやすいように名付けられていたようである。

GHQは、行幸道路と勝手口に同じ名前をつけている。東京駅をはさんだ東西二つの道路に「アベニューX」とある。このような表記も、前ページの地図の点線と同じだと私は思う。(P74)

その場所が重要かどうかは、アベニュー名とは関係ない。途中に運河があろうが、線路があろうが、その方向に道が延びていれば、その通りに同じ名前をつける。ちなみに、東京は地形が複雑だから、アベニューとストリートが結果として同じ方向を向いてしまったり、途中で交わったり、離れたりすることもある。AからZ、1から60までは、極めて機械的に、でも、それほどの大きな意味もこだわらずに割り振ったのである。

そもそも、この地図には、インテリジェント・リポートとは書かれていないのに、何のためらいもなく、インテリジェント・リポートとして扱っているところが、秋庭さんの不誠実なところである。この地図が、諜報と関係するかどうかの検証がまったくない。にも関わらず、例えば、『帝都東京・隠された地下網の秘密』(新潮文庫)では、この地図をもとに隠された地下網が描かれているように論じている。

まったくの勘違いだと思う。

明後日、8月15日、日本は、61回目の終戦の日を迎える。

「シティ・マップ・セントラル・トウキョウ 1948年6月」・・・この地図の原図は、1947年に米空軍によって撮影された航空写真である。地上の物件については、第123施設大隊によって調査されたという。当時、東京は焼け野原だった。この原図となった航空写真は、『G.H.Q.東京占領地図』にも掲載されている。焼き尽くされた大地は、空から見ると土がむき出しになり、地図とは逆に真っ白である。おそらく、終戦直後の東京を写した唯一の航空写真である。

戦後の東京は、ここから始まった。

この地図を眺めながら、隠された地下鉄探しをするのは、勝手である。でも、この資料を手にして感じるのは、そんな小さなことなのだろうか。占領期の日本の研究は、最近になり様々なGHQの資料が公開されるようになって、まだ始まったばかりなのだと思う。この先、多くの事実が明らかになるだろうが、おそらく、地下鉄の秘密は、どんなに頑張っても出てこないだろう。

そもそも、暗号というのは、キーがなければ、解けない。それを、ど素人が地図をぼーっと眺めて、何となく単語と単語を結びつけて、やった、地下鉄が見つかった、と喜べるなら、GHQは随分簡単な暗号をつくったものである。何も知らない場所の地図に桑畑があったからと言って、それが軍事施設だと眺めていて分かることはあり得ない。「山」「川」という、昔の遊びとは訳が違う。現物がどのような経緯で作成されたのか、様々な資料をもとに検証すれば、少なくともGHQの地図が、隠された地下網を表しているという結論など、出しようがない。

では、秋庭さんは、どうしてGHQの地図にこだわっているのだろうか。それはぜひ、秋庭さん本人に聞いていただきたい。オイラのほうは、「いろいろ、あるんだよ」とでも言うよりほかない。


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東京の地下鉄は戦前にすでに作られていたという噂は本当か?

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『新説東京地下要塞-隠された巨大地下ネットワークの真実-』を読む

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『写真と地図で読む!帝都東京・地下の秘密』(洋泉社MOOK)を読んでみた。

『大東京の地下99の謎』(秋庭俊著、二見文庫)を読む

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2006年8月12日 (土)

雷雨の影響でロマンスカーが全面運休

雷雨の影響でロマンスカーが全面運休

とにかく、強羅に着いたら、箱根登山鉄道が落雷で運休し、代行バスへ振り替え輸送。代行バスは、渋滞でさっぱり前に進まない。

バスの中でネットを調べたら、ロマンスカーも終日運休を決めたばかり。失望の中、箱根湯本駅にたどり着いた。

小田急電鉄の急行新宿行きに乗り継ぎ、2時間かけて新宿へ。途中、ダイヤは乱れていたが、雨はすでに降り止んで、雷も収まっていた。

気持ちは分からないでもないが、ロマンスカー、走れたんとちゃう?と、文句も言いたくなる。箱根湯本から新宿まで、例え遅れてもいいから、ロマンスカーで移動したいと思う。

せめて、雷雨が収束したら、運転を再開してほしいものだ。

そんなこんなで、ただいま(^_^)ノ""""

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2006年8月11日 (金)

箱根で温泉三昧な2泊3日

箱根で温泉三昧な2泊3日

とにかく、温泉旅館で温泉三昧な生活に浸るのが目的。現在は、大涌谷から桃源台までのロープウェイは、工事のために運休している。その間を代行シャトルバスが往復している。

オイラのオススメは、大涌谷から桃源台まで、遊歩道を歩くこと。下りならおよそ1時間で、元箱根・箱根町間に渡る海賊船乗り場、桃源台にたどり着く。山道は、石畳や木枠にコケがむしていて、風情満点である。

ただ、寄る年波には勝てない、そこは覚悟したほうが良かろう。

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2006年8月10日 (木)

東京の地下鉄は戦前にすでに作られていたという噂は本当か?17

皆さんは、すでにサンシャインシティの地下5階へはいらっしゃっただろうか。地下5階は、サンシャインシティの敷地全体には広がっていない。おそらく、「あのビル」の地下部分だけである。そこには、広大な道路があるらしいので、ぜひ愛車をかっ飛ばして、一度走ってきてほしい。体験談をお待ちしている。

オイラのブログは、まだ地下5階に降りるには早そうである。その前に、その上にある変電所について、一言申しておかなければならない。

 その後の取材で、ここにある変電所は豊島変電所と呼ばれていることを知った。発電量は一〇〇万kVAに達するのだという。だが、この変電所の存在は国民には極秘とされていて、東京電力が公表しているリストには、豊島変電所は存在しない。変電所が存在しないから、ここで働く職員もいない。維持費も計上されていない。(略)極秘の理由は変電所にあるのではなく、送電ルートや電力の供給先にあるようだった。(『新説東京地下要塞』秋庭俊著、講談社、P40)

東京電力の50年史を描いた『関東の電気事業と東京電力』という本がある。とにかく重くて太い。本編と資料編に分かれている。このうちの資料編に、変電所の運転開始のリストが掲載されていた。

年月日 名前      認可出力(MVA)

1967.5  江東(超)         750

1971.6  新宿(超)         320

1971.7  城南(超)         300

      (略)

1977.4  豊島(超)        1000

      (略)

1979.4  池上(超)          300

      (略)

2000.11 新豊洲(500kV) 3000

はい。東京電力の公表したリストに掲載されている。働く職員もいるし、維持費も、オイラたちが払う電気料金から計上されている。確かに、この変電所の具体的な場所は、大っぴらには公開されていない。東京にある地下変電所のほとんどは、場所をハッキリとは公開されておらず、その名前からだいたいの場所を想像するだけである。地図は、地上にあるもの、空から見えるものを掲載するのが原則だから、地図上にはこれらの変電所は登場しない。

では、豊島変電所の正体はいかに?

時は、高度経済成長期、1960年代半ばである。

東京は、都市化や過密化が進展し、変電所など電力設備の用地確保が厳しくなっていた。その一方、都心部には業務用電力を中心とする電力需要が急激に増加していた。東京電力は、1967年5月、電力流通設備近代化計画要項を策定し、都内超高圧系統導入構想を立てる。当時すでに、都内には送電線ルートがあったが、経済成長に合わせて送電線を増加させていけば、どんどん送電ルートが増えて複雑になり、管理が大変である。そこで、超高圧の地中送電線ルートを確保しようというのだ。都心にできるだけ近い地点まで、27万5000Vの架空送電線を7ルート建設し、そこから地中化した13のルートにより、都内に導入する構想だった。

東京電力は、1960年代から70年代にかけて、西東京、新宿、城南、江東、新京葉と至る地下超高圧電線の横断ルートと、京北、豊島、池上と至る縦断ルートを建設した。

前述の50年史では、こう書いている。

東京電力が27万5000V地中系統の都内における拠点とした新宿変電所と城南変電所は、日本の地下式超高圧変電所のパイオニアであり、71年6月と7月にそれぞれ運転を開始した。このうち、東宮御所近くの青山ビルの地下に建設された城南変電所では、機器収納スペースを縮小するため、ガス絶縁型開閉装置(GIS)が15万4000Vと6万6000Vの側に採用された。

新宿変電所は、地下6階に変圧器があるらしい。

『ニューコンストラクションシリーズ第9巻 地下空間を拓く-地下空間建設技術-』(水谷敏則監修、山海堂)によると、

都市の変電所の一例を東京都にみると、全変電所の4分の1にあたる130箇所が地下変電所となっており、供給の拠点となる超高圧(275000ボルト)変電所のほとんど(11箇所中10箇所)が地下変電所となっている。超高圧変電所は収容する変電機器が大型で、重量物であることから、地下に設置し、地上を公園や緑地帯とし、一部地下階を図書館や制御室に使用している。特殊な例として用地不足から寺院の建設に際し、地下に変電所施設を、地上に寺院を配置して、地域の供給効率と都市景観を高めた事例もある。

と書いている。

つまり、豊島変電所と同じタイプの超高圧地下変電所は、都内に10箇所もある。そのどれもが、詳しい場所を具体的には公表していないし、地下であるが故に地図にも掲載されていない。なので、豊島変電所だけが特に「極秘」というわけではない。しかも、この地下送電ルートは、港区高輪にある高野山東京別院の地下にある高輪変電所にも通じている。

現在の都内の送電ルートについては、『ニューフロンティア地下空間』(土木学会編、技報堂出版)に掲載された「首都圏における基幹送電系統」が詳しい。

首都圏の電力供給系統は、首都圏を環状に囲むように、50万ボルトや27万5000ボルトの外輪送電線があり、そこから、1960年代から建設された27万5000ボルトを主体とした放射状の送電線により、首都圏の中心に向けて供給されている。このうち23区内のほとんどは、地中送電線を利用している。

これによると、新所沢、南狭山、新座から、豊島に至るルートと、新古河、北東京、京北から、豊島に至るルートがあり、豊島からは、水道橋の東側を回り、高輪や池上、南川崎に向かって縦断しているルートがあるらしい。

以上から分かることは、

豊島変電所は、特定の送電ルートや供給先のためだけに存在している変電所ではないということ、都内にある超高圧地下変電所、計10カ所のうちの1カ所に過ぎず、特別な存在ではないということ、

である。

都心には、これ以外にも、縦横無尽に地下送電線が敷かれているし、今も新たな路線を建設中である。地下変電所が、大っぴらに場所まで明らかになることは、少ない。ただ、完全黙秘というわけではなさそうだ。

ところで、『ニューフロンティア地下空間』には、超高圧地下変電所の構造例が、実際の変電所の図を使って紹介してある。これを見ると、緑あふれる公園の中にある図書館があり、その下には、図書館の地上の敷地をはるかに上回る広さの地下空間が広がっていて、地下が地下変電所となっている。公園の中にある図書館なんて、23区では珍しいのではないだろうか。地図とにらめっこすれば、案外簡単に見つかるかもしれない。

さて、この地下送電線のルートは、どこを通っているのだろうか。ほとんどが道路の下を通っているらしい。その辺りは、その洞道が戦前からあったのかどうかも含めて、秋庭さんに調べてもらってほしい。オイラのほうは、「いろいろ、あるんだよ」とでも言うよりほかない。


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東京の地下鉄は戦前にすでに作られていたという噂は本当か?

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『新説東京地下要塞-隠された巨大地下ネットワークの真実-』を読む

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『写真と地図で読む!帝都東京・地下の秘密』(洋泉社MOOK)を読んでみた。

『大東京の地下99の謎』(秋庭俊著、二見文庫)を読む

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2006年8月 9日 (水)

長崎に原爆が落ちた日

オイラは、長崎が大好きだ。坂の街はいろいろあって、例えば、小樽とか、尾道とか、いろいろとあるけれど、美しい街が多い。だから、長崎を壊した原爆を許すことができない。

原爆が投下されてから61年。広島に続き、2発目の原爆が炸裂した街。今、長崎は、その情景が思いつかないくらい、美しい街になっている。

核兵器の威力に頼ろうとする国々は、今こそ、被爆者をはじめ、平和を願う人々の声に謙虚に耳を傾け、核兵器の全廃に向けて、核軍縮と核不拡散に誠実に取り組むべきです。
 また、核兵器は科学者の協力なしには開発できません。科学者は、自分の国のためだけではなく、人類全体の運命と自らの責任を自覚して、核兵器の開発を拒むべきです。
 繰り返して日本政府に訴えます。被爆国の政府として、再び悲惨な戦争が起こることのないよう、歴史の反省のうえにたって、憲法の平和理念を守り、非核三原則の法制化と北東アジアの非核兵器地帯化に取り組んでください。さらに、高齢化が進む国内外の被爆者の援護の充実を求めます。

伊藤一長長崎市長の長崎平和宣言である。

今年の長崎平和宣言の初っぱなは、こんな一文で始まる。

「人間は、いったい何をしているのか」

原爆が投下されてから61年、広島と長崎の犠牲を教訓に戦後を踏み出した世界と日本。核兵器は、減るどころか、今も世界の平和の脅威になり続けている。

人間は、いったい何をしているのか。

人間は、いったい何をしているのか。

人間は、いったい何をしているのか。

人間は、いったい…。

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2006年8月 8日 (火)

5日、平仮名になったアーティストの歌声に酔いしれて、7日、四谷の地最後のusuライブにそらめいた。

8月5日、実に半年ぶりくらいになる、最近平仮名に改名した、きのしたなおこちゃんのライブに、両国駅前にある両国無双に向かった。

とにかく、ここんところ、ほとんどのアーティストのライブに行けない。彼女の場合、前回がいつなのか忘れてしまうくらい昔である。もちろん、彼女のほとんどのライブスケジュールは、手帳に記してあるが、ほとんど毎回その日に×印を打つことになる。これは、彼女だけでなくて、みんなそうなのだ。

5日は、珍しく、朝から図書館に出かけ、土曜日としては余裕のある日だったので、夜から両国に向かった。

「最近、谷口深雪のライブ、行ってます?」

「いや、それが…」

「ああ、今度お茶するから、言いつけてやろっと」

恐ろしや、Piano&Womanネットワーク。

平仮名になったけれど、彼女の歌声もピアノも、変わらぬ美しさだった。

そして、7日。

四谷天窓のusuライブ。「MILAI presents 天窓デビュー5周年&BIRTHDAY LIVE!!!」という企画。天窓は、8月13日が最終日で、高田馬場へ移転してしまう。前も書いたけれど、長年通い慣れた四谷の地を離れるのが、少し寂しい。

060807_20280001 usuは、オイラが一番のお気に入りでもあり、このサイトのタイトルにもなっている「sorameku」を唄った。

「この歌は、1番の歌詞をボーカルスクールの社長が作って、2番を私が書いたんです。でも、私のものと思ってます(笑)」

以前も書いたけれど、「そらめく」という言葉には、良い意味がない。

「逃避したときに逃げていてもいいけれど、行くぞって決めたら立ち止まらない」

usuは、自分なりの「そらめく」の意味を、この歌に込めた。

何でもかんでも、ガチンコで、頑張りすぎている時代。

どうして、こんなに逃げ道がない社会になってしまったのだろう。

苦しくて壊れそうなとき、空を見上げて、深呼吸してみる。立ち止まって、心を解放してあげる。飽きるまでだらしなくサボってみる。

でも、いったん歩き始めたら、立ち止まらない。

こんな時代にぴったりの歌なのだと思う。

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2006年8月 6日 (日)

広島に原爆が落とされた日

日に日に風化していく戦争の記憶。オイラたちは、戦争の記憶がない。だから、記憶を受け継ぐ責務を負っている。

被爆者たちは、死を選んだとしても誰も非難できない地獄から、生と未来に向かっての歩みを始めました。心身を苛む傷病苦を乗り越えて自らの体験を語り続け、あらゆる差別や誹謗・中傷を撥ね返して他の誰にもこんな思いをさせてはならない」と訴え続けてきたのです。その声は、心ある世界の市民に広がり力強い大合唱になりつつあります。

迷える羊たちを核兵器による呪から解き放ち、世界に核兵器からの自由をもたらす責任は今や、私たち世界の市民と都市にあります。岩をも通す固い意志と燃えるような情熱を持って私たちが目覚め起つ時が来たのです。(2006年平和宣言)

秋葉忠利広島市長の平和宣言

地球の空に、キノコ雲はいらない。

そらめく.comは、核兵器のない平和な空を目指します。

(過去の記事)

60年目の夏

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2006年8月 5日 (土)

両国駅前で盆踊りをやっていた。

両国駅前で盆踊りをやっていた。

盆踊りなんて、何年ぶりやろか。大学んとき、広島で飛び入り参加して以来のような気がする。

名古屋時代、何度か地元の盆踊り大会に出かけた覚えがある。なにがおもろいんか、オイラにはさっぱりわからへんかったんやけど、大人になって、なんやo(^-^)o ワクワクするようになったなぁ。

フランクフルトとか焼きそばとかかき氷とか…。

なんや楽しいわぁ(#^-^#)

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アホやヾ( ´ー`)…大江戸線運転中止続報

大門・汐留間のトンネル内にて立ち入った乗客を確保。こういう乗客は、都営地下鉄永久追放にしてほしいですね。間もなく運転再開。

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大江戸線運転中止

大江戸線運転中止

18時頃、大門・汐留間で乗客が線路内に立ち入ったとの情報があり、確認作業のため全線ストップ。オイラは、森下駅で足止め。あと1駅なのに(`へ´)

どこのバカたれだ?

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2006年8月 4日 (金)

東京の地下鉄は戦前にすでに作られていたという噂は本当か?16

このサイトは、東京の地下鉄について論じるサイトではない。でも、秋庭さんが、『新説東京地下要塞』を発売して以来、それまでの3倍以上のアクセス数を数えるようになった。ほとんどは、「東京 地下 戦前」などというキーワードでぐぐってきた人がほとんどである。前にも書いたが、ここをいくら読んでも、戦前の隠された地下網の秘密は探し出せないので、ご了承いただきたい。

オイラは、このブログで、秋庭さんはペテン師だと主張しているわけではない。これも、いつも書いているが、オイラは、秋庭さんの主張しているような、国民に隠された地下網が、まったく存在しないものだとは思っていないし、すべてがガセネタだとは思っていない。

ただ、仮説というものは、立体的に検証すべきもので、妄想と仮説とは別物だということを伝えたいだけなのである。

例えば、このブログを辿ってきた人は、新しい地下鉄は、古い地下鉄よりも下を走る、と思いこんでいないだろうか。

都営地下鉄大江戸線の月島駅では、先に出来た東京メトロ有楽町線が、後から出来た大江戸線の下を潜っている。上のセオリー通りだと、大江戸線が有楽町線より先にあったということになり、すなわち、大江戸線は戦前からあったという結論になる。

東京メトロ南北線は、溜池山王駅で、丸ノ内線と千代田線の真ん中を潜る。すなわち、南北線は、戦前からあったという結論になる。

でも、本当にそうだろうか。大江戸線も南北線も、他の駅ではどうなっていただろうか。新宿駅では、都営新宿線よりも下を走っている。大門では、都営浅草線よりも下を走っている。春日では、都営三田線より下を走っているが、東京メトロ南北線より上を走っている。

これら、すべての要件を加味すると、果たして、どの路線が先に出来て、どの路線が後に出来たことになるだろうか。

つまり、何が言いたいかというと、既存のトンネルの上か下かでは、路線の新旧を判断することなど不可能なのである。

東京は、山あり谷ありである。地下には、川も流れているし、電気もガスも共同溝も走っている。地下鉄は、そんな地下を、上がったり下がったりしながら、目的地へと向かう。地上すれすれを走っていた地下鉄が、ものすごく深い地中に潜ることもあるし、かと思えば、いつの間にか地上に出ていたりする。東京とは、そういう街である。

上だから、下だから、という議論は、おそらく秋庭さんが話し始めたことだろうが、冷静に考えれば、トンネルの上下では、新旧を判断できないのである。

東京の地下鉄は、皇居を回るようにU字に走っている路線が多い。これも、何か不合理のように思われるかもしれないが、地下鉄の構想を立てるとき、モデルがあるのをご存知だろうか。十字型だったり、U字型がたくさん重なったものだったり、放射状に広がるものだったり。東京の地下鉄網も、実は、非常にモデルに従い、合理的に出来ている。

思いこみは、やっかいである。

今の日本は、ネットのせいだろうか、簡単な妄想に引っかかるところがある。何かに熱狂すると、どこまでもハマってしまう。どこやらの亀田のように、よわっちいボクサーでも、演出されれば、やたらと強いボクサーに見える。でも、そんな虚飾は、すぐにはがれ落ちる。はがれ落ちると、手のひらを返したように、よってたかって攻める。今まで根拠もなく持ち上げてきたことなど、棚に上げる。

諸悪の根源は、マスコミでありメディアなのだろう。

家でシコシコと秋庭さんの本を読んで興奮しているくらいなら、もっと街へ出て、自分の目で社会を見つめる力を育てるべきなのだろうと思う。

秋庭さんの本を読んで、なるほどと思えば、自分の頭でそれを解読して、真実が何かを見極めるべきなのだと思う。

何度も繰り返すが、オイラは、秋庭さんが主張するような、国民に隠された地下網が、ガセネタだとは思わない。少なくとも、秋庭さんのようなジャーナリズムもどきでは、地下網には近づくどころか、遠ざかるばかりだ。どこにその地下網があるのかは、自分の目で確かめていただきたい。オイラのほうは、「いろいろ、あるんだよ」とでも言うよりほかない。


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『大東京の地下99の謎』(秋庭俊著、二見文庫)を読む

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2006年8月 3日 (木)

Bunkamuraシアターコクーンに『あわれ彼女は娼婦』を見に行った。

もう1週間も前になるけれど、7月27日、東急Bunkamuraのシアターコクーンに、『あわれ彼女は娼婦』を観に行った。

実の兄と妹の恋愛を描いた物語。400年も前の戯曲を、蜷川幸雄さんが演出した。出演は、兄ジョヴァンニに三上博史、妹アナベラに深津絵里。オイラは、深津ちゃんのファンなので、物語の内容はほとんど気にもせず、ただただ深津ちゃん目当てに劇場に足を運んだのだ。

オイラは演劇については専門家ではないし、蜷川幸雄と言われても、エラい人なんだなーくらいにしか分からないので、難しい批評は避けておくけれど、大昔の戯曲は、単調というか、現代の人には飽きてしまうんじゃないかと思ったけれど、おそらく蜷川さんのうまさなんだろう、メリハリがきいていて、最後まで飽きさせなかった。

深津ちゃんは、ちょっとテンション高すぎる気もしたけれど、愛らしくアナベラを演じていた。

三上博史さんは、狂った男を演じて、これだけハマる人もなかなかいないと思った。苦悩しながら歩いている姿や、難しい単語を次々と繰り出す姿、アナベラの心臓抱えて走り回る姿、もう、三上さんしかあり得ない。

兄と妹の恋愛っていうと、「血がつながらない」というお決まりの条件がついてくるものだけれど、この場合、血はつながっているし、妊娠もするし、殺しちゃうし、という、とにかく、やるだけやっちまう物語なので、物語の内容そのものには、何ともケチのつけようがない。ここまでやると、お腹一杯という感じ。400年も前の人は、とてつもないことを考えるなー。

「宗教」とか「戒律」とか「家族」みたいな壁に対して、「近親相姦」という究極の恋愛は、一番インパクトがあるし、究極の枷だったと思う。現代のドラマに近親相姦を入れても、そんなに大したインパクトはないもんね。

それより何より驚いたのは、コクーンシート。2階のバルコニー席で、舞台に対して直角にせり出した場所なので、普通に座ると手すりで舞台が見えないし、舞台の端っこで演技されると声しか聞こえない。うーん。気分は、皇室関係者?思わず、客席に向かって手を振りたくなる(謎)

観るのにコツが必要だけれど、オイラは、迫力ある舞台を上から見下ろすスタイルが、結構気に入ったような…。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、最近、ココログのアクセス解析がバージョンアップした。訪問者のあれもこれも、みーんな解析してしまうのだね。逆に、アクセスする立場からすると、ネットサーフィンって、結構見られているんだなって感じた。

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2006年8月 2日 (水)

まあ、内容で負けても、勝ちは、勝ちやからな。

一番ホッと胸をなでおろしているのは、試合に勝った亀田興毅くんではなく、環境省の方々だろう。

STOPや!レジ袋

0706kameda

来年4月の改正容リ法施行を前に、いきなりKO負けじゃシャレにならんもんなあ。

オイラ、ボクシングのことはよく分からないが、ボコボコに殴られてダウンして勝てるんなら、楽なスポーツだなあと思った。

そう言えば、レジ袋有料化も、中央環境審議会の意見具申には盛り込まれたのに、改正容リ法では、産業界が「レジ袋有料化」に大反対して、土壇場で条文に明記できなかったんだっけ。

なるほど。

亀田くん、ピッタリかもしれない。

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2006年8月 1日 (火)

表参道な昼休み3

表参道な昼休み3

日陰に入ると、やけに涼しい。もしかして、もう秋か?立秋まであと1週間。短い夏を楽しもう。

蝉が派手に鳴いている。スタバでシェイクンレモングリーンティをグランデサイズで頼み、外のテーブル席で涼む。

そんな贅沢な昼休み。

表参道より(*^ー^)ノ

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表参道な昼休み2

表参道な昼休み2

昨年暮れは、眞鍋姉さんに触発されて、バラで30枚。成果は、3900円也。

今年の夏は、同じくバラで30枚。一等が当たったら、ブログでは発表しないので、音沙汰がなかったら当たったと思うべし。

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表参道な昼休み

表参道な昼休み

エチカのベトナム料理屋さんで、チキンスープカレーを食べた。

口に合わない(..;)

辛さに締まりがないていうか、ピントがずれているというか…。

それとも、ベトナム風とは、そういうことなのか。

そして、教訓。

無糖のドリンクにタピオカを入れても、ストローが詰まってウザイだけ(-"-;)

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