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2006年8月21日 (月)

東京の地下鉄は戦前にすでに作られていたという噂は本当か?19

今夜は、少し変化球を投げようと思う。いつもいつも否定ばかりしていては、ただのクレーマーだと思われてしまう。オイラは、秋庭さんが主張しているような、国民に隠された地下網が、すべてガセネタだとは思っていない。むしろ、検証して、暴くべきものを暴くべきと思う。

大切なのは、秋庭さんが正しいかどうかではない。秋庭さんの論に信憑性が薄いことは、これまでにも述べてきた通りである。

大切なのは、そこに、あるのかどうか、である。

秋庭さんは、国民に隠された地下網が、江戸時代の抜け穴や上水を再利用してものだという考え方を持っているようである。一見、荒唐無稽な話ではあるが、当時の人たちに、現代の地下鉄に迫る「穴」を掘ることができたのだろうか。当時の技術水準で、それは可能なのだろうか。

『歴史文化ライブラリー33 災害都市江戸と地下室』(小沢詠美子、吉川弘文館)という本では、江戸の町人たちが、「穴蔵」を利用していて、江戸の地下は穴だらけだったということが、よく分かる。

穴蔵とは、地下に設けられた倉庫のことである。

江戸時代のいつ頃から、穴蔵が使われていたのかは、よく分かっていない。

甘露寺親長著『親長卿記』の文明10年(1478)12月25日の条には、「今夜火事あり、五霊殿なり、(中略)予、近辺に及び、具足等穴蔵に収納終わる」とある。

慶長8年(1603)に日本イエズス会編の『日葡辞書』には、「Anagura 地下、または洞穴の中につくってある穀物や食料をおさめる倉庫」とある。

穴蔵が、普及したのは、明暦の大火(1657年)がきっかけである。消失町数934カ所、死者数万~10万人、行方不明4060人あまりを数えた。この大火直後、江戸の土地の10分の1は穴になったという。

穴蔵の機能は、防火施設でもあり、金庫や隠れ家の役割も果たしていた。

皆さんもご存知の『南総里見八犬伝』では、八犬士のメンバーである犬川荘介と犬田小文吾が、長尾景春の母に命を狙われた際、長尾家の執事・稲戸津衛由充に助けられる。このとき、由充は、防火用の穴蔵に2人をかくまった。

火事と喧嘩は、江戸の花。当時の江戸は、何度も大火に襲われ、町人は、自分の家の敷地に穴蔵を掘って、大切な財産を守っていたのだ。

この穴蔵、人が落ちると死ぬほどのものだったらしい。穴というより、人が住んでいても不思議ではない、立派な地下室である。江戸の土地は、地下水が多いので、地下水が溜まって、子どもが溺れたなんて、物騒な話もある。現代といっしょで、ちゃんと地下処理せずに放置しておくと、そのうち崩壊する。当時の文献でも、ある屋敷の庭から、ある日突然煙が上がって、地面が崩れ、掘り返してみると古い穴蔵と思われる、6畳ほどの日壁の小部屋が現れたという話が出てくる。

日本橋駿河町の三井家江戸本店の図面を見ると、1軒の店舗の中に12カ所もの穴蔵の存在が確認できる。宝暦期(1751~63年)のことである。

現代になり発掘された遺跡からも、穴蔵っぽいものが発見されている。

新宿区では、市谷仲之町遺跡、四谷三丁目遺跡では、アーチ状の天井を持つ穴蔵が発見された。千代田区皇居外苑の和田倉遺跡では、南北に長い長方形の穴蔵があったという。文京区の龍岡町遺跡、台東区の旧岩崎邸住居所在遺跡では、袋状の穴蔵があった。千代田区にある尾張藩麹町邸跡遺跡には、半時計回りのらせん階段が18段もついた穴蔵があったという。

当時の江戸には、「穴蔵屋」という穴蔵専門の工務店があったらしい。この穴蔵屋は、掘方人足に穴を掘らせ、地上で言えば大工の役割を持つ穴蔵大工が内装を施していたようである。「雪隠や湯殿、流しなど家庭内の施設から上水に至るまで、水回りの普請に幅広く穴蔵屋がかかわっていた」

時代は、明治に入り、穴蔵は江戸の町から消えていく。

きっかけは、明治5年の大火である。これをきっかけに、銀座煉瓦街が建設され、官民で「燃えない町」づくりが進んでいく。穴蔵の防火としての役割は薄らいだ。

そして、銀行の登場。穴蔵がなくても、代わりに財産を守ってくれる。

とどめは、火災保険の登場である。1888年10月、東京火災保険会社が営業を開始した。

とはいえ、一度掘った穴である。

明治以降のまちづくりは、当然、これらの穴を「処理」するところから始まっていることは、容易に想像できる。

その後、穴蔵大工たちがどうなったのか、詳しい資料はない。明治以降、市区改正などによって東京には近代上下水道が敷かれたので、これらの工事に携わってたのかもしれない。東京に初めて地下鉄が敷かれるのは、まだずっと後なので、残念ながら、地下鉄づくりには従事できなかっただろうね。でも、明治以降に穴蔵大工の組合が出来たそうだから、少ないながらも、脈々と生き続けていたことは間違いないようだ。

「少なくとも東京、つまり江戸においては、『都市用水用のトンネル』である上・下水道が発達し、『穴蔵』が、ところ狭しと掘られていた」

長くなったが、江戸時代の人が無数の地下道を築くだけの技術と能力を有していたことは、確かなのである。だからこそ、玉川上水は、四谷大木戸から先の江戸市中へは、地下管路を流れていた。江戸には、下水道も敷かれていた。これらが、現代にも存在する、東京のあちらこちらに見られる、無数の地下トンネルや地下構造物と、どのように関連しているのかは、オイラには分からない。その辺は、ぜひ秋庭俊さんに調べてもらってほしい。オイラのほうは、「いろいろ、あるんだよ」とでも言うよりほかない。


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『写真と地図で読む!帝都東京・地下の秘密』(洋泉社MOOK)を読んでみた。

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