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2006年7月の18件の記事

2006年7月31日 (月)

眞鍋姉さん、短時間で夏を満喫するなら、ブログの花火報告をハシゴしてみたらどうかな。

仕事が忙しいと、のんびりと夏を楽しむことなんてできないよね。特に、今年の夏は、ただでさえ梅雨が長かったから、きっとあっという間に秋の虫が鳴き始めて、終了のゴングが鳴ってしまうんだと思う。せめて、1週間くらいは夏休みをとって、海外でバカンスしたり、そうでなくても、海水浴くらい行きたい。オイラの会社では、一応5日間の夏休みが認められるのだけれど、まあ、連続して休みを取れることはなく、何回かばらけてとるしかないんだよね。

眞鍋姉さん、短い夏を楽しもう(泣)

で、短時間で夏を満喫する方法。

ひとつめ。

あちこちの個人ブログで、花火大会をやっているでしょ。ネットで全国の花火大会の日程とか調べて、さらに花火大会名でブログを検索すると、いっぱい出てくるよね。しかも、写真付きで。あれこれと眺めながら、行ったふり(爆)

まあ、これじゃあ、姉さん、酒が進むだけかな。

では、もうひとつ。

海岸線を走る電車に乗って、とりあえず海水浴気分を味わう。関東圏なら、房総方面とか、神奈川方面かな。さすがに都内の湾岸部では、とても海水浴気分を味わうわけにもいかない。ああ、でも、ゆりかもめなら、お台場の砂浜が見えて、気分だけ味わうには、ちょうどいい。ってか、眞鍋姉さんなら、フジテレビに行ったついでに寄れるよね。いや、あくまで、気分を味わうだけ。

お奨めは、江ノ電かな。鎌倉から藤沢まで、1時間もかからない。もちろん、海水浴気分を味わうだけ。遊ぶ時間なんてないから、鎌倉高校前あたりで降りて、はあーっと深呼吸して、すぐ帰る。

そそ。オイラは、外回りの仕事をしているので、八王子とか立川に行くことがある。新宿からだと、「あずさ」とか「かいじ」とか、特急が出ていて、これが八王子や立川にも止まる。で、新宿で、夏休みの家族連れなんかに混じって、ホームの列に並んで、自由席の争奪戦をしたりなんかして。これから遊びに行くよーって、幸せな人たちに囲まれながら、やったー、座れたぞーなんて喜んで、それもつかの間、30分くらいで下車。特急料金が、いくらだっけ、1000円でおつりくるんだよね。どう?

うーん。

あとはね、家で1人でスイカを丸ごとかじる。いや、さすがに丸いまんまではかじるのも大変なので、4分の1くらいにして、がじがじと1人で汁まみれになりながら、スイカを楽しむ。これ、結構、夏だなあと実感する。蚊取り線香とか炊いたりしてね。

眞鍋姉さん、夏は、あっという間に過ぎるよ。悔いのない夏にしよう。

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久しぶりに黒髪にしてみた。何か別人のようで…。ダサい。

とはいえ、人生の36年間は、黒い髪で生きてきたのだから、こっちが普通なのである。ところが、どういうわけか、オイラは、髪を染めているイメージのほうが強くて、黒髪のオイラなんて、遠い昔のような言われ方をする。なんてことはない、2年半ほど前、オイラはまだ、黒髪だったのだ。

たった2年半で、すっかりイメージが変わってしまったのだろうか。オイラ自身も、久しぶりに拝んだオイラの素顔に、ちょっと戸惑っている。

髪を染めたのは、何だか、世界をどーんとぶっ飛ばして、別人になりたい感じがしたのだ。おそらく、今、オイラを知るほとんどの人は、オイラは茶髪であることに当たり前になっていることと思う。特に、ライブでお会いするアーティストの皆様は、時には鶏の鶏冠みたいな頭だったこともあるので、黒くするとオイラと気づかないんじゃないかと。

まあ、とにもかくにも38年間、生きてきた。

黒髪だったあの頃のオイラは、とっくの昔に世界から淘汰されていて、今度の黒髪は、2年半前と比べて、螺旋階段をグルッと回ってきたような変化があるような気がしている。

以前の黒髪では、母親と双子のように似ている気がしていたオイラの顔は、今、やけに親父に似ているような気がして、ちとぶるった。

オイラも、年を重ねたと言うことなのだろう。

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2006年7月30日 (日)

眞鍋姉さん、オイラは最近、図書館漬けだよ。

眞鍋姉さんは、どうやら英語漬けの生活をおくっているらしい。外国語って、若いうちにやっておくべきだよね。ちなみに、オイラは、学生時代、第2外国語は、フランス語だった。しかも、7年もフランス語を学んだ。いや、言い方を変えれば、フランス語の単位が取れないばかりに、7年も遊んだと言うことである。では、英語はできたかというと、これもまた、さっぱりであった。オイラは、絶対、外国に1人では行けないと思う。命がけだよね。

そんなこんなで、眞鍋姉さんにトラックバック。

昨日も、起きたらすでにお昼くらいで、でもやたらと本に囲まれたくなった。オイラは、図書館とか本屋で本に囲まれると、何だか落ち着く。お世辞にも、読書家とは言えないけれど、本の独特の臭いとか、図書館や本屋の静けさとか、整然と本が並んでいるのが、やけに心を癒してくれたりする。とりとめもなく、図書館で資料をあさっていると、何だかやけに取り憑かれる本に出会ったりする。

以前もこのブログで一部紹介したけれど、

『都営地下鉄建設史・1号線』

これなんて、たかだか都営浅草線の工事概要かと思ったら、とんでもない。戦前からの地下鉄の歴史をドラマティックに紹介し、なぜ東京都(市)が東京の地下鉄を敷かなければならないのか、後藤新平をはじめ、関係者はそのためにいかに奔走したのか、実に分かりやすく書いている。その哲学というか、行政マンとしての心意気のようなものを感じて、たかが地下鉄、されど地下鉄と思ったね。

東京下水道の100年史もおもしろかったし、昨日は、東京電力の50年の歴史を読んでしまったよ。

特に、閉架式の書庫に眠っている、古い書物は、触ったときの独特の香りやほこりっぽさがたまらない。歴史を感じるし、どういうわけか、お札の香りがする。それなりの図書館に行くと、戦前の資料なんかもあって、これはもう、手にするだけで歴史を感じる。

さて、このブログは、昨日、累計3万アクセスを達成した。1日あたりの平均アクセス数は、69.41になる。何となく始めたブログだが、この数ヶ月くらいは、1日100~200くらいのアクセスがあり、ありがたいものである。

この場を借りて、お礼申し上げたい。

いつもありがとうございます。

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2006年7月29日 (土)

東京の地下鉄は戦前にすでに作られていたという噂は本当か?15

とにかく、秋庭さんの本は、読みづらい。確信犯として誤魔化した表現を使うケースもあるが、ほとんどは、秋庭さん自身の文筆力のなさが原因である。なので、読み返してみて、自分が間違った解釈をしていたことが分かることも多い。

工事申請区間 起点 四谷見附(新宿起点 4キロ 874メートル 92センチ0ミリ)
                     終点 赤坂見附(新宿起点 6キロ 044メートル 35センチ6ミリ)

 地下鉄丸ノ内線の起点は池袋だったが、戦前の地下鉄新宿線の起点は、新宿だったということである。営団の文書では、戦前と戦後の区間がイコールで結ばれているが、距離を計算すると、八〇メートルほどの違いがあるようである。
 だが、それより先に驚くべきことは、起点と終点がミリまで確定しているという事実である。このような数字は、新宿から四谷見附まで線路が敷かれ、さらに赤坂見附まで線路が敷かれていない限り、決して出てこないものである。(『帝都東京・地下の謎86』秋庭俊著、洋泉社)

同じ内容は、『帝都東京・隠された地下網の秘密』でも、登場する。ちなみに、新潮文庫版では、240ページから245ページに書いてある。

どの地下鉄でもそうだけれど、工事の申請をするとき、起点からの距離を申請書に記す。このとき、戦後の地下鉄のほとんどは、ミリ単位まで記してはいない。東京高速鉄道の四谷見附・赤坂見附間だけが、新宿からの距離をミリ単位で試算している。上記の引用の上2行が、その申請の内容である。

説明しよう。(タイムボカンシリーズ風)

「東京高速鉄道」とは、戦前の地下鉄の経営会社のことである。昭和9年9月、東京市の保有する免許線4路線65.7キロのうち約40キロを譲渡して、将来、もう一方の地下鉄経営会社である東京地下鉄道(戦前、日本初の地下鉄を敷いた会社)と合併することを条件として、設立された。社長には、大倉土木の副頭取・門野重九郎が就任、常務取締役に五島慶太が就任した。

昭和10年10月、東京高速鉄道は渋谷線と称した渋谷・東京間のうち、渋谷・新橋間の土木工事に着手。昭和13年12月20日に渋谷・虎ノ門間の営業運転を開始した。この間、東京高速鉄道は、赤坂見附駅を、新宿・築地間のいわゆる新宿線への分岐駅として、2階建てで建設するとともに、渋谷線と新宿線を結ぶ赤坂見附・四谷見附間の分岐線の路線免許を獲得した。つまり、上記の工事申請は、この部分のものである。これを受け、新宿から四谷見附、赤坂見附を経て、新橋へ入る計画を具体化した。

東京高速鉄道は、東京地下鉄道との協議が紛糾したものの、昭和14年1月15日、新橋へと進出した。

「そういうわけで、地下鉄は新宿から赤坂見附まで完成してたわけだ」
「申請書一枚でそこまでわかるんだ」
「ていうよりは、設計士はそれを望んでたんだろ。陸軍がそうしろっていうから仕方ないけど、本当は初めから線路はあったってことを言いたかったんじゃないか」
 私はうなずいた。
 丸ノ内線の設計士には確かにそういうところがあった。ただ、この場合、そんなことをさせたのは陸軍ではなく、戦後の政府ということだった。いずれにしても、そうした権力に立ち向かうタイプだということは、本を読めばよくわかった。(P244『帝都東京・隠された地下網の秘密』新潮文庫)

とにかく分かりにくい。東京高速鉄道の申請書は、戦前に国に出されたものだ。なのに、「丸ノ内線の設計士には…」とある。しかも、戦後の政府がどうこうと書いてあるが、戦前の会社が申請した内容なので、戦後の政府は関係ない。秋庭さんの本を読んでいると、まるで丸ノ内線の工事申請が、新宿からの距離をミリ単位で計算しているように勘違いをしてしまう。でも、丸ノ内線の建設史を読めば分かるが、実際の工事申請は、池袋からの距離で申請している。

このおっさん、確信犯か?それとも天然か?

秋庭さんの本を読むたびに首を傾げてしまう。

さて、では、東京高速鉄道の工事申請である四谷見附・赤坂見附間は、どうしてミリ単位まで計算していたのだろうか。新宿起点で四谷見附と赤坂見附の2点の距離を出しているということは、新宿から四谷見附・赤坂見附までは、東京高速鉄道が工事申請をする段階で、すでにトンネルも線路も敷かれていたということだろうか。つまり、東京高速鉄道が東京市から免許を譲り受けた、新宿・築地間の新宿線は、免許を譲り受けた時点ですでに完成していたということだろうか。

ここからは、オイラの妄想である。

第1に、工事の申請をするとき、事細かな距離は意味がない。地下鉄は、どこを通るかは、あまり重要な意味はない。特に戦前は。秋庭さんは、戦前の免許では、地下鉄が起点と終点を決めれば、道路に沿ってもいいし、直線を敷いてもいいと、自らの著作で書いている。その通りで、通る場所を決めても、実際には道路の中央も、右端も通れるし、構造物があって通れなければ、深く潜ったり、時には地上に出たりする。実際、丸ノ内線の建設では、当初四ツ谷駅は地下を通る予定が、途中で工事の変更申請をして、地上を通ることになっている。この時点で距離も変わっている。

第2に、工事申請をするときの距離は、線路の距離とは限らない。例えば、JRの山手線は、内回りと外回りがあるが、当然、内回りのほうが距離が短くなる。最近、単線の鉄道はめったにないから、複線ということになるし、場所によっては複々線になる。このときの距離は、線路の距離ではなく、まさに、線路を含めた鉄道構造物の起点から終点までの距離に他ならない。線路があるから、ミリ単位まで計算する、線路がないと、ミリ単位が計算できない、という話にはならないのである。

実際の工事は、工事申請のあとに、実施設計を行う。これは、どこに、どういうトンネルを掘り、どう線路を敷くのか、事細かに設計する。東京高速鉄道は、戦前に陸上交通事業調整法に基づき、帝都高速度営団に事業を引き継ぎ、赤坂見附・四谷見附間の工事も、営団が引き継ぐ。その工事は始まったものの、戦況の悪化に伴い、工事は中止された。四谷・赤坂見附間は、丸ノ内線の中で唯一戦前に建設が始まった区間でもある。だから、ミリ単位の計算ができたのかもしれない。

それに、渋谷線の開業により、赤坂見附駅は、現在でも分かるように2階建てに設計されており、この起点が決まれば、あとは新宿側の起点を定めれば、双方の距離は計算できてしまう。両方の起点が存在しないと、計算も曖昧になるが、赤坂見附側が決まってしまえば、計算は難しくない。

上記の四谷見附・赤坂見附間の申請書にある、旧新宿起点の距離は、丸ノ内線のトンネルとは関係ない。というのも、申請の段階で想定したルートは、靖国通り経由だったが、その後、戦後の営団は、新宿通り経由のルートへと変更して申請した。仮に、この申請書1枚でトンネルがそこに存在すると証明できたとしても、戦前から丸ノ内線があったという証明にはならないということである。

こうやって読んでいくと、秋庭さんの本が書いてあるほど、この1枚の申請書はショッキングなものではないように思えてくる。秋庭さんに、申請書から戦前にトンネルがあったという仮説を導き出したのは、秋庭さんのお友達の中川さんだが、中川さんは、何を根拠にこんな仮説を立てたのだろうか。大胆だが、詰めが甘い。そもそも中川さんは、どこの誰なのだろうか。それは、ぜひ、秋庭さんに聞いてもらいたい。オイラのほうは、「いろいろ、あるんだよ」とでも言うよりほかない。


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東京の地下鉄は戦前にすでに作られていたという噂は本当か?

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『新説東京地下要塞-隠された巨大地下ネットワークの真実-』を読む

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『写真と地図で読む!帝都東京・地下の秘密』(洋泉社MOOK)を読んでみた。

『大東京の地下99の謎』(秋庭俊著、二見文庫)を読む

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2006年7月23日 (日)

ギリギリにならないとマジになれない。特に仕事は…。

予定を立てるのは、好きだが、予定通り物事をこなすのは、苦手である。これって、典型的なアダルトチルドレンの症状だ。昔から、酒を断っても、酒を飲んでも、ここだけは変わることはない。

小学生時代から、立派な計画を立てることは得意だった。分刻みで何をやるのか決める。でも、大抵は守れない。もともと、オイラの家は自営業で、自宅の1階に工場があるという環境から、いくら勉強の計画を立てても、仕事の手伝いをさせられてしまうし、家がそわそわしているというか、落ち着かない場所だったから、いくら頑張っても、勉強に集中できない。そのうち、計画は破れるもの、というジンクスができた。

それは、社会人になっても同じ。ちゃんと時間を守るというルールは、何故か守れるようになったが、締め切りが近づかないと脳みそが働かないという癖は、どこまでも昔のままである。

最近では、計画は立てない主義になった。守れないし。その代わり、必要以上に膨大な余裕を持って、仕事をこなすようになった。だから、最盛期の半分の仕事もこなせない。でも、途中で放り出す仕事は減った。

今夜は、調布では花火大会を開いていたが、オイラは、家に閉じこもって仕事をしていた。本当は金曜日に片づけるはずだったが、家に持ち帰り、ついにこんな時間まで放置してしまった。

これからも、この癖は治らないだろうな。

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2006年7月22日 (土)

眞鍋姉さん、オイラもかなりハードワークで疲れているよ。ストレス解消は、野生に戻る、かな。

最近、眞鍋姉さん、あちこちのテレビに出ているもんねえ。くれぐれも、ストレスを溜めすぎないように、養生してほしい。昨年まで、こんなにテレビの露出度は高くなかったよね。ブログの女王と言われて久しいけれど、あまり忙しすぎると、オイラは、すごく心配なんだな。

そんなわけで、眞鍋姉さんにトラックバック、送信!

眞鍋姉さんのストレス解消法は、

1.睡眠が取れなくても自分は大丈夫だと思い込む。

2.PSPで「ぼくのなつやすみ」

以上。

らしい。

そっかー。オイラのばやい、ストレスを溜めない方法は、

1.眠いときには、遠慮なく寝る。

2.ストレス感じたら、とにかく、肉。

以上。

もう、豚に向かって、一直線だね。デブって当たり前。ここまで来ると、もう開き直りというか、ストレス溜めて、脳卒中で死ぬくらいなら、脂肪にまみれて、やはり、脳卒中で死ぬほうが、もう少し幸せに感じるけど…。

特に、肉。

今夜も、仕事が夜10時に及び、それでも8割くらい仕事が残ったので、もう白旗挙げて、撤収してきた。土日、家で残業。帰りの電車で、とてつもなくストレスの到来を感じたので、こりゃあ、肉しかない。駅前の豚肉専門の焼肉屋さんで、キャンペーン期間中で豚カルビが安かったので、これでもか、これでもかと食べてきた。

オイラは、これ以外にも、頭部のマッサージとか、サウナとか、ストレスの解消方法を知っているけれど、精神的なストレスは、やはり、肉に勝るものはない。酒ってのもあるかもしれないが、オイラがそれをやると、あっという間に壊れてしまうので、やはり、しらふでも逝ってしまうのは、肉に限ると思っている。

野生に戻る。がおーっ。性欲は、なかなか自分勝手に発散することもできない。でも、食欲は、無限大。がおーっ。ひたすら、肉を食う。

そして、明日は、とにかく寝る。床ずれができるまで、寝る。

肉を食い、寝る。

もう、早死に一直線である。

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2006年7月20日 (木)

ふと見上げると、曇り空から青空が覗いていた。今夜は、「空」というユニットのライブ。

朝、オイラがいつもチェックしている携帯電話向け気象予報サイトで、ラブリーなお天気お姉さんが、「今日は雨が降るかもしれないから、カバンに折りたたみ傘を入れておいてくださいね」とおっしゃっていたので、言われるままに折りたたみ傘持参で仕事に出かけた。夕方、仕事を終えて、会社を出ると、空は雲に覆われていて、こりゃあ、今夜は雨が降るかなと思ったんだよね。

が、丸ノ内線で四ツ谷に向かい、電車を降りて、ふと空を見上げると…

雲間から青空

西の空には、雲が夕焼け色に染まっていた。

なんか、得した気分。

今夜は、四谷天窓.comfortへ出かけた。お目当ては、「空」というユニット。このブログでは、3度目の登場である。

東京に上京して、まだ1年。ボーカルさんは、26歳最後のライブらしい。マイクを握りしめて、不器用にしゃべる姿は、いかにもあか抜けていなくて、田舎っぽい。ピアノのお姉さんは、めったにしゃべらないが、ボーカルさんに話題をふられると、はにかみながら微笑んでいる。

ホームページもなければ、音源もない。ライブは、月1回。次回のライブの告知のないアーティストって、珍しいかもしれない。

オイラは、基本的に田舎者フェチなんだろうな(爆)

涼しい風に吹かれているような、きれいな声とピアノ。でも、詩を冷静に聴くと、ちょっと胸が締め付けられるようなフレーズもある。

ちょっと最近、この2人の歌に、引きつけられている。

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2006年7月19日 (水)

水は、流れた跡の記憶を持っている。

そんな言葉を思い出した。大学時代、どこかの教授が、そんなことを言っていたような覚えがある。

まだ、梅雨だからね。夏は、これからだというのに、もう記録的豪雨。つくづく、地球が狂っていると思う。

10人死亡、13人が行方不明に 大雨災害(共同通信)

最初にあげた教授は、東京の利根川が、江戸時代に銚子方面に人工的に流れを変えてしまった話をしながら、京都の鴨川の流れも、もしかすると人工的に流れを変えているかもしれないと話していた。京都のど真ん中には、堀川という、普段はあまり水が流れていない川があるのだけれど、雨が降ると、どっと水が流れる。この堀川は、京都の北で鴨川から分かれる。大雨で京都で洪水が起きるときは、いつもこの辺りなのだそうだ。

川は、自分の流れを覚えている。

鴨川は、かつて京をまっすぐ南北に流れていた。それが、人工的に京の町を避けるように、流れを変えた。当時、「まだ仮説」と前置きしながら、そんな話を聞いた。

例えば、蛇行していた川をまっすぐに流れを変えて、上流と下流をショートカットすると、川は、以前の流れを記憶していて、右へ左へと洪水を起こす。東京には、地下河川がたくさん流れているけれど、川は地上を流れていた記憶が残っていて、洪水が起きると、地下河川は地上にあふれて、以前に流れていた地上を川に変えて流れる。

かつて川があった場所は、例えば、それが山の斜面で、今では住宅が立ち並んでいるような場所では、いったん大雨が降ると、川はすぐよみがえる。

昔の農家の方々は、蛇行した川には近寄らなかった。土地があっても、そこで作る農作物は、「取れたらラッキー」くらいの気持ちで育てる。川が増水すると、蛇行した川から水があふれ、周辺の畑は水浸しになる。でも、川をショートカットするという発想は、なかった。それを思いついたのは、日本では昭和になってからだろう。

そう言えば、ナイル川の下流に栄養たっぷりの土を運んでくるのは、ナイル川の洪水だったという話も、どこかで聞いた気がする。

水は、かつて流れた記憶がある。

洪水というと、災害とすぐに直結してしまうが、でも、自然からすれば、水があふれるのは、当たり前なんじゃないかと思うことがある。

自分の住んでいる場所は、昔、何があったのか。

ちょっと調べてみたら、もしかすると、命拾いするかもしれない。

小川でも流れていたら、今年の夏は要注意だ。

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電波な朝

右隣のオジサンが、急に小声で…

ちきしょー

と、つぶやいた。

左隣のオジサンが、さっきから…

ふんふん~
ふんふんふん~

と、鼻歌を歌いながら、指揮をとっている。

(((゜д゜;)))

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2006年7月16日 (日)

四谷天窓.comfortも、あとわずか。おそらく、ここでは最後のusu企画だった。

14日の金曜日、四谷天窓.comfortを訪れた。お馴染みのusu企画、「ココロニクリカエスモノ」第7話~四谷ありがとう編~。四谷天窓と、四谷天窓.comfortが、7月から8月にかけて、高田馬場にお引っ越しするので、通い慣れた四谷の地も、もうすぐお別れである。

考えてみれば、usuとの接点がなければ、四谷の地を踏むことも、おそらくなかったと思う。ここは、確かに美味しいたい焼きのお店もあるし、トンカツ屋さんもあるし、うどん屋さんもあるけれど、天窓がなければ、わざわざ、この駅で降りる理由も見つからない。

最初は、2004年2月、まだcomfortは開店していなくて、お隣の天窓だけだったけれど、usu企画だった。ウエタマミコさんも、kazuyoさんも、Seeds of Loveも、このときが初めて。イズミカワソラちゃんのライブで、ライブハウスに出かけたことはあったけれど、こういうアコースティック専門のライブハウスは、これまで経験がなかった。それがきっかけで、いろんなアーティストのライブにも顔を出すようになり、最近は忙しくて、月に何度かしか行けないけれど、多いときには、週に2、3回通ったこともある。

ここの良いところは、“対バン”という一般的な形式のライブは、他のライブハウスとそれほど変わりないのだけれど、最初に出たアーティストからトリのアーティストまで、一貫したイベントとして企画を立てていることなのだろうと思う。あちこちにありがちなライブハウスでは、時間割ごとにアーティストがそれぞれ勝手なことをしていて、時間単位でライブハウスを貸しているような感覚なのだけれど、天窓では、最初から最後まで、一貫した流れにこだわっている。

アーティストの中には、自分たちの常連客を外からどっと連れてきて、自分のライブの時間が終わると、熱気まるごと外に持って出てしまう人たちもいる。そういうのって、マニア受けというか、セクトっぽいというか、もったいないなと思う。天窓の演出って、最初から最後まで楽しんでもらおうという気持ちが、とても伝わってきて、ライブのチケットが高く感じないのである。それに、天窓は総じて、チケットが2000円を超えることがなく、気軽に足を運べる。

こーゆーライブハウスの運営のあり方って、最近、他のライブハウスにも影響を与えているような気がする。

さて、このライブで、久しぶりに、ライブ休止中のウエタマミコ様にお会いしたら…、

アゴがぽよんぽよんしてますよ。

…って。

マジっすか!

ぽよんぽよんしてますか!

ヤバい。太っただろうか。確かに最近、体重が増えた。

思わず、アゴを引っ込めてみる。ワイシャツでアゴを隠してみる。

いや、あんまり変わらないですよ。

マジっすか!

意味ないですか!

ダイエットしよう。この夏、くびれてやる!(謎)

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2006年7月14日 (金)

帰りの電車

まあ、どっちから始めたのか知らないが、帰りの電車でメールを打っていると、車両の後部から痴話喧嘩の声が。最初は、酔っぱらいが何かふざけあっているのかと思ったら、どうやらマジ喧嘩の模様凸(`.´メ)FuckYou!!

やばいなぁ。車両は、各駅停車の最前部やから、運転士はすぐそこにいる。通報すっかなあと悩んでいると、明大前の駅に着くと、すぐそばの女の子がすくっと立って、運転席につかつかと歩いていった。

すぐに運転士が、現場に急行。そこで、降りるだの降りないだのと一悶着あって、4分停車。結局、当事者の2人は、電車を降りた。

しかし、満員の電車を4分止めるなんて荒技は、しらふではできないことで、おそらくどっちかは酔っていたろうし、酔いがさめて現実に引き戻された時点で、全身凍り付くに違いない。

なにより、まず最初にトラブルを察知して、運転席に向かった、美しきお嬢様、あなたが一番えらい。

そんなわけで、今夜の京王線下りは、4分程度遅れているようである。

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2006年7月13日 (木)

東京の地下鉄は戦前にすでに作られていたという噂は本当か?14

東京の川が、沈んでいく。

何の話かと思うかもしれない。明治末期、神田川の高田馬場以西は、蛇行していたというのをご存知だろうか。今では、ご存知の通り、四角い、まるで地下鉄の開削方式のトンネルみたいな溝が、ゆるやかなカーブで流れている。今みたいな真夏になると、時折、集中豪雨が降って、この溝を勢いよく濁流が流れて、時には周辺に水が溢れて洪水になる。東京の川のほとんどは、例えば、石神井川のような都市河川は、かつて蛇行しながら、隅田川や荒川、東京湾へと注いでいた。

都市化が進み、道がアスファルトに埋め尽くされ、下水道が普及すると、今まで地下に染みこんで、徐々に川に注いでいた水が、一気にこうした都市河川へ注ぐようになる。すると、蛇行した河川はあっという間に溢れて、周辺が洪水になる。仕方なく、行政は、蛇行している川をショートカットして、曲がらない川に作り替えた。蛇行をカットして、川の流路をスマートにすると、川は、海面までの距離が縮んでしまう。どうなるかというと、海に向かう勾配が急になって、水が勢いよく流れ落ちるようになる。

次第に、流量を増やすため、川底は深くなる。だんだん川は、沈んでいく。そして、ついに上に蓋をして、暗渠の川になり、地下に潜る。

東京の地下には、たくさんの地下河川が流れている。昔は自然の川だったものや、江戸時代に上水として流れていた川だったり、高度経済成長期に地下河川としてトンネルが掘られたものもある。

地図を見ると、東京の区の境界線に、道路を挟んで小さな飛び地がある。これは、区の境界線が昔、川が蛇行していて、後に川をショートカットする道路を敷いたためで、今でも境界線の地下に蛇行した地下河川が流れていたり、ショートカットした道路に下水道幹線が通っている。典型的なのを1つあげれば、藍染川という小さな小川が、かつて東京の台東区と荒川区の区界を流れ、上野にある不忍池に注いでいた。今は、藍染川は、地下の下水道幹線と姿を変えている。下水道と言っても、かつてのどぶ川に蓋をしただけだから、最近の下水道と比べて、悪臭もするし、老朽化が進んでいる。

この藍染川は、かつての石神井川が源流である。現在の石神井川は、東京の北部を荒川に向けて流れているが、江戸時代くらいまでは、飛鳥山西端から旧古川庭園、中里、田端、JR西日暮里付近を流れ、千駄木、根津と通り、不忍池まで流れていた。さらに、お玉が池(現在の千代田区岩本町周辺)へと流れ、江戸橋の辺りから東京湾へと注いでいたらしい。現在、浅草橋あたりを流れている初期の神田川は、1605(慶長10)年に、旧石神井川の放水路として創設された。

さて、川の話は、ここから下水道の話へと変わる。理由は、東京の都市化である。藍染川は、東京の都市化が進むにつれ、次第にどぶ川へと姿を変えていく。そして、昭和初期の頃から徐々に川に蓋をして、暗渠の川へと変貌することになる。当時の写真を見ると、現在の神田川と比べてもはるかに細い川で、川というより小川、用水路という感じ。1923年に三河島浄水処理場ができて、藍染川から汚水が流れ、処理された水が荒川に流されるようになる。もう、こうなると、川ではなく、下水道だね。

明治時代、東京には江戸以来の多数の新川や新堀があって、それらが排水の幹線路となっていた。下水道といっても、汚水が町のあちらこちらの溝を垂れ流されているという感じだろう。コレラが大流行して、下水道の整備が東京の大きな課題となる。そこで、当時の市区改正審査会は、新設の運河建設計画をほとんど棚上げして、「下水改良」の方針を決める。ところが、当時の日本の官僚や専門家の間では、上水道優先論が潮流になっていた。欧米の都市では、上水と下水は同時並行で整備するのが当たり前なのに、日本は、1890年に市区改正委員会が下水道改良の延期を決め、その後10年間、ひたすら上水道整備へと予算を費やすことになる。

その流れが変わったのは、関東大震災である。それまで下水道の整備は細々と続いていて、秋庭俊さんの『帝都東京・隠された地下網の秘密』(新潮文庫)でも、269~272ページに書いてあるように、下水道の整備は遅々として進んでいなかった。関東大震災のあと、C・A・ビアード博士は、『東京の行政と政治』で、「何よりも早く完成が急がれるのは、下水道の整備拡張である」と主張。東京市は、8ヵ年に総額7874万円をかけて、全市に下水道を整備する方針を掲げた。もっとも、この計画は、実現しなかったが…。

さて、かくして、旧石神井川の下流部は、下水道のネットワークに変貌した。藍染川は、名前だけ残っているが、今では下水道の一部である。現在では、当時の流路は、下水道谷田川流域幹線、下水道藍染川幹線、下水道真島町幹線と流れ、湯島ポンプ場にたどり着き、そこからポンプアップして、藍染川幹線へと戻り、三河島の処分場へと向かう。

『江戸・東京の川と水辺の事典』(柏書房、鈴木理生編著)によると、 「昭和通りは、当時(震災復興)の道路規模の常識では桁外れの巨大なものだったが、道路と一体をなす下水道の面から見ると、かつての石神井川の河床の勾配を忠実になぞる形に建設されている」という。帝都復興は、自然の地形に即した人工地下水系の建設を考慮して計画された。つまり、重力に従った設計がされていたのである。

旧石神井川の流れは、現在の地図を見ても、さっぱり分からないが、地下鉄千代田線の路線をなぞると、何となく見えてくる。地上にあった川は、沈んでしまい、姿を消したが、その後にできた下水道のネットワークは、かつての石神井川の流れを記憶しているかのような設計がされているのである。

前に紹介した本では、こんなことも書いてある。

「都市施設としては、上水より下水の方が優先された。限られた空間に多くの家屋が集中する市街地では、上水の確保以前に下水処理の『みちすじ』を考えておかないと、その市街地は市街地としての機能を果たせない」

つまり、先に地下水系があった。

さて、そこで秋庭さんの例の本である。『帝都東京・隠された地下網の秘密』では、戦前の政府が、「下水改良」の名の下に地下鉄を敷いたという主張をしているが、かなり長くなってしまったのでいちいち具体的な指摘をしたくないが、結論から言うと、

「下水改良」地下鉄など存在しない。

どうやら、藍染線、飛鳥山線という地下鉄の話から、同じ名前の下水の話になっていた。(P270)

例によって、秋庭さんの資料の読み間違えである。そんな地下鉄は存在しない。下水は、地下の話である。

そもそも、下水の改良などということは、普通は、閣議にはかるようなことではなかった。(P270)

コレラが大流行していた時代である。下水改良は、国家的課題だったのだ。

下水改修と下水改良には区別があって、「大下水改修」と「改良工事」であれば「大下水改修」のほうが先決に思えるものの、実際はその逆だということだった。(P272)

秋庭さんは、また勝手に誤解しているが、当時の東京には、江戸以来の新川や新堀があって、それが排水の幹線路になっていた。こうした新川や新堀の枝線に相当するものが、町々の通りにあった「大下水」あるいは「大どぶ」である。下水改良は、新川とか新堀といったものをちゃんと下水道として整備しなおすことで、「大下水」とはそこにつながる枝線だから、後回し、そういうことではないだろうか。改良が先なのである。

副総裁は「いろいろの下水」と発言しているものの、下水に本当にいろいろあるとは思えなかった。これはつまり下水ではないと考えるべきことだった。(P273)

営団地下鉄の副総裁が、戦後の都市交通審議会で発言した文言の揚げ足をとっているだけである。「いろいろの下水」が、なぜ地下鉄になるのか。そう読めるのは、日本国民で秋庭さん以外に誰もいない。道路の下には、下水も、電線も、地下鉄もある。だから、「いろいろ」なのだ。下水は、下水以外の何ものでもない。

下水改良が地下鉄建設だったことを示す資料は、秋庭さんの本にはどこにも紹介されていない。あるのは、戦前戦後の要人の発言の言葉尻を捉えて、無理矢理結びつけているだけである。

最後に私見を。

戦後に建設された地下鉄は、川の近くを通っているように見えることがある。

東西線が神田川に沿っていること、千代田線が暗渠の藍染川に沿っていることも、私には、こうしたことと関係がないとは思えなかった。(P117)

地下鉄が川に沿って建設されているのではなくて、もともと川の自然な流れによってできた谷に沿って、幹線道路ができていて、その道路の下には、かつての川の流れをなぞるようにして、下水道のネットワークが敷かれている。そして、戦後、幹線道路に沿って、地下鉄が敷かれた。現在の東京は、かつて地上を流れていた川が、地下に沈んで、下水道などになって消えたものの、今も人工の地下水系になって、「川」となって流れ続けている。

東京は、地下の水の流れが、まず先にある。

さて、そろそろ言い訳をしておいたほうがいいだろう。オイラは、秋庭さんが主張するような戦前に隠された地下鉄網があったことを否定するつもりはない。だが、少なくとも、下水改良地下鉄は、存在しなかった。では、どうして秋庭さんは、下水改良地下鉄があると思いこんでいるのだろうか。それは、ぜひ秋庭さんに聞いていただきたい。オイラのほうは、「いろいろ、あるんだよ」とでも言うよりほかない。


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東京の地下鉄は戦前にすでに作られていたという噂は本当か?

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『新説東京地下要塞-隠された巨大地下ネットワークの真実-』を読む

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『写真と地図で読む!帝都東京・地下の秘密』(洋泉社MOOK)を読んでみた。

『大東京の地下99の謎』(秋庭俊著、二見文庫)を読む

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2006年7月10日 (月)

岡本太郎「明日への神話」

岡本太郎「明日への神話」

午前11時から午後7時まで、汐留の日テレ前ゼロスタ広場で公開しているらしい。8月31日まで。

このケータイの欠点は、横のものを縦にすることができないってことだな。

みんなは、ニコニコ笑いながら、見入っていたけど、オイラは、正直怖かったよ。「原爆」の恐ろしさが、圧倒的は迫力で迫ってくる。恐怖や憎しみや悲しみが。痛い、熱い。

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久しぶりの青空にウロコ雲?

久しぶりの青空にウロコ雲?

ここんとこ、傘を持って家を出ても、雨が降らない。毎朝、ウェザーニューズのお姉さんの警告を真面目に実行している今日この頃だが、今日はついに、太陽まで顔をのぞかせてしまった(+_+)

方向音痴なので東西南北が分からないが、広尾から、太陽の方角に向かって、ウロコ雲が広がっている。しかも、青空の境目がまっすぐで、まるでナイフで切り裂いたような雲間。少し不思議だから、写真におさめてみた。

明日から2日間、ココログのメンテナンスなので、ブログが更新できないが、閲覧はできる模様。とにかく、ここ2、3ヵ月のレスポンスの悪さは、我慢の限界を超えていた。メンテナンスで改良されれば良いのだが…。オイラは、あまり信用していない。

帰ったら、しっかりバックアップとろっと( ̄ー ̄)

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2006年7月 7日 (金)

降りそうで降らないじめじめした毎日

降りそうで降らないじめじめした毎日

それにしても、梅雨だというのに、さっぱり雨が降らない。九州では大雨なんだそうな。東京は、水が逃げている。イヤな天気が続くね。

朝から脳みそがさっぱり稼働しない。たまに、こんな日もある。いくら仕事をしても、し足りない、そんな日もあるかと思えば、朝タイムカードを押した途端、回れ右とばかり、家に帰りたくなることもある。

今日は、そんな1日。

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2006年7月 4日 (火)

とりあえずでも眞鍋姉さんとつき合えるなら、喜んで100万円払うよ。でも…

たぶん、告白したら即100万円で回避されちゃうんだろうな(;_;)

とりあえずつきあう権利と、つきあうのを回避する権利では、どっちが優先されるんだろうか。先着順だとややこしいよ。先に男子がとりあえずつきあえる券を使えば、すぐに女子が回避する券を使って、分かれられちゃう。でも、目の前に今にも告白しそうなキモい男子がいて、きゃーっと回避する券を使ってしまえば、彼はすぐとりあえずつきあえる券を使い、結局つきあうハメになる。これは、お互い駆け引きだよね~。

というわけで、眞鍋姉さんにトラックバック。

こっからは、翌日に書いている(汗)

こんところのココログのサーバーは、もうボロボロで、昨夜は、ケータイからメールで投稿して、ようやく投稿ができた状態。トラックバックを試みて、いったんは成功したと思ったんだけれど、朝確認してみたら、まったくトラックバックが送信できていなかった。なわけで、ちょっと遅れながらも、トラックバック。

100万円で会社を辞めろと言われたら、オイラは、たぶん辞めない。1000万円なら、喜んで辞めると思う。

100万円あげるから、駅まで北朝鮮を擁護する演説をしてこいと言われたら、ちょっと悩む。思想信条は別にして、とりあえず悩む。でも、やらないかも。

100万円あげるから、甲子園の1塁側スタンドで、ジャイアンツを応援しろと言われたら、ちょっと怖いけど、救急箱片手にやってしまうかもしれない。

100万円で女性専用車に乗ることができる券…いや、乗らなくていいよ(汗)

100万円で上戸彩とキスできる券…いや、特に興味ないっす(汗)

100万円で100匹の猫といっしょに暮らせる券…うん。少し考える。

100万円で会社の社長になれる券…お断りします。

日本は、豊かになったね。100万円では、断るという権利も発生する。もしも、1000万円なら、何でも来いって感じだね。

100万円で1日だけ金正日になれる券。

うーん。ピンポイントでテポドンを撃ちたい人はいるけど…。

・・・・

さて、あらかじめ、お断り。

ココログメンテナンスの実施について

サーバの不調により激重状態が続いているココログが、かなり長いメンテナンスに入る。期間は、2006年7月11日(火)14:00~7月13日(木)14:00の約48時間

これは、オイラの勝手な予想だが、この期間はさらに延びるのではないかと予感している。今まで小規模なメンテナンスでも、ちゃんと時間通り終わった試しがない。今回は、規模が違い過ぎる。

オイラは、前日7月10日には、バックアップをして、データ喪失に備えるつもりだ。322本もの記事を消されてはかなわんからなあ。

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2006年7月 3日 (月)

東京の地下鉄は戦前にすでに作られていたという噂は本当か?13

「停車場」と「停留場」との違いは、何だろうか。

急に何を言い出すのかと思うかもしれないが、例えば、東京メトロ半蔵門線で言うと、渋谷は停車場、表参道は停留場、青山1丁目は停留場、永田町は停留場、半蔵門は停車場、九段下は停留場、神保町は停車場、大手町は停留場、三越は停留場、水天宮前は停車場…。

『新版鉄道用語事典』(久保田博、グランプリ出版)によると、「停留場」とは、「私鉄などで使われた呼称で、構内に分岐器のある駅を停車場、分岐器のない駅を停留場と呼んでいる」と書かれている。「など」というのは、地下鉄も含まれるそうだ。「停車場」とは、「列車を停めて旅客の乗降、貨物の積み降ろしなどの鉄道の営業上必要な取り扱いと、列車の行き違い、列車の追い越し、列車の解結、車両の入れ換えなどの運転上必要な取り扱いを行うところ」としている。

鉄道の現場では、同じ駅でも、停車場と停留場を使い分けているのだ。上記の定義では、分かりにくいかな。つまり、「分岐器」…線路が二手に分かれるようできている駅、それは、まったく別の線に向かうものじゃなくても、上り線から下り線へ渡る分岐や、その逆なんかも、「停車場」の類に入る。上の半蔵門線の例を出すと、渋谷駅は同線の起点なので、上下線が渡り合う分岐器がある。表参道駅は、行けば分かるけれど、ホームは4線あって、真ん中の2線が銀座線、両端が半蔵門線、なので、ここには半蔵門線の分岐器はない。

『鉄道辞典(下巻)』(日本国有鉄道)…これは、ちょっと古い資料だけれど、何たって、天下の日本国有鉄道、国鉄である。これによると、「停留場」とは、「地方鉄道においては、列車を停止して旅客の乗降・貨物の積み卸しを行う場所で、転轍器(てんてつき)の設備のないものを停留場という。軌道においては、地方鉄道の停車場・停留場・信号所に相当するものをすべて停留場と称している」とある。「停車場」とは、「駅」「操車場」「信号場」の総称だと書いている。

「転轍器」とは、『大辞泉』によると、「鉄道で、車両を他の線路に移すために、線路の分かれ目に設けてある装置。転路機。ポイント。」のこと。こっちのが分かりやすいか。

さて、ここまで読んだ上で、下の文章を読んでもらいたい。

なお、昭和31年5月17日付営発第249号をもって申請の四ツ谷・新宿三丁目間分割工事施行許可申請書中、新宿三丁目停車場については、これを新宿三丁目停留場に変更いたしたにつき、追って右変更の手続きをいたします。

1956年12月19日、営団は、丸ノ内線の四谷・新宿三丁目間のルートを変更し、工事を申請している。ご覧の通り、線路のポイントがある停車場から、それがない停留場へと変更する、それだけの内容である。ルートは、靖国通りから新宿通りへと変更されたが、どちらを通っても、新宿三丁目を通ることになる。

お待たせした。秋庭さんの登場である(笑)

『帝都東京・地下の謎86』(秋庭俊、洋泉社)では、上記の営団の申請書を掲載した上で、次のように述べている。

戦前、地下鉄の起点や終点、分岐点の駅などを停車場、それ以外の途中駅を停留場と呼んでいた時期もあるが、丸ノ内線の新宿三丁目はいずれにしても途中駅である。停車場から停留場になるような変更はなかった。(P192)

もう全面的に間違っていることがお分かりだと思う。途中駅でも停車場になることは、一番はじめに紹介した半蔵門線の例を読めばお分かりだろう。神保町駅も、半蔵門駅も、途中駅だが、停車場である。停留場の定義も誤解している。

変更前のルートの靖国通りには、いま、都営新宿線が走っている。都営新宿線の線路の幅は、当時の都電と同じものである。都電の車両を地下に入れれば、そのまま走ることが可能である。都電の駅は停留場と呼ばれていた。(P193)

つまり、都営新宿線のトンネルは戦前からあって、そこには都電が走っていたと言いたいのだろうが、都電の車両を地下に入れると確かに走らせることはできるかもしれないが、上記の営団の申請書は、都営新宿線とは、何の関係もない。

次に、『新説東京地下要塞』(秋庭俊、講談社)である。ここでも上記の営団の申請を取り上げている。よほど自信があるらしい。

靖国通りに建設する予定だった新宿三丁目駅は、まだ、工事の申請段階だったにもかかわらず、ルートが変更になったとたん、あっというまに新宿三丁目停留場に変更されたということである。停車場は地下鉄丸ノ内線の駅のこと、停留場というのは都電の停留場だったはずである。(P164)

ルートは変わったのだから、新宿三丁目の停留場は、現在の丸ノ内線の新宿三丁目駅のことである。ルートを変更する申請をしているのに、駅だけが元のルートの上にポツリと取り残されることなど、ありえない。ルートといっしょに駅も、新しいルート上に移動している。停車場は、停留場になった。つまり、転轍器はない駅になった。

万が一、仮に、の話であるが、東京の地下に都電網が張り巡らされていたと仮定したとして、この営団の申請にある停留場は、都電のものではない。隠された地下網とは、何の関係もない但し書きである。丸ノ内線の四谷・新宿間の駅のうち、新宿三丁目だけ停車場から停留場に変更された、ただ、それだけの、他愛のない、色気もない申請書の一文である。

秋庭さんの悪い癖である。書類を勝手に読み間違える。読み間違えた結果を、事実と混同して、さらに想像を張り巡らせる。でも、最初の読み違えがあるから、どこまでいっても、真実には近づけない。ジャーナリストとしては、悲しい運命にある。秋庭さんは、なぜ、どこまで突き詰めても、真実にたどりつけないのだろうか。それはぜひ、秋庭さんに聞いていただきたい。オイラのほうからは、「いろいろ、あるんだよ」とでも言うよりほかない。


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『写真と地図で読む!帝都東京・地下の秘密』(洋泉社MOOK)を読んでみた。

『大東京の地下99の謎』(秋庭俊著、二見文庫)を読む

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2006年7月 1日 (土)

生·眞鍋に学ぶブロードバンド、ちなみにオイラは、@nifty一筋、今年で丸10年

生・眞鍋に学ぶブロードバンド、ちなみにオイラは、@nifty一筋、今年で丸1年

行ってきたよ。@niftyBBFesta2006。眞鍋姉さんの生の匂い…いや、美しいお姿を拝見させていただくため、ただその1点のみを目指して、雨がぱらつく中、東京・有楽町にある東京国際フォーラムへ。

少し遅れて、イスに座ることはできなかったけれど、オイラは、会場右手から、ちょうど、眞鍋姉さんを真横からアプローチできる位置を確保し、万全の態勢で姉さんを拝むことができた。

最近は、生まれて初めて買ったドリカムのCDを見つけて喜んだとか、これ聴きたいってCDのジャケットを見つけて、開けてみたら、自分のDVDだったのでヘコんだとか、相変わらずのおもしろ話を披露なさっていた。ブログ普及委員会委員長でらっしゃったときの白衣&眼鏡にも着替えていただき、姉さんをこよなく崇拝するオイラとしては、もう、この上なく昇天することができた。

それにしても、10年もNIFTYをプロバイダーにしているが、こういうイベントは初体験である。っていうか、眞鍋姉さんのステージも含めて、ほとんどNIFTYの宣伝コーナーばっかやね。まあ、そういう企画やし、その程度の期待しかしぃひんかったけど…。

眞鍋姉さんが最後に紹介していたポッドキャスティング、オイラは、今ひとつピンと来なくて、自分のブログには使っていなかったんやけど、姉さんの話を聞いて、少し興味が出てきた。

「私たちの楽屋の会話をそのまま流したい」「お母さんの意味不明な説教」

うん。とりとめのない日常の音を流すのも、面白いかなあ。通勤電車のおやじの寝言とか?聞かないか(笑)

帰り道、久しぶりに都バスでのんびり。こんな、何気ない音もいいのかな。独特の催眠効果を感じるのは、オイラだけだろうか。

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