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2006年6月 4日 (日)

危険を顧みずっていうとかっちょいいけれど、記者とかカメラマンって、そういう本能があるだけなんだと思う。

報道関係者など43人が亡くなった雲仙普賢岳の大火砕流から、6月3日で丸15年が過ぎた。

こういう報道を聞くたび、オイラが思うのは、自分だったらどうするだろう、ということ。

15年前、報道関係者が取材していた「定点」は、普賢岳から流れ落ちる火砕流を真正面から捉えることが出来る、絶好の場所だった。でも、そこは避難勧告地域の内側で、住民は立ち入ることができない。マスコミ関係者がいたために、消防団や警察の関係者もそこに入らざるを得ず、犠牲者を増やしたという見方もある。

オイラも、仕事でここに来ていれば、亡くなった記者たちのように、迫り来る火砕流を前にしても、シャッターを押し続けていたような気がする。以前、当時のビデオテープが復元されて、それをテレビで放映していたが、死を前にして、報道関係者は意外に冷静に見えたという。それも、何だか少し分かる気がする。

危険を顧みず…、本当だろうか。

現場にいた記者は、本当に「命がけ」というほど、何かを捧げて、報道に挑んでいたのだろうか。そんな崇高な考えより、まず、「見たい」という本能が先立っていたような…。命を賭けるってほど、報道は尊いものだろうか。オイラには、スクープと命を天秤にかけられない。そりゃあ、世の中には、命を賭けるくらいのスクープやネタが、いくらでも転がっている。が、あそこで死んだ記者たちは、みんな、そうだったか?

マスコミに、安全軽視があっただけじゃないか?

安全軽視と命がけとは、レベルが違う。

イラク戦争の真実を追えば、それは命がけだ。

雲仙普賢岳の脅威を捉える…これは、命を賭けなくても、できる。少なくとも、火砕流を見くびらなければ、あれだけ多くの犠牲者は出なかったはずだ。

オイラも、例えば都内でテロが起こったからと言って、背を向けて逃げるわけにはいかない。そういう仕事だと思っている。でも、自分にできることとできないことの区別は、ちゃんとつけるべきとも思っている。オイラは、戦争ジャーナリストではない。

大火砕流から15年。

マスコミは、教訓を学んだろうか。

オイラには、そこの確信が持てない。

再び、同じ過ちは繰り返されるような気がする。

その中に、オイラもいるような恐怖感を持っている。

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