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2006年6月の18件の記事

2006年6月30日 (金)

梅雨の晴れ間がラッキーに感じるなら、きっと幸せの形が分かる人なんだと思うな。

梅雨の晴れ間がラッキーに感じるなら、きっと幸せの形が分かる人なんだと思うな。

梅雨の晴れ間がラッキーに感じるなら、きっと幸せの形が分かる人なんだと思うな。

雲の切れ間に青空を見つけたような、そんな偶然の出会いは、たぶん、何かが導いてくれたに違いない。間違いないっ。

今夜のライブは、先月たまたま孔井嘉乃さんのライブのときに、同じcomfortで対バンだった“空”という2人組ユニットが2組目に登場した。実は、前回1曲目の途中から会場に入り、立ち見で聴いたから、今回初めて、最初からゆったりと座って聴けたのだ。

関西から東京に出てきて、まだ1年足らずの2人。でも、2人で音楽を始めてから7年も過ぎているのだそうな。「学校の、ちょうどここくらいの広さの音楽室で、ここにいる相方がグランドピアノを弾いて、私が歌って、お客様はいないけど、2人きりのライブを毎日放課後に開いてたんです」…その、ほのぼのとした情景が何となく浮かぶ。

2回目だと言うのに、どっちが誰で、どっちが何さんという名前を紹介してくれない。2人とも、大人しくて、田舎っぽさが抜けきれなく、関西弁丸出し。でも、ピアノ担当の彼女はライブ中ほとんどしゃべることはなく、ボーカルの彼女が、延々と、まったりと、のほほんとしゃべり続け、いつの間にかピアノは前奏に入っている。

のほほんとした風貌や語り口からは想像できないくらい、力強いボーカル。息がぴったり合ったピアノ。誰もが普通に感じ、共感できる、でも、優しいメッセージが詰まった詩の世界。曲は、ゆったりとバラードだったり、アップテンポだったり、リズム良く三拍子だったり。

こいつは、いいね。

やけに確信しながら、帰路についた。

今夜のライブは、空席が目立ったけれど、実力派が勢揃い。ちょっと得した気分かもしれない。

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天窓ライブ前にスタバでくつろいでいると…

天窓ライブ前にスタバでくつろいでいると…

たぶん、ジャズなんだろうなぁ。店内に流れるBGMなんやけど、とにかく、演奏中、ずっと、延々と、男性がゲップを吐いて、リズムをとっているような、変な声が入っているんだよね。

文字じゃ伝わりにくいけど…。

チャラチャラ〜♪

げっ

チャラチャラ〜♪

げっ、げっ、げっぷぅ

ずーっとなんよ。歌詞は入らずに。

うーん。ジャズに詳しい方からすると、このゲップは、絶妙な合いの手みたく聞こえているのかあ。

珍しく早くくつろぐ夕べ。

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奥さん…

奥さん…

もうすぐ七夕だね。

頑張れ、旦那(T_T)

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2006年6月29日 (木)

眞鍋姉さん、疲れているね~。オイラも、ここんとこ忙しくてさあ。

まあ、常連の読者の皆さんなら、もうお馴染みだろうけれど、眞鍋姉さんが記事を投稿すると、オイラは、トラックバックが100を越えないうちに新しい記事を書いて、トラックバックする。なので、オイラのブログを訪れる7割くらいの読者は、眞鍋姉さんのブログ経由だったりするわけだ。

が、今回ばっかりは、スルーしてしまった。

忙しい。とにかく、忙しい。いやはや、忙しい。

オイラは、お世辞にも働き者ではない。少なくとも、2004年12月頃までは働き者だったかもしれないが、今のオイラは、タダのサラリーマンである。それが、これだけ働いているということは、かなり、環境に左右されていると言える。

それに、もう一つ、オイラ自身に、それだけの余力が出てきたということかもしれない。

でも、以前のオイラの戻るとは、それはイコール破綻を意味するから、それはできない。

では、どうするのか。

そこんとこは、今は、ハイヤーパワーに任せるしかない状態なのだ。

そそ。

オイラも、知りたいことがある。

高校生のとき、石神井公園で迷子になったことがある。あの公園は、デカい池があって、何より広いのだけど、迷子になるほど広くはない。でも、あのときオイラは、迷路のように入り組んだ山や谷を、何時間も走り回って、それでも、公園から出ることができなかった。疲れ果てて、座り込むと、近所の子どもたちが、冷たい目でオイラを見つめていた。怖くなって、だっと駆け出すと、息が切れるまで走った。

ふと気づくと、オイラは、石神井公園駅にいた。

オイラは、あのとき、どこで迷子になっていたのだろうか。そこは、本当に石神井公園だったのだろうか。

さて。

テレビ見て、寝るか。

あっ、その前に、眞鍋姉さんに、遅まきながら、トラックバック。

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2006年6月26日 (月)

何かが変わろうとしている魔法のような週末に、少し酔いしれていたオイラなのだった。

このブログは、東京の地下について語るブログではない。でも、この1週間ほど、毎日そんな記事ばかりアップしているので、もしかしたら、オイラはいつも、そんなことばかり考えていると思われているのかもしれない。ちなみに、過去5本分の記事は、ご覧になれば分かるように、事前に書いた記事を日時を指定してアップしたものである。

23日夜、珍しく仕事が早く終わったので、ひさしぶりに四谷天窓.comfortへ、松岡ヨシミさんのライブを聴きに行った。予約もしてなくて、オマケの手作りお菓子をもらい損ねるほど、突然の参戦となった。考えてみれば、6月最初の天窓詣でとなる。

エレベーターが事故ったのが3日なので、以来、怒濤の忙しさだった。特に夜に仕事が入ることが多くて、夕方からのライブに顔を出せない。そんなわけで、先月のusuライブ以来、久しぶりの天窓である。

この天窓、焼酎の天窓、カクテルのcomfort共々、8月で移転らしい。思えば、2004年2月に最初に天窓に足を踏み入れ、4月にはcomfortがオープン。毎月、何度も何度も足を運んだ地である。きっと、あのスタッフのことだから、今よりももっと素晴らしいライブハウスをつくってくれることだろう。

ここからは、たくさんのアーティストが巣立った。天窓レーベル「Piano&Woman episode03」で出会った松岡ヨシミちゃんも、今ではすっかり貫禄十分で、登場するだけで会場の空気が締まる。

25日夜は、西小山にあるslowにて、gemini解散後初のソロとなるkazuyoさんのライブ。

およそ半年ぶりだろうか。そう言えば、kazuyoさんと出会ったのは、初めて四谷天窓を訪れたときだった。usuとkazuyoさんがコラボした「sorameku」。思えば、あのときあの瞬間がなければ、このサイトもブログも存在していないと思う。あれから、もう2年4か月。それまでオイラは、35年間も生きてきたけれども、その後の2年4か月は、まるで別世界のような生活だった。

geminiが解散して、それ以来、音沙汰がないから、このまま当分、ライブでは会えないかと思っていたので、少し安心。最近、いろいろな事情から、活動を休止したり、やめてしまったり、解散するアーティストがポツポツといたりする。

オイラたちファンにとっては、どういうかたちであれ、歌い続けてくれるのが一番の救いになる。逆に、歌うのをやめてしまえば、もう、どうすることもできない。友達や恋人や家族なら、悩みを聞いたり、疲れたら励ましてあげるくらいのことはできるかもしれないけれど、オイラたちは、出会った時点でステージと客席の間に境界線があって、それがどんなに自分にとって貴重な音楽であっても、大切な音楽であっても、アーティスト本人がステージに立つのをやめてしまえば、もうどうすることもできずに、もがく以外に手がない。

なので、お気に入りの音楽に久しぶりに出会うのは、何にせよ嬉しいのである。

2年4か月前、オイラが初めて四谷天窓を訪れたとき、オイラはまだ、いろいろなものを失ったばかりで、天を仰いでそらめいてばかりいたような気がする。月日が過ぎて、オイラはもう、あのときとは、少し違うところまで歩んできたような気がする。この先に何が待ちかまえているのか、オイラには分からないが、少しだけ今の変化を自分なりに受け止めている。

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2006年6月25日 (日)

『新説東京地下要塞-隠された巨大地下ネットワークの真実-』(秋庭俊著)を読む5

そこにないものを、ないと証明することほど、難しいことはない。そこにあるものは、実物を見せれば、あると理解できる。でも、そこにないものは、「昔はあった」「あなたに見えないだけだ」「今はないだけだ」などと反論されると、そこにないと証明するための特効薬がない。従って、ないものはないんだと、強行に言い張って、あたかも、自分が何かを隠しているような罪悪感に陥るハメになる。これが、やっかいだ。例えば、心霊写真とか、UFOとかが、その類である。

そして、国民に隠された地下網……これも、その類に入るのかもしれない。

第六章は、もうお読みになっただろうか。オイラは、ここをいくら読んでも、何について書いてあるのか、理解できなかった。歴史上の人物がたくさん登場するが、それがどうして地下に関係しているのか、何度繰り返して読んでも、分からなかった。

京成は戦前に地下区間を開通している。(P171)

上野の地図が173ページに掲載してあり、京成本線のトンネルの延長線が2方向に点線で描かれている。まず、この意味がよく分からない。

線路に沿って直線を延ばしていくと、皇居前広場の二重橋交差点に至る。(P172)

だから、何だと言うのだ。まったく説明がない。そこに地下道があったのか。

この後、いろんなエピソードが書いてあるが、それぞれのエピソードはバラバラで関連がなく、何を言いたいのか理解不能である。政治の話だったり、私鉄の話だったり、あちこちに話が飛ぶ。

この時期、ボストンには極秘の地下鉄(路面電車)網が完成していた。(P185)

と、突然、地下鉄が登場する。自由党だとか、戦争だとか、板垣退助だとか、ダイナミックな話をしている途中に、突然である。

天下を掌握する方法は、つまり、極秘地下鉄の建設ではなかったのだろうか。(P185)

そして、突如として、日本に話は舞い戻り、こんな唐突な結論が出てくる。ここまでに出てきた地下の話題は、京成が上野に地下を掘った、それだけである。

地下鉄の話をするかと思うと、話題はまた、自由党がどうとか、明治天皇がどうとか、歴史の話題に移る。この話題が突然飛躍するのは、193ページである。

鉄道の認可は、通常、起点と終点があるだけで、線路の本数に制限はなく、地上地下の区別もない。(略)地下に道路の下を走る路線と一直線に走る路線を敷いても構わない。(略)数学的にいえば、線路の敷き方は無限にある。(P193-194)

路面電車の認可の話が、ここで突然、地下鉄の話に飛躍する。鉄道の認可が下りると、地上の路面電車と、地下の路面電車の両方を敷くことができる、こういう話だと思う。でも、理論的に可能かどうかと、実際に敷いたかどうかは、別の話である。当時の鉄道会社が、実際に地下に路面電車を敷いたかどうかの検証はなく、でも、秋庭さんのいつものノリで、この時点ですでに地下に路面電車が走っていることが、「事実」になってしまっている。しかも…

この手の上水は川を暗渠にしたものだから、川幅は皇居の濠と同じくらいあった。(P195)

急に江戸時代の上水が登場し、地下の暗渠を船が行き交っているという話になる。そして…

その地下の上水の水運を、電車に替える際、どんなことが必要かわからないが、西郷は海軍、三菱、皇族間の調整をしていたのだと思う。(P196)

ここで、上水の暗渠を地下鉄が走る、という飛躍が起きる。ここも、根拠はいっさいなく、秋庭さんが、そう思っただけであるが、すでに次の展開はこの「事実」を前提に前に進むことになる。

一九四八(昭和二三)年八月、小田急電鉄は「南新宿-東京駅」の地下鉄を申請している。ルートは不明である。が、赤坂離宮の北に三角形の公園がある。この三角形の底辺を左右両方にまっすぐ延ばすと、皇居のまんなかを突っ切って「南新宿-東京駅」になるが、どんなものだろう。(P197)

どんなものだろうと言われても…。

さて、この理解不明な論理展開は、第七章も、同じノリで続くことになる。

線路も敷いていない、雑草が生い茂る丸ノ内に土地を買った三菱の二代目、岩崎弥之助が、「竹でも植えて虎でも飼うさ」と笑い飛ばしていたという話である。ここから先、三菱がどこに土地を買ったどか、JR横須賀線は有楽町駅の地下を走っているのはおかしい、上にある有楽町駅と同時に作られたと言ってみたり…。そして、ここでも突然である。

東京で「竹」のつく場所といえば竹橋、「虎」のつく場所は虎ノ門である。(P208)

209ページの地図には、竹橋から虎ノ門へ一直線に線が引っ張ってある。この飛躍も、オイラには、さっぱり分からない。

この言葉はつまり、(略)三菱の総力が結集されていたと聞いても私は驚かない。(P208)

驚かないそうである。事実なのかどうかは、書いていない。驚かない、ただ、それだけである。

ここから先、段落の語尾に気をつけて読んでもらいたい。

「なかったのだろうか」「はずである」「と思う」「ないだろうか」「としか考えられない」「とも思っていない」…

第七章は、全編がフィクションである。秋庭さんの想像である。それは、書いている秋庭さんが、一番分かっているはずだ。いろいろと想像してみたが、それを証明することができなかったのだ。唯一、彼の拠り所は、GHQの地図である。これが、本当に東京の地下を表す地図なのかどうかは、秋庭さんのあらゆる本を紐解いても明らかになっていない。秋庭さんは、あくまで地下を表す図という前提で書いているだけである。それに、仮に地下が表現されていたとしても、どういう形で表現されているのかは、どこにも書かれていないので、秋庭さんの地下網の探し方が正しいかどうかも、今の時点では分からない。

ただ、確かに秋庭さんは、自分が立てた仮説を、このGHQの地図で証明して見せていることは、事実なのだと思う。この点では、大したものだと思う。

が、この図には、虎ノ門から竹橋に続く一直線の地下道は、描かれているのか?

135ページの図は、226ページから227ページの地図の一部だが、新橋と三原橋間に線路が書かれていて、都営浅草線は戦前からあったという結論を出しているが、三原橋から人形町、浅草に至る部分には線路が書かれていない。なぜか。

161ページの内務省図では、都営大江戸線が書かれていて、大江戸線は戦前からあるという結論を出したが、その大江戸線は、第七章のGHQの地図には書かれていない。なぜか。

220ページに、丸ノ内線が旧都庁舎の敷地に突入し、労働局の庁舎の下に潜り込んでいるから、戦前に作られたと書いているが、このGHQの地図にはない。なぜか。

おそらく私たちに地下の真実を語る唯一の資料ではないかと思う。(P228)

真実を語ってくれているのは、このGHQの資料だけ。秋庭さんが、隠された地下網の謎を解くとき、たった1つ信用している地図。

もろいなと思った。

オイラなら、同じネタを追ったとしても、本にしようとは思わない。そこに何かがあったはずだと、自信を持って言うには、何か確証がほしい。無鉄砲なジャーナリズムではありたくないと思う。もしも、このGHQの地図が、地下を表すものであっても、鉄道網を示すものではなかったとしたら、秋庭さんは、どうするつもりなのだろうか。今までの仮説が、音を立てて崩れていくことになるのではないか。

オイラは、オイラなりに仮説を立てようと思う。

この第七章に登場するGHQの資料は、確かに地下を表す地図である。でも、そこに描かれている地下は、太めの斜め線で描かれている敷地だけで、地下鉄は書いていない。

なぜか。

GHQ地図の右上を見て、いただきたい。戦前に唯一できた地下鉄銀座線のルートに沿って、上野駅から線路が描かれていて、田原町のところで途切れている。国民に隠された地下網を示す地図なのであれば、果たして、国民が正々堂々と使っている地下鉄の存在を隠したり、掲載しなかったりすることがあるだろうか。この途切れている区間には、確かに当時、銀座線が走っていたはずである。

銀座線は、どこに消えたのか?

ここからは、オイラの勝手な妄想と思って、読んで欲しい。

この地図は、上空からの航空写真をもとに作られた地図の上から、地下のある敷地だけを太い斜め線でチェックしてあるものである。おそらく、この地図には、「航空写真に写らない道路については、道幅は保証しない」という但し書きがあると思う。以前、秋庭さんが他の本で紹介していた覚えがある。

以上で、『新説東京地下要塞』を検証する作業を終えたいと思う。

最後に、オイラの妄想を加えておきたい。

秋庭さんが言うような東京中を張り巡らせた都電地下鉄網は、存在しないと思う。でも、戦前、民間資本と軍部・政府が結託して、国民には秘密の地下網を築いていた可能性は高いと感じている。戦前、民間資本も参加した営団が設立されたが、営団が戦後、営団改正法で新たな路線建設にこぎ着けるまで、ただの1本の地下鉄も作らなかったとは、とても思えない。営団設立の真の目的は、戦況が悪化し、本土空襲が現実となったとき、軍部が、地下鉄という輸送手段に目をつけたことだ。にも関わらず、あれだけ大空襲に見舞われた東京で、土被りが薄い銀座線しかなかったとは、営団の設立意義を疑ってしまう。

あのとき、営団は、国民に隠れて、何をしていたのだろうか。

そして、戦後、GHQは、戦時色の強い交通営団を、何故か解散させず残した。これも、当時の社会情勢を考えればありえないことで、GHQは、いったい戦後の政府とつるんで、いったい何をしていたのだろうか。

その答えは、読者自身で見つけてもらいたい。


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2006年6月24日 (土)

『新説東京地下要塞-隠された巨大地下ネットワークの真実-』(秋庭俊著)を読む4

新宿プリンスホテルには、自前の駐車場がない。では、自動車で宿泊することができないかというと、フロントで自動車なんですがというと、サブナード地下街の1階下にあるサブナード駐車場に案内される。この駐車場は、通常料金は30分310円だが、宿泊の際には1泊2000円に割引される。駐車場への出入り口は、新宿プリンスホテルの出入り口と、アドホックビルの入口、新宿区役所の出口がある。アドホックビルと新宿区役所は、24時間対応してくれるが、新宿プリンスホテル側の出入り口は、入口が8時から23時まで、出口が9時半から22時までに限られる。

自前で駐車場を持っているホテルは少ない。都心で狭い土地にホテルを建てると、自前の駐車場用地を確保するのが難しく、近隣の駐車場を借りたりして、台数限定でお客様のニーズに応えているところが多いと思う。それなりの高級ホテルというなら自前で駐車場を持ち、ボーイが自動車を運んでくれたりというのが可能だが、新宿プリンスホテルは、安くはないが、庶民向けの少しグレードの高いホテルである。

さて、ここまで確認した上で、第五章を読んでいただきたい。

ホテルはプライバシーを大切にするから、地下駐車場が他の駐車場とつながっているとは思わなかった。(P144)

いきなり破綻している。新宿プリンスホテルの地下には、駐車場はなく、サブナード駐車場への出入り口があるだけである。おそらくほとんどのホテルがプライバシーを大切にするが、自前の駐車場を持っているホテルの方が少ない。秋庭さんは、ぜいたくなホテルに泊まりすぎているのだと思う。もしくは、ラブホテルなら、駐車場完備である。

新宿プリンスホテル

サブナード駐車場場内MAP

そのトンネルは戦前からあったと私は思っている。(P144)

そんなわけで、「そのトンネル」がどこなのか、まず考え直してから出直すべきである。

この章では、分からないことがたくさんあるが、どうしても理解できないのは、161ページの「内務省図」という地図。本文中にはどこからの引用なのか、何を目的に作られた地図なのかが書いていない。で、いきなり、

左上の地図では「市電地下鉄」と「西武地下鉄」が完成している。この二つのトンネルを縫うようにつなげると、戦後に建設された丸ノ内線のルートに一致しないだろうか。「市電地下鉄」を延長したその先の点線は、いわずもがなだが、大江戸線である。(P160)

と、戦後にできた地下鉄が戦前にすでにつくられているという結論を出している。ここが一気に飛躍していて、さっぱり分からない。地図にあるじゃないかと言うのかもしれないが、この地図の目的も、出典も分からないのでは、ここに書かれていることが何を示しているのか、現況なのか、計画なのかも分からない。

オイラが自分の目で見た感じでは、西武地下鉄も市電地下鉄も、色が変わっているので、計画なのではないかと思う。計画と現実を混同するのは、秋庭さんの特徴なので、これも同じ勘違いかと思う。仮にあったとしても、そこにつながる路線は地上なのだから、この部分だけ地下というのでは、トンネルの存在がバレバレだろう。とても国民に隠すことなど不可能だ。

大江戸線があるというのは、もっと分からない。点線は確かにあるが、それがなぜ大江戸線になるのだろうか。現在、ここの下には大江戸線が走っているのは事実だが、ならば、この点線以外の部分には、大江戸線が描かれていないのだろうか。点線が大江戸線として、この角張った点線は何を示しているのだろうか。当時の地下鉄は直角にカーブしていたのだろうか。秋庭さんは、都営新宿線も戦前にできていたと、他の本でもこの章でも書いていたが、この地図の新宿駅南口には都営新宿線を示す点線はどこにもない。じゃあ、大江戸線だけ書いたのは何故なのか。

ここでは、様々な資料をもとに、新宿に地下都電が張り巡らされていたことを証明しようとしているが、読んでも読んでも、地下に都電が走っていたことが分からない。おそらく、秋庭さんの気のせいではないかと思う。そもそも、都電が走る地下トンネルの存在を示す最大の論拠である新宿プリンスホテルの地下駐車場が存在しないわけだから、この章の論立てそのものが崩壊している。

国民には極秘の地下鉄は、関係者の間では「都営軌道」と呼ばれていたように思われる節がある。(P165)

たぶん、「都営軌道」とは、地上を走る都電のことである。

秋庭さん、オイラは、気のせいだと思う。


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2006年6月23日 (金)

『新説東京地下要塞-隠された巨大地下ネットワークの真実-』(秋庭俊著)を読む3

東京になぜ2種類の地下鉄があるのか。

この疑問に答えるには、まず戦前に遡る必要がある。戦前から、東京の地下鉄を誰が敷くのか、これは、国や民間、東京市を巻き込んで大議論があった。地上を走る電車やバスは、様々な資本が参入して、収拾がつかなくなり、利用者の便を考えると、東京市としては交通の一元化が得策と考えていたようだ。一方、民間資本は、都心の交通という美味しい市場、しかも地下鉄という儲け話を東京市に持って行かれては困るから、国と結託して、何とか地下鉄に参入しようと画策したわけだ。

1924年4月、震災で焼け野原となった東京で、東京市が市営地下鉄計画を立て、その計画は国の許可も得た。日本で最初の地下鉄は、1927年に開通した現在の銀座線、上野・浅草間で、東京地下鉄道が建設・運営した。

当時の政府は、両方の地下鉄の共存を認めたように見えたが、東京市は結局、営団法が成立するまでの間、1本の地下鉄も作ることが出来なかった。理由は、起債が国から許可されなかったからである。民間が資金調達をするには、銀行でも何でも金を借りればいいが、地方自治体は、借金をするのに国の許可が必要である。東京市は何度も起債を申請したが、最後まで許可が下りることはなかった。東京市は結局、1932年に鉄道省に免許路線の民間への譲渡を申請し、許可される。

1941年5月1日、営団法が施行。民間資本が入る営団が設立され、東京市内の地下鉄は営団に統合される。その背景には、戦況が悪化し、空襲を受けても損害がないという、防衛上の地下鉄の役割があった。東京市は、あくまでも市営一元化の考え方を持っていたが、挙国一致の戦時下では、それも一時引っ込めるしかなかったようだ。戦前、誰が東京の地下鉄を敷くのか、という結論は、この時点で、民間資本がいったんは勝利したのだ。

第2次世界大戦により、地上の軌道事業(都電)とバス事業は、甚大な損害を受けた。1946年10月、東京都は、都営地下鉄建設計画の具体案を発表し、都交通局は、「都内の高速鉄道は都が経営すべき」という基本方針を打ち出した。東京の地下鉄を誰が敷くのか、この議論は、都が主張する都営案と、当時の運輸省が主張する営団方式が、真っ向から対立した。戦前の議論の蒸し返しである。営団という形態自体が戦時色が強いことから、当時の衆議院は、圧倒的多数が都営案を支持し、営団法廃止法案を作成するまで至ったが、運輸大臣が哀願し、上程しないことになったという。

生き残った営団は、では、地下鉄を建設したかというと、インフレと極度の資材不足、営団廃止の機運が高まっていたことから、さっぱり建設が進まなかった。しかし、ここが歴史の分からないところだが、占領軍は、交通営団を除き、すべての営団を解散させた。1951年3月、営団改正法案が可決され、営団から民間資本が排除され、日本国有鉄道と東京都が資本に参加することになった。

なぜ営団は生き残ったのか。戦前から続いた営団と東京都とのせめぎ合い、東京の地下をめぐる覇権争いは、戦後まで引きずったのである。

戦後、日本国憲法のもとで普通選挙が行われ、日本も東京も大きな変化を迎える。1950年4月、東京都選出議員が議員立法として、首都建設法を上程し、成立させた。その法に基づく首都建設委員会は、地下鉄建設について、営団への都の増資、営団がただちに建設を行わない路線の建設を勧告した。これにより、都営地下鉄の建設が、現実的なものとなってきた。

1950年代、首都圏の交通事情は、一刻の猶予も許さないほど深刻だった。国電の殺人ラッシュはひどく、山手線の上野・御徒町間は、297%という混雑。一方、道路事情も悪化し、政府の自動車優先の道路政策が深刻な矛盾をもたらし、狭い道路に自動車が殺到していた。地上を走る都電は、年々スピードが落ち、それに従い、乗客も減った。営団地下鉄は、戦後の資金調達が不調で、既存線の復旧が優先され、新線建設は遅々として進まず、急激な都市化に対応できず、営団方式の行き詰まりが指摘された。

「現在都内における地下高速鉄道事業は専ら帝都高速度交通営団に委ねられているが、その建設事業は遅々として進展せず、人口増加と自動車の激増のため都内の路面交通はまさに危険に瀕し、遠からず都民生活に重大なる影響を及ぼすことは必至であり、もはやこれ以上、都民は黙視することはできない」

当時の東京都議会の決議は、こうした背景から行ったものである。

さて、長くなったが、こうしたことを押さえた上で、第四章を読んでいただきたい。

当時の都民は地下鉄などはなくても、平穏な日々を送っていたはずである。(P112)

秋庭さんは、当時の都心の状況をまったく理解していない。戦後、東京はめざましい発展を遂げた。でも、営団は、それに追いつけなかったのである。営団は、戦時色が強すぎる。なぜ占領軍が残したのかは謎だが、公共的・公益的性格が強かったからと言われる。当時の戦後の国会は、圧倒的に都営が地下鉄をつくるべき、というのが潮流だった。それを潰したのは、当時の政府、運輸省(旧鉄道省)である。戦前の官僚は、戦後も、地下鉄を都民には返してくれなかったのである。

東京の地下鉄を誰が敷くべきか。その意志は、国民主権の時代には、都民が決めるものだと思う。当時の世論は、戦時色の強い営団が地下鉄を独占することに否定的な声のほうが強かった。それにも関わらず、占領軍も政府も、営団による地下鉄の独占を許してしまったのは、何か訳があるように思える。例えば、秋庭さんが主張するような、戦前の極秘の地下ルートを守りたかったのだろうか。仮にそうであれば、当時、普通選挙で議員が選ばれる地方自治体が運営する都営交通に、地下鉄を簡単に明け渡すわけはない。

では、秋庭さんは、どうしてこの本で、東京都のほうを批判しているのだろうか。批判すべきは、独占した営団のほうではないか。

それは、都営地下鉄浅草線が、戦前からあった、という結論が先にあるからだと思う。

そのトンネルは、戦前からあったのかどうか、オイラには分からないが、あったかどうかは別にして、東京の地下鉄を都民に取り戻したのであれば、それは大いに歓迎すべきことなのだと思う。戦前から、延々と続いた、政府(陸軍)と結託した民間資本(営団)と、東京都(市)との、東京の地下をめぐる争奪戦は、戦後、国民主権の日本国憲法のもとで、ようやく、その一部を都営地下鉄が担うことで、都民の手に取り戻したのだ。

都営地下鉄は、乗客が少ない。それは、事実だと思う。でも、逆にそれは、都民のための地下鉄を貫いているからである。儲けられる地下鉄は、営団が通す。その隙間を、都営地下鉄が走る。本来なら、都営に一元化されたほうがいいに決まっている。だが、戦前からずっと、政府は東京の地下鉄を手放そうとはしなかった。批判されるべきは、そちらではないだろうか。

現代でも、地下鉄の一元化は、議論として残っている。なぜ実現しないかというと、赤字路線を抱えているのは、東京都のほうだからである。営団のつくらない地下鉄を敷いてきた、それはつまり、儲からない地下鉄を敷いてきたということでもある。営団は、東京メトロという企業になったが、わざわざ赤字の都営地下鉄を吸収しようとは思わないだろう。

東京の地下鉄の歴史を振り返ると、「地下は利権の巣窟」という言葉が似合うと思う。秋庭さんは、とてもいいテーマに目をつけたと思う。でも、敵を間違えているような気がするのは、オイラだけだろうか。


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2006年6月22日 (木)

『新説東京地下要塞-隠された巨大地下ネットワークの真実-』(秋庭俊著)を読む2

国の直轄事業負担金という理不尽な負担金がある。国が、幹線国道や大規模な港、河川などの公共事業を国が直轄して行うとき、その費用の一部を都道府県や区市町村が負担する、これが直轄事業負担金である。この負担金が、地方自治体の財政を苦しめていて、事業によっては、全体の半分がこの負担金で占められるようなケースもある。

さらに、この直轄事業負担金は、予算段階での試算が、年度末に狂うことが多く、地方自治体が年度当初に来んだ予算を、年度末にはるかに越えてしまうこともあるという。でも、国の直轄事業だから、地方が文句を言ったり、支払いを拒否することができない。そんなこともあり、地方自治体では、国の直轄事業負担金の見直しを政府に求めている。

道路特定財源というお金をご存知だろうか。国の三位一体改革でも話題になったので、名前だけは知っているという方は多いかもしれない。読んで字のごとく、道路という特定の目的に使用される財源である。昭和28年に議員立法で提出、制定された「道路整備費財源臨時措置法」が始まりで、最近は鉄道との立体交差や電線地中化、渋滞情報などの道路周辺にも使途が拡大されている。

ちなみに、地下鉄13号線の池袋・渋谷間は、道路特定財源を使って整備された最初の地下鉄である。

ここまで読んだ上で、『新説東京地下要塞』の第三章を読んでいただきたい。

通常、地方自治体は国の直轄事業に金を出すことはない(P88)

まず、ここで大間違いを犯している。上を読めば分かると思う。

秋庭さんは、東京都議会の議事録を引用して、都が、地下鉄13号線の整備と平行して、国民には隠された地下街路を建設していると主張している。

この事業の担当は、道路計画担当部長である。できあがるインフラは、道路の一部だということである。だが、道路の一部というのは、何のことなのだろう。道路とどこが違うのだろうか。道路計画部長の発言に丸め込まれてはいけない。地下鉄13号線は国の直轄事業だから、駅舎やトンネルなど、地下鉄に関連するものは国が建設している。東京都の街路事業で整備されるのは、その「躯体等インフラ部」というものである。(P88)

都議会で質問をしている河野さんも、そこを気にしていて質問している。前年度まで13号線の担当は都市計画局だったが、この年度から建設局に変わっているからだ。

これについて、道路計画担当部長は、こう説明している。

「街路事業として進めることになった経緯であります。平成14年11月、内閣総理大臣が議長を務める経済財政諮問会議、この会議が、環境問題の解決や都市交通への活用等に向けた道路特定財源の使途拡大の答申を行い、これを受けて、政府・与党の合意を経て閣議決定がされたものでございます。これを受けまして、地下鉄13号線につきましては、平成15年度から、駅舎及びトンネルの躯体部分、これらを道路特定財源により整備することになったものでございます」

つまり、前年度までは純粋に鉄道事業として、都市計画局が担当していたけれど、この年度から、道路特定財源を投入することが決まったため、道路整備の担当である建設局が街路事業として整備することになったというわけである。

ところが、秋庭さんは、この本の中でこの説明をばっさりと切ってしまった。この部分を聞いた河野さんの質問もばっさりと略された。その上で、道路計画担当部長が答弁しているのだから、作るのは道路であるとおっしゃっている。これは、上のような経緯を読めば、誤解だと分かる。秋庭さんは、この議事録の全文を読んでいるはずである。

東京都の道路管理部が、道路以外の何を管理するというのだろう。(P90)

これも読み違いで、道路管理部長が答弁しているのは、13号線のインフラ部分は、都がお金を出しているから、都の財産である、でも、完成後の管理については、東京メトロにやってもらうと、こういうことである。東京メトロの地下鉄が走るのだから、都が管理する必要なんてない。管理するのは、東京メトロである。

地下鉄東西線の建設記録にある明治通りの「都市計画街路」から、このような想像をしてらっしゃるのだろうが、この87ページの図を見る限り、点線で四角が描かれており、これがその当時「計画」だったことが分かる。明治通りには、その後現在まで地下街路が建設されたことはなく、秋庭さんの悪い癖だが、計画を現実と混同しているだけである。

まして、都議会の議事録を肝心な部分だけ省略して引用して、都が国民には秘密で地下道を建設しているなんて書くのは、何か意図があるとしか思えない。この議事録をいくら読んでも、都が明治通りに地下道を造っているという結論は出せない。

それに、河野さんに失礼だ。

河野ゆりえさんは、江戸川区選出の共産党の都議会議員で、現在2期目。共産党の中では若手だが、優秀な議員である。ありもしない地下探しに議事録を使われたのでは、河野さんに対して、失礼ではないか。そもそも、河野さんに掲載許可をとったのだろうか。

河野さんは、この議事録にある、2004年3月5日の都議会建設・住宅委員会で、国の直轄事業負担金の矛盾をつき、都が予算から大幅に上回る負担金を出していることに疑問を投げかけている。その見事な論戦が、この抜粋では、まるで地下網の秘密を見逃しているように読めてしまう。

名誉回復のためにも、当日の河野さんの論戦を、下記に全文掲載したい。読んでいただければ、そこに都が都民に内緒で作った地下道などないことがお分かりになるだろう。

2004年3月5日都議会建設・住宅委員会(東京都議会議事録より引用)

◯河野委員 百五十四号議案、平成十五年度補正予算案の街路整備費と直轄事業負担金についてお伺いいたします。
 初めに、道路橋梁費、地下鉄十三号線のインフラ整備委託についてお伺いいたします。
 今年度、平成十五年度から、これまで都市計画局が担当していた営団地下鉄十三号線の建設工事が建設局担当になったとのことですが、新しい変更なので、確認の意味も含めてお伺いいたします。
 まず、この経過についてのご説明をお願いいたします。

◯阿部道路計画担当部長 街路事業として進めることになってきた経緯でございます。
 平成十四年十一月、内閣総理大臣が議長を務める経済財政諮問会議、この会議が、環境問題の解決や都市交通への活用等に向けた道路特定財源の使途拡大の答申を行い、これを受けて、政府・与党の合意を経て閣議決定がされたものでございます。
 これを受けまして、地下鉄十三号線につきましては、平成十五年度から、駅舎及びトンネルの躯体部分、これらを道路特定財源により整備することになったものでございます。

◯河野委員 それでは、事業の仕組み、それから今回新しいスタートになるわけですが、東京都の財源負担分についてはどういうふうな状況になりますか。

◯阿部道路計画担当部長 事業の仕組みにつきましては、駅舎及びトンネルの躯体等インフラ部を道路の一部として国の補助を受け、道路管理者である東京都が整備するものでございます。
 なお、都の財政負担につきましては、従前の地下高速鉄道整備事業費補助制度、これにより整備をした場合を上限といたしまして、同じ負担額となっております。
 十三号線の整備につきましては、道路特定財源といった安定した財源を投入するということによりまして、従来と比較いたしまして、着実に事業の推進が図られることになったと考えております。

◯河野委員 国からの財源は、道路特定財源と。東京都の負担としては一般財源ということになると思うんですが、都民の貴重な税での工事ということに照らしまして、新たな制度のスタートに当たって、東京都として、コスト縮減に向けた工法や経費縮減の見直しなど求められると考えるんですが、この点ではいかがでしょうか。

◯阿部道路計画担当部長 営団は、本年四月から株式会社になるということですが、これに伴いまして、より一層の経費節減や業務の見直し等によりまして、財務体質の強化には取り組んでいるところでございますけれども、東京都におきましても、公共事業であるということを踏まえまして、公正性、透明性の確保を含めまして、コスト縮減を指導しているところでございます。

◯河野委員 もう一点お伺いしておきます。
 建設局が、営団地下鉄、今度、東京地下鉄株式会社、東京メトロといっているみたいですが、民営化になるということで、今、工事を委託するインフラ部分などについて、その所有権についてはどういうふうになるんでしょうか。
 それから、開業後の維持管理費も含めて、東京メトロ、そして東京都の負担、役割分担などについて、今は営団ですけれども、この営団とその責任、役割分担についての責任を、どういうふうになるか教えてください。

◯須々木道路管理部長 今度整備いたしますインフラ部分のものでございますけれども、東京都のものとなります。それで、帝都高速度交通営団との間で基本協定を締結しておりまして、完成後のインフラ部分につきましては、この協定に基づきまして営団が管理いたします。
 詳細につきましては、別途、道路管理者との間で管理協定を締結いたしまして、適正な管理が実行されるようにしてまいりたいと思っております。

◯河野委員 国の道路特定財源というのは、聞きますと、今回の揮発油税ということでお聞きしたんですが、三兆四千億円という大きな金額で、そのうち東京都に五%から六%の比率で配分されてくると。今年度は十三号線に百五十六億円が使われると。私は大変大きな財源だと思っているんですけれども、この財源がどう使われるかということに都民は注目をしております。
 今回、地下鉄などにも緩和されて使途が拡大されたわけですけれども、私たちは今後、この財源がどのように使われるかということ、こういう問題にもしっかりと関心を払っていくことをこの機会に述べておきたいと思います。
 次に、国の直轄事業負担金について質問いたします。
 今年度も、国直轄事業負担金の補正予算は約二百十億円ということで、建設局の一般会計補正予算の三五%を超える大きな金額です。
 まずお伺いしたいのは、過去五年の予算額ですね。補正分も含めて、予算額と、それから決算額がどうだったか、推移をお示しいただきたいと思います。

◯町総務部長 過去五年分の直轄事業負担金の補正後の予算額と決算額をお答えいたします。
 まず、平成十年度でございますけれども、補正後予算額は三百九十六億円、決算額は四百四十六億円でございます。十一年度は、補正後予算額二百七十七億円、決算額四百五十九億円、十二年度は補正後予算額四百十億円、決算額四百九十二億円、十三年度は補正後予算額四百二十二億円、決算額五百三十五億円、十四年度は補正後予算額四百五十億円、決算額四百六十四億円でございます。

◯河野委員 それでは、今年度、平成十五年度についてはどういう状況ですか。
 それから、もう一点お伺いしたいのは、今お示しいただきました数字では、毎年度の予算額と決算額にかなりの差がありますけれども、これはどうしてそうなるのか。そして、その不足額についてはどのように対応されているのか、お聞かせください。

◯町総務部長 平成十五年度の直轄事業負担金の当初予算額は百六十七億円、今回の補正後予算額は三百七十七億円でございまして、十四年度からの繰越額百億円を加えますと、四百七十七億円となります。支払い予定額は五百九十六億円でございまして、この間に差額百十九億円がございますが、これにつきましては、既定予算からの流用で充当いたします。
 なぜこういう差が生じるかということでございますけれども、直轄事業負担金につきましては、都の予算編成が行われる段階で、国の金額の把握が困難でございまして、翌年度の五月ごろになってから金額が示されてくるということで、金額の把握がおくれるためにこういう状態が生じております。

◯河野委員 今、既定予算の中での不用額の流用によって、トータルして、それも合わせて国に負担金を支払っているということでしたけれども、この予算の流用について、地方自治法、あるいは東京都の予算事務規則などはどのように定めているのでしょうか。
 伺いますと、今計算しただけでも、十四年度でも百億円を超えるとか、十三年度も百十二億円、こういう金額ですけれども、多額の予算流用が財政上行われている、その根拠についてご説明をお願いしたいと思います。

◯町総務部長 流用に関します法律、条例の規則の取り扱いでございますけれども、まず、地方自治法におきましては、第二百二十条第二項におきまして、「歳出予算の経費の金額は、各款の間又は各項の間において相互にこれを流用することができない。」というふうに定めておりますけれども、目、節については禁止規定がございません。
 こういう規定を受けまして、東京都予算事務規則におきましては、第二十条第一項で、目間流用、または節間流用の原則の禁止をうたっているところでございますけれども、あわせて、同条第二項におきまして、「前項の規定にかかわらず、局長は、歳出予算の執行上やむを得ない場合に限り、財務局長に協議のうえ、各目の間または各節の間において相互にこれを流用することができる。」という規定になってございます。直轄事業負担金につきましては、この規定に基づきまして、適正な手続を経て流用を行っております。

◯河野委員 今ご説明があったように、予算の流用については、自治法などでも厳しく定めがあると思います。款と項についてはできないというお答えだったんですけれども、款と項について予算流用する場合は、議会の議決が必要になってきますよね。
 しかし、目と節は執行科目ということで、予算執行上やむを得ない場合というご説明がありましたが、この場合には、議会の議決がなくても流用ができるということに定めがなっているということで、私はここで考えたいと思うんです。
 毎年度、振り返って、五年間、予算、決算の額を出していただきましたけど、例えば、十年度でいえば五十億円流用され、平成十一年度で見れば百八十二億円の差があります。こういう毎年度五十億とか百何十億とかいうような多額な流用が行われていることが、果たしてやむを得ない場合ということに当てはまるのかどうか、これが私は大変疑問です。
 国との関係では、直轄事業負担金の最終額が決定する時期がおくれるというご説明でしたけれども、せめてこの補正予算を組む時期に国に払う負担金の実態に近い予算額を計上することはできないのかどうか、これを考えるんです。
 これまでの状況を見ますと、議会の議決を求めるときは小さな予算額、そしてその後、予算の流用で、国からいわれている金額まで膨らませることができる。繰り返しになりますけれども、目と節の流用は議会の議決が要らないから、かなり大きな増額でも、これは通ってしまっております。
 議会に示された予算額を大きく超える流用がされており、そして、過去何年もこの状態が続いております。これは、編成された予算に基づいて施策を執行するという予算主義の立場から見ても反しているのではないかと、私は率直に考えますけれども、東京都の見解、これはいかがお考えか、お聞かせください。

◯町総務部長 直轄事業負担金は、法令により支出が義務づけられている経費でございまして、その支払い予定額が当初予算を上回った場合、現在、そういう状況で推移しているわけですけれども、これはやむを得ない理由に該当するものでございます。
 今回の補正予算の編成に際しましては、まず、コスト縮減や契約差金などにより発生した不用額を充当いたしまして、その上で、不足する額について補正予算として計上したものでございます。
 また、予算主義の原則に照らしてどうかというお話でございますが、我々執行機関は、議会の議決に基づいて業務を執行する役割を担っております。予算についての議決は、先ほどもお話ございましたが、款、項にかかわるものでございまして、地方自治法第二百二十条第二項においても、款、項における流用は禁止されております。
 しかし、執行科目である目、節につきましては、執行機関が予算編成後の状況の変化に即応して流用することが認められております。また、各目ごとに流用した金額につきましても、決算として議会に報告をし、承認をいただくことになっております。
 以上のような制度で認められている流用でございますけれども、やむを得ず行うものに限っていくというようなことで、適切に運用をしているところでございます。

◯河野委員 今、お答えはいただいたんですけれども、やむを得ない場合というのは、やっぱりやむを得ない場合で、この年度やむを得ないということであればわかるんですが、ずっとさかのぼっていって、何年も何年もこういうやむを得ない場合が続くのかというのが、私は疑問なんです。
 これまで当然のようにこの方法で国直轄事業負担金を東京都が国に納めてきています。私も予算の流用について調べてみましたが、「地方財務実務辞典」というものによれば、余りにみだりに乱用されることは望ましいとはいえないとあります。それから、ある自治法の解説書には、自治法の精神に照らして、目、節の間でも流用については適正を期する要があるとされております。また、別の文献では、目、節といえども、議決予算の内容を構成するものであり、これをいたずらに変更することは、予算それ自体を混乱させることにもなるので、目、節についても流用禁止を原則としながら、歳出予算の執行上やむを得ない場合に限り、各目、各節間において相互に流用することができることとしているというふうに述べられているんですね。
 私は、ずっと長年、こういう予算の流用ということで国への直轄事業負担金を都が納めてきている、このあり方について、今、やっぱり改善する、そういう方向に進むべきではないかと考えているんですが、お考えがあったらお聞かせいただきたいと思います。

◯町総務部長 直轄事業負担金の予算計上の方法についてでございますけれども、先ほども申し上げましたけれども、直轄事業負担金の当初予算を計上する場合につきましては、国から翌年度負担額が明示されていないため、国事業の動向や都の予算見積もり方針など、その時点で総合的に勘案して見積もりをしているところでございます。
 厳しい財政状況の中で、当初予算におきまして直轄事業負担金を大幅に増額をしていくというお話でございますけれども、こういう形をとりました場合には、都民生活に密着する他の事業を圧迫することにもなりかねない点がありまして、困難と考えております。

◯河野委員 この問題で申し上げますけれども、都はこの何年も財政が厳しいということで、都民施策、いろいろな見直しということを名目にして、施策の後退をさせてきていますが、国の直轄事業負担金については、多額の不用額の流用ということでお金が回されております。
  この五年間だけでも五百数十億円、約六百億円に近いお金になっております。私は、これは改めていかなければならない問題の一つと考えますし、予算の流用について適正を期するために東京都として規範化の方針を持つ必要があるということを、この予算流用の問題では意見として申し上げておきます。
 次にお伺いいたします。
 国直轄負担金の起債、これがどのような状況にあるのか、過去十年の数字でお示しください。

◯町総務部長 平成六年度から十五年度までの十年間の総額で申し上げさせていただきますけれども、直轄事業負担金の総額は四千百二十三億円でございまして、起債充当総額は二千五百七十五億円、充当率は六二%でございます。

◯河野委員 これは六二%起債ということで、計算はしておりませんが、利子払いだけでも大変な金額になると思います。きょうは詳細はお聞きしませんけれど、結局、都債の積み増しということで、都財政を圧迫する一因になっていると判断をしております。
 次の質問です。
 国直轄事業負担金、これはどのような事業に充てられておりますか。

◯町総務部長 平成十五年度の直轄事業負担金の対象となる事業でございますが、道路では、圏央道や甲州街道の整備、河川では、荒川や多摩川の護岸整備、公園では、東京臨海広域防災公園の整備などでございます。

◯河野委員 伺いますと、道路などは、大型の骨格幹線道路というんですか、そういうものだと思うんですが、特に圏央道についていえば、高尾山の自然を守りたいという関係住民の方を初め広範な都民から疑問の声が強い道路ともなっております。
 私たちに都民から寄せられる要望は、例えば、中小河川の整備であるとか、区部周辺の区画整理など、生活密着型の公共事業にもっとお金を使ってほしいというものです。特に、区部周辺の区画整理などは、生活の場に直接かかわる公共事業であることから、関係住民の強い要望があり、事業の進捗のための予算の抜本的な増額を一貫して求めております。木造密集地域の区画整理は、戸建て住宅が建設されていきますから、中小零細の建設業者などには仕事が回り、地域経済の活性化につながっていきますが、やはり国直轄事業で示されていた今の事業の内容を聞きますと、多くは大手ゼネコン向きの仕事であるともいえます。都民要望に沿って予算の配分を変えていく必要があるということを申し上げておきます。
 それでは、直轄事業には、建設や改修に伴うものとあわせて、維持管理にかかわるものが含まれていると聞いておりますけれども、今年度の維持管理費はどのようになっているでしょうか。

◯町総務部長 本年度の維持管理費でございますけれども、当初予算におきましては、道路事業で十七億円、河川事業で十二億円、合わせて二十九億円でございます。また、今回の補正におきまして、道路事業で十八億円をお願いしております。

◯河野委員 直轄事業の負担金のうち維持管理費については、平成十三年三月の予算特別委員会で石原知事自身が、これは国事として国の責任でやってほしいと述べておられます。そのときの都の負担金六十一億円という数字も出ておりましたけれど、今も四十七億円、東京都が負担していくわけですけれども、現在、この維持管理費について都はどのようなご見解を持っておられますか。
 また、知事の答弁から三年がたちましたけれども、東京都として、この国の直轄事業負担金の制度の問題について、どのように働きかけ、どのような改善がされてきているのかをお伺いしておきます。

◯田中企画担当部長 国の施設の維持管理費につきましては、本来、その公共施設の管理者である国が負担すべきものであると考えております。また、こうした考え方は、第二次地方分権推進計画におきましても、維持管理に係る直轄事業負担金については段階的縮減を含め見直しを行うこととされておりまして、都といたしましては、国に対してその廃止を強く求めてきているところでございます。
 また、知事答弁を踏まえまして、都として国に対して、こういった直轄事業に関してどのような要求をしてきているか、こういうご質問でございますが、直轄事業負担金につきまして、都は以前から国に提案要求を行ってきております。そして、その見直しを求めてきております。
 内容は、三つございます。一点目が、維持管理費の地方負担の廃止、二点目が、事業の内容、経費等について、計画段階から地方公共団体に協議することを義務づける法制度の整備、三点目が、事務費比率について明確な基準を設けることでございます。
 こうした国への働きかけの結果、直轄事業の内容や進捗見込みなどの情報が、国から事前に提供されるようになりました。さらに、事業の内容につきまして、国との意見交換や現場の視察なども行われるようになってきております。このように情報の提供など、一定の改善が図られてきておりますが、引き続き、維持管理費の廃止など、国に対して提案の要求を行ってまいります。

◯河野委員 国の直轄事業負担金について、意見を申し上げておきたいと思います。
 これは、広域事業として、本来国が負担すべきものだと考えます。事業の内容は、環境問題などで都民が見直しを求めている圏央道を初めとした大型幹線道路などが主なものとなっております。直轄事業負担金は国の方で事業内容や金額を決めてくるという仕組みが続いているようで、年度末になっても都の最終負担額が決定できないという状況にあります。
 そして、国の要求額に対して毎年度数十億円、あるいは百億円を超える多額の予算流用を東京都がし続けているという状況も続いております。起債額や利子負担も莫大になり、都財政を圧迫する一因になっております。この全く国のペースで今押しつけられている国の直轄事業負担金は、根本的な制度の見直しが必要であり、したがって、百五十四号議案には反対であることを述べて、質問を終わります。


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2006年6月21日 (水)

『新説東京地下要塞-隠された巨大地下ネットワークの真実-』(秋庭俊著)を読む1

サンシャインシティの地下には、池袋地域冷暖房株式会社という会社の冷暖房施設がある。ここからは、サンシャインシティだけでなく、この周辺にある公共施設や民間のビルに冷暖房を供給している。秋庭さんが大好きな、“洞道”を通して、である。

洞道は、西系統と北系統、南系統がある。北系統は、アーバンネット池袋ビルという、サンシャインシティの北側にあるビルに供給している。南系統は、サンシャインシティの南側にある、東京メトロ有楽町線の東池袋駅や、東京都住宅供給公社、かんぽヘルスプラザ東京など、様々な施設に供給している。西系統は、サンシャインシティのすぐ西側にあるアムラックス東京や、東急ハンズ、第一地所池袋ビル、オーク池袋などに供給し、この洞道は、東急ハンズの斜め前を豊島区役所方面に向かう道路の地下を通って、豊島区役所にまで通じている。

さて、ここまで確認した上で、『新説東京地下要塞』の第一章と第二章を読み進めていただきたい。

株式会社サンシャインシティから連絡が入ったのは、それから一カ月が過ぎた頃である(P39)

もう訳が分からなくなっている。地域冷暖房のことを知るなら、池袋地域冷暖房を取材せずに、ビルの管理会社に行ってしまった。

本来は「お答えできません」と回答することになっているが、そう聞かれたら仕方がないということだろう。(P39)

っていうか、池袋地域冷暖房のサイトに、地下3、4階にあると図まで使って、説明してある。答えられないわけがない。ここを見ると、地下にあるプラントの配置図まで分かる。このサイトを見つけ、この図にたどり着くのに、検索する時間も含めておよそ15分程度。秋庭さんは、ずいぶん遠回りしたようである。

この事実はごく限られた人にしか知られていなかったからである。(P70)

少なくとも民間人のオイラは知っていた。おそらく、豊島区役所の職員であれば、知らない人はいないはずである。それも、守秘義務などはいっさいない。嘘だと思ったら、区役所に行って、広報課あたりに「教えてください」と行けばいい。きっと、優しく、地域冷暖房のことを教えてくれるはずである。

サンシャインシティがオープンするまで、そこには東京拘置所があった。東京拘置所という公共施設と、豊島区役所との間には、おそらく戦前から地下道が通じていた。(P71)

例のパターンである。上でも書いたように、地域冷暖房の洞道は、北にも南にも西にも、縦横無尽に延びていて、地下鉄東池袋駅や東急ハンズにも通じている。豊島区役所だけに通じているわけではない。戦前からあったというなら、まず、すべて戦前だと証明しなければならない。

サンシャインシティと豊島区役所の位置関係からすれば、その地下道(洞道)は、東池袋中央公園の角を通過していると考えられる。(P71)

それは、池袋地域冷暖房のサイトで確認すれば、西系統が東急ハンズに回り込んでいることが分かると思う。「大きく遠回り」しているのである。

おそらくその地下道は、坂下通りをそのまま真っ直ぐ延長したものではなかったのだろうか。(P71)

延長した先には、確かに区役所があるが、前にも書いたように、他の系統の説明がつかなくなる。北や南、東急ハンズに延びている洞道は、どこから延長したのだろうか。

地下道はさらに拡張され、線路が敷かれていたのではないか。(P71)

ここまで来ると、笑うしかない。

秋庭さんは、地域冷暖房というシステムを知らないようである。これが、オイラも調べてみて初めて分かったのだけれど、東京のあちこちにたくさんある。秋庭さん、こりゃ、ぜひ、1つ1つ調べなきゃ、損だよ。いーっぱいあるから。典型的なのは、新宿副都心。みんな、地下の洞道を通じて、冷暖房を地域に供給している。秋庭さん、身震いが止まらないんじゃないかな。

でも、洞道をつくるなんてもったいない、だから、戦前からあったに違いない、という結論は、安易すぎる。

臨海副都心。ここには、縦横無尽に洞道が張り巡らされている。もっとも、ここは洞道とは呼ばず、共同溝という。ここには、冷暖房のみならず、ゴミを清掃工場まで運ぶ管まで入っている。投入口からゴミを放り込むと、自動的に清掃工場まで運んでくれるというのだから、驚きである。臨海副都心には、東京ではお馴染みの青い清掃車が走っていない。便利な近代都市である。

ところが、この共同溝、すさまじく設備投資がかかり過ぎた。今になってお荷物になっている。戦前からあったらさぞや穴を掘るのも楽だったろうが、ここは埋め立て地。戦前は海である。維持管理に金がかかりすぎて、今になって、東京都や都が出資した3セクが悲鳴を上げている。

社団法人日本熱供給事業協会

上記のサイトを読んでいただきたい。サンシャインなんて可愛いものだと思う。

駐車場の案内図をさらによく見ると、地下三階にしかマークのないエレベーターがもう一つある。そのエレベーターに乗ると、サンシャインシティの知られざる地下五階へと到達する。地下五階にあったものは、驚いたことに、広大な道路である。(P40)

オイラも、秋庭さんなみに、大胆な予想をしてみよう。妄想と思って読んでもらいたい。

地下三階からのエレベーターのうち1つが、四階へと降りることができ、もう1つが五階まで降りることができる?

どうして、両方、地下五階に行かないんだ?

しかも、広大な道路がある?

秋庭さんは、どうして写真すら撮らなかったのだろうか。ケータイで写真が撮れる時代である。広大な道路がどこに通じていたのか、調べなかったのだろうか。その先に進まなかったのだろうか。広大な道路があると書いてあるだけで、その先が何も書いていない。この記述だけ、不自然である。地下駐車場から地下四階まで降りてきた秋庭さんは、その様子を事細かに書いている。なのに、地下五階については、「広大な道路」に驚いているだけである。車が走っていたのか。何がそこにあったのか。

ずばり、予想したい。

秋庭さんは、地下五階へは降りていない。いや、地下五階なんて存在しない。


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2006年6月20日 (火)

東京の地下鉄は戦前にすでに作られていたという噂は本当か12

秋庭俊さんの『帝都東京・隠された地下網の秘密』(文庫版・新潮文庫)の文庫版あとがきには、秋庭さんが自慢のネタを披露している。

南北線の建設に際して、営団は国土交通省に覚え書きを提出させられた。大雨などで弁慶濠があふれそうになったときは、工事が終了していなくても、これまで通りトンネルに水を流すというものである。十年に一度の大雨でもない限り問題はなかったが、あの日、その大雨が降った。国交省から水を流すと通告され、営団はすべての工事を中断し、作業員を地上に避難させた。全員の無事を確認するのが精一杯で、機械類は搬出できなかった。南北線のトンネルは、弁慶濠から溜池山王を通り、虎ノ門、新橋を経て海に注ぐ予定だったが、溜池山王には営団の設計士も知らなかったトンネルがあり、一部が赤坂見附駅へと逆流したのだという。(P411-412)

皆さんは、豪雨で丸ノ内線の赤坂見附駅が冠水したのが、いったいつのことだと思っただろうか。ネットで調べてみると、2000年7月4日に豪雨により、丸ノ内線の国会議事堂前駅と赤坂見附駅の間で冠水している。秋庭さんが、「数年前の赤坂見附の冠水事故」と言っているので、てっきりこれのことかと思ったら、南北線の溜池山王-四ツ谷間が開通したのは、1997年9月30日である。つまり、南北線はすでに溜池山王駅の工事が終了して、営業運転を始めている。なので、南北線のトンネルに弁慶濠の水を流したら、大量の溺死者ができてしまうことになる。これは、あり得ない。

秋庭さんの公式サイトを見たら、やはり「平成5年」と書いてあった。これが正しい。正確には、1993年8月27日である。この日午後2時頃、台風11号が関東に上陸し、首都圏の交通は麻痺し、当時の営団地下鉄の丸ノ内線、銀座線の赤坂見附駅、東西線の飯田橋駅周辺が冠水した。1つ、確認をしておくと、省庁再編により国土交通省が誕生したのは、2001年のことだから、この時点では国土交通省は存在しない。よって、国土交通省と営団との覚え書きなど、存在しない。

当時の新聞が、この冠水事故を報じている。朝日新聞は、翌28日の朝刊で、営団のコメントを紹介していて、赤坂見附駅から約800メートル離れたところに「溜池」新駅の建設工事現場があり、ここから流水したらしいと報じた。読売新聞も、同じ日の朝刊で、営団の説明を紹介して、赤坂見附駅の冠水が、増設工事中の溜池駅から水が入り込み、約800メートル離れた赤坂見附駅まで線路づたいに流れ込んだと報じた。

つまり、現在の溜池山王駅の工事現場から、丸ノ内線のトンネルに水が流れ込み、赤坂見附駅まで水が流れて、駅が冠水したというのは、誰かが秘密にしているわけではなくて、営団自身が認めていることである。

朝日新聞の1993年9月8日号の夕刊では、社会面に、「1台12億円の最新型掘削機2台が水没」「修理や復旧に時間、再会まで2か月」という見出しがある。

市ヶ谷・新見附濠は、周辺の雨水を溜める調整池として使われている。当時、ここでは地下鉄南北線の工事が行われていて、濠を仕切って、穴を開けて、掘削機をここから入れて、四ツ谷と飯田橋に向かって、シールド掘削機が掘り進んでいた。

どうして、わざわざ水のある濠に?それは、普通の道路や空き地でそれをやると、ガス管や水道管をどかして仮設させたりするから、面倒になる。水の下には何もないから、濠に仕切りをして、工事をしようというわけである。

濠を工事で仕切れば、貯水量が減る。このため、大雨で濠がそれぞれの警戒水位を越えた場合は、仕切り板のバルブを開いて、工事現場内に雨水を入れるよう、営団と東京都が協定を結んでいたのだ。

そう。営団が覚え書きを交わしていたのは、国土交通省とではなく、東京都である。

で、台風11号による豪雨で、濠の警戒水位は突破し、覚え書き通り、工事現場、つまりトンネルに向かって、哀れにも水は流れ込み、1台12億円もする掘削機が2台も水没したのである。

当時の営団は、まさか本当に警戒水位を越える日が来ようとは、夢にも思わなかったようである。営団職員の戸惑いのコメントが記事になっている。それだけ、この豪雨は、東京にとって想定外だったようである。

さて、ここで、最初に紹介した、秋庭さんの自慢のネタに戻ってもらいたい。随分違う話だとは思わないだろうか。市ヶ谷から流れた水は、残念ながら溜池山王には届かなかったようである。掘削機は、まだその手前を掘っていたのである。では、赤坂見附を冠水させた水は、どこから来たのか。それは、記者の言葉通り、溜池山王駅の工事現場から流れ込んだ水なのだろう。

溜池は、読んで字のごとく、昔は溜池だった。雨になるとこの周辺は、水が溜まり、浸水した。そのど真ん中に地下鉄駅の工事現場がある。まさか、それが丸ノ内線のトンネルにまで流れ込むとは営団すら予想しなかったようである。

これが、秋庭氏が書いている丸ノ内線赤坂見附駅冠水事故の真相である。

「首相官邸の裏ですから」…こう苦笑した営団の職員とは、いったい何者なのであろうか。秋庭氏は、彼からガセネタを仕込まれたのであろうか。それとも、秋庭氏が、彼の話を誤解したまま、文庫本の後書きやサイトに紹介しているのであろうか。それは、ぜひ、営団と秋庭さんに聞いていただきたい。オイラのほうは、「いろいろ、あるんだよ」とでも言うよりほかない。


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『新説東京地下要塞-隠された巨大地下ネットワークの真実-』を読む

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『写真と地図で読む!帝都東京・地下の秘密』(洋泉社MOOK)を読んでみた。

『大東京の地下99の謎』(秋庭俊著、二見文庫)を読む

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(*_*) マイッタ

(*_*) マイッタ

一睡もできずに夜が明ける。仕事が忙しいと、自律神経が壊れてくる。疲れているのに、眠れない。起きてから、もう20時間くらい。

泊まり明けの朝。

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2006年6月17日 (土)

とりいそぎ言い訳

ずいぶん昔になるが、『シンドラーのリスト』という映画を観て、大いに感動して、それ以来、シンドラーという名前には、何の根拠もなく尊敬の感情を抱いていたものだが、ここに来て、それもすっかり消えてしまった。

シンドラー、恐るべし。

この1週間ほど、3回の泊まりの仕事が入り、今日も、さあ、帰るぞと思ったら、今夜も仕事が入った。

何とも、切ない。

そんなわけで、ブログの更新もできない状態。時間はあるが、余裕がない。

シンドラーのせいである。

いや、他にも戦犯はいるんだが、とりあえず、そう自分に言い聞かせて、納得させるばかりである。

今夜は、どこに泊まろうかなあ。

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2006年6月12日 (月)

眞鍋姉さん、東京がゴーストタウンのように静まりかえっているよ。でも、オイラは今夜飲み会。

どうしてこんな日に飲み会が入っているのだろうか。新宿副都心から眺める夜景はやけにきれいだったけれど、今夜は居酒屋が閑古鳥状態で、いつもなら満席のはずの特等席が、ずっと空いたままだった。

もちろん、ここには、サッカー観戦をするための液晶ビジョンなんてものはなく、どこまでも、美しい副都心の夜景が広がるばかりである。刺身がうまい。オレンジジュースは生をしぼってくれる。店はきれい。

でも、サッカーの盛り上がりなど、欠片もない。

飲み会のメンバーから、ふと思い出したように、「なんで今夜にしたんだっけ」と疑問の声。確かにそうだが、日程を調整するとき、誰一人、今夜がワールドカップ日本戦とは気づいていなかった。

サッカーファンなど、いないからか。

いいのか。オイラたち、そんなに世間に疎くていいのか。取り残されているんじゃないのか。でも、オレンジジュースでひたすら盛り上がるオイラをのぞき、あとのみんなは、酒さえあればOK。しらふのオイラを残して、どんどん酔いつぶれ、壊れていった。

少しせつない夜。

「今からなら、後半間に合うんじゃ?」

誰かがふとつぶやき、誰もがうんうんと頷き、2次会もなく、あっけなく宴はお開きとなった。

そんなこんなで、眞鍋姉さんに、トラックバック。

今夜、いつもなら押し合いへし合いの帰りの電車は、目的地までガラガラ。みんな、ワールドカップに釘付けなのだなあ。

いつも帰りに寄る総菜屋さんも、今夜はお客さんがチラホラ見えるだけ。そう言えば、今夜の宴では、あまりお腹にたまる食事がなかったと気づき、焼き鳥とおにぎりを買って、家路についた。

今から、後半がスタート。

G子眞鍋姉さん、応援頑張って!

オイラは、もう寝る。

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2006年6月 5日 (月)

ダメだ。村上さんが、格好良く見えてしまった。引き際が良すぎる…。

「村上ファンド」の村上世彰代表が、証券取引法で逮捕された。ライブドアの堀江社長が逮捕されたとき、いつかは、ここまで司法の手は伸びてくるような気がしていた。やったことは、悪いことだし、自分でやったとゲロしているわけだから、逮捕されて当然なのだと思う。

が、その引き際は、あまりにも格好良すぎる。

「私は、身を引きたい」

罪を認めた上に業界からの引退まで宣言してしまった。

「私のわがままでこの場所を選んだ。この場を持って会見を最後にしたい」

会見場は、東京証券取引所。

あそこって、こーゆーのに貸してくれるのか?

一挙手一投足を追う報道陣。強気の村上節を炸裂させる村上代表。引き際としては、最高の舞台。

オイラは、証券取引法のことは、よく知らない。

ちなみに、某造船会社の株主だが、株はさっぱり上がることなく、この数年間、底値を彷徨っている。オイラの両親は、この手の株式投資には成功した試しがなく、オイラはそれを嫌と言うほど見ていたから、株で儲けようとは思わない。急なお金が必要になれば、後腐れなく売り払うつもりだが、今のところ、そんなタイミングもない。

なので、インサイダー取引だか何だかっていう、そういう専門用語も、ほとんど分からない。

一つ、言わせてもらえば、

村上代表の、やけにかっちょいい引き際を、これ以上なく最高に演出したのは、マスコミだった。

ライブドアのときも、そうだった。

アホみたいに盛り上がっている。

テレビのニュースを観ながら、一瞬、村上氏がかっちょよく見えた自分が恥ずかしかった。

伝えるべきなのは、そーゆーことなのだろうか。

オイラには、よく分からない。

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2006年6月 4日 (日)

危険を顧みずっていうとかっちょいいけれど、記者とかカメラマンって、そういう本能があるだけなんだと思う。

報道関係者など43人が亡くなった雲仙普賢岳の大火砕流から、6月3日で丸15年が過ぎた。

こういう報道を聞くたび、オイラが思うのは、自分だったらどうするだろう、ということ。

15年前、報道関係者が取材していた「定点」は、普賢岳から流れ落ちる火砕流を真正面から捉えることが出来る、絶好の場所だった。でも、そこは避難勧告地域の内側で、住民は立ち入ることができない。マスコミ関係者がいたために、消防団や警察の関係者もそこに入らざるを得ず、犠牲者を増やしたという見方もある。

オイラも、仕事でここに来ていれば、亡くなった記者たちのように、迫り来る火砕流を前にしても、シャッターを押し続けていたような気がする。以前、当時のビデオテープが復元されて、それをテレビで放映していたが、死を前にして、報道関係者は意外に冷静に見えたという。それも、何だか少し分かる気がする。

危険を顧みず…、本当だろうか。

現場にいた記者は、本当に「命がけ」というほど、何かを捧げて、報道に挑んでいたのだろうか。そんな崇高な考えより、まず、「見たい」という本能が先立っていたような…。命を賭けるってほど、報道は尊いものだろうか。オイラには、スクープと命を天秤にかけられない。そりゃあ、世の中には、命を賭けるくらいのスクープやネタが、いくらでも転がっている。が、あそこで死んだ記者たちは、みんな、そうだったか?

マスコミに、安全軽視があっただけじゃないか?

安全軽視と命がけとは、レベルが違う。

イラク戦争の真実を追えば、それは命がけだ。

雲仙普賢岳の脅威を捉える…これは、命を賭けなくても、できる。少なくとも、火砕流を見くびらなければ、あれだけ多くの犠牲者は出なかったはずだ。

オイラも、例えば都内でテロが起こったからと言って、背を向けて逃げるわけにはいかない。そういう仕事だと思っている。でも、自分にできることとできないことの区別は、ちゃんとつけるべきとも思っている。オイラは、戦争ジャーナリストではない。

大火砕流から15年。

マスコミは、教訓を学んだろうか。

オイラには、そこの確信が持てない。

再び、同じ過ちは繰り返されるような気がする。

その中に、オイラもいるような恐怖感を持っている。

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2006年6月 3日 (土)

眞鍋姉さん、幸せはカラオケでは見つからないと思うな~。

眞鍋姉さんが、ビッグエコーで盛り上がっているとき、オイラは、自宅でボケーッとテレビを観ている。で、眞鍋姉さんところのブログが更新されていたので、よっこいしょと起きあがり、眞鍋姉さんにトラックバック

30代の前半くらいまでは、カラオケに行って、盛り上がっても、腰には来なかったし、喉もむしろ歌った後は快調だった。徹夜で歌いまくっても、次の日は、案外テンション高く仕事していたし、少々二日酔いでも何とかなった。

が。

カラオケで盛り上がって、憂さを晴らすってのは、

そろそろ引退のようである。

体力と気力の限界……ううっ(涙)

眞鍋姉さんは、まだまだ体力的には油がのっているから、少々カラオケで疲れても、次の日にお肌の荒れを心配していればいいけれど、でもね…、

そんなの、20代で終わりなんだよね~。

酒をガンガン注入して、神経を麻痺させないと、カラオケで盛り上がるなんて、できなくなる日は、近いのだわさ。

オイラなんて、ストレス発散は、近場の健康ランドのサウナと、相場が決まっているもんね。開店と同時に突撃して、

だらーん、ぼけーっ、ふにゃーっ。

まあ、健康ランドも、最近はゴージャスになってきて、ゲームセンターやカラオケボックスやネットカフェとか漫画コーナーとか、いろいろ遊び心が満たされているけれど、オイラは、ひたすらお風呂とサウナを満喫し、風呂上がりにミネラルウオーターを一気のみ、あとは仮眠室でテレビ観ながら、ぼけーっ。

そんな、まったりとした退廃の日々を迎えるのも、眞鍋姉さん、もうすぐなのだよ。

だらしない毎日が永遠と続けばいいのに…。

そんなことをふと感じる今日この頃なのだ。

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2006年6月 1日 (木)

東京の地下鉄は戦前にすでに作られていたという噂は本当か11

あの秋葉俊氏が、帰ってきた。最近、自身のサイトでも音沙汰なしだったが、先日久しぶりに「近況報告」が語られていた。

先月下旬、山手線が2度にわたってストップしました。どちらも道路工事が原因とされ、2度めの事故現場となった高田馬場―新大久保間では、都道の道幅を27Mに広げるため敷設されたトンネルが、線路を5センチも持ち上げていたと報道されました。新宿区大久保3丁目の現場には、いま、次のような2つの道路工事の看板が立てられています。

 【1】街路の築造 大久保3丁目から高田馬場1丁目 (西武と鉄建建設のJV)

 【2】道路工事  大久保3丁目8番から百人町4丁目4番 

 事故当時、JRは「現場は高田馬場駅の南300M」と発表していますが、現地で取材していた記者は「高田馬場駅のすぐ近く」と書いていて、写真撮影された場所も駅のすぐ近くです。駅の近くの道路工事が原因なら【1】、JRの発表通りなら【2】ということになります。

 なぜ、そんな食い違いがあったのかといえば、どちらも地下工事で、現場が見えないということがあげられるはずです。しかも、都道を拡幅していたということですが、現場周辺には【1】【2】に該当するような都道はありません。地上に見えているのはガードレールを立てると車がすれ違えなくなってしまうような、道幅4Mにも満たない区道だけです。

 当日の朝日新聞にはトンネルが並んだイラストが載っていましたが、まさにその図の通り、その都道は最初から私たちの見える所にはなかったのだと思います。高田馬場駅のすぐ南にも、300M南にも、地上には都道はありません。もしもあの道幅4Mの区道が27Mに拡幅されるなら、道の両側の民家は軒並み立ち退きで、今頃は社会問題になっていたはずです。

 つまり、その都道は地下に敷設されています。ただ、新聞のイラストのように線路のすぐ下、浅い場所ではありません。そんなに浅い所にあれば、その道路は高架線路の両わきに顔を出すはずですが、実際にはそんな道路は見当たらないからです。都道はもっと深い所に敷かれていて、だからこそ、コンクリートの注入量が難しかったのだと思います。

 固体と液体の中間のようなコンクリートを地面深くに注入した際、土の重さがどの程度、コンクリートを圧して沈むかわからず、注入量が多すぎて線路を持ち上げてしまった――それが事故の真相だったのではないでしょうか。

 住所番地からすると【1】の街路は南北方向に延びていて、山手線の内側から外側へと、高田馬場駅の下を通過しているように思えます。【2】は東西方向に近いルートで、余計なことですが、財務省の寮とJRの社宅、都営住宅、郵政省の宿舎を結んでいるのではないでしょうか。いずれにしても、【1】も【2】も、私は国民の前に姿を現すことはないと思います。東京都はそのような道路計画を発表していませんし、計画もない道路は完成しません。

 とはいえ、山手線がストップしたのは、歴然とした事実です。私たちの知らない都道が敷設されていたことが理由だったはずです。その都道が政府専用の道路なのか、西武新宿線の地下線なのか知りませんが、そんなことがいつまでも許されていてはいけないはずです。国民と都民の税金を投入し、そんな表向き存在しないような道路をつくり続けていれば、わが国は滅びます.

引用が少々長くなったが、今回はあまりにも傑作だったので、ついつい全文を掲載してしまった。5月30日の日付が入っている。

驚いたのは、秋葉氏自身が、事故の現場の正確な場所も知らずにいることである。引用文中の2つの工事看板は、どちらも確かに現場にあるが、その看板を見ておきながら、1つは高田馬場の近くで、2つ目が300メートル先なんて結論になるのが、首を傾げてしまう。同じ場所に看板があるのだから、どちらの工事も、「そこでやっている」のである。ちなみに、高田馬場駅からおよそ300メートル付近にある。

この時点で、秋庭氏の推論は、破たんしている。

1番目の「大久保三丁目から高田馬場一丁目」の街路築造工事だが、都は、ここにある道路を幅員28メートルに拡幅する工事を現在行っている。ちなみにこの道路は、大久保三丁目と高田馬場一丁目の境目に走っている。

2番目の「大久保三丁目8番地から百人町四丁目4番地」は、ここからJRの線路下を通って、JR線の西側に出る道路の工事である。山手線が全線ストップした事故の原因となった工事は、つまり、ここである。道路は都道だが、JRの下を潜る道路工事は、JRが施工することになっている。この道路は、補助74号線といい、28メートルに拡幅される。

どちらも、地下などではなく、1も、2も、ちゃんと都道が現在存在して、道路の計画もあり、拡幅されるのを今か今かと待っている。それに、現場を見れば、大きな工事事務所のプレハブまで建っていて、どう見ても、国民には丸見えの場所である。秋葉氏自身はここを訪れた上で、こんなことを書いていると思うのだが、眼鏡が曇っていたのだろうか。

ちなみに、このJRの下を潜る補助74号線は、もともと高架でJRをまたぐ計画だった。地元住民の反対もあって、最近になってアンダーパスでJRと西武線を潜る構造に変更され、ようやく工事にこぎ着けた。道路工事にあたっては、行政当局が何度も地域住民との交渉を重ねて、説明会も行い、理解を求めた。

「表向き存在しないような道路」を造るのに、行政は地元住民に説明会まで開いたのだろうか。

きついことを書くようだが、こういうデタラメをサイトに掲載して、ジャーナリストを自称するのであれば、オイラたち真面目なサラリーマン記者にとっては、迷惑千万である。

おそらく彼は、取材すらせずに、現場の看板だけを頼りに妄想を働かせたのだと思う。もしも疑問に思うなら、現場の事務所に聞けばすぐに分かることだし、オイラのような素人ですら、ネットで30分ほど調べれば、すぐに地下の道路など存在しないことが分かった。

そろそろ、ちゃんと断りを入れないと、秋庭系信者に怒られてしまうだろう。

オイラは、秋庭氏が主張するような、国民に隠された地下について、すべてを否定するつもりはない。

でも、妄想を重ね続けていけば、一番肝心な真実からかけ離れてしまう。

それにしても、出版社は、そんなデタラメな書籍を、どうして堂々と出版し続けているのであろうか。秋庭氏に、「それは違いますよ」と教えてあげてはどうだろうか。もう、ここまで来ると、真実云々より、痛い、痛くて、哀れである。何故、出版社は、こんな人の本を出し続けるのか。それは、出版社に聞いていただきたい。オイラの方からは、「いろいろ、あるんだよ」とでも言うよりほかない。

(6月2日追加)

タイムリーなことに、上記の事故について、JR東日本が、原因究明と再発防止策を発表した。この高田馬場・大久保間の事故だけでなく、新橋・浜松町間、東中神・中神間の2件の事故についても同じ原因だったとしている。これを読んで、それでもやはり、国民に隠された地下網があると言うのであれば、3件すべてについて、国民に隠された地下網が原因だと証明しなければならないだろう。

線路下道路トンネル工事に伴う輸送トラブルの原因と再発防止対策について


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