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2006年6月23日 (金)

『新説東京地下要塞-隠された巨大地下ネットワークの真実-』(秋庭俊著)を読む3

東京になぜ2種類の地下鉄があるのか。

この疑問に答えるには、まず戦前に遡る必要がある。戦前から、東京の地下鉄を誰が敷くのか、これは、国や民間、東京市を巻き込んで大議論があった。地上を走る電車やバスは、様々な資本が参入して、収拾がつかなくなり、利用者の便を考えると、東京市としては交通の一元化が得策と考えていたようだ。一方、民間資本は、都心の交通という美味しい市場、しかも地下鉄という儲け話を東京市に持って行かれては困るから、国と結託して、何とか地下鉄に参入しようと画策したわけだ。

1924年4月、震災で焼け野原となった東京で、東京市が市営地下鉄計画を立て、その計画は国の許可も得た。日本で最初の地下鉄は、1927年に開通した現在の銀座線、上野・浅草間で、東京地下鉄道が建設・運営した。

当時の政府は、両方の地下鉄の共存を認めたように見えたが、東京市は結局、営団法が成立するまでの間、1本の地下鉄も作ることが出来なかった。理由は、起債が国から許可されなかったからである。民間が資金調達をするには、銀行でも何でも金を借りればいいが、地方自治体は、借金をするのに国の許可が必要である。東京市は何度も起債を申請したが、最後まで許可が下りることはなかった。東京市は結局、1932年に鉄道省に免許路線の民間への譲渡を申請し、許可される。

1941年5月1日、営団法が施行。民間資本が入る営団が設立され、東京市内の地下鉄は営団に統合される。その背景には、戦況が悪化し、空襲を受けても損害がないという、防衛上の地下鉄の役割があった。東京市は、あくまでも市営一元化の考え方を持っていたが、挙国一致の戦時下では、それも一時引っ込めるしかなかったようだ。戦前、誰が東京の地下鉄を敷くのか、という結論は、この時点で、民間資本がいったんは勝利したのだ。

第2次世界大戦により、地上の軌道事業(都電)とバス事業は、甚大な損害を受けた。1946年10月、東京都は、都営地下鉄建設計画の具体案を発表し、都交通局は、「都内の高速鉄道は都が経営すべき」という基本方針を打ち出した。東京の地下鉄を誰が敷くのか、この議論は、都が主張する都営案と、当時の運輸省が主張する営団方式が、真っ向から対立した。戦前の議論の蒸し返しである。営団という形態自体が戦時色が強いことから、当時の衆議院は、圧倒的多数が都営案を支持し、営団法廃止法案を作成するまで至ったが、運輸大臣が哀願し、上程しないことになったという。

生き残った営団は、では、地下鉄を建設したかというと、インフレと極度の資材不足、営団廃止の機運が高まっていたことから、さっぱり建設が進まなかった。しかし、ここが歴史の分からないところだが、占領軍は、交通営団を除き、すべての営団を解散させた。1951年3月、営団改正法案が可決され、営団から民間資本が排除され、日本国有鉄道と東京都が資本に参加することになった。

なぜ営団は生き残ったのか。戦前から続いた営団と東京都とのせめぎ合い、東京の地下をめぐる覇権争いは、戦後まで引きずったのである。

戦後、日本国憲法のもとで普通選挙が行われ、日本も東京も大きな変化を迎える。1950年4月、東京都選出議員が議員立法として、首都建設法を上程し、成立させた。その法に基づく首都建設委員会は、地下鉄建設について、営団への都の増資、営団がただちに建設を行わない路線の建設を勧告した。これにより、都営地下鉄の建設が、現実的なものとなってきた。

1950年代、首都圏の交通事情は、一刻の猶予も許さないほど深刻だった。国電の殺人ラッシュはひどく、山手線の上野・御徒町間は、297%という混雑。一方、道路事情も悪化し、政府の自動車優先の道路政策が深刻な矛盾をもたらし、狭い道路に自動車が殺到していた。地上を走る都電は、年々スピードが落ち、それに従い、乗客も減った。営団地下鉄は、戦後の資金調達が不調で、既存線の復旧が優先され、新線建設は遅々として進まず、急激な都市化に対応できず、営団方式の行き詰まりが指摘された。

「現在都内における地下高速鉄道事業は専ら帝都高速度交通営団に委ねられているが、その建設事業は遅々として進展せず、人口増加と自動車の激増のため都内の路面交通はまさに危険に瀕し、遠からず都民生活に重大なる影響を及ぼすことは必至であり、もはやこれ以上、都民は黙視することはできない」

当時の東京都議会の決議は、こうした背景から行ったものである。

さて、長くなったが、こうしたことを押さえた上で、第四章を読んでいただきたい。

当時の都民は地下鉄などはなくても、平穏な日々を送っていたはずである。(P112)

秋庭さんは、当時の都心の状況をまったく理解していない。戦後、東京はめざましい発展を遂げた。でも、営団は、それに追いつけなかったのである。営団は、戦時色が強すぎる。なぜ占領軍が残したのかは謎だが、公共的・公益的性格が強かったからと言われる。当時の戦後の国会は、圧倒的に都営が地下鉄をつくるべき、というのが潮流だった。それを潰したのは、当時の政府、運輸省(旧鉄道省)である。戦前の官僚は、戦後も、地下鉄を都民には返してくれなかったのである。

東京の地下鉄を誰が敷くべきか。その意志は、国民主権の時代には、都民が決めるものだと思う。当時の世論は、戦時色の強い営団が地下鉄を独占することに否定的な声のほうが強かった。それにも関わらず、占領軍も政府も、営団による地下鉄の独占を許してしまったのは、何か訳があるように思える。例えば、秋庭さんが主張するような、戦前の極秘の地下ルートを守りたかったのだろうか。仮にそうであれば、当時、普通選挙で議員が選ばれる地方自治体が運営する都営交通に、地下鉄を簡単に明け渡すわけはない。

では、秋庭さんは、どうしてこの本で、東京都のほうを批判しているのだろうか。批判すべきは、独占した営団のほうではないか。

それは、都営地下鉄浅草線が、戦前からあった、という結論が先にあるからだと思う。

そのトンネルは、戦前からあったのかどうか、オイラには分からないが、あったかどうかは別にして、東京の地下鉄を都民に取り戻したのであれば、それは大いに歓迎すべきことなのだと思う。戦前から、延々と続いた、政府(陸軍)と結託した民間資本(営団)と、東京都(市)との、東京の地下をめぐる争奪戦は、戦後、国民主権の日本国憲法のもとで、ようやく、その一部を都営地下鉄が担うことで、都民の手に取り戻したのだ。

都営地下鉄は、乗客が少ない。それは、事実だと思う。でも、逆にそれは、都民のための地下鉄を貫いているからである。儲けられる地下鉄は、営団が通す。その隙間を、都営地下鉄が走る。本来なら、都営に一元化されたほうがいいに決まっている。だが、戦前からずっと、政府は東京の地下鉄を手放そうとはしなかった。批判されるべきは、そちらではないだろうか。

現代でも、地下鉄の一元化は、議論として残っている。なぜ実現しないかというと、赤字路線を抱えているのは、東京都のほうだからである。営団のつくらない地下鉄を敷いてきた、それはつまり、儲からない地下鉄を敷いてきたということでもある。営団は、東京メトロという企業になったが、わざわざ赤字の都営地下鉄を吸収しようとは思わないだろう。

東京の地下鉄の歴史を振り返ると、「地下は利権の巣窟」という言葉が似合うと思う。秋庭さんは、とてもいいテーマに目をつけたと思う。でも、敵を間違えているような気がするのは、オイラだけだろうか。


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