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2006年5月14日 (日)

オイラは、母から生まれて、母に殴られ、母を捨てた。そんなオイラの母の日。

子どもの頃は、何でもない普通の家庭だったような気がする。

母の様子がおかしいと思い始めたのは、中学校に入り始めた頃だった。

とにかく、「スパルタ」と名の付く塾へ行かせようとしたり、「殴る」のがウリの家庭教師を呼ぼうとしたり、半分冗談だったろうが、戸塚ヨットスクールに行かせるぞと言い出したり、意味もなくオイラにスパルタ教育をしようとしていたような気がする。

それで、何か変だと、中学生なりの頭で、自分の過去を振り返ったりして、記憶の片隅に追いやられていた母の虐待を、ふと思い出すことになった。

小学生のとき、オイラが家にいると、母が怒りの表情で突然帰ってきて、「宿題をしていない」と怒り始めた。オイラには覚えがないので、「知らない」と言うと、情け容赦なく母はオイラを殴り始めた。宿題は、他のクラスのことで、自分の宿題ではなかった。

近所の子どもにいじめられて帰ってきて、「誰にいじめられたのか」をオイラから聞き出すために、母は、1時間近くにわたり、部屋でオイラを蹴り続けた。ようやくオイラが白状すると、母は、「恥ずかしくて学校に言えない」と仕事に戻った。

これだけではなかった。

…1つ1つの虐待の記憶が、どんどん頭の中で増幅していった。

大学に入学して、独り暮らしを始めて、母の異常性にますます気づくことになった。ある日、母は、突然、オイラに人間ドックに入れと言い出した。そんな大袈裟なものでなくても、健康診断を受けていると言うと、母は電話口で狂ったような怒り叫んだ。その異様な怒り方に、怖くなって、人間ドックを受けた。人間ドックでは、健康な体では受ける必要のない検査まで受けた。「心臓が悪いんですか?」と看護婦に聞かれ、無言で笑うしかなかった。

意味不明の借金を重ねるようになったのは、その頃からだった。

大学生のオイラが、彼女に金を貸すこともあった。

印鑑登録証明書や住民票を要求されることもあった。オイラの名前で保証人になったこともあった。いつの間にか、オイラの名前で会社ができていることもあった。家にネットビジネスの会員証が届いて、驚くこともあった。

境界線がない。

だんだん、オイラは、実家から遠ざかるようになった。

社会人になっても、彼女の癖はなおらず、オイラのアパートの家賃を自分の会社名義で払おうとしたり、英会話学校に通えと執拗に迫ったり、遠ざかったにも関わらず、境界線はどんどん浸食されていた。オイラの名義でマンションを買い、自分たちで住もうとしたとき、オイラは本気で親から距離を取ろうと思った。

そんな矢先、会社や自宅に、彼女の名義で借りた金融会社から電話がかかるようになった。

オイラの意志とは関係なく、母は、別の世界へ遠ざかってしまった。

しばらくして、母は東京に現れて、オイラに和解を迫った。

しばらく様子と見ることにしたが、しばらくどころか、すぐに会社に金融会社から電話が入るようになった。

母の日は、好きではない。

母という存在が、子どもにとって、有益とは限らない。

裏切る母親もいる。

それでも、この日は、母と子どもの絆を修復しようとする。

オイラは、母から生まれた。それは、逃れられない現実である。

やっかいな1日。

オイラは、ひたすら眠って過ごしていた。

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