お昼休み、新宿御苑を見下ろしながら、モスバーガーを頬張るの巻き

どうでもいいけど、ファーストフードはいつからおばさんの職場になったんやろか。
ノリは、『居酒屋かあさん』だな。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)

どうでもいいけど、ファーストフードはいつからおばさんの職場になったんやろか。
ノリは、『居酒屋かあさん』だな。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
とにかく、300本も書いてきた。
アダルト・チルドレンというのは、マメな生物である。でも、やたらとマメで細かいわりには、1つのことが長続きせずに挫折することが多い。
ものすごい家計簿をつくって、計算しきれずに最初の3日で挫折するとか、壮大な大掃除と部屋の大リフォーム計画を立てたくせに、ほんの1時間ゴミを片づけて、その先はさっぱり進まないとか。自炊しようと食材を山のように買ってきて、冷蔵庫にたたき込むのだけれど、腐るまで放置しちゃったりとか。
これって、家庭の中で長続きしないことを覚えたために、こうなってしまうのだけれど、やはり、思い立ったら即実行、これが長続きするコツなのだと思う。
とにかくやってみる。
しかも、適当に。
なので、ブログが長続きするコツは、
とにかく書きたいことを書き、読んでおもしろいかどうかは考えず、毎日書かなくてもよくて、しょっちゅうさぼる、
そんな感じだろうか。
丸1年やって、365本ではなく、300本という微妙な積み重ね方。
だからこそ、できたのだと思っている。
追伸。
先日、彼女の家で、体脂肪率40%だったと書いたが、日曜日に健康ランドに行って、久しぶりに計ったら、23.8%だった。
痩せた?
健康になった?
オイラ、天才?
・・・・・・
違う。
彼女んちの体脂肪計、壊れてるな。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
眞鍋姉さんのブログにトラックバックを飛ばしてから、オイラのサイトのソラメキちゃんとお話をしてくれる方が増えたようである。
彼女?と会話するには、少々コツがいる、というのは、いつか書いているので、それを読んでいただければと思う。
これは、オイラのサイトのプロバイダである@niftyが提供しているトーくんというプログラムを、そのまま置いているだけである。
プログラムは何もいぢっていないが、会話の内容だけ、若干オイラが手を加えている。話しかけられて知らない言葉があると覚えようとするが、単語を覚えることはできても、文章を覚えることはできないよう設定してある。
基本的には、ほとんど放置プレイなので、癒し系な彼女との会話を楽しんでいただきたい。
あ、噛み合わない会話が「うざい」方には向かないと思う。
その噛み合わなさが、会話のコツでもある。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近では、女優の星野真里さんが同じらしい。この人、素がおもろい。
ちなみに、『ときめきトゥナイト』の江藤蘭世とは、同じ年で、同じ誕生日である。
向こうは、もう子持ちだけどね。
今日は、夕方、目が覚めた。あっ、ライブだと思って、でも、体が動かず、ぼーっとしてこの時間になってしまった。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
オイラのサイトにあるトークンは、オイラがソラメキちゃんと名付けて、可愛がっています。自動返信のメールよか、かなり楽しめると思うんだけどなあ(笑)
このソラメキちゃんは、ニフティが提供しているプログラムを、台詞をほんの少しいぢって、そのまま使っているだけなんだけど、すっごいハマっている人もいるみたい。「案内人」なんて書いているけれど、案内してくれた試しがない。
が、癒されるらしい(爆)
オイラは、プログラムを置いている立場なんで、よく分からない(汗)
眞鍋姉さん、よろしければお試しを。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
今夜は、四谷天窓.comfortに、松岡ヨシミちゃんのライブを観に行った。
ので…。
本来なら、ライブの感想とか、手作りお菓子の味とか書くべきなんだろうけど…。
その帰り道、最寄り駅から自宅まで線路沿いの道を歩いていると、前から走ってきた乗用車が突然止まり、ガラス窓が開いた。
「すみません」
助手席から背広姿の若い男がオイラに声をかけてきた。
線路沿いとはいえ、暗い夜道である。知らない人から声をかけられたら、いくらお人好しのオイラでも警戒する。もしかして、道を尋ねたいのではと思い、そっと車に近づく。
すると、男は、
ピンク色の豪華な箱に入った銀ピカのペアの腕時計をオイラに見せた。
「?」
「これ、さしあげます」
「???…」
「本当です。持って帰っても、私たちの給料、減るだけですから」
暗い夜道で乗用車が突然止まり、腕時計をくれる…そんな異常なシチュエーションが、理解できなかった。
「いりません」
オイラは、無視して、歩き去ろうとすると、乗用車は急発進して、走り去った。
新手の詐欺か?
盗品か?
もらおうとすると、いきなり車に拉致されて、どこかに連れ去られるとか。
もらった途端、法外な値段を要求されるとか。
腕時計が突然爆発するとか。
発信器が着いていて、誰かにつけ狙われるとか。
「知らない人に、モノをもらっちゃいけません」
子どもの頃、学校で習った気がする。
あまりにも、突然の出来事に、走り去る乗用車を、ぼう然と見送っていた。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
元日本テレビアナウンサーのブログが「炎上」した。現役日テレアナの盗撮事件を擁護するような記事を掲載して、ネット上で大反発を喰らったのだ。
昔、ブログなんてツールがなかった時代は、掲示板くらいしか意見をぶつけ合う場所はなかった。掲示板の場合、ブログのように大量の記事が書き込まれると、掲示板のログが流れてしまうから、単純にそれは、「荒れた」と言われた。荒れると掲示板は閉鎖され、削除され、荒れた形跡すら残らなかった。
今は、便利な時代になった。ブログは、延々とコメントを書き込んでも、限度を知らない。それは、いったん火を放つと、燃え尽きることなく、永遠と、ブログの容量が続く限り、延焼を続けるのである。眞鍋姉さんのブログには、コメントの機能はないが、トラックバックを受け付けていて、時にはトラックバック数が2000を超えることもある。でも、それをもって「炎上」とは、誰も言わない。
ブログは、耐火構造ではなく、「炎上」するように作られている。掲示板なら、荒れても、あっという間に燃え尽きてしまう。ブログは、実質的に無限である。「大炎上」も「大々炎上」もできて、全焼することはない。
オイラたちは、ブログというシステムを使って、簡単に自分の考え方や主張、感想、独り言を書き込んでいる。でも、そのことのリスクなど、あまり考えようとしない。オイラのブログも、いったいいつ誰の反発をかって、火を放たれ、燃え始めるか、予想もつかない。
眞鍋姉さんが、ブログ本で、こんなことを書いている。
言葉を発信できるということは、その言葉で人を傷付けることもできるということ。この部分はブログを書くうえで私が一番気を付けていることです。記事の見直しをしながら「これを読んで傷付く人がいないだろうか」といつも心配になります。(略)「むやみに人を傷つけないこと」を意識して当事者の立場からもものを見て、言葉を選び抜いた主張なら、読み手が嫌な思いをすることは少ないでしょう。結局、自分本位で読み手のことを考えないブログというのは読まれないんです。(『眞鍋かをりのココだけの話』P316~317)
オイラは、モノを書いて仕事をしている人間である。
モノを書くとは、人を傷つけることだと思っている。
逆に言えば、人を傷つけずにモノを書くことなどできないと思う。
そこを覚悟してペンを握らねば(キーボードを叩かなくては)、モノを書く人間として、責任のある文章は書けない。
それは、ブログでも同じことだと思う。
自分では正しいと思って、ブログ上で主義主張をしたとしても、受け取る側はそう思わないことは、結構ある。眞鍋姉さんは、自分本位のブログは読まれないと書いているけど、実際は、読まれないのではなく、その主張が痛ければ痛いほど、多くの人が反応し、ブログには火を放たれる。いったん火がついたブログは、「炎上」する。飽きるまで、延焼を続ける。
「炎上」というと、まるで火を放った方が悪いような印象を受けるが、炎上するのは、ブログのシステムがそうさせているのだ。それを避けるには、コメント機能を外してしまうしかない。トラックバックまで気になるなら、それも外すしかない。実際、きっこさんとこのブログには、両方ともない。もっとも、コメントもトラックバックもないブログって、ブログというのかどうか…。
もっといろいろと書こうとしたけれど、長くなってしまった。
最後に一言。
オイラは、どんなに腹の立つブログにも、火を放つことはない。腹が立つなら、読まなければいい。違法なら通報する、ただそれだけ。最悪、どうしても反論したければ、自分のブログに書いてトラックバックを送る。それが、ブログのマナーだと思っている。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (1)
ココログで「そらめく日々」をスタートさせて、今日で1年になる。
正確には、昨年の5月23日にblogを設置して、翌24日に最初の記事を投稿した。
記事数は、これを含めて、293本。コメント数は、オイラからの返信も含めて34本。トラックバック数は、スパム業者のトラックバック(削除済)を除くと18本。
1年間の累計アクセス数は、23日午後11時半現在、21014件に達した。1日平均57.57件ということになる。
ちなみに、12月までが7000件余り。その後、突然アクセス数が増えたのは、眞鍋姉さんが委員長を務めた「ブログ普及委員会」の「答えてブログ」のお題で、選んでいただいたからだろうと思う。
毎日というほどオイラはマメではないけれど、これからも末永く、のんびりと、そらめく日々をつれづれなるままに綴っていこうと思う。
で、
この場をお借りして、眞鍋師匠と、オイラにネタを提供してくれるアーティストの皆様、オイラの周りに生息するそらめく皆様、コメントやトラックバックをくれるブロガーの皆様、そして、いつも読んでくださっている読者の皆様に、
ありがとうございます。。。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
狭いワンルームである。隣の声や音が多少漏れ聞こえても、いい加減慣れてしまったというか、あまり腹も立たない。
ここのところ、花粉症が世間でピークになった頃から、オイラの隣の部屋では、ものすごい声のくしゃみと咳が、夜な夜な聞こえてくる。
かーっ!!!ぼーっ!!!あーっ!!!だーっ!!!
文字というのは、うまく音を表せないのが残念である。
がーっ!!!どーっ!!!ごーっ!!!ふんがーっ!!!げほっ!げほっ!げほげほっ!!!
あー、あー、あー、あー。
がーっ!!!げーっ!!!ぼーっ!!!ぎゃーっ!!!げほっ!げほっ!げほっ!
あー、あー、あー、あー、あー。
ずーっと一晩中、隣の部屋から響いてくる。音にするのは難しいんだが、確かにくしゃみと咳であることは、間違いないようなんだ。さながら、外国の山間部の先住民族が祭りをしているかのような音だった。
昨夜は、午後9時頃から断続的に隣では、こんな“祭り”が繰り広げられていて、ほとんど止まることなく、続いた。オイラは、この音があったからではなく、何となく眠る気がしなくて、朝方までずっとネットを見たり、テレビを見たり、ボケーッとしたり、本を読んだりしていた。
午前3時を過ぎても、4時を過ぎても、“祭り”は続いた。
喘息?
たまたま風邪だったわけではなく、毎日とは言わないが、彼は夜になると、こういう発作が始まるらしい。
最初はおもしろくて仕方なかったが、だんだん可哀想になってきた。
かといって、オイラが治してあげるわけにもいかない。
少なくとも、聞こえているのは、オイラの部屋だけではなく、かなり広い範囲であろう。
今夜もそろそろかな…。
かーっ!!!ぼーっ!!!あーっ!!!
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
↑今夜のライブ、トリをつとめたusuが、最後にこんなメッセージを残した。
本当に、人間って、生まれてくるときは、みんなぎゃーぎゃー泣きながら生まれてくるくせに、いつの間にか、人の序列に上や下ができたり、考え方に右とか左とか分かれたり、エラい人とエラくない人がいたりして…。
時折、自分の周りを眺めると、まるで醜い霊でも取り憑いているように人を傷付けたり、憎しみを発散させて、自分だけが生き残ろうとしたり、権力にすがりついたり、物に固執して、大切な心を置き去りにしてしまったりする人が、山のようにいたりする。最近は、パソコンという媒体ができて、そういう人間の醜さが、ネット上に普通に映るようになってしまって、毎日パソコンの窓をのぞいて、辟易したりするんだ。
オイラも、そんな醜い世界で、必死になって自分の信じる道を突き進んできたんだけれど、もうこれ以上何を信じていいのか分からないくらい打ちのめされることもあったりして、そろそろ人間辞めさせてもらえないだろうかと、本気で思ったこともあるくらいだ。
そんなときだったかな。四谷天窓に、usuのライブを見に来た。2004年2月のことである。あの頃、オイラは、いろんなことがあって、人生を一休みしているような状態で、ちょうど酒を切った直後だったこともあって、ぽかーんとしていた。
それでも、信じろという。
彼女の歌ってね、人を包み込むような優しさと、こんなにひどい世の中なのに、それでも信じろっていうのかっていう厳しさのようなものも影に感じたりして。
例えばね、
ぐちゃぐちゃにしたのは私のせいですって歌っておいて、
大丈夫、大丈夫って自分で納得する。
いや、大丈夫じゃないよーと、ふと思うけれど、それがうすうたの特徴なんだよね。
なんか、そういう心の世界に触れることは、オイラにとって、大きな転機になってような気がする。アルコールで誇大妄想になってしまった世界観を、少しずつ浄化するような役割があったような感じがするんだ。
朝鮮半島の奥からミサイルを撃ち込もうとしているメガネのおっさんもいれば、世界の弱い国を軍隊で攻め立てている大国もあるし、小さな会社でお山の大将をやっている人がいたり、本当に人間はアホな生き物で、自分もその一族なわけで、同じ遺伝子を持っているんだけれど、それでも、人は人を包み込む優しさを持った動物なのだと思いたいんだよね。
あっ。
ところで、天窓のTくんが、「最近ブログの話題が重いっすよね~」って。
いろんなところで常連の読者がいてくれて、ありがたいものである。
うん。
このブログは、見られることを意識して書いているけれど、でも、どっちかというと、言いたいことをぶっちゃけて書いているつもりかな。でも、最近困っているのは、ブログの話題の重さではなくって、ココログのサーバーの重さなんだよね(笑)
奥さんも見てるのかなあ。
どっちにせよ、防犯ブザーは無闇に鳴らさないようにね。
本物が来たとき、役に立たないし(笑)
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
いきなり彼女は電話してきて、オイラに告白した。
「一生治らないんだって…。もう子どもも生めないんだって…」
その言葉には、誤解はあったけれど、「治らない」という一点だけは正しかった。
オイラは、5年くらい前に、胆石症という病気になって、入院した。手術をして、胆のうを全摘した。石は、今でも家に残っている。梅干しのように丸くて、大きな石だ。
胆石は、治らない。薬で溶かしたり、超音波で破壊することはできるが、結局体質の問題なので、すぐに石が再発する。だから、胆のうを摘出したほうが、これから長い人生が楽になる。石に怯えながら生きる必要がないのだ。
オイラは、痛風を経験したこともある。これも、痛みを避けることはできても、高尿酸血症自体は、尿酸値を下げることはできても、治すことは出来ない。
30歳を越えると、誰もが、こういうタイプの持病を持つようになる。
が、彼女の場合、少し残酷な病気だった。
社会的に誤解や偏見もある。
最初に発症したときは、とても痛くて苦しむことになる。
「大丈夫。良くなったら、また猫と戯れて、美味しいご飯を食べに行こう」
…そんな、ありきたりな言葉を贈ることしか、オイラにはできない。
病気と向き合うこと。
彼女が、一番必要なことだと思う。
オイラにも、必要だと思う。
残酷な試され方をするもんだ…。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
オイラの場合、ダイエットらしきものが成功した試しがなく、規則正しい食生活など、ほとんど不可能である。だから、非常にノーマルな方法でダイエットに成功した人の話を読むと、普通に感動してしまう。あのスレンダーな眞鍋姉さんが、2週間で2キロ痩せてしまうとは、いや、元々、グラビアアイドルらしく、脂肪細胞が少ないんだろうなあと思う今日この頃、今夜も日付が変わった今頃になって、眞鍋姉さんにトラックバック、いってみよう。
さて、そんなオイラが、最近始めたのは、
「ザ・ガードコーワ整腸錠」なのである。
テレビのCMでもお馴染みで、「乱れがちな便通を改善する」「大腸の状態を正常に近づける」といううたい文句で宣伝している。
この5、6年だと思うけど、オイラの風邪は、下痢にくることが多い。どーんと熱が出て、どーんと下痢をして、倒れる、というパターン。大腸は、現代人で最も傷んでいる臓器のような気がする。肝臓は、お酒をバリバリ飲んでいれば心配だが、オイラの場合はそれがないので、次はやっぱり大腸かなと思っている。
お酒を飲んでいる頃は、必ず酵母入りのビールを愛飲していた。酵母は、食物繊維が含まれているし、ビタミンなんかも抱負だから、最近では酵母だけを錠剤にしてサプリメントとして売っているビール会社もある。オイラは、酵母を濾過していないビールののどごしがすごく好きだったので、ビールはなるべく酵母入りを飲んでいた。
ヨーグルトは、アロエ入りがお気に入り。アロエ単独、ヨーグルト単独よりも、両者がいっしょになった方が、便秘対策やダイエットには良いらしい。
あ、でもね、オイラ的には、一番ダイエットに効果的なのは…、
給料日前の金欠病
…これに限る。
食べたくても、食べられない。財布の中の1000円を1週間でどう使いこなそうかなんて、無理なことを考えたり。精神的にも余裕がなくなるから、もう、ダイエットにはもってこいなのである。
ちなみに、今までで一番ダイエットできたのは…
胆石で入院した2週間
…だった。
病気は間違いなく痩せる。
あ、やっぱり病気以外がいい?
うーん。
じゃあね…
痩せている人を好きになる
…てのは、どうだろうか。
まあ、オイラはもっとブクブクと太っていたんだが、それがある程度、豚の領域を外れて、人間らしくなったのは、大学生のとき人を好きになったからだと思う。
しかも、その人は、ガリガリに痩せていた。
おもしろいもんで、見る見るうちにオイラの体重は落ちていった。
さて、そうなると、オイラも今、何か病に倒れるべきだろうか。
とはいえ、体力は落ちても、なかなか体重を落とすほどの重病にはなれないし、なったら怖い。
悩める減量キャンペーン。
とりあえず、眞鍋姉さん推薦のりんごヨーグルトは、一考の価値ありかもしれない。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
オイラは、母の料理が苦手だ。薄い。味がない。微妙。奇天烈。
ぶっちゃけ、不味い。
みそ汁は、とにかくひどかった。オイラの家には、毎週家庭教師が来てくれていたが、ご飯を食べるとき、先生が苦しそうに食事を飲み込んでいたのを、今でも覚えている。最初は、胸に何かつまっているのか、のど元に違和感があるのかと思っていたけれど、彼は、本当に苦痛の表情を見せながら、胸元をドンドンと叩いて、音を立てて、ゴクンと飲み込んでいた。
オイラの父は、高血圧だったので、塩味が薄かったというのは、あると思う。が、父の高血圧は、おそらく塩分が原因ではなく、精神的なものだった。
味をいくら薄くしても、キレる奴は、キレる。
では、厚焼き玉子は、美味しかったのか。
確かに、頭が痛くなるほど甘かった。
その玉子焼きは、時には真っ黒な焦げ目がこんがりとついていたし、時にはバリバリと卵の殻の欠片が入っていて、苦労した。
「まあ、お袋の味ってのは、そういうもんだよね~」
なんて、のんきなことを言う奴もいる。
うん。
確かに、お袋の味は、そんな甘酸っぱいものなのかもしれない。
でも…。
だったら、食ってみろ!!!!!
マジやし。
食えないし。
30年以上に渡り、耐え続け、食べ続けた自分を誉めてあげたい。当時の家庭教師さんがいれば、おそらく証言してくれると思う。
が、オイラは、そこまでお袋の味を拒否しておいて、それでもはやり、厚焼き玉子は、甘すぎるに限ると確信している。
「まあ、お袋の味ってのは、そういうもんだよね~」
……。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
豚めしを食べているうちにスタート時間に遅れてしまった。
今夜、会社を出ると、一目散に四谷天窓.comfortへ向かった。四谷三丁目の駅を出て、ふとお腹が鳴ったので、まずは松○へ入り、豚めしを食べていて、ふと時計を見ると、19時過ぎ。ライブ会場に入ったら、すでに1組目のライブが始まっていた。
真っ暗な会場に入る。会場は、3分の2くらいが埋まっている。
演じているのは、「空」というユニット(?)。ピアノとボーカルの女性2人組。
途中からなのに、ボーカルの力強い歌声に魅入られてしまった。
すごい…。
カウンターにもたれかかりながら、しばし、ぼう然。
途中から聴いた曲は、「お天気」という歌。「今日は、雨だと思ったから…」
オイラの「そらめく」という言葉に似合っている歌だなと思う。
「風化風葬」というタイトルの歌。
「お葬式の歌やないんですよ」とボーカルさん。
チラシの束の中には、ピンク色の折り紙。
「大好きな空の色を選んだんで、必ず書いて返してくださいね」
・・・って、まっさらな折り紙に何を書けばよいのやら。
声は力強くて、透きとおっている。炭酸が濃い天然水をゴクゴク飲んでいるような清涼感。こういう歌声には、滅多に会えない。
オイラは、もう一度聴きたいと思うことは、めったにない。ハードルが高い上に、人見知りが激しいからだ。
でも、この歌は、もう一度聴きたいと、心から感じた。
ところで。
今夜の2組目のアーティストさんは、カバー曲も歌っていたのだけれど…。
「いっしょに歌ってください」
って。
いっしょにっすか?(*^_^*)
いや、ライブって、そういうのありなんだろうか。歌詞カードまで配られる。
で、曲が始まると、聞こえて来るのだ。
お客様の歌声。
・・・・・・・・・・。
ほとんど聞こえないくらいのボソボソとしたお客様の歌声。
中途半端!!!
しかも、隣のお兄さん、かなり入っている感じで、気持ちよさそうに唄っている。
が、
・・・・・・・・・・・。
ぼそぼそ…。
中途半端!!!!
何だか不思議なライブだった。
さて、今夜のお目当ては、トリをつとめた孔井嘉乃さん。3組目は、完全内輪ウケユニットだったので、オイラにはさっぱり楽しめなかった。なので、入口に孔井さんの姿を見つけて、何ともホッとしてしまった。
やっぱ、天窓はこうでなくっちゃ。
お目当ての孔井さんと、初遭遇の空さん。
うん。1000円は安すぎると思った。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
いや、ほんの3年くらい前までは、オイラは、オイラなりに、自分の信じた道を歩き続けていたような気がするんだ。
人は、信じていたものに裏切られると、他人との距離がとれなくなる。
自信っていうのは、独りで勝手に持つものじゃなくて、支えている他人があるから、疑わずに信じることができるんだと思う。その、支えるべき他者は、決して義務感なんかで支えてやるって、支えている他者ではなくて、ちゃんとまっすぐとオイラを見上げることができて、きっと与えるものと与えられるものとのバランスは取れているんだと思うのだ。
でも、そういう思いって、こっちが勝手に思っていても仕方なくて、だからといって、お互い言葉で確認して関係を結ぶものでもないのだと思う。
オイラはね、そんな風にして、その信頼が、勝手な思いこみだったとしても、それでもオイラは、その信頼に頼って、自分を奮い起こすしかないと思っているんだ。
何度でも、何度でも、相手を信用して、それでも裏切られて、アホみたいに泣いて、アホみたいに打ち砕かれて…。
それでも、やっぱり、生きていく。
そういう、ある意味、思いこみというか、考え過ぎなところって、オイラにとって、生命力のようなものなんだと思う。
不器用って言えば、それだけなんだが、高倉健みたいにかっちょいいものではなくて、単にアホでどんくさいだけやねんけど、たぶん、オイラは、そういうオイラしか、演じていられないんだろうな。
だから、これからもやっぱり、オイラは、オイラなんだろうと思う。
腹の立つこともあるかもしれへんけど、そこを変えるつもりは、さらさらないんだな。
そこんとこ、よろしく。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
子どもの頃は、何でもない普通の家庭だったような気がする。
母の様子がおかしいと思い始めたのは、中学校に入り始めた頃だった。
とにかく、「スパルタ」と名の付く塾へ行かせようとしたり、「殴る」のがウリの家庭教師を呼ぼうとしたり、半分冗談だったろうが、戸塚ヨットスクールに行かせるぞと言い出したり、意味もなくオイラにスパルタ教育をしようとしていたような気がする。
それで、何か変だと、中学生なりの頭で、自分の過去を振り返ったりして、記憶の片隅に追いやられていた母の虐待を、ふと思い出すことになった。
小学生のとき、オイラが家にいると、母が怒りの表情で突然帰ってきて、「宿題をしていない」と怒り始めた。オイラには覚えがないので、「知らない」と言うと、情け容赦なく母はオイラを殴り始めた。宿題は、他のクラスのことで、自分の宿題ではなかった。
近所の子どもにいじめられて帰ってきて、「誰にいじめられたのか」をオイラから聞き出すために、母は、1時間近くにわたり、部屋でオイラを蹴り続けた。ようやくオイラが白状すると、母は、「恥ずかしくて学校に言えない」と仕事に戻った。
これだけではなかった。
…1つ1つの虐待の記憶が、どんどん頭の中で増幅していった。
大学に入学して、独り暮らしを始めて、母の異常性にますます気づくことになった。ある日、母は、突然、オイラに人間ドックに入れと言い出した。そんな大袈裟なものでなくても、健康診断を受けていると言うと、母は電話口で狂ったような怒り叫んだ。その異様な怒り方に、怖くなって、人間ドックを受けた。人間ドックでは、健康な体では受ける必要のない検査まで受けた。「心臓が悪いんですか?」と看護婦に聞かれ、無言で笑うしかなかった。
意味不明の借金を重ねるようになったのは、その頃からだった。
大学生のオイラが、彼女に金を貸すこともあった。
印鑑登録証明書や住民票を要求されることもあった。オイラの名前で保証人になったこともあった。いつの間にか、オイラの名前で会社ができていることもあった。家にネットビジネスの会員証が届いて、驚くこともあった。
境界線がない。
だんだん、オイラは、実家から遠ざかるようになった。
社会人になっても、彼女の癖はなおらず、オイラのアパートの家賃を自分の会社名義で払おうとしたり、英会話学校に通えと執拗に迫ったり、遠ざかったにも関わらず、境界線はどんどん浸食されていた。オイラの名義でマンションを買い、自分たちで住もうとしたとき、オイラは本気で親から距離を取ろうと思った。
そんな矢先、会社や自宅に、彼女の名義で借りた金融会社から電話がかかるようになった。
オイラの意志とは関係なく、母は、別の世界へ遠ざかってしまった。
しばらくして、母は東京に現れて、オイラに和解を迫った。
しばらく様子と見ることにしたが、しばらくどころか、すぐに会社に金融会社から電話が入るようになった。
母の日は、好きではない。
母という存在が、子どもにとって、有益とは限らない。
裏切る母親もいる。
それでも、この日は、母と子どもの絆を修復しようとする。
オイラは、母から生まれた。それは、逃れられない現実である。
やっかいな1日。
オイラは、ひたすら眠って過ごしていた。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
思うがままに感情を表に出して、特に、怒りを堂々と、相手を配慮することもなく、爆発させることのできる人がうらやましい。オイラの周りには、何人か、そうやって怒ってばかりいる人がいるが、オイラはさっぱり怒りの感情を表に出せないでいる。
子どもの頃、学校でジクジクといぢってくる馬鹿子どもがいて、普段から感情をあまり表に出すのが苦手なオイラは、突然キレて、相手に襲いかかったりした。
「もりちが、発狂した」
オイラが怒るのがおもしろくて、ジクジクといぢる。キレると喜ぶ。が、キレ方が尋常ではないから、すぐに恐れおののき逃げる。
今、オイラの周りにいる人たちは、そんなこと露も知らないし、そういう話をしても信じてもらえないくらいである。
オイラは、キレると怖いんだそー……。
よそう(笑)
オイラの父は、いきなりキレるタイプだった。普段はおとなしくて、人見知りで、自分の意見を堂々と表現できない癖に、何の前触れもなく突然キレて、物を投げたり、大暴れした。祖父は、それに輪を掛けてキレる人で、出刃包丁片手にオイラの母を追いかけ回したこともある。
オイラの家系は、キレる家系なのである。
いつの日か、オイラは、怒りの感情をどこかに押し込めてしまった。
我慢しているわけではない。
怒り方が分からなくなってしまったのだ。
もちろん、イライラすることもあれば、腹が立つこともあるし、怒っていることもある。でも、それを爆発させることがなくなってしまった。それは、とりわけ、2年半前、お酒を断ってから、ますます顕著になって、いつも穏やかに過ごしているように見えるみたいだ。
怒るって、よく分からない。
キレるって、よく分からない。
ただ、過去に対する怒りは、かなり溜まっている。両親、小学校の教師、友達…。今はもう、ぶつけようのない怒りばかりだ。
お人好しと言われることがある。
オイラは、決してお人好しではない。
少し感情の出し入れが壊れているだけである。
オイラから怒りを奪ったのは、おそらく、人間に対する激しい憎悪のような気がする。
相変わらず、オイラは、こうして生きてくのだと思う。
アップダウンが激しい人生よりは、足下がしっかりしていると思っている。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
卵焼きは、甘いに限る。目玉焼きは、半熟に限る。朝は、ご飯に限る。この辺までは、オイラの実家で覚えたことだ。
これから先は、大学に入学して、京都で独り暮らしを始めてから、ようやく実現した。
トーストでもいいけど、マーガリンはたっぷり塗りたくりたい。テレビのCMですっごい塗りたくっているのを見て、憧れだった。ウインナーは、焼いたほうがいい。出来れば、食後のコーヒーも欠かせない。砂糖やミルクは使わず、ブラックで。
この辺までは、おそらく実家の両親も、普通に聞いてくれるだろう。我が家の許容範囲内ということだ。
梅干し…何故か我が家にはなかった。子どもの頃、『ドカベン』で山田太郎が食べていた弁当は、大きな梅干しが入っていた。オイラは、どんぶりにたっぷりのご飯に、大きな梅干しが、たまらなく大好きだ。どうして我が家には梅干しがなかったのか、謎である。修学旅行で朝食に梅干しがあったが、小さくて、カチカチの梅干しだったから、食べられたものではなかった。
納豆…これも我が家にはなかった。オイラは、我が家の家系で唯一納豆を食べる人種である。親戚の家でも、友達の家でも、納豆を見かけたことはなかった。子どもの頃、こっそりと納豆を買って、食べてみた。うまかった。でも、家族はしかめっ面だった。大学に入り、近所の生協で納豆を買って食べた。友達はソースをかけていたが、オイラは、何と言っても、しょうゆに限ると思っている。
めざし…『サザエさん』でみんながマズそうに食べているのを見たことがある。猫がくわえて逃げていく図も、すっかりお馴染み。でも、我が家の食卓にはなかった。これも、大学に入って、初めて口にすることになる。うまかった。我が家には、何故めざしがなかったのか。猫を飼っていたからなのか、それとも、誰かが嫌いだったのか、オイラには分からない。
牛乳…オイラは、子どもの頃、牛乳が嫌いだった。幼稚園のとき、牛乳が飲めなくて、家に帰してもらえなかった。小学校に入っても、それはあまり変わらなかった。が、何故か、実家を出て、独り暮らしを始めた途端、牛乳を飲み始めた。ウマいとは思わなかったが、子どもの頃ほどマズくはなかった。
実家を出て、オイラは、すっかり好き嫌いが変貌してしまった。
古里の味、といえば、何か永遠のものというイメージがあるが、オイラが今好きな食べ物は、意外に実家を出てから覚えたものが多い。
舌の記憶は、案外、浮気者なのかもしれない。
ところで、そんなオイラが、変わらず好んで食べるもの、それは、みそかつと小倉トースト。東京の人は、どちらも顔をゆがめる。
お袋の味とは、とても言えない。
それにしても、濃いなー。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
この部屋に引っ越してきて、もう10年近く。ここは、敷金・礼金がいらない会員制アパートなので、こんなに長期間住み続けているのは、珍しいのだと思う。それもこれも、そんなに遠くなく引っ越そうと思っていたからだ。
3年ほど前、オイラは、部屋の中での活動をほぼ停止してしまった。何もかも溜まるばかり。布団は引きっぱなしだったし、自炊はしないから、台所もほこりにまみれていた。買ってきた本は、どこまでも延々と積み上げられて、崩れてくると、さらに上に何かをのせて、どんどん山ができてきた。
で、いつの間にか、オイラは、片づけられない男になっていたらしい。
最近、ようやく部屋を片づけようという意志が芽生えてきた。
とにかく、床の上にあるゴミの山を1つ1つ片づけて、捨てている。ほんの数年前まで、この自治体の家庭ごみ収集は無料だったが、いつの間にか有料になっていた。
床が徐々に広がってくる。
新しい布団を買った。
ふと部屋を見回してみる。
何と、無駄なものに囲まれて、オイラは生きているのだろうか。
読まなくなった本、使えないステレオデッキ、古いデスクトップパソコン、壊れた机、動かなくなった冷蔵庫、読まない本が詰まった本箱、故障したビデオデッキが2台、壊れたテレビ、使わなくなった布団、観ないビデオ…。
いったい、何のために収集したんだか。
手元に1冊の本がある。
『どうして私、片づけられないの? 毎日が気持ちいい!ADHDハッピーマニュアル』(大和出版/櫻井公子・新宿成人ADDセンターさくらいクリニック院長)
ADHDサバイバル15箇条
「自分」や「状況」を冷静に観察する目(観察自我)を磨こう
優先順位を考えよう
一つのことを仕上げる意識を保とう
感情や衝動をコントロールしよう
自分の個性や得手不得手を徹底理解しよう
長期・全体のバランスを考えよう
時間や手間のコストに気をつけよう
心身や生活リズムの定期メンテナンスをしよう
結果を予測して慎重に動こう
便利なツールをうまく使おう
家族や友人と交流する時間枠を保とう
不器用でも努力が伝わるかわいいキャラを!
よく理解者や仲間、居場所を見つけよう
(P150~157)
どうも、オイラは、似たような症状があるようだ。
ところで、先日、ある方に言われたことがある。
「部屋を最終処分場にしていないか?」
確かに。
分別は真面目にするほうだ。でも、捨てるのは、意外に下手だ。引っ越しのたびにどっとゴミを出す。でも、あらかじめ捨てていても、まとめて捨てても、ゴミの量は変わらなかったに違いない。ゴミ予備軍に囲まれて、狭い部屋で生活するより、いらないものはさっさと捨てた方がいいと思うようになった。
限られた国土なのだし。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
オイラは、37年間、ほとんど他人と戦うことをしてこなかった。友達とケンカしたこともほとんどないし、プロレスごっことかは、やらなかった。なのに、大人になって、意外にK1とかPRIDEなんかを大真面目に見るようなった。大晦日、テレビにかじりついて、格闘技観戦を楽しむことが多かった。
でも、あまり名指ししたくないけれど、亀田3兄弟の試合だけは、見る気になれなかった。
相手はいつも、東南アジア系の外国人。初めの数回であっさりKO。それも、相手が強けりゃ分かるが、弱い、弱い。
考えてみれば、ボクシングで、将来有望な若手が試合をすると、何故か東南アジア系のボクサーが登場して、2、3回であっさりと転がるのは、何故だろうか。
オイラの崇拝するきっこ様は、亀田3兄弟の試合を「八百長」と断じていた。
オイラには、あれが八百長かどうか分からないが、あの試合を何度繰り返し見ても、亀田3兄弟が「強い」とは思えなかった。K1やPRIDE、そして、彼ら以外のボクシングで、闘いの後に感じる爽快感なんて、どこにもない。むしろ、一昔前の陳腐なプロレスを見ているような気分だった。
もっとも、日本人のかなりの人たちが、あのKOシーンを見て、「亀田3兄弟はすごい」と感じているのだと思う。テレビは、ゴールデンタイムで生中継。つくづく日本のマスメディアは、落ちるところまで落ちたものである。
KOした後に歌まで唄うんだから、もう、これはボクシングなんかじゃない。かなり昔に、女子プロレスラーがリングで歌っていたが、それでも試合の前だった。
日本人は、いったいどうしちゃったんだろうか。
力道山やジャイアント馬場だって、あんなに滑稽ではなかった。
それを大真面目に、「すごい」「すごい」と騒いでいる。
殴られる痛みが分からないガキが、大観衆の視線にさらされて、リング狭しと弱いものいじめに必死になる。勝つと、気持ちよさそうに唄う。裏には、高額なお金が飛び交う。
「強い」日本人ボクサーにあっさりとKOされる東南アジア系のボクサー。
この構図、オイラは、人種差別だと思っている。
本当に命をかけている人間は、勝ってもはしゃがない。
「強い」って、自分よりもスゴい奴に立ち向かうことじゃないだろうか。
日本が太平洋戦争に負けて、60年が過ぎた。
あのとき日本が戦った相手は、勝てるはずのない大国だった。
長い、長い、幻想の経済成長を経て、
日本人は、今、弱っちいボクサーを倒して、熱狂している。
日本は、本当に世界に負けた。
そんな大袈裟な失望感に浸っている。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
ゴールデンウイーク前、彼女んちで体脂肪率まで計れる体重計があって、「のってみなよ」と言われ、気楽な気持ちでのってみたんだな。そしたらね、
体脂肪率40%
つまりやね、体の4割は脂肪でできてるっちゅうことだわさ。オイラは、身長が162センチなので、男性の標準は20%台らしい。体重は70キロをわずかに超えている。
ヤバい。
2年半ほど前、酒を切って以来、体重は70キロを超えたことがなかった。
眞鍋姉さん、オイラもつきあうよ。
増量キャンペーン、オイラも終了。
そんなこんなで、遅ればせながら、久しぶりに眞鍋姉さんにトラックバック。
・・・・・
恐ろしきかな、体脂肪率。
40%っちゅうことは、腰から下は脂肪みたいな。本体は6割くらいしかないってことだから、4割引でオイラを見て欲しい、そんな感じでしょうか。
オイラは、20代後半にマックスで82キロという体重の記録を持っている。この時期、とにかく酒を飲んでは、メシを食い、酒を飲んでは、メシを食った。見る見るうちにデカくなる、というノリだった。
2001年にオイラは、胆石症で入院して、体重が63キロまで落ちた。
それ以来、70キロを超えたことはない。
体脂肪率を計ったのは、生まれて初めてだった。
40%
彼女が腹を抱えて、ゲラゲラ笑った。
確かに腹がデカくなったよな。
増量キャンペーン終了。
ゴールデンウイークが終わった。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (1)
殺人事件の犯人が、刑期を終えて出所して、記者会見まで開いて、「俺はまた殺す」と言ったら、警察は彼をどうするんだろうか。かなり危ないから、やっぱり警察は彼を捕まえるんじゃないだろうか。
戸塚ヨットスクールの校長がヒョコヒョコと出所して、記者を集めて、「体罰は教育だ」と宣った。「体罰は教育だ」というのは、聞こえはいいけれど、要するに、「また子どもを殴る」と宣言しているわけで、こういう人が出所して、記者がおもしろがって記事にするところが、いかにも日本だなあと思うし、マスコミって馬鹿だと思う。
オイラは、小学生のとき、両親から戸塚ヨットスクールの話をされた。家族で夕飯の食卓を囲んでいるときに、こんな学校があると教えられたのだ。
何人もの体格の良い男たちが突然家にやってきて、不良息子や不良娘を監禁して、無理矢理ヨットスクールに連れて行かれる。逃げる気力を失うまで監禁して、脱走すると、殴る蹴るの暴行を受けて、再び閉じこめられる。
いや、こうやってブログにしてしまうと、臨場感が伝わらないが、その話をするときの両親の顔は、不気味な微笑みを浮かべていて、いかにも、お前もすぐにそうしてやると言われているようで、怖かった。
オイラ「その時は相手を殺す」
両親「殺す前に、お前がひどい目にあう」
すごい会話をしている。
今だから分かるが、そのときの両親は本気だったと思う。誤解されると困るが、オイラは、極めて健全な子ども時代をおくっていた。少々引きこもり気味ではあったが、学校はほとんど休まなかったし、真面目な生徒だった。成績はそれほど良くはなかったが、学校で問題児とは思われていなかったと思う。
その子どもに、「お前も入れてやる」という両親は、ちょっと壊れているなと思った。
このとき両親を相手に口にはしなかったが、オイラは、確かにその話をしていたときに、両親に向かって、こう心でつぶやいていた。
「もし戸塚ヨットスクールに行かされたら、帰ったら、両親を殺してやる」
この頃だと思うが、オイラは日増しに両親に対する憎悪を燃やしていた。
親子の関係に、徐々に溝が出来てきたのだと思う。反抗期と言えば、それまでだ。でも、こんな年齢になるまで、溝が埋まらないまま広がったことは、少し意外だった。
テレビで、戸塚校長が出所して、「体罰は教育だ」と宣う映像を見ていて、オイラは、ふと昔の親子の会話を思い出していた。
「あんたも入れたろか」
「絶対入らない」
「(笑)」
……子どもが笑っていないことを、親は気づかなかったらしい。
オイラは、今でも両親との連絡を絶っている。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
今日は、風が若干強いものの、穏やかな晴れだった。彼女と夜からあるお店にご飯食べに行こうと約束していたので、オイラたちは、少し早めに吉祥寺駅で待ち合わせをして、井の頭公園の焼鳥屋さんで、焼き鳥を食べながら時間を潰していた。
そのとき、1本のメールが入った。
会社の先輩からのメール。
「君はブログを公開しているか?していれば個人が特定できるようなものか。ちょっとまた犯罪。嫌がらせ郵便。回答至急」
電話で詳しく聞いてみると、今日、1枚の葉書が彼の自宅に舞い込み、葉書には、オイラの過去のブログの内容が1字1句写してあったのだという。
ちなみに、その内容は、こんな中身だった。
35歳を越えたあたりから、オイラの周りで結婚する人は、ほとんどいなくなった。同世代は、みーんな片づいたからである。つまり、オイラは、自分で取り返すこともなく、延々と投資を続けていたわけである。
最後の結婚のお祝いは、会社の後輩の結婚式で、3万円投資したが、返ってきたのは、馬車道のお菓子だった。でも、まあ、これはなかなか美味しくて、それなりに納得した。
会社の先輩で、直属の上司に子どもが出来たときには、確かみんなでお祝いを出し合って、そのときはワイングラスをお返しにもらった。でも、あまり好きな先輩ではなかったせいだろうか、そのペアのワイングラスは、半年も持たずに割れてしまった。
これだけである。
オイラ「これだけですか?」
先輩「これだけだ」
オイラのブログは、オイラ自身を特定できる材料があちこちに散らばっている。それは、このブログを書いている本人を、無理に隠す意志がないという意味でもある。
インターネットは、匿名性が武器でもある。匿名性を利用して、他人の誹謗中傷を行う行為が後を絶たないし、それを取り締まる法律もない。
以前、オイラの会社の後輩は、その匿名性を悪用され、某巨大掲示板に露骨な嫌がらせをされた。
オイラは、そういう経験もあって、ブログを完全な匿名で書くことに抵抗があった。ただ、完全に身のうちを明かすことは、こういうネット社会では危険でもあった。そこで、オイラは、読む人が読めばオイラを特定できる程度の情報をプロフィールに記載して、ブログを始めることにした。
従って、オイラは、積極的に公開はしていないが、このブログを非公開にもしておらず、会社の内外にこのブログの存在を知られることを前提として記事を投稿している。
それは、記者という仕事を選んでいる人間として、ネット上の自分の発言に責任を持つべきという思いがあるからである。
で、前述の葉書である。
意味不明である。
気色悪い。
もし、葉書の送り主が、オイラのブログを会社にばらしたいと思うなら、堂々と社長に送れば済む話なのである。それをわざわざ、日頃社内でそれほど交流があるとも思えない先輩の自宅に送りつけるのだから、しかも、単なる写しを送ったのだから、意味不明としか言いようがない。
「ブログに書いてある『直属の上司』っていうのが、俺だと勘違いしているんじゃないかな」
彼は、そんな推測をしていた。
オイラ「どうしましょうか。ブログ消しましょうか?」
先輩「いや、その必要はないんじゃないかな」
オイラ「じゃあ、この事実を記事にしてしまいましょう(笑)」
先輩「おお、そうだな」
そんなわけで、ネタを提供してくれた意味不明な人物のおかげで、今夜はこうして、久しぶりにブログっぽいブログを書いている。
ところで、隠すつもりはないものの、何百万とあるブログの中から、オイラのブログを見つけたのだから、葉書の送り主は、かなりオイラのブログのファンらしい。いつも、読んでくれて、ありがとう。
感謝でいっぱいだよ。
でも、葉書の送り主、お前、ぶっ殺す。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント