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2006年3月13日 (月)

積み重ねる人生と、消化する人生と…。

ある精神科医が、こんなことを言っていた。

「若い人は、これから積み重ねていく人生ばかりを思っているかもしれないけれど、ボクらくらい、40歳から50歳くらいになってくると、実感としてなくすことを体験することになるんだよ」

精神科の患者の中には、強い外的なストレスが原因で記憶障害を起こしていたり、思春期に本来受けるべき愛情を受けずに育ち、そこに欠落を感じたり、若いうちに何らかの喪失体験をしている人が多い。それ自体は、その人にとって、大きな欠落だとは思う。

でも、そういうトラウマや外的要因が何もなく大人になったとしても、人は、30歳も後半を過ぎると、自然に「欠落」を体感することになる。例えば、記憶であったり、体力であったり、身近な人の死などである。これまで体験は積み重ねていくものだと思いこんでいたけれど、ある一定の年齢を過ぎると、誰でも、体験するたびに何かをなくしていることの方が多くなり、記憶のかたまりは、だんだんと萎んできてしまう。

そういう転機を過ぎると、喪失体験が人生で当たり前となる。人によっては、それは30代の半ばであり、40歳を過ぎてであり、中には50歳とかの場合もある。

生きていくことが、積み重ねだった人生が、生きていくことで喪失することを体験する。そのとき人は、棚卸しをしながら、自分にとって決して忘れてはならない、なくしてはならない、それを持たずには生きられないものが何なのかを選択しながら、意識的にも、無意識的にも捨てることを覚える。

オイラの場合、アルコールは、いったん捨てたものだった。

そのほかにも、依存しているものは、捨てる必要があるし、それを持ち続けるには、何かを別に捨てなければ、自分自身を喪失してしまうことになる。

30歳を過ぎると、急にきれいになる女性が多い。それは、そういう取捨選択をうまく乗り越えた女性だと思っている。

男性でも、30歳を過ぎて、皮がむけるというか、落ち着く人がいる。やはり、人生で一番大切なものを見誤ることなく、抱え続け、それ以外に、持たなくてもいいものを捨てている人なのかなと感じている。

オイラは、そういう喪失体験を、2年ほど前、たった数ヶ月でやりきってしまったような気がする。

今は、投げ捨てて、捨てきれないものが引っかかっている状態。さらに前に進むには、まだ捨てなければならないものと、捨てなければ手放してしまうものがハッキリしてきた、というところだろうか。

これから始まる人生がある。

捨てたモノを、もう一度背負うことも良い。背負い始めたものを、やっぱりやめてもいい。

どっちにせよ、これからの人生は、どちらも抱えることはできない、ということだけは、確かなのだと思う。

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