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2006年3月の29件の記事

2006年3月29日 (水)

眞鍋姉さんという名のビデオテープがあったら、オイラは絶対に巻き戻しをするよ。

牛丼屋でスカウトされて、グラビアアイドルやって、ブログの女王になって、おひとりさまでフランス料理食べている、偉大なる眞鍋姉さん。その人生を巻き戻せるものなら、オイラは喜んで、巻き戻せるだけ巻き戻してみせるさ。でも、着ぐるみでクリスマスとか、イケメンカフェで店員物色するとかは、ちょっとNGかもしれない。そんなわけで、前夜の更新予告を守ってくださり、しかも、深夜ではなく、こんな早い時間で何より。眞鍋姉さんに、トラックバック!

ところで、眞鍋姉さんがうらやましがる、名刺交換

オイラは、仕事柄、名刺をよく浪費するほうなんだけれど、就職したての頃は、使い方が分からなくて苦労した。取材先で名刺交換したら、間違えて相手に名刺の向きを逆側にして、相手がひっくり返したりするのを見て、赤っ恥だったりしたことがある。名刺を受け取る流儀は、未だに分からなくて、こっちが差し出しているのに、向こうも差し出して、受け取ってくれなくて、どっちから受け取ったらいいか分からなくて、差し出しっぱなしでお互い硬直していたりすることもある。

当時の名刺は、真っ白な紙に、縦書きで、会社名と名前と住所と電話番号が、楷書で書いてあるという、あまりにもオーソドックスな名刺だった。そういうダサい名刺を交換するのが恥ずかしくて、でも、落書きしたりするのはもっと恥ずかしいから、例えば、当時は携帯電話を持っている人が少なかったので、携帯の番号を書いたシールを裏に貼り付けたり、会社の名刺とは別にメールアドレスと携帯の電話番号を書いた名刺を、自分のパソコンで作ったりした。

そう言えば、先日、赤坂にある超有名なホテルのラウンジで、超有名な方に取材をしたのだけれど、彼は、オイラの前に現れると、おもむろに産○新聞の名刺を取り出して、「初めまして」と挨拶してきた。

彼は、新聞記者ではない。

しばらくして、超有名な彼は、間違えに気づいて、赤面した。

オイラと、同僚は、それぞれ別の名刺を受け取り、同僚の名刺は、別の新聞社の名刺だった。

「いろんな人に会うもんだから…(苦笑)」

名刺なんて面倒くさいツールだと思う。でも、名刺のおかげで仕事ができている、という側面もある。オイラなんて、名刺がなければ、ただのおっさんである。

もちろん、超有名な彼も、名刺が間違っていれば、詐欺師とどっこいどっこいである。

眞鍋姉さんの名刺って、ないのかな。

肩書きは、「ブログの女王」だったりして。

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眞鍋姉さん、待ってるよ~!

眞鍋姉さん、オイラ、毎日待っているよ~。いつでもええねんけど、夜中は勘弁してくれ~。マジ眠いし~。

えいっ

眞鍋姉さんにトラックバック。

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2006年3月28日 (火)

今日、渋谷を歩いていたら、猪八戒に会った…かもしれない。

今日は、昼頃渋谷を歩いていて、かつ丼屋さんの前を通りかかった。安くて、ボリュームのあるかつ丼を食べられるこのお店で、朝ご飯も抜いてきたし、そろそろ昼食にしようと思ったんだ。

お店は、そろそろ昼休みの時間が終わるくらいで、カウンター席がポツポツと空いていた。オイラは、かつ丼の「松」をオーダーして、カウンタの1席に座った。

かつ丼を待っていると…。

ぶひっ

豚の鳴き声らしきものが聞こえた。

オイラは、周りを見回したが、豚の姿はなかった。

ここは、かつ丼屋さんである。

豚の亡霊でもいるのだろうか。

ぶひっ

また、聞こえた。

しばらく間が空き、かつ丼が運ばれてきた。オイラは、豚の鳴き声も忘れてガツガツ食べていると、再び…。

ぶひっ

やはり、豚がいる。

キョロキョロと周りを見回していると、オイラの隣の席にもかつ丼が運ばれてきた。

ぶひっ ぶひっ ぶひっ ぶひっ ぶひっ

豚の鳴き声が連発した。

鳴き声の主は、隣に座るお客様。メガネをはめた青年だった。

青年は、特段太っているわけではなく、むしろやせていた。

ぶひっ ぶひっ ぶひっ

あまりにも見事な豚の鳴き声なので、店内の客もみんな、彼の方を気にしていた。

おそらく、鼻が鳴っているのだと思う。それにしても、まるで子どもの頃の遊びのように、豚の鳴き声が聞こえた。

彼は、ぶひぶひと鳴き声を立てながら、豪快にかつ丼を食べた。

ぶひっ ぶひっ ぶひっ ぶひっ ぶひっ ぶひっ ぶひっ

食べ終わった彼は、口元をぬぐいながら、鳴き声を連打していた。

彼が店を出た後、店中の人たちが、彼の背中をジッと目で追っていた。

あいつは、何だ?

猪八戒か?

宮崎アニメで、豚に変えられたか?

しばらく悩んだ後、オイラも、お客様たちも、ハッと我に返り、自分のかつ丼を食べ始めた。

そんな不思議な渋谷の午後。

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2006年3月25日 (土)

鶴岡八幡宮

大銀杏が荘厳。

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海が

聞こえる。

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江ノ島・鎌倉最終日

今日は、鎌倉を歩く。

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2006年3月24日 (金)

ここは極楽寺

住んでみたい場所。

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2006年3月23日 (木)

夕方を過ぎると

あちこちから野良猫が顔を出した。江ノ島は、捨て猫の楽園。エスカーのおばさんや、サムエル・コッキング宛のお姉さんが、餌をくれる。
でも、捨てないでね。

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江ノ島で食べるタンシチューが美味かった。

江ノ電江ノ島駅から江ノ島に向かう通りに、タンシチューとビーフシチューの看板が出ていた。

2100円で厚焼きトーストも付いてくる。

とろけた。

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江ノ島は今日も曇りだった。

海岸線のファーストキッチンでなごむ。

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おはようございます。

ホテルでだら〜んと過ごす朝。相方がハンガーをドアの上に引っ掛けていたら、外れなくなって、大騒ぎした。

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2006年3月22日 (水)

〆は、はるか昔から鶏雑炊と、相場が決まっている。

〆は、久しぶりに鶏雑炊だったよ。

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雨が降りそうです。

サムエル・コッキング宛にて。

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湘南新宿ライン逗子行き

横浜を過ぎると、グリーン車は、ガラガラだった。

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2006年3月21日 (火)

仕事が終わり、電車に乗ると、すでにそれは最終の1本前で、駅に着くと、結局居酒屋くらいしか開いていなかった。

まだ時間に余裕があると思っていた。会社を出たのは、まだ昨日だったが、駅で電車を待つうちに日付が変わった。電車は、送迎会の飲み会で酔っぱらった人たちで満員だった。老若男女が、アルコールの臭いをぷんぷんさせていた。

オイラは、アルコールの臭いが苦手だ。

ほんの2年4か月前まで、大酒飲みだったのだが…。

地元の最寄り駅に着くと、上り線のホームはすでに電気が消えていて、青い作業服の男たちが、資材を運んでいた。

駅前の牛丼屋を覗いてみたが、どういうわけか満員だった。並んでまで食べる気がしなかった。

フラフラと、いつも寄る総菜屋に寄って、弁当を買おうとしたが、今ひとつ気が乗らなかった。

仕方なく、オイラは、久しぶりに、酒を飲んでいた頃に毎日通った居酒屋に足を向けた。この辺にチェーン店の居酒屋が乱立する前から、ずっと朝まで営業していたお店である。この2年くらい、ここに来たのは、今回を入れて2度目である。

最初に訪れたのは、10年ほど前だろうか。

一応、ここもチェーン店の看板を出して、メニューもそれなりのものだったが、店長が自分で仕入れた魚介類を独自のメニューとして出していた。あの頃は、鯨の刺身がよく出ていた。東京に出てきて、鯨を食べられたのは初めてだったので、オイラは毎日通っては、鯨を食べた。

さすがに鯨を毎日というわけにはいかなかったけれど、それ以来、飽きるほどに通った。

駅前の本屋でお気に入りの漫画を買うと、ここに来て、カウンターの端っこで延々と酒を飲みながら本を読んだ。少女向けの恋愛漫画が多かった。

ここで酔っぱらいながら彼女に電話して、プロポーズしたことがある。

もちろん、断られた。

「酔って大事なこと言わないで」

ごもっともである。

たくさんのドラマがあった。独りぼっちで戦った戦士の休息場だった。

今日、久しぶりに店に入ると、相変わらずのメンバーが働いていた。みんな、それなりに年齢を重ねていた。

「もう飲まないの?」

「うん。最近は、酒の臭いにもダメになった」

「飲まないと、そうなっちゃうよね~」

「そうだね~」

「またおいでよ。ジュース飲みに来てください」

店の臭いは、当時と何も変わっていなかった。0時を過ぎると、奥の座敷と掘り炬燵は閉めてしまうこと、座席に余裕があっても、適当なところで客を断ってしまうこと、貝類の刺身がやたらと種類抱負なこと…。

変わったのは、オイラなのかもしれない。

明後日、オイラは、旅に出る。

東京のすぐ近くだ。

人によっては、そこから通勤しているかもしれない。

天気予報は、あまり良くない。

てるてる坊主を持って行こうと思った。

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2006年3月20日 (月)

眞鍋姉さん、長時間の監禁は、人をトランス状態に追い込むよね(;・∀・)

オイラの職場は、週に2回、「しめきり」があるから、ほとんどのメンバーは、その日、狭いフロアに閉じ籠り、黙々とパソコンに向かって仕事をこなすことになる。これが、いろんなタイプの人がいて、本当に黙って原稿と格闘する人もいれば、ぶつぶつ…( ̄。 ̄;)と何かつぶやいている人、突然キャッキャッと騒ぎ出す人、煮詰まると、見るからに甘そうなケーキや大福を食べ始める人…、いろいろなのである。

突然、「イナバウアー!!!」って、万歳しながら背中をそらせる新入り社員。

使い方間違ってますから!!!!!

中でも、社長はかなりヤバくて、ハマったようにパソコンが使えなくなり、世界中に響きわたるような大声でがなりまくり、社内中のヒンシュクを買うのである。

狭いブースに籠り、孤独に文字と格闘していると、どんなに優れた人間でも、壊れてくるものだよね。ものすごく頭脳明晰な人が、何故か、いつの間にか、鼻唄が聞こえてきたりする。

「ふんふんふ〜ん…」

何の歌だろう( ̄▽ ̄;)

もしや、ものすごく売れていたりする歌かなと、よく耳をすましても、聞き取れない♪ ̄ー ̄)-*

そうなのだ。鼻唄は、大抵はデタラメだったりする。

でも、普段頭脳明晰でクールな彼が、鼻唄っすか(;´д`)

監禁されると、人は壊れるんだね〜(((・・;)

そんなわけで、眞鍋姉さんにトラックバック。

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2006年3月19日 (日)

東京の地下鉄は戦前にすでに作られていたという噂は本当か6

ネタがない。とりとめてブログで披露する面白い話題もない。

やはり、こういうときは、秋庭さんをいぢるしかない(笑)

今までは、彼の著作の矛盾を指摘してきたが、今回は、矛盾以前に何度読んでも書いてあることが意味不明という箇所をあげてみよう。

『帝都東京・地下の謎86』(洋泉社)である。

戦後、靖国通りは新宿へと延長されたが、市谷の外濠を横断してはいない。市ヶ谷駅の上の橋を渡るものである。つまり、二つの別の道路を同じ名称にしただけで、実質を伴ったものではない。市谷の外濠を変えさせないということでは、戦後の政府も陸軍と変わらない。いま、そこにある地下道のほうが大切なのだろう。(P186「74 こうして大正通りは消滅した」)

ここでは、要するに、後藤新平が天皇の名を冠した「大正通り」を作ろうとしたが、市谷の外濠を横断することから陸軍が反対し、挫折した、ということが言いたいらしい。この話には地下が出てこないし、地下がなくても成立する。ところが、「そこにある地下道のほうが大切なのだろう」と、突如地下が登場する。そして、次のページには、「東京氏名入千文の一精密地図」が掲載されていて、市谷の外濠を横断する斜線と「放射6号」という文字が入っている。欄外には、「市谷の外濠に『放射6号』の文字が見える」とある。

どうやら、放射6号が、「そこにある地下道」と言いたいらしい。いや、違うなら指摘してほしいが、これを読む限り、そうとしか読めない。

放射6号とは、靖国通りのことである。新宿から先の青梅街道も、放射6号になる。ここに書いてある放射6号とは、オイラの予想では、計画されている放射6号のことで、地下道のことではない。市谷の外濠をいじってはいけない、だから、靖国通りはここを横断できなかった、これだけの話である。地下道など、ここから想像などできない。無理である。読者は、地下道があるかのような勘違いはするかもしれないが、何度読んでもここに地下道があるとは、理解できない。

さて、

お馴染みの秋庭系オタクのバイブル『帝都東京・隠された地下網の秘密』(洋泉社)である。

『有楽町線建設史』にこの駅の断面図がある。小学校の校庭の下に巨大な地下建築ができている。「8号線」とあるのは有楽町線、「放射36号地下街路」はこの図のタイトルにもあるとおり、地下の道路になる。
この駅の周りには、いま、キャベツ畑が広がっている。小さな家並みが畑を囲んでいる。そんな田園風景を見ていると、この巨大な地下建築がいかにも唐突なものに思えてくる。
だが、この図が唐突というだけでなく、不自然に見えるのは私だけだろうか。「地下街路」はなぜ、校庭と樹林帯にまたがっているのだろうか、最近の地下鉄の駅にしては柱が多くないだろうか、道路と地下鉄の間になぜ「間詰コンクリート」というものがあるのだろうか。
「間詰め」というのは二つの建築物のスキマにコンクリートを詰めるようなときに使うはずで、私には「地下街路」というものが以前からあったように思えてならなかった。(P86~87)

これは、オイラの想像だが、秋庭氏は、この地下街路が池袋から有楽町線の上を続いていると勘違いしていると思う。

それは別にしても、今、この駅を降りても、キャベツ畑は広がっていないことは、小竹向原周辺の住民の皆さんが、一番よく知ってらっしゃるだろう。

「放射36号」とは、地下街路ではなく、池袋から新大宮バイパスまで通じる都市計画道路のことである。現在は、池袋から環7までが開通しており、環7から新大宮バイパスまでは、近い将来の事業化に向けて、調整が続いている。では、ここに「地下」と書いてあるのは、何故だろうか。それは、地上を通っていた放射36号が、ここだけ地下に潜るからである。理由は、ここに小学校の校庭があったからである。

そう。先に地下があったのではなくて、先に校庭があったのである。

放射36号は、地域の住民から反対の声が強かった。それは、この道路の両側に防音壁が施されていることからも、分かるだろう。まして、学校を潰して道路を通すなんてことになれば、おそらくこの道路は完成することはなかっただろう。この放射36号沿いにある向原小学校と、小竹小学校は潰れることなく、道路がその下を潜った。駅の名前も、「小竹向原」という名前となった。

従って、「思えてならなかった」のは、秋庭氏の想像でしかない。

しかも、

とはいえ、こうして小竹向原に巨大な地下建築ができると、今度は13号線はこないのだという。

と、13号線を勝手に頓挫させている。

ご承知のように、13号線は、小竹向原から池袋を通り、渋谷へとつなぐ。池袋・渋谷間は、現在、明治通りの下を工事中である。

結局、ここでは秋庭氏が何が言いたいのか、理解できなかった。わざわざ図面まで出して、彼が証明しようとしたのは、何だったのだろうか。彼の著作には、このように彼なりに「隠された地下」を証明する資料を出しておきながら、その資料を読んでも、隠された地下がまったく分からないという箇所が多数登場する。

ところで、この駅は、なかなかおもしろい構造をしている。13号線用ホームの電車が、有楽町線池袋へ向かって、有楽町線用ホームの電車が、新線池袋へ向かって、同時に発車しても、ぶつからないようにトンネルを交差させることを前提として設計されているらしい。そういう工事は当面ないみたいだが、普通の民家が建ち並ぶ一角にできた駅としては、随分大袈裟な仕掛けをしたものだと思う。

さて、そろそろ弁解しておいた方がよかろう。オイラは、秋庭氏の書いている著作の大半が意味不明だとは思っているが、すべてがガセだとは思っていない。どこが正しいのかは、ぜひ皆さんが自ら調べて証明してみてほしい。えっ、オイラがやれって?それは、ご勘弁願いたい。オイラのほうは「いろいろ、あるんだよ」とでも言うよりほかない。


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東京の地下鉄は戦前にすでに作られていたという噂は本当か?

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『新説東京地下要塞-隠された巨大地下ネットワークの真実-』を読む

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『写真と地図で読む!帝都東京・地下の秘密』(洋泉社MOOK)を読んでみた。

『大東京の地下99の謎』(秋庭俊著、二見文庫)を読む

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2006年3月16日 (木)

少し遅めのナナカイランチは何だか平和でほっこりした。

昨夜は、仕事が終わり、帰宅すると、夜10時。ばったりと倒れるように眠りについた。今日は、夕方雨が降るらしい。

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2006年3月13日 (月)

積み重ねる人生と、消化する人生と…。

ある精神科医が、こんなことを言っていた。

「若い人は、これから積み重ねていく人生ばかりを思っているかもしれないけれど、ボクらくらい、40歳から50歳くらいになってくると、実感としてなくすことを体験することになるんだよ」

精神科の患者の中には、強い外的なストレスが原因で記憶障害を起こしていたり、思春期に本来受けるべき愛情を受けずに育ち、そこに欠落を感じたり、若いうちに何らかの喪失体験をしている人が多い。それ自体は、その人にとって、大きな欠落だとは思う。

でも、そういうトラウマや外的要因が何もなく大人になったとしても、人は、30歳も後半を過ぎると、自然に「欠落」を体感することになる。例えば、記憶であったり、体力であったり、身近な人の死などである。これまで体験は積み重ねていくものだと思いこんでいたけれど、ある一定の年齢を過ぎると、誰でも、体験するたびに何かをなくしていることの方が多くなり、記憶のかたまりは、だんだんと萎んできてしまう。

そういう転機を過ぎると、喪失体験が人生で当たり前となる。人によっては、それは30代の半ばであり、40歳を過ぎてであり、中には50歳とかの場合もある。

生きていくことが、積み重ねだった人生が、生きていくことで喪失することを体験する。そのとき人は、棚卸しをしながら、自分にとって決して忘れてはならない、なくしてはならない、それを持たずには生きられないものが何なのかを選択しながら、意識的にも、無意識的にも捨てることを覚える。

オイラの場合、アルコールは、いったん捨てたものだった。

そのほかにも、依存しているものは、捨てる必要があるし、それを持ち続けるには、何かを別に捨てなければ、自分自身を喪失してしまうことになる。

30歳を過ぎると、急にきれいになる女性が多い。それは、そういう取捨選択をうまく乗り越えた女性だと思っている。

男性でも、30歳を過ぎて、皮がむけるというか、落ち着く人がいる。やはり、人生で一番大切なものを見誤ることなく、抱え続け、それ以外に、持たなくてもいいものを捨てている人なのかなと感じている。

オイラは、そういう喪失体験を、2年ほど前、たった数ヶ月でやりきってしまったような気がする。

今は、投げ捨てて、捨てきれないものが引っかかっている状態。さらに前に進むには、まだ捨てなければならないものと、捨てなければ手放してしまうものがハッキリしてきた、というところだろうか。

これから始まる人生がある。

捨てたモノを、もう一度背負うことも良い。背負い始めたものを、やっぱりやめてもいい。

どっちにせよ、これからの人生は、どちらも抱えることはできない、ということだけは、確かなのだと思う。

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2006年3月12日 (日)

天窓スタッフTさんに「最近、更新の間隔が長くなりましたよね」とダメだしされて、少々凹んだ夜

ネタがないんだよ(爆)

世の中には、アーティストのライブをまめにライブレポにまとめて、自分なりの辛口な批評を加えて、ブログにアップしている人は少なくない。セットリストなんてあるから、役に立たないことはないのだけれど、ああでもない、こうでもないと素人に評価されるのは、アーティストにとってどうなんだろうかと首を傾げることも多いし、そもそも、好きなアーティストのライブを見て、聴いて、自分なりに満足すればそれで十分だと思うので、セットリストをいちいちメモしたり、MCの内容を記録していたら、まして、写真を写すのに一生懸命では、満足にライブを楽しめないではないかと思うのだ。

なので、オイラのブログでは、ライブに行ったからといって、ライブレポはなく、書きたいことがなければ、何も書かなかったりする。オイラを知っている人なら、オイラがライブ会場でカメラを構えていたり、メモをしていたことがないってことに気づいているはずだ。むしろ、オイラが書きたいのは、オイラの周りにいる、アーティストを含めて、日常の顔であったり、普段着の人たちなのである。となると、日常普段におもしろいことをしてくれるアーティストさんが、そんなにいるわけもなく、つまらないライブを「つまらない」と書けば事足りるブログと違って、なかなかネタづくりには苦労するわけである。

さて、そんなネタづくりに苦労している週末、土曜日の夜に、オイラは久しぶりに四谷天窓.comfortに足を運んだ。この日のイベントは、usuが企画した「ココロニクリカエスモノ第6章みんな幸せになあれ編」である。

「幸せになあれ」…なかなか素で言えない台詞である。

「幸せ」なんて言葉は、みんないつも密かに願っていたり、感じていたりするけれど、口にすると、何だか照れくさくて、飲み込んでしまうものである。そんな言葉を平気で使えるのは、やはり、usuなのだなあ。現代人は、幸せ探しが苦手である。usuとみっちゃんが、仲良く「みみずのうた」を歌っているのを見ながら、

幸せだなあ…。

と、何気なく、幸せっぽいものを感じていたオイラであった。

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眞鍋姉さんも、夢を抱いて上京したんだね~。

以前も書いたけれど、オイラは、京都から、寝台急行銀河で上京した。新幹線ならほんの2時間半もあれば東京に着いてしまうんだけれど、オイラはあえて、夜行列車を選んだ。しかも、寝台急行なんて、今では「銀河」くらいしか残っていない、哀愁漂うブルートレイン。大きな荷物は全部引っ越しの荷物に詰め込み、カバン1つで、友達のお母さんにもらった3万円の餞別を握りしめて、ブルートレインに乗り込んだんだ。

それは、1994年2月のことである。眞鍋姉さんが上京した5年ほど前になるのかな。

東京に着くと、午前6時くらい。空はすかっと晴れていて、それからの人生がとてつもなく明るく広がっているように思えた。

東京に着いたオイラは、迷わず練馬区の石神井公園駅に向かい、家賃4万9000円という激安のワンルームを契約した。その次に、駅前の郵便局に行き、餞別の3万円を国際ボランティア貯金に預けた。貧乏人でプー太朗だったオイラは、大切な3万円を本当に困ったときに使おうと思ったんだ。

眞鍋姉さんのように、オイラは、毎日東京のあちこちをウロウロした。上京した目的は、シナリオライターの学校に通うことだったので、表参道にあるシナリオセンターの講座を申し込んで、受講した。当時は、さぞかしダサい格好だったと思うんやけど、まだ同潤会アパートが残っていて、クリスマスにはイルミネーションが輝いていた表参道を、胸をはって歩いていた。

でも、悲しいかな、たった1人だった。

もちろん、大学時代の友達も東京に住んでいたけれど、酒を飲む相手くらいにはなっても、自分の夢を進むために頼るものでもなかった。デカい東京で、たった1人でシナリオの勉強を続けるっていうのは、なかなか辛抱が必要だった。

当時住んでいたアパートには、インターホンなんてものはなくて、お客さんが来ると、いちいち扉を開けていた。が、独り暮らしの男の家を訪ねる人間なんぞ、NHKや新聞屋の集金の人をのぞくと、ロクな奴がいない。意味不明のセールスマンや、宗教の勧誘、暴力団まがいの新聞勧誘とか、ひどいやつになると、集金に来てオイラがいないとガスの栓を閉めるとか、湯沸かし器の電源を抜くなんて、とてつもない新聞屋まで現れて、警察に相談するなんてこともあった。

最近は、ようやく、そういう災難から逃れる術も覚えた。電話もよこさないでうちに来るやつは、何度呼び鈴を鳴らしても、絶対に出ないし、「宅急便です」と言いながらインターホン越しに様子がおかしいやつも、「いらない」と言って断る。本当に宅急便なら、不在連絡表を置いてくれる。

もっとも、先日の新聞屋にはやられた。

「こんにちわ。引っ越しのご挨拶に参りました」

てっきり、隣に誰かが引っ越してきたのだと思った。

こういう時代である。単身用マンションで隣に引っ越しのあいさつに来るやつなんていない。間違いなく、勧誘だ。

上京したばかりの頃は、こういうことで傷つくことも多かった。向こうも生活がかかっているから、必死なのだろう。気持ちは分からないでもない。案外、向こうも夢を抱いて上京して、結果としてあんなことやっているのかもしれない。

もうすぐ4月。

また、夢を抱いて上京する若者たちがいるのだろう。

誰でもケータイを持つ時代。

いきなり家を訪ねる人など、いないと思っていい。

人を信じるなと言うつもりはないけれど、眞鍋姉さんも、「路上で声をかけてくる人のことはほぼ100%シカトしていいです」と言っている通り、信じていいものと、信じていけないものを見分けることも、大人になるには必要な技術なのだと思う。

ん?

なんか説教クサい?

今夜は、眞鍋姉さんにトラックバック。

眞鍋姉さん、飲み過ぎ注意だよ。1人酒は、アルコール依存症になりやすい。特に、女性はね。キッチンドランカーと同じ。体には気をつけてね。

オヤスミナサイ。

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2006年3月10日 (金)

日比谷公園の梅の花がキレイに咲いていた。もう春だね。

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2006年3月 8日 (水)

東京の地下鉄は戦前にすでに作られていたという噂は本当か5

ここから書くことは、あくまでも、オイラの想像である。その意味では、秋庭氏の「想像」とレベルが同じだと言うことを念頭に置いて、ここから先を読んでほしい。

秋庭氏の書いている本の内容は、信憑性がないという声をよく聞く。確かにその通りだと思う。今まで4回にも分けて、著作の内容を検証してみたが、あまりにも勘違いが多すぎて、どこからどこまでが真実で、どこからが妄想なのか、見分けがつかない。

おそらく、秋庭氏は、非常に信憑性のある情報提供者から、東京に隠された地下網の核心部分を教えられたのだろう。それは、本全体からすれば、ほんのごくわずかな部分だし、それも、『帝都東京・隠された地下網の秘密』だけが、その核心部分に触れているのだと思う。その他の大部分は、彼が、核心部分から芋づる式に引っ張り出したネタで、それも、ガセネタからグレーゾーンから、何もかもひっくるめたものなのではないか。

彼自身は、地下を紐解く手段を持っていない。持っていれば、これらのガセネタや勘違いは、すぐに見破ることができる。彼はおそらく、そのほんのごく一部の核心部分のみを教えられ、それを証明するまでの道のりは、完全に彼自身に託されてしまったのだろう。結論だけ書いては、本は書けない。もちろん、雑誌のネタにもならない。最初に結論があり、それをいかに証明するか。彼は、丸ノ内線と千代田線の交差部分、溜池山王駅の地図に目をつけた。そこからどう紐解こうとしたのかは、読んだ方はお分かりだろう。

でも、彼は、結局、いくら取材を積み重ねても、その核心部分を証明することができなかったのだと思う。それは、彼自身が、自らの著作で何度も、「証明できない」と繰り返している通りである。その代わりに、核心部分を補完している様々な噂や都市伝説を寄せ集めて、彼なりにそれを証明して見せて、あたかも核心部分が真実であるかのように書いて見せたのだろう。ところが、ガセネタや勘違いまでも含めて、彼なりの方法で証明しようとして、事実であるかのように書いたために、本全体の信憑性は極めて薄くなってしまった。

核心部分を証明しようと思うならば、地下鉄に乗って、トンネルを眺めていても、何も証明できないことなど、自称ジャーナリストなら分かっていたはずだ。溜池山王駅に何度も足を運んだからといって、何も解明できないことなど、何度も足を運べば分かるはずだ。まして、事情を知らない都庁の職員など捕まえて、あれこれ聞き出しても、「…?」という反応しか出てこないのは当然だし、その「…?」という反応を取り上げて、「隠している」と断定されては、取材された方が迷惑というものだ。

以前、「根本的な誤りがある」と指摘したのは、こういうことである。

「地下は利権の巣窟」…秋庭氏の、この言葉に誤りはない。それならば、彼は、もしもジャーナリストを自称したいのであれば、トンネルの柱や色の違いに驚いている暇はないはずだ。

『帝都東京・隠された地下網の秘密』の文庫版あとがきを立ち読みしていたら、少し彼が可哀想になってきた。とにかく、あらゆる書評を引っ張り出して、この本がどんなに評価されているのかを証明しようと必死だ。それは、裏を返せば、表に出ない部分で、例えば、ネットの某巨大掲示板などで、どれだけバッシングを受けているのか、本人なりに自覚しているのだろう。

この本は、地下鉄事業者に大きな影響を与えた。東京メトロは、葛西駅に地下鉄博物館を開設している。ここで昨年、地下鉄の謎を探る特別展示が開催された。地下鉄どうしをつなぐ連絡線の話や、シールド方式のトンネルの掘削方法、幻の新橋駅などの写真や説明である。おそらく、秋庭氏の著作を意識してのことだと思う。直接反論しようとしたわけではないだろうが、たぶん、地下鉄事業者にはかなりの問い合わせが来ているのだろう。もちろん、核心部分には触れられていなかった。映画『交渉人・真下正義』でも、隠されたトンネルが登場した。今や、日本人はみんな、何の根拠もなく、国民に隠された地下網があるものだと思いこんでいる。

さて、そろそろ、弁解しておいたほうがよかろう。秋庭氏みたいに、何とか調査庁なんかに目を付けられたくないからだ。

オイラがここで書いている内容は、あくまでオイラの想像の産物で、はっきり言って妄想であり、実在する企業や人物とはいっさい関係ありません。


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東京の地下鉄は戦前にすでに作られていたという噂は本当か?

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『新説東京地下要塞-隠された巨大地下ネットワークの真実-』を読む

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『写真と地図で読む!帝都東京・地下の秘密』(洋泉社MOOK)を読んでみた。

『大東京の地下99の謎』(秋庭俊著、二見文庫)を読む

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・・・・さて、今日は、ここから先にも記事がある(笑)

上の緑色で書いてある部分、こんなことが書いてあると、逆にそれ以前の部分が本当であるかのように思えてこないだろうか。秋庭氏の曖昧な表現や、何か知っているかのような言い回しは、本があたかも真実を書いていて、本当はもっと書きたいのに、怖いから書けないとでも伝えているように読めてしまう。

これが、彼流のレトリックである。

本を読んで、ワクワク、ドキドキするなら、普通の読書家で、ロマンティスト。でも、実際に溜池山王に足を運んで、本に登場したトイレを探してしまったら、秋庭系オタク。どちらを選ぶかは、あなた次第である。

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2006年3月 6日 (月)

眞鍋姉さん、お祝い返しって費用対効果が合わないよね。

35歳を越えたあたりから、オイラの周りで結婚する人は、ほとんどいなくなった。同世代は、みーんな片づいたからである。つまり、オイラは、自分で取り返すこともなく、延々と投資を続けていたわけである。

最後の結婚のお祝いは、会社の後輩の結婚式で、3万円投資したが、返ってきたのは、馬車道のお菓子だった。でも、まあ、これはなかなか美味しくて、それなりに納得した。

会社の先輩で、直属の上司に子どもが出来たときには、確かみんなでお祝いを出し合って、そのときはワイングラスをお返しにもらった。でも、あまり好きな先輩ではなかったせいだろうか、そのペアのワイングラスは、半年も持たずに割れてしまった。

次は、自分が取り返す番なのだろうが、如何せん、なかなか出番が来ない。同世代では、何人か居残り組もいるが、閉店間際のケーキ屋さんの半額セールみたいで、閉店までに果たして何人が売れてくれるのか、だんだん可能性が低くなってくる。

さて、眞鍋姉さんのお返しは、うまい棒だそうである。

いいのか、眞鍋姉さん。いくら出した?(笑)

ちなみに、今夜、下北沢440というライブハウスに、谷口深雪ちゃんのライブを見に行った。ここには、「とまらん棒」というお通しが、自由に食べられるところ。「とまらん棒」ってのは、パスタを油で揚げて、塩をふっただけのシンプルなお菓子なんだけれど、これが何故か美味しくて、一度食べ出すと止まらない。

今夜は、ライブが始まって遅れて会場入りして、後ろのスタンディングのテーブルにあるとまらん棒をむさぼり食っていた。

これが、さっぱり止まらない。

周りのお客さんも食べていたが、そんなのお構いなしで食べ続け、あと1本ってところでぴたりとストップ。最初のアーティストが終わると、席が空いたので、カウンター席に座ると、そこのとまらん棒は、たっぷり残されている。で、再びとまらん棒をむさぼり食べ始めた。

やめられない、止まらない。

こんなの、かっぱえびせん以来である。

なので、何が言いたいかというと、眞鍋姉さんも、たくさんのうまい棒を事務所や楽屋とかに放置しておくと、オイラみたいな食いしんぼが、やめられない、止まらない状態になって、あっという間に片づくのではないかと思ったわけだ。

いかが?

賞味期限の5月どころか、今月中に片づくかもよ。

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2006年3月 5日 (日)

駆け込み乗車はおやめください。

昨日、地下鉄千代田線の明治神宮前駅で、多摩急行を待っていたときのこと。ホームの反対側に我孫子行きが発車しようとドアを閉めようとして、突然…。

「危ないですから、駆け込み乗車はおやめください!」

と、ホームのアナウンスが鳴り響いた。
ふと見ると、電車の1両目の一番前のドアに、白髪のおじさんの体半分が挟まっていた。電車の車内では、おそらく妻であろうおばさんが苦笑していた。
おじさんは、果敢にも体をモジモジ(。_。*)))とずらすと、車内に何とか入り込んだか、足だけ挟まったままで、それを指で強引に扉をこじあけて、足を抜いた。すると、今度は指が挟まってしまい、必死に指を引っ張った。が、なかなか抜けずに、そのうちドアが再び開いた。

すると、今度は、別の白髪の女性が猛然と開いたドアに飛び込んで来た。ドアは、またもや開いたり閉じたりを繰り返して、ようやく閉まった。

電車の最前部では、老夫婦が笑っていた。

この間、およそ30秒くらい。

千代田線は、決して本数の少ない路線ではないから、駆け込む必要はない。それは山手線でも中央線でも同じなわけで。

つくづく東京は慌ただしい町である。

のんびり屋のオイラは、めったに駆け込み乗車なんてしない。5分や10分遅れたからといって、死にはしないから。むしろ、もっと慌てるべきだろと反省してしまうくらいかも。

急行か各駅停車かと選択肢があると、迷わず各駅停車を選ぶ。でも、待ち合わせして相手を待たせることはほとんどなく、ゆっくり移動する時間を想定して約束する。あまり効率的ではないが、ただでさえ方向音痴で迷子だから、時間にはかなり余裕を持たないと、とんでもない間違いをすることもあるのだ。

話は変わるが、埼京線が新宿で5分遅れると、りんかい線は10分遅れるという話を聞いたことがある。埼京線は、朝のラッシュが大混雑することで有名だが、その遅れのとばっちりをくうのは、りんかい線なのだそうだ。

首都圏で過密ダイヤを組むと、路線の上流で生じたわずかの遅れが、下流では途方もない遅れにつながることがある。特に、別会社の路線に相互直通している路線では、わずかの遅れが多大なる迷惑をかけることになる。

だから、運行しているスタッフの焦りは、乗客以上にあるのだと思う。

で、最初にあげた、ドアに挟まっていたおじさん。

笑いごとではない。

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2006年3月 4日 (土)

日本人って単純だよね

表参道に寄った帰り道、オープンしたばかりの表参道ヒルズに寄り道してみた。ひしめく、人、人、人…。あまりの大混雑でお店にたどり着く前に挫折して、買い物する余裕すらない(`Д´≡`Д´)??ついこの間まで六本木ヒルズを埋め尽した人たちが、今度は、ここでそぞろあるきしている。次は、どこだろうか。

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2006年3月 2日 (木)

そして渋谷のナナカイでランチ

今日は、肉野菜丼。これでスープもドリンクもついて、800円。安い…ってほどじゃないが、美味しいから許す。

サボるには絶好の場所…(゜゜;)\(--;)

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朝の永田町

怖いくらい人がいない。一人ぽつり階段を上がると、そこは、国民には隠された地下網…

だったりすることは、なかった( ̄▽ ̄;)

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2006年3月 1日 (水)

東京の地下鉄は戦前にすでに作られていたという噂は本当か4

いい加減しつこいか(笑)

今回取り上げる地下網フリークのバイブルは、教祖・秋庭俊氏の『帝都東京・隠された地下網の秘密2』(洋泉社)である。

「戦前」とは、軍部が日本を支配していた頃のみならず、この本ではついに、江戸時代以前にまで遡ってしまった。とどまることを知らない秋庭ワールド。室町幕府に、太田道灌に、玉川上水と、中世にまでタイムスリップして、隠された地下網を展開している。

この本で興味深かったのは、玉川上水の四谷から皇居までの経路である。玉川上水は、かつて多摩川の羽村堰から始まり、皇居のお堀まで流れていた。羽村から四谷までは、地上を流れているが、四谷から先は地下に潜り、管路を流れて、江戸城のお堀にたどり着く。現在、羽村から新宿までは水が流れているが、新宿から新宿御苑の北側を通って、四谷までは埋め立てられている。さらに、四谷から皇居までの地下の管路は、どこをどう通っているのか、分からないところも多いらしい。

江戸の抜け穴は、おそらく、上水のルートに合致していた。(P48)

玉川上水のルートは、国会議事堂のウラへと延びていた。(P51)

その防空壕の断面図が左にある。地下一五メートルほどのところに、逆U字型のコンクリートがあって、その中に木造二階建の家が建っている。(P52)

これが玉川上水の一九四五(昭和二十)年の現実である。この家が建っているところが、おそらく、以前の地面ということになる。その道幅は一〇メートルもあるだろうか。いま、国会議事堂ウラの道路の下に、何があるのか私は知らない。しかし、ここには、このように、四〇〇年の長きにわたって、国民には隠されてきた地下網がある。(P52)

「おそらく」が2度も出てくる。彼特有の“飛躍”がここで起きている。江戸時代の抜け穴が、玉川上水のルートの下にあったという証拠は、この本をいくら読んでも見あたらない。あるのは、大名屋敷の屋敷境に溝があったという事実が遺跡から判明するだけである。国会議事堂の裏には防空壕があることを示す文書が示されているが、それが玉川上水のルートの下にある抜け穴を使っているのかどうかは、何の証明もされておらず、「おそらく」と書いている通り、秋庭氏の推測である。

残念である。玉川上水の地下ルートをどのようにして掘ったのだろうかと、ずっと考えていたが、上から盛り土すれば掘る必要はない。なるほど、とうなずいた。が、それが、2回の「おそらく」で、一気に国民に隠された地下網まで突っ走ったところで、がっくりと肩を落とした。「真実」が「妄想」に転嫁する瞬間である。

ちなみに、玉川上水の地下ルートは、今どうなっているのだろうか。

現在、玉川上水の新宿御苑沿いのルートを復活させようという動きが、環境省や新宿区などにある。この具体的な検討をするとき、玉川上水が復活した後、その排水を四谷大木戸から先に流す排水先を検討している。環境省と新宿区が設置した検討会の資料によると、検討対象となった排水先は4つある。1つ目は、近隣の合流式下水道。2つ目は、渋谷川。3つ目は、御苑内の池。そして、4つ目は、皇居堀である。つまり、旧玉川上水の管路を利用し、外堀桜田濠まで導水して放流するルートである。

旧玉川上水の地下ルートは、今もある。

だが、このルートを使って、復活した玉川上水の排水を通すには、非常に大きな課題がある。四谷大木戸から桜田濠までの導水管は、「周辺下水道の流入、人孔および管路の堆積・閉塞、損傷・腐食、系統の不明等により修復も困難な状況」だという。このため、排水先としての可能性は極めて低いらしい。

玉川上水の地上ルートとともに、地下ルートも復活すれば、それは少し歴史がよみがえるようで嬉しいが、残念ながら、地下に潜った玉川上水の復活は厳しいようである。ちなみに、旧玉川上水の地下管路がどこを通っているのかは、上記の資料にも示してあるので、興味のある方は、調べてみてはいかがだろうか。

もちろん、国民に隠された地下網なんかにはぶち当たらないので、ご安心くだされ。

さて、例によって、怒られないうちに一言述べておくべきだろう。オイラは、秋庭氏の主張している内容は、数多くの勘違いが含まれているものの、すべてがガセだとは思っていない。

秋庭氏のアプローチには、「根本的な誤りがある」

何が誤りなのかは、ぜひご自分で本を読んで調べていただきたい。真実とは、想像力ではなく、事実を見つめる瞳が導き出すものだと思っている。オイラのほうは「いろいろ、あるんだよ」とでも言うよりほかない。

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