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2006年1月 7日 (土)

その日オイラは、ほ乳瓶とオムツを捨てた~人生で一番古い記憶~

それは、おそらく幼稚園に入る、ほんの少し前だと思う。

覚えているのは、オムツをはいているオイラが、初めてコップでジュースを飲んだのだ。おそらく、林檎ジュースだったと思う。両親と祖母が、「うまい、うまい」と誉めていた。その頃住んでいた家は、愛知県名古屋市の熱田神宮の近くだった。木造の狭苦しい家の1階の畳部屋。8畳ほどの部屋の片隅…何故か片隅にコタツがあり、父が猫背で座っていた。

オムツをはいている記憶は、この後途絶えているから、おそらく、オイラの記憶が確かならば、この日、オイラは初めてコップで飲み物を飲み、オムツを放棄したのだ。

これ以前の記憶は、必死に遡っても、存在しない。

実は、子どもの頃にも同じように記憶を遡ったことがあるが、やはり、この記憶から昔には遡ることができなかった。子ども心に、もしかして、自分はこれ以前に存在していなかったのではないかと、疑ったこともある。何故、この記憶が最古になるのか、いくら考えても分からない。ただ、平和な一コマだったことだけは、確かだ。

そして、この後の記憶は、いきなり幼稚園のバスが家の前を通り過ぎる。幼稚園通園第1日目の記憶だ。幼稚園の制服を着て、黄色いカバンを提げて、母親に連れられて、家の玄関を出た。すると、家の前を幼稚園の黄色いバスが通り過ぎた。オイラの左手にバスのお迎え場所があった。オイラは、生まれて初めて、家族から離れた。名前を呼ばれたら返事をする、という、普通のコミュニケーションができなかった。何度も怒られたが、卒園するまで治らなかった。

オイラの記憶が正しければ、昭和46年4月のことになる。

ちょうどこの頃、時代は高度経済成長期だった。名古屋市では、地下鉄の建設が着々と進み、路面電車が次第に姿を消していた。オイラは、祖父に連れられて、路面電車…いわゆる市電に乗った記憶がある。

昭和49年に地下鉄名城線の金山・新瑞橋間が開通。路面電車も市内から全廃された。生まれて初めて乗った地下鉄は、どんがらがっしゃんと、騒がしかった。現在のように冷暖房はなく、トンネルから下水臭い風が車内に吹き込んでいた。電車の音がうるさくて、車内では会話にならなかった。

実は、オイラは、両親から、これ以前の出来事を聞かされた覚えがある。何度も、何度も、しつこく聞かされたので、聞かされた記憶だけが鮮明に残っているが、残念ながら、その出来事自体は、今ではまったく覚えていない。

1970年に大阪で万国博覧会が開催された。両親とオイラは、新幹線で万博見物に訪れたらしい。関西弁を初めて耳にしたオイラは、とにかく関西弁が気に入ったようで、途中に立ち寄ったレストランで、覚え立ての関西弁を大声でしゃべって、失笑を買っていたらしい。万博の目玉でもあった月の石も、この目で見ているようだ。帰りの新幹線は大混雑で、父親に肩車されたオイラは、新幹線の入口の上部に頭をぶつけて、大泣きしたそうだ。

まだ3歳だったから、最初に書いた記憶よりも、さらに昔になる。

まったく覚えていない(-_-;)

両親には、よほど記憶に鮮明らしく、いつまで立っても、昔の話と言えば、この話題になる。何百回話されても、思い出せない。

両親には悪いが、もしかしてガセネタではないかと疑っている。

・・・・・・この記事は、眞鍋姉さんが委員長の「ブログ普及委員会」の「答えてブログ」にエントリーしています。

ban-s

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コメント

私の一番古い記憶は、となりの家の庭をよちよち歩いていて、花に止まった蜂をつまんで刺されてしまった記憶ですね(-_-;)
久し振りに思い出した。

投稿: 松山英語道場 | 2006年1月 8日 (日) 09時20分

勇気のある幼児だったんですね。オイラは、虫類からは逃げるばっかりでした。今でも、ミツバチに怯えています。

投稿: mori-chi | 2006年1月 8日 (日) 09時38分

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