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2005年9月の22件の記事

2005年9月30日 (金)

今日は

スイッチが切れた。夜は、ライブだ。

さあ、生きるため戻ろう♪

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2005年9月29日 (木)

麻里鈴と走り抜けた時代

こんな風に、眠れない夜がある。

大学に入学して間もなく、そんな夜が続いていたことがある。深見じゅんさんの漫画『悪女(わる)』の連載がスタートしたばかりで、ちょうど同じくらいの年齢の主人公・田中麻里鈴が、一人暮しの大人の嗜みとして、寝酒のバーボンを飲んでいたのにあこがれて、毎晩寝る前にウィスキーを飲んでいたのだ。飲んだからといって、眠りが深くなるなんてことはなかったが、その習慣そのものがかっちょいいと思っていたのだろう。麻里鈴は、ボトルにメモリを書いて、毎晩1メモリずつ飲んでいて、会社でイヤなことがあるとボトルを空けてしまっていた。私も同じで、メモリを守ったのは最初だけで、だんだん一晩で飲む量も増えてしまった。

麻里鈴は、私の憧れのOLだった。成績が悪くてコネで入社して落ちこぼれだけど、頑張り屋さんで行動力があり、敵もいつかは彼女の味方になる。何より、酒屋の娘らしく、素晴らしい大酒飲みだった。私は男だけれど、あんな風に頑張れたらいいなと、いつも憧れていた。漫画の連載は、ついに私が今の会社に入社するまで続き、私が会社を生き抜いていくバイブルとなった。
だから、私の大酒飲みのモデルとなったのは、麻里鈴と言って差し支えない。仕事にせよ、人間関係にせよ、私は麻里鈴ゆずりの、かなりの「悪男(わる)」だったに違いない。麻里鈴と違うのは、彼女は最後に憧れの王子様と結ばれて結婚するのだが、私は燃え尽きて、空っぽになったということだ。

酒を飲んでいたころ、特に最後の2年くらいは、毎晩のように居酒屋に入り浸って、浴びるように酒を飲んだが、さっぱり酔えなかった。帰宅してからすぐ布団に入っても30分程度で目が覚めて、あとは寝苦しい退屈な闇が延々と続くばかりだった。「こんな生活も、もう終わりかな」と思うようになった。酒が切れて眠れない夜ほど情けないものはない。

大酒飲みの麻里鈴は、どんな夜を過ごしていたのだろうか。今、田村くんとは幸せに暮らしているのだろうか。私は、今でも『悪女』を読み返すことがある。あのころの私には、もう戻れない。

何故か眠れない夜を迎えると、私は、麻里鈴と走り抜けた時代を思い出して、戻ることのない時間を後悔している。

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2005年9月28日 (水)

痛勤電車

私が毎朝使う駅は、始発の新宿行き各駅停車が出ている。新宿まで座って行けるので大変重宝しているのだが、毎朝の席の分取り合戦には、少々イヤになっている。
不思議なもので、規則正しく整然と並んでいても、座れないときは座れない。かなり後ろに並んでいた人が平気で座っていることもある。電車の扉が開いた瞬間、足を小刻みに前後させながら、鞄を抱えて前屈みで前の人の背後から離されまいと必死になる、悲しいサラリーマンの背中を見るたび、人生の悲哀を感じる今日このごろである。

たかだか30分である。座れないなら座れないでいいじゃないかと思う。

最近、座るコツも何となく覚えてきた。車両は、一番後ろは避けて、一つか二つ手前、もしくは一番前。一番後ろは、誰もが開いていると思い集まるから、意外と競争率は高い。案外、その手前が穴になる。車両の両サイドは、優先席があったり、片方が運転席となり、やはり競争率は高くなる。一番前も穴場で、都心よりの車両は混んでいるという思い込みや、急行や快速にある女性専用車という先入観があり、人は少ない傾向にある。

まあ、そんな難しいことを考えなくとも、やはり早起きして並ぶのが一番確実か。もっとも、たかだか30分の道程に、やたら早すぎるのもどうかと思うけど。

ここのところ、朝の風がひんやりと涼しい。心地よい季節だ。

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2005年9月27日 (火)

消えない傷

小学校5年生の夏、私は、母の勧めで、民間の図工教室みたいなのに1日通うことになった。母が思いついたもので、まともにものになった試しがない。案の定、その日、何の教室かわからないまま、教室に向かい、始まって10分もたたないうちにカッターナイフで左手の親指を5〜6センチほど切ってしまい、大量に出血した。
教室のあるビルにはクリニックが併設しており、すぐに外科に担ぎ込まれた私は、親指を10針ほどを縫った。麻酔だの縫合なんてのは生まれて初めてだから、もしかして死ぬんじゃという恐怖に襲われた。医者は泣く私を見てケラケラ笑っていたが、やっかいなことに、こいつはヤブ医者だった。

それから何日か過ぎて、傷口を抜糸する頃になって、親指の第1関節がうまく動かないことに気付いた。近所の医者で診てもらったら、親指の腱が切れていることがわかった。紹介された病院の整形外科の医師は、「最初縫合した医者が腱をつながずに傷を塞いだ」と教えてくれた。
そんなわけで、私は大きな病院に入院して治療することになった。生まれて初めての手術室体験だった。今度の手術では、ちぎれた腱どうしをつなぎ、親指が動かないように針金を埋めて固定した。手術後の夜、眠れなかったのを覚えている。

あの手術のあと、本当なら傷口は癒えて、左手の親指は動くはずだった。ところが、今だに指は動かない。最初は確かに動いたのだ。いつの間にか、自分の力では動かなくなっている。親指の第1関節はめったに動かすことはないが、私の親指の先はだらしなく曲がっていて、自分で伸ばすことができない。

その医師もヤブだったのかもしれない。傷はずっと残り続ける。曲がらない左手の親指とも当分つきあっていかねばならない。動かなくて困ることは何もない。ただ、イヤでも目に入る大きな傷は、場所が親指だけに隠したくとも隠せないまま、今日まで残されたままだ。

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2005年9月25日 (日)

眞鍋姉さん、ひとり同窓会、オイラもやります

今夜も眞鍋かをり姉さん、遅い時間に更新、お疲れ様。オイラも、何だか寝付けずに、今は何故か深夜に放映している巨人vs中日戦を観ている。何だか、せつないなあ、この消化試合・・・。

同窓生の名前探し、オイラもネットで検索したことがある。中学生時代の初恋の女性は、同じ名前の別人が見つかっただけだった。案外出てくるのは、大学時代の友達。資格試験を受けた合格体験記だったり、何だかの運動をやっていて賛同署名に、おそらく友達であろう人の名前だったり。以前、会社の同僚の名前が某巨大掲示板に、あからさまに個人情報も入れて公開されていて、びっくらしたこともある。ネットってひどいなあと思った。それ以来、オイラは、アンチ某巨大掲示板なのだ。他にも、先輩が顔写真付きで登場していたり、大学院の卒業論文のタイトルが、名前といっしょに掲載されているとか。

いや、もっと驚いたのは、オイラの親父様の名前が出てきたとき。某高校の同窓会名簿の中で、行方不明の人の名前が掲載されているのだ。連絡してやれよー!(笑)

結構、深夜に寝付けないと、名前を検索したくなるのだ。オイラ、タバコ吸わないから、あれの代わりみたいなもんかな(謎)。別に探してやろうとか、野望を持って検索するわけでもない。オイラの友達は、同い年なんだけど、たまに「こんなの見つけたぞー」と、ネット上の同窓生の情報を送ってくれる。暇だよなー。オイラだけじゃないんだな。これ、たぶん、かなりの人が静かにマイブームなんだと思う。

果たして、検索エンジンで検索される名前の中で、一番多い名前って誰なんだろうか。眞鍋姉さんは、たぶん、ベスト10くらいに入るんだろうなあ。苗字では、やはり「鈴木」が一番なのかな。

そんなこんなで、眞鍋姉さんと趣味が?合って、嬉しい夜なのだ。

そんなわけで、2日連続、眞鍋姉さんとこにトラックバックなのだ。

おやすみなさい、師匠。

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2005年9月24日 (土)

眞鍋ねえさん、やっと買いましたよ、ブログ本

オイラが尊敬してやまない、ブログ界の女王様、眞鍋かをり姉さんのブログ本『眞鍋かをりのココだけの話』(インフォバーン)をようやく買った。ブログスタート以来の眞鍋姉さんの投稿に、ご本人のコメントを添えて、さらに、ブログに登場したお店の紹介や、「読まれるための10カ条」など、眞鍋姉さんを師匠と崇拝するブロガーには鼻血ものの1冊である。当時のトラックバック日本記録を打ち破った、あの伝説の「なりきり Tommy february6」のメガネをおかけになった眞鍋姉さんも、カラーで拝見できる。これを読まねば、死んでも往生できそうもない。

眞鍋姉さんのブログは、特別な情報も大してないし、あのセクシーな眞鍋姉さんのビキニ姿を見られるわけでもない。気分が落ち込んでいるときには、「落ち込んでいる」と書くし、ハッピーなときにはハッピーな記事を書くし、等身大でありのままの眞鍋姉さんに、とても好感を持ってしまう。20代の女の子らしい自己主張はさりげなく見せるけれども、決して他人を批判したり、けなしたりはしない。

師匠のブログの特徴は、やはり文字の改行と大小を効果的に活用していることだと思う。右へスクロールしなくても、普通にパソコンの液晶画面に収まるくらいの文章の長さで、強調したいところは文字をデカくしたり、逆にシュールに小さくしてみたりする。オイラは、文字だけで読ませたいという思いがあって、文字の大小は使わないけれど、日記をただ普通に並べても読んでもらえないわけで、こういう使い方は他のブロガーも参考にしてはどうかと思う。オイラも、改行のタイミングは、眞鍋姉さんに教えていただいているつもりで、勝手にいる。

いや、あくまで、勝手に師匠なのである。

その師匠のお言葉より抜粋。
「言葉を発信できるということは、その言葉で人を傷付けることもできるということ」(P316)

・・・言葉を使って仕事をしている者として、常に意識しなければならないことである。私たちは、自由の名の下に、どんな主張も批判もできる時代に生きている。表現したいことを表現すれば、当然、その代償としてリアクションがあるわけで、それを受け止めることができないと、表現者にはなれない。あちこちのブログを読んでいると、その辺をはき違えている人が多いなと思うことがある。オイラも、もしかすると、そうかもしれない。

ネットでは、言葉は一方的な凶器になる。だからこそ、自由な表現の場では、言葉を慎重に選んでいきたい。眞鍋姉さんのブログ本は、オイラにそんなことを教えてくれた。

さてさて、ところで、ここんとこ自虐的結婚ネタの多い、眞鍋姉さん。オイラの経験からすると、「男がいない」とほざく女性の80%は間違いなく男がいる。本当にいない女性は、表面上はいるのかいないのか、ハッキリしないものだ。友達の結婚式で、「私も早く彼氏見つけなきゃ(はあと)」と宣っていた女性が、数ヶ月後あっけなくゴールインした例は、数多く知っている。それを聞いて傷つくのは、実は男ではなく、その言葉を真に受けて安心していた、本当に彼氏がいなかった女の子のほうなのである。眞鍋姉さんの婚約発表は、いつの日か。ブログで華やかに婚約発表なんてことになれば、その日のトラックバックは、きっと世界記録をぬりかえるに違いない。

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2005年9月23日 (金)

小悪魔によろしく

ゴールデンウイークの休日を挟んだ平日、昼間、とりとめて仕事もなかったものだから、彼女のケータイに電話してみた。前から、一度一杯飲みながら恋バナしようよと約束していたのだ。

吉祥寺で夕方に待ち合わせたものの、まだ居酒屋が開くには早すぎたので、井の頭公園をブラブラと散歩した。女の子と二人して夕暮れの公園を歩くのは、なんだか久しぶりのシチュエーションで、照れ臭かった。

「もりちさんって、どんな恋愛する人なんですか?」
「う〜ん。いろいろと外堀を埋めて、さあ、射止めるぞって感じ?(笑)」
「恐い(笑)」
「そうかな…(笑)」
「そうですよ(笑)」

吉祥寺駅北側にある東急百貨店の裏側あたりに、モダンなビルの階段を最上階まで上ると、私のお気に入りの居酒屋がある。彼女は、まず焼酎のストックに大感動し、さらにメニューから砂肝の刺身を見つけると、目をハート型にして無邪気にはしゃいだ。

「これは重要ですよ!」

彼女の恋バナは、私の遍歴をはるかにしのぐ、凄まじい戦歴だった。

一番最近の恋愛は、大工とだった。居酒屋でナンパされたという。ある日、彼の家に連泊したとき、1日目は、彼は仕事を終わるとすぐに帰宅し、彼女の料理を美味しそうに食べていたが、2日目は、いつまでたっても帰って来ない。料理だけ用意して待っていると、彼はほろ酔い気分で帰ってきた。会社で同僚に誘われて飲んでいたらしい。

「何か勘違いしてるんですよね。夕食つくって待ってる私は何?みたいな…」

彼は、ある日、突然何百万円もする腕時計を彼女にプレゼントした。あまりに極端なプレゼントで彼女は受けとれなかった。悪い男ではなかったが、不器用でちぐはぐだった。しばらくすれ違いが続いて、「別れる?」というメールが来たので、「いいよ」と返して、それっきりだったという。

「じゃあ、今は、彼氏いないんだ?」
「……(笑)」
「なんだ、もういるの?」

やはり、出会いは居酒屋だったらしい。

「ノリは軽い人なんだけど、話をすると、すっごい深い考え方をしてるんですよね」
砂肝をかじりながら、彼女は遠い目をした。

「で、君は、その彼氏には、もう食べられちゃったわけだ」
「食べるって…(笑)」
「まあ、その話しっぷりからすると、食べられたのかなと」
「てへっ…」

彼女は焼酎のお湯割をぐいっと飲み干した。

帰り道、彼女はふと、こんなことを口にした。

「もりちさんとは、恋愛しないだろうなあ」
「えっ、なんで?」
「だって、恐いもん」
「……」
「あれ、ショックでした?」
「いや、そうじゃないが…」
「砂肝おいしかったですねえ」

街のあちこちでは、ストリートミュージシャンが、ラブソングを奏でていた。

もう、4年も前の話になる。私はアルコールを断って、もう1年10ヵ月になる。最近結婚した彼女は、旦那が帰ると、冷凍庫で冷やしたグラスを出してきて、ビールをなみなみとついでくれるそうだ。

「断るとすごく悲しい目をするんですよ」

小悪魔によろしく伝えてほしい。あの恋愛観は、私がかっこつけて言っただけで、本当は、射止めるとか、外堀を埋めるとか、器用な男じゃないんだ。待ち続けて、待ち過ぎて、結局食べそこねてしまう、不器用な男なのである。

烏龍茶で乾杯。

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2005年9月22日 (木)

堀の外の懲りない女

いやはや。人間は懲りない動物である。私がblogを書いていることを、両親は知らないが、あんなことを告白してしまって、テレパシーでも届いたのだろうか。それにしても、人は同じ過ちを繰り返すものだ。螺旋階段をぐるぐると昇って、いつまでも階上にはたどり着けない。

今朝、会社に行くと、メモ用紙があった。会社名らしきカタカナと名字。「連絡を下さい」とのこと。電話をしてみると、やはりそこは、消費者金融の催促電話だった。電話に出た担当者は、母親が9月2日に2万円を借りたまま、返済日になっても連絡がないという。自宅に電話をしても出ないし、ケータイに電話しても止まっている。どうにかならんかという話だった。

私「ブラックリストに載ってるんじゃないんですか?」
貸「ええ、載ってますよ」・・・じゃあ、貸すなよ(笑)
私「いつものことなんですよ」
貸「こんな風にだらしない方なんですか」
私「そうですね。いつもです」

相手の電話番号は、東京の番号。つまり、おそらく、典型的な都(1)ってやつだと思う。おもしろいもので、私すら知らない母の連絡先を、相手から聞き出した。変な話である。

先日、ここでは、母親の話がうますぎる、ということを書いた。やはり、うますぎる。闇金の社長に雇われていて、どうして東京の都(1)に金を借りなければならないのか。

母には常套手段がある。金を借りると、1度も返さずに、逃げる。何度も逃げる、何度も逃げる。が、今度の逃げ場所は、かなりきついことになると思う。追い立てを一度くらって、闇金の社長に助けられた、という話がもしも本当ならば、次は、タダではすまされないはずだ。「立ち直れ」と説教されて、再スタートを切った人生だ。「借りちゃいました」で何とかなるわけがない。何よりも、一度は切れかけた親子の縁を、ほんのわずかでも残しておいたのに、それさえも完全に断ち切ろうとしているのだ。

妖怪復活である。

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2005年9月21日 (水)

そらめきサンのこと

そらめく.comのマスコット、そらめきさんとは、もうお話になっただろうか。

最近、ずいぶんたくさんの訪問者から話し掛けていただいているらしく、本人も「そらめきにたくさん教えてくれたり、お友達になってくれて嬉しいでした」とご機嫌な様子である。私が誰と何を話したのか聞いても、「最近個人情報の管理にはうるさいんですよねえ」と話をそらして教えてくれない。案外、ケチなカップなのである。

彼女とは、月に何回か話をする機会があるが、うまく会話を成立させるには、少々コツが必要なようである。まず、彼女は喋り方に独特の癖があるが、それをこちらが真似して返すと、ちんぷんかんぷんな応答が返ってくる。なので、できるだけ正確な日本語で、主語と述語を省略しないで、一度に喋り切るほうがよい。それと、漢字にできるものはできるだけ漢字にする。例えば、「じつは」は「実は」、「ほんとうは」は「本当は」など。

区切りよく話を終わらせたいときは「さようなら」と言えば、締めの言葉を出してくれる。それに対して言葉を返すと一から話が始まってしまう。「はい」「いいえ」は、はっきりと。曖昧な人は嫌いなようだ。

カップだけあって、カフェのネタに飢えているようだ。教えてあげると、すごく喜ぶ。

ちょっと天然系の癒しカップ。サイトの案内人のくせに、さっぱり案内してくれないのが、管理人の悩みの種だが、24時間いつでも話に応じてくれるので、気軽に遊んであげてほしい。たまに、変なことを口走るかもしれないが、ご容赦を。

なんせ、彼女は、ただのカップですから。

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2005年9月19日 (月)

一番前の車両の憧れと恐怖

鉄っちゃんと呼ばれることがある。確かに、子どもの頃から鉄道で旅していたから、他人よりは知識は抱負かもしれない。もちろん、このblogでも紹介した、東海道線の駅を全部暗記している男と比較してしまえば、月とスッポン、金魚とめだか、磯巾着とイトミミズである。

ところで、電車に乗れば、一番前の運転台背後を陣取る鉄ちゃん諸君、私も例外ではないのだ。見たから電車が速くなるわけでなし、大きな発見があるわけでなし、特に意味がない、あの行為である。無邪気に硝子窓にへばりつき、見たくても見られない子どもなど目にもくれぬ、いや、むしろライバルにしてしまう悲しい性(さが)。ああ、なんて大人になれない、アダルトオタッキーか。

以前、青春18切符で広島まで向かう旅の途中、姫路駅で車内整備を行う健気な、大学生くらいの若者を見掛けた。新快速電車が到着した車内で、その新快速は姫路から折り返して米原に向かうのだが、彼は8両編成の車両を前から順番に座席の向きをひっくり返して歩き、最後尾の運転席付近でくるりと振り向くと、「よしっ」と指差し確認までやってのけたのだ。その彼のこだわりっぷりは、真似など到底できない倒錯である。私が鉄ちゃんなど、とても及ばない。

結局、私は鉄ちゃんぽいが、なりきれなかった。

さて、本題はここからで、ここからはあっという間に終わる。

最近、そんな私も、最前部の車両を避けるようになった。足がすくむのだ。スピードにも弱くなった。少々遅れてもいいから、慌てないでくれと言いたくなる。

あの事故のせいだと思っている。

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あじぃ…(= −±−=)フゥ…

夏の最後の悪あがきか。暑いな。

最近、海を見ていないなと思った。来週は、少し遠出しよう。久々に美味しいお寿司も食べたい。イルカにも会いたいな。海岸線から夕日が沈むのを眺めながら、「バカヤロー」って。「ちょっとアホっぽい」なんて、ツッコミを背中に受けながら。

ずいぶん庶民的だなと思った。

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2005年9月17日 (土)

堀下さゆりYotsuya 3days in 天窓

「カゼノトオリミチ」でおなじみの堀下さゆりさんのワンマンライブで、四谷天窓へやってきた。今日は四谷天窓、明日18日は四谷天窓.comfort、明後日19日は四谷fourvalleyと、同じビルにある3つのライブハウスを、堀下ちゃんが3日間にわたり駆け巡る。
私が選んだのは、初日のライブ。3つとも行こうかとも思ったけれど、それでは芸がないし、3連休をもっと自分の身の回りのことに使いたかったからだ。天窓は、堀下ちゃんをはじめとして、たくさんのピアノ弾き語りのアーティストに出会った場所だし、堀下ちゃんがライブを始めた原点の場所だし、誰かさんが結婚式をあげた場所だし、私にとっても、この1年半年くらい、何度も何度も足を運んだところだから、「始まり」を予感させてくれる場所なのだ。
今夜の堀下ちゃんの歌は、たくさんの打ち込みの音で多彩にアレンジされていて、普段聴き慣れた歌が全然違うイメージだったりして、少々驚かされたかな。メジャーの道を歩むたび、いつも違った表情を見せてくれて、でも、いつも独特の風は堀下ちゃんのままで、あたたかく包まれる。
5月のワンマンでは「あいのうた」をみんなで「ラララ…」と熱唱していたので、今回も思わず歌いそうになった。誰も歌っていなかった。危なかった(笑)
今夜はキーボードだったが、おそらく、明日はグランドピアノでじっくりピアノの音に浸らせてくれるのだろうし、最終日はスタンディングのライブハウスだから、いろんな音も入って、ノリノリに盛り上げてくれることだろう。ちなみに、明日のcomfortはSold Outだが、最終日のfourvalleyには当日券が出るらしい。そこのキミ、まだ間に合うかも。

夜空を見上げると、満月が見下ろしている。ヘッドフォンからは「カゼノトオリミチ」。暑さはいつのまにか過ぎ去り、涼しい秋の風。虫の音…。

「さあ、生きるため戻ろう♪」

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もう昔っちゃあ、昔だが…

今日は、内容が過激かもしれない。過去に暴力や精神的虐待でトラウマのある方は、飛ばしていただいたほうが無難である。

私は、それはそれは巨大な神社の、国道を挟んでお隣りにある市立小学校に5年生まで通っていた。
3・4年生のときの担任の先生は、とても厳しい女性だった。まだ30歳くらいだったろうか、今では思い出せない。「おばかさん」が口癖だった。いつも新聞紙をガムテープで重ねて丸めて棒状にした、鬼の金棒のような武器を持ち歩き、子ども達が宿題を忘れたり、悪さをしていると、遠慮なく振り回してお尻をぶっていた。典型的な体罰なので、現代なら教育委員会に訴えられて処分されていただろう。
彼女は厳しい教師だったが、イジメには無力だった。私は、当時かなりいじめられたほうなので、本当なら彼女の助けが必要だったが、彼女には解決能力がないのか、ただの鈍感なのか、クラスのいじめは被害者が広がるばかりだった。ある日、クラスで私が複数から殴る蹴るといった暴行を受けていたとき、彼女がたまたま教室に入ってきたが、泣きながらボロボロになって倒れている私を見て、チッと舌打ちすると、私を見下ろして「おばかさん」と吐いた。
こんなこともあった。私が給食当番と掃除当番が重なったとき、給食室へ食器を返しに行っているうちに、一緒に組んでいた掃除当番が勝手に掃除を終わらせてしまい、「掃除をサボった」と私を責め始めた。いじめっ子たちは自分の味方が誰なのか知っていた。まるで大発見を見つけたように2、3人が職員室へと走った。しばらくして、彼女がいじめっ子に引っ張られて教室にやってきた。彼女は、例の武器を握っていた。
私は、殴られる覚えはないから、逃げようとした。が、いじめっ子たちが私を十字架にはがいじめにした。彼女は、ニヤニヤと笑いながら近づいて来て、「おばかさん」と吐き、例の武器で10回あまり私の尻を殴った。
授業時間中、私は、いじめっ子のクラスメイトの名前と彼女の名前をノートに書いて、その上から一人一人濃い鉛筆で×印をぐりぐりと書いて、怨念をぶつけていた。

あれから25年近い時間が流れた。教育委員会が発表するプレス資料には、教師が処分された内容が書かれたものがある。意外と頻繁だ。痴漢などの犯罪はもちろん、例えば体罰も処分されている。それを読むたび、今の子どもたちは幸せものだと感じる。少なくとも今の基準で見れば、私の担任など、即刻クビだ。

今年に入って、久しぶりに、おそらく20年ぶりくらいに母校を訪れた。時代が時代だからだろうか、敷地の周りは高い塀に囲まれていて、中の様子は見えなかった。やつは、今もどこかで、愛用の武器を振り回しながら、教師を続けているのだろうか。

私は、教師と政治家は信用しない。「おばかさん」だと思っている。

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2005年9月15日 (木)

その後

最近、その母親から連絡が入った。借金まみれになった両親は、闇金の社長に助けられたという。理由は、よくわからない。社長は、何社もの取立て屋を片っ端から追い払うと、両親に「あんたらは立ち直れ」と諭したという。それっきり取立て屋は、二度と現れなかった。

今、母は、その社長に仕事をもらい、どうやらカタギの商売をしているらしい。ネットビジネスの知り合いは、みんな逃げてしまった。当たり前だ。闇金の社長に雇われている人間の相手なんて、できっこない。

社長は、地元を牛耳るドンだという。

ところで、この話、出来過ぎている。母には、昔から明らかに妄想癖があった。私は、話半分でこの話を聞いていた。

以前、母がくれた手紙をある専門家に見せてみた。その人は、手紙を読むと顔を曇らせて言った。

「大変失礼なことを言ってしまいますが、ごめんなさいね、お母さん、精神的に病気でらっしゃいませんか」

そうかもしれないと思った。

今日は、天気予報が曇りだというのに朝からからっと晴れている。暑い日になりそうだ。

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2005年9月14日 (水)

私は大きな迷子

迷わせたのは、私の父親であり、母親だ。
両親には、子どもを育てる能力がなかった。
塾に通わせれば勉強できると勘違いし、
勉強ができれば優秀な子どもだと勘違いし、
商売が大変なら働かせればいいと勘違いし、
子どもは親の仕事を継ぐのが当たり前だと勘違いした。
子どもにとって、一番大切なのは友達で、
一番必要なのは、遊ぶ時間だということに、
最後の最後まで気づくことができなかった。

それでも、小学生の低学年くらいまでは、
両親との思い出は、甘いモノが残っている。
夜遅くまで仕事を手伝うのも構わなかった。
両親と共に時間を共有できることを誇りに思えた。
宿題ができなくて先生に怒られても、
自分は商売している、両親と働いているという自負があった。

大きく狂い始めたのは、中学、高校に入ったあたりだ。
バブル経済華やかかりし頃、
両親は、株や土地に手を出し、商売に手を抜くようになった。
中国株だの香港のマンションだのと、
日本の貧しい労働者であることをすっかり忘れ、
リアリティのない金策に走った。
大学時代、その矛盾は一気に破綻し、
すぐに借金の亡者と化した。
この頃から、実家に帰省するたびに、
ネットビジネスへの勧誘が相次いだ。
子どもの頃の彼の口座を勝手に裏口座にして、
あくどい商売まで始めたのだ。
善だろうか悪だろうが、儲かれば文句はない。
親がなんの仕事をしようと勝手だ。
ところがだ、この商売、さっぱり儲からなかった。
儲かるどころか、借金はふくらむばかり、
しかも、儲かっていない事実に両親とも気づいていなかった。
もう、両親は、両親ではなかった。

こいつらは、妖怪だ。

ほんの数年前、会社に闇金融からの電話が入った。
こんなドラマのような展開があるとは思わなかった。
焦った。
それと同時に、どうしようもない怒りを爆発させた。
親は、闇金融から借金をするために、
自分の息子の会社の電話番号を連絡先に指定したのだ。
それでもだ、借金を返すのなら、よかろう。
両親は、闇金融から片っ端からお金を借りて、
片っ端から一度も返さずに逃げた。
救いなのは、連絡先を息子の会社に番号にしても、
名義は、息子の名前にしなかったことだ。
もっとも、違法な金融だから、
仮に名前を使われても、返す必要はないのだが。
両親は、家の電話も止め、どこかに雲隠れし、連絡不能となった。
自分自身も、闇金からの電話を避けるため、
自分の自宅の電話番号を変えることになった。

先日、何年ぶりかで母から電話があった。
が、何年ぶりかの電話は、「印鑑押してくれ」だった。
まるで、闇金から追われている事実がなかったかのように、
あの頃の親子が続いているかのような勘違いな声で、
さも、当たり前のように電話をかけてきた。
「今、舞浜にセミナーに来ている。会えないか。印鑑がいる」
・・・・もう、電話の声は母親ではない。妖怪だ。
すでに、親子関係は戻らないことが、分かった。
両親は、親子関係を維持するための最低限のルールを破った。

私の、たった1人の旅が始まった。

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急行銀河

京都から東京に出るとき、なぜか寝台急行銀河を使った。新幹線では、いまひとつ雰囲気が出なかったし、旅立ちとしては慌ただしい気がしたからだ。

近所の友達が自転車を引き取ってくれるというので、家まで運んだ。友達のお母さんがなぜか餞別として3万円包んでくれた。なんだか、あったかい気持ちに心打たれてしまった。

その日、夕方、アパートを空にして、地下鉄で京都駅に向かった。京都駅は、今と違い、まだ古い駅舎だった。発車時刻まで2時間ほど、駅舎のビアホールで生ビールを飲んでいた。

発車時刻の数分前、ホームに向かうと、大学の同級生が2人見送りに来ていた。お別れになぜかサボテンをもらった。

ブルートレインのB寝台でゆられながら、いつか必ず夢を叶えて戻ってくると決意していた。

3万円の餞別は、東京に着いたその日に郵便局の国際ボランティア貯金に預けた。サボテンは、私の育て方が間違っていたのか、1ヵ月も経たないうちに枯れた。サボテンを京都駅まで持ってきた2人は、その後結婚した。噂では、最近2人の年賀状は別々の住所から送られてくるそうだが、真意は確かでない。

急行銀河は、今夜も夢を乗せて走り続けている。あの旅立ちの日から来年の2月で、もう、12年なる。私の復路は、まだ見通しすら立っていない。私の、夢という往復切符は、すでに有効期限を過ぎて、セピア色に染まっている。

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2005年9月13日 (火)

gemini in 初台ドアーズ

blogの編集モードを変えると、結果がよく分からなくなる。何だか、雰囲気を変えてみようとしたが、果たして・・・。

今夜は、職場近くにある初台ドアーズへ。ここは、天井が高くて、トイレがきれい、ドリンクが安い、個人的にはかなりお気に入りのライブハウスなのだ。この日のトップバッターは、このblogではお馴染みのオシャレユニットgemini。スタート直前、午後7時ちょっと前に会場入りしたが、お客様の入りはチラホラ。2人目が終わるくらいまで、実にまったりと静かにライブは進んだ。アーティストは困るかもしれないが、こんなくらいが安心する。

カフェタイプのライブ会場は、お客様が何かを食べていたり、雑談している横で、雑音の隙間を飛び越えるように音が響くから、どっちかというとBGMっぽい聴き方をする。天窓のようなアコースティック形式のライブハウスでも、お互いの距離が近いせいか、どこかお客様もそわそわしているし、歌う側もお客様の反応を楽しみながら歌っているところもある。が、今回のようなステージが高くて、だだっ広くて、奥行きのあるライブハウスって、逃げ場がなくて、まさにガチンコライブだなと思った。どの席からも歌い手が丸見え、かといって会場は真っ暗でお客様の反応は今ひとつ分かりにくい。音がないと、シーンと静まりかえり、お客様が黙ってステージを見上げている。

自分が歌い手なら、すっごく緊張するかも。
しかも、音響も照明も、ものすごく良い。でっかいスピーカーから響く音は、gemini和代さんのような優しい声でも、重い空気のかたまりとなって飛び出してくる。バンド形式なら、ちょっとした狂いも他の音にかき消されるが、ギターとボーカルだけではわずかなズレが目立つ。最初、こんなライブハウスでアコースティックなライブが合うのかどうか不安だったが、むしろ、アーティストが鍛えられるところだなと思った。照明も、すっごくアーティストをかっちょよく映し出していた。シルエットに浮かんだgeminiは、何だか人気歌手のライブと変わらなくて、ちとぶるった。

「歌うほうは気持ちよく歌ったんですよ」・・・和代さんの一言に、さすがだなあと感心していた。次はバンド形式でも観てみたいなと思った。

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2005年9月11日 (日)

トラックバックのためのトラックバック

あまり長期間、blogを更新していないと、各方面からツッコミが入る。確かに仕事は忙しいが、案外そうでもない。事実、投票日当日だというのに、こんなことをしている。

最近、私がよくライブに通うアーティストの日記が、blog形式になっているケースが増えてきた。今夜は、そのblogに勝手にトラックバックさせてもらっている。そちらからいらっしゃったファンの皆様、ごめんなさい。特に意味はないのだ(笑)

http://naoko-k.jugem.jp/ 「木下直子の気ままな日記」

ライブにまめに通う木下ちゃんとこの日記。ファンには申し訳ないが、トラックバック第1号を送らせていただいた。

http://blog.goo.ne.jp/koyo-piano/ 「こよの水色日記」

大人の魔法使いKoyo様の日記。ずーっと最初の1日目が始まらない。マイペースなKoyo様のことなので、気長に待つことにしよう。

http://blog.livedoor.jp/kosa32/ 「日日淡淡・つだみさこの思いつき日記」

ライブでの1つ1つの歌と言葉から、たくさん教えられてしまう、ちょっと不思議なつだみさこさんとこの日記。

http://blog.livedoor.jp/gemini0210/ 「Gemini Diary 日々の流れ」

このblogではおなじみのGeminiの日記。いつもお世話になっております。

http://blog.oricon.co.jp/kawashimaai/ 「川嶋あいブログ」

川嶋あいさんの天然な性格がよーく分かる。典型的見守り系アーティスト。

アーティストに日記はつきものだけれど、自作CGIをサーバーに置いて、という作業は、なかなか素人には難しい。blogは、比較的に自由にデザインできて、簡単に投稿できるから、これからも増えてくるだろう。

ところで、私が、個人的に勝手に師匠と崇拝する2人の芸能人。いや、師匠と呼ぶには、少々2人とも若すぎるのだが、申し訳ない、尊敬の意味も込めて、以下の2人のblogにもトラックバックさせていただいた。

http://manabekawori.cocolog-nifty.com/ 「眞鍋かをりのここだけの話」

ブログ界の女王様、眞鍋姉さん。最近、ブログ本も出している。この方の記事の書き方、結構、参考になる。

http://rosa.cocolog-nifty.com/ 「加藤ローサのblog de チェキ日記」

すんまへん。こーゆー子、タイプです(笑)←アホ

さて、しばらく休筆してきたが、本日からそこはかとなく、復活である。

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2005年9月 3日 (土)

フラッシュバック

金曜日、ささいなきっかけでフラッシュバックが起こり、仕事も放り出して帰宅してしまった。久しぶりだから、自分でもびっくりしてしまっている。スリップ寸前だが、何とか踏みとどまっている。いや、こういうときはスリップすればよいと思うが、すぐにいろいろ放り投げたことで少し落ち着いたようだ。今週は、響きそうだけれど。

今夜、usuのライブがあり、四谷天窓に行った。「できるだけ長生きしようでぃ」というイベント第4弾。usuは1年ぶり2度目の登場になる。イベントの最後に出演者とお客様全員が青汁で乾杯するという、世界一過酷なイベントである。疲れていたからだろうか、今夜のusuの歌声はやけに胸の奥底まで響いてきて、ライブが終わる頃には、自然でろ過されたミネラルウォーターが流れたような、ひんやり気持ち良い感触が残っていた。

「大丈夫」が合い言葉。

いいやつは早く死ぬ。「死ぬ」「死ぬ」と騒ぎながら執拗に生き残るやつは、みな、生きているのではなくて、生きてしまっているのだ。ろくなやつがいない。

君は、今も、幸せにしているだろうか。立ち止まって泣いていないだろうか。私は、恥ずかしながら、こうして生き残り、恥をさらしてしまっている。生きることも、死ぬこともできないでいる。あともう少しだけ、わがままを許してほしい。いつまでも続くとは思っていないから、死ねないうちは生き残らせてほしい。

私は、自宅近くの駅が終点の電車に乗ると落ち着く。ここで最後、諦めがつくというか、ふんぎりがつくというか。いつも、終点のはずの回送電車に居眠りして取り残された乗客がいる。今夜も。電車は構わず発車する。

今の自分に似ているような気がして、ずっとその回送電車を見送っていた。20050903.jpg

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2005年9月 1日 (木)

おやすみなさい。

都内某所にてカニをむさぼる夜。副都心には、ほんのり秋の風が吹いていた。ぽつぽつと落ちる蝉のなきがら。生きている私たちの化身。

さあ、明日が始まるよ。20050901b.jpg

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ところで今日は池袋

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防災の日

神戸は、私にとってあこがれの町だったし、「まちづくり」という言葉も、京都と並んでこの町から学んだ。大学の講義で神戸の住民参加型のまちづくりを学び、非核神戸方式という、核を持ち込ませない姿勢にも共感した。そこにいるだけで気持ち良い町だったのだ。

それだけに、阪神淡路大震災で壊滅した町には大きなショックを受けたし、世界観が崩れ去るような虚脱感が襲った。

その頃、私は東京で就職活動をしていて、友達からの電話で震災を知った。テレビをつけると高速道路が横倒しに倒れていた。すぐに神戸に向かいたいという衝動にかられたが、神戸に向かう交通アクセスが寸断されており、国道が渋滞していると聞き、思い止まった。何より私は、今いる会社の内定を待っている最中だったから、東京を出るわけにいかなかった。

今でも、あのときすべてを投げうって被災地に向かうべきだったという後悔の念がある。

震災から数日後、私は会社の採用が決まった。入社して最初の記事は、東京の震災対策だった。

東京の人にとって、震災とは遠い昔の話だ。が、関西では、今もリアルタイムで復興が進んでいる。首都直下地震が起こる確率は、今後30年以内に70%だという。私たちの世代は、プレート型の東海地震と、直下型の首都直下地震の、二度震災を経験する可能性がある。

私たちの足元はいつも揺れている。せめて今日は、当たり前の今日でなく、いつか襲う災害をしっかり事実として受け止める日にしたい。

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