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2005年8月 1日 (月)

ごめん

D1000178結局、君にちゃんと謝ることもできないままに、君と離ればなれになって、もう、1年8か月が過ぎた。本当は、あのとき、無駄だと分かっていても、君を引き留めるべきだったのかもしれない。最後まできれいな思い出を残そうと悪あがきしたのは、何よりも、それまで歩いてきた道に対する後ろめたさがあったからだと思う。どんなにきれいな言葉を並べても、たぶん、言い訳にしかならないし、私の独りよがりだったんじゃないだろうか。12月24日、別れ際に、君の頭にポンと手を置いてなでた、あの手のひらには、未だにあのときの感触が残っていて、今も私は、あのとき、あの場所に立ち尽くしたまま、身動きが取れないでいる。

君の文章は、まるでおもちゃ箱をひっくり返したような支離滅裂なもので、思うがままに思いつくまま言葉を並べて、とても売り物にはならなかった。そこに赤を入れるのは、最初のうち修行以上のなにものでもなかったが、なぜか他人の書いた文章には思えず、だんだん愛着がわくようになってきた。後になって気づいたのは、それはおそらく、君の文章が、私を真似たものだということ、私の弱点をありのまま受け継いでしまっていたのだ。違ったのは、君は、ジャーナリズムを心底信じて文章を書いていたのに、私はどこかでそういう抽象的な言葉が信用できず、心の中に秘めた「反ジャーナリズム」のようなものから抜け出せなかったのかもしれない。

結果的に、その違いは、私だけが生き残り、君が去ってしまうという、最悪の結果をもたらしてしまったような気がする。私は、一番君を守らなければならなかったときに、自分だけを守ろうとして、君を傷つけることになったのではなかろうか。本当は、君といっしょに戦うべきだったのに、自分だけが生き残ろうとしたのではないか。私は、自分でもイヤになるほど、口先ばかりで何もできない人間だったと思う。

風の噂に、君が再び、新聞っぽいものを書いていると聞いた。私も、抜け殻のまま、それっぽいものを書いている。今も、新聞の小さな余白に、君の面影を感じることがある。あれから、私は、酒をきっぱりと断ってしまい、しらふの人生を歩んでいる。君はまだ、あの豪快な飲みっぷりは変わらないのだろうか。たぶん、私は、あの頃の自分を取り戻すことは、もう、できないと思う。でも、私は、いつまでも、あの瞬間のまま、前に進むことができず、そらめいていることだろう。

君は、今日も、あの頃と同じように、私と同じ空の下で元気よく東へ西へと走り回っているのだろうか。太陽が地球を何千回も回り、あの瞬間が遠い記憶の彼方に遠ざかってしまったとしても、私は、空に手をのばして、あの瞬間に戻ろうと背伸びをしていることだろう。

いつか、涙を流さなくても、この思い出が語れるようになったら、そのとき、私は、この後悔を生きる力にして、前に進むことができるような気がする。あの瞬間、止まってしまっていた世界は、間違いなく動き出す。ようやく私は、私のために生きることが出来る。どこかの空の下で君と出会うことがあったら、今度は、あの瞬間できなかった、握手をするため、私は笑顔で君に右手をさしだすことだろう。

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