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2005年8月 5日 (金)

学校給食

D1000009私は、学校給食が大嫌いだった。それは、小学校を卒業してから20年以上過ぎた今も変わりない。たまに、雑誌やお店で昔の学校給食の特集を組んでいたりして、みんなが懐かしそうに思い出を語っているのを見ると、ただただ、胸焼けがして、目を覆いたくなる。

私の小学校時代の担任の先生は、給食を絶対に残させない主義だった。少しでも残すことは許されなかったし、午後の授業時間中も、夕方日が暮れる直前まで、すべて食べきるまでは放置された。なんせ、我が家では家族の偏食が著しかったから、学校ではかなり多くの、食べたことのない食べ物が登場して、私を困らせた。それに、当時から躁鬱の波が大きかった私は、お腹がすいて仕方ない日と、食べ物が喉を通らない日とが、かなり大きく差があった。

だから、学校給食には、トラウマしか残っていない。

今、私は、かなり多くのものを好き嫌いなく食べることができている。一番大きな要因は、学校給食ではなく、家を離れて一人暮らしを始めたことにある。食わず嫌いだった食べ物を数多くチャレンジして、自炊をして自分で料理する楽しさを覚えてから、食べ物の好き嫌いはほとんどなくなった。

学校で、なぜ、あんな無茶な見せしめのような、強制完食が行われていたのだろうか。無理矢理食べさせられることでその食べ物をますます嫌いになる。食べられないから冷める、さらに乾く、よってまずくなる。食べて、嫌いになる。悪循環の繰り返しである。最近、学校の先生に聞いたら、今は強制的に食べさせることはしていないのだそうだ。当たり前だと思う。

記者の仕事をしていると、学校給食をめぐる様々な政治的な動きがあったりして、現場を取材することが多い。が、理屈では、安全で美味しい学校給食を守らなければならないと格好付けてみても、やはり子どもの頃のトラウマがジャマをして、心のどこかで、「学校給食なんて潰してしまえば楽になる」と囁く悪魔が、私の中に住んでいるのだ。学校給食さえなければ、私の子ども時代は、かなり楽しかったに違いない。好き嫌いはもっと早くなくなっていたかもしれない。「食」に対するトラウマは、根深いのだ。

ところで、話は変わるが、私の母のみそ汁は、とにかくまずい。理由は、意味もなく、やたら薄いからだ。大学時代、一人暮らしを始めて、生まれて初めてコンビニに買い物に行き、カップのみそ汁を買って、部屋で食べたときの感動は、今も忘れない。

みそ汁って、こんなに美味しいんだーっ(泣)

私にとって、家も学校も、「食」は苦行でしかなかったのだ。

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