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2005年8月 8日 (月)

断酒の動機づけは難しい

D1000011私がアルコールをきっぱりとやめてから、もう1年9か月が過ぎた。こんな風にblogなんて書いていると、きっとこの人は頑張ってお酒をやめようと努力していると思われるかもしれないが、私自身はとても意志が弱くて、気まぐれな存在だ。断酒会にも通わず、酒を断ち続けているのは、単に性格が極端にマメなだけで、何のきっかけで再びまた酒を飲み始めるのか、予断を許さない状態なのだ。

家族がいて、自身のアルコール問題によって家庭が崩壊したり、家族を傷つけたりした場合は、アルコールに伴う具体的な問題点が事実で明らかにされる。アルコール依存症の人は、こういう現実を目の前にしても、やはり自分はアル中ではないと、否認を続けるわけで、もしかすると、酒を飲み続けている人たちのほうが意志が強いのではないかと思うことがある。それに比べれば、私なんて、酒を飲みたくても、飲む勇気さえない。

私には、酒で壊す家族もない。アルコールを飲み続けて、連続飲酒発作で部屋に閉じこもっても、おそらく、かなり長い期間、発見すらされないままだろう。思うままに、アルコールにおぼれることができる。いや、例え、発作とまでいかなくても、普通に酒を飲みながら生活を続けることくらいできるじゃないか・・・と、ふと、思うことがあるのだ。

どうしてこうなるかというと、一番の理由は、私が孤独すぎる、ということがある。断酒生活に最も大きな障害となるのは、おそらく、孤独だと思う。

もう一つ言えることは、私は、底を見ていない、ということがある。私は、家族を崩壊させたこともないし、連続飲酒発作で入院したこともない。アルコール問題については、落ちるところまで落ちなかったのだ。

そう考えてくると、私が酒を飲まずに生きているのは、酒を飲まない努力をしているというより、むしろ、酒をやめるきっかけとなった時点で立ち止まったまま、今もまだ動けないでそのままでいるだけなのだと思う。足がすくんで前に進めないでいるだけなのだ。

私は冷静に自分の心の中にぽっかり開いた、真っ黒で奥深い穴ぼこを覗くと、とても怖くて、お酒でその穴を埋めようなどとは思えない。今度再び飲み始めたら、おそらく、きっと、死ぬまで飲んでしまうような気がする。古井戸の入口のようにポッカリと空いた穴の奥のほうには、おそらく誰にもコントロールできない憎しみや悲しみや怒りが渦巻いているだろうし、それをアルコールで埋めようとすれば、たぶん、とてつもない量のアルコールが必要になるだろう。そのサバイバルなやけ酒は、きっと命がけの逃避行になるに違いない。

こんな暑苦しい夜は、おそらく冷たい生ビールをゴクゴクと飲んだら、気持ちよいに決まっている。そんな快感をイヤと言うほど味わっている私は、そんなことを思いつくたびに、自分の心の穴ぼこをそおーっと覗いてみる。足がすくむ。すぐにトラウマがよみがえる。映画の幽霊のように、アルコールを欲する私自身が井戸の奥から私を引きずり込もうとする。

私は、確かに酒を断った。でも、私の奥底には、まだ解決されていない大きな穴ぼこが眠っている。回復の道は、まだ始まったばかりなのだ。

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