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2005年8月15日 (月)

そして、60年目の夏

D1000027私が初めて「戦争」の記憶に触れたのは、小学生の低学年くらいだったと思う。祖父は、何がきっかけなのか忘れたけれど、ある日、祖父の部屋で私を前に突然、戦争の話を始めた。

私の祖父は、戦時中は学徒動員で、名古屋にある飛行機工場で働いていたという。戦況が悪化し、本土の大都市が空襲を受けるようになり、名古屋も例外ではなく、B29の爆撃を受けた。祖父の働く飛行機工場は絶好の標的だっただろう。何度も米軍の爆撃を受けて、祖父たちは爆雷を避けながら防空壕へと逃げたという。その日も、工場で働いていると、空襲警報が鳴り、「空襲警報発令」と何度もアナウンスがあり、祖父は必死に防空壕へと走った。上空には、独特の轟音をとどろかせてB29が飛んでいて、工場の周りにも爆弾が降った。途中、祖父の友達が倒れているのを発見して、抱き起こしたが、ひどい傷だった。祖父は、「がんばれ」と励ましたが、上空からは次々と爆弾が落とされていた。このままでは自分が死ぬ。祖父は、友達をそこに残したまま、「必ず帰ってくるからな」と言い残して、防空壕へ走った。友達は、「助けてくれ」と叫んでいた。走る祖父の背後で、ついさっきまで友達が倒れていた場所に爆雷がとどろいた。

この話をしているときの祖父は、静かで淡々と語っていた。涙を見せる様子はなかったが、遠い記憶を呼び起こすように、遠い目をしていた。

祖父がそう語ったのか、私が勝手にそう悟ったのか、今は覚えがない。そのとき、私は、「戦争はしてはならない」と思った。それは、今もずっと続いている。祖父は平和主義者ではない。右翼でも左翼でもない。が、祖父の目には、戦争の悲劇がしっかりと刻み込まれていて、おそらく、その記憶を消したくても、焼き付けられた記憶が消えることはなかったのだろうと思う。

祖父は、私の大学時代、ある日突然、実家を飛び出して、それ以来、消息は分からない。生きているのか、死んでいるのか。

今日、8月15日。日本が忘れたくても忘れられない、60年目の夏がやってきた。

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