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2005年7月 5日 (火)

聖書

D1000122キリスト教にはまったく縁のない人生を送ってきた。1年に1回、クリスマスの日だけ、食卓にはケーキが現れたが、それを食べる以上の行為は皆無だった。幼稚園には、サンタクロースが登場したが、大人びていたのか、ひねくれていたのか、ただの変装だと分かっていた。

それが、急展開したのは、高校時代だ。私の高校は、プロテスタント系の男子校・・・、もう、これだけで身震いするというか、重苦しくなるというか、聖書を抱えた学ランがウロウロしていたら、それはもう、普通に不気味に感じたのだが、哀しいことに、自分が入学した高校がプロテスタント系の高校だということに気づいたのは、入学式の日だった。キリストには、カトリック系とプロテスタント系、さらにいくつかの宗派があると分かった。

高校の敷地には、大きな教会が立っていた。そこでは、週1回、朝のミサが行われ、牧師の校長がありがたーい説教をし、男ばかりがハスキーな低温で賛美歌を歌った。学校の時間割には、週1時間、「聖書」の時間があり、聖書を読んだり、キリスト教の歴史を学んだ。ミサも授業も強制だったが、信仰を強制することはなかった。だからだろうか、平気で生徒に体罰を与える教師がいたし、学生たちの陰湿ないじめは、普通に横行していた。

哀しいかな、キリスト教から学んだものは何もなかった。それなのに、先日、部屋の整理をしていたら、荷物の中から、高校時代に使っていた聖書が出てきた。高校時代に読んで以来、手も付けていなかったのに、捨てるに捨てられないまま、ずっと持ち続けていた。

神の存在を信じたことはない。でも、私は、いつも、ハイヤーパワーを感じて生きている。私は、いつも、ハイヤーパワーの下に屈服し、白旗をあげている。今振り返ってみると、キリスト教は、私に、自分にコントロールできない「力」に対して、謙虚になり、受容することを教えてくれたような気がする。だからこそ、私は、不器用でもぶきっちょでも、方向音痴で迷子でも、今、目の前にある道を歩いてこられたような気がしているのだ。

それは、同時に、目の前の道を切り開くこと、変えるべきものを変える力にも転嫁したような気がする。だからこそ、私は、アルコールを断ち切ることもできたのではないかと、実に勝手に自負しているのだ。

たぶん、これからも私は、イエス・キリスト殿には、不義理を続けてしまうのだろう。読みもしない聖書をそっと抱えて、立ちすくんでいることだろう。だらしなくて、そらめいていて、何だか、かっこ悪いけれど、これもハイヤーパワーの導きなのだと思っている。

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コメント

こんにちは、もりちさん。
「聖書」の記事にトラックバックさせていただきました。
私も「ハイヤーパワー」を信じていこう・・・と、改めて確認することができました。
どうもありがとう^^

投稿: あすなろ | 2005年7月 6日 (水) 12時54分

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