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2005年7月31日 (日)

それでも生きていく

D1000174今夜は、昼と夜、四谷天窓.comfortの「Piano & Woman ~生命~」の最終夜。「生きる」意味を考える1週間も、無事最後の夜を迎えた。昼はusu、夜は、大人の魔法使いkoyo様の光臨である。このblogでは初登場のkoyo様は、珍しく御帽子を被られずに御登場になられた。koyo様の美しい天使の輪を拝見するのは珍しいので、最終夜にふさわしく、可憐なkoyo様にお会いすることができた。koyo様のお言葉とお歌を堪能した夜となった。今夜のお客様は、かなり幸運だったに違いない。間違いないっ。

この企画には、4回訪れ、計15人のアーティストに出会った。それぞれの歌姫に、それぞれの生き方があった。「がんばれ」というメッセージもあれば、「もっと気楽に生きよう」というメッセージもあった。どちらが正しいのではなく、どちらも生きるということなのだろう。

人は、そんなに簡単に息絶えることはできない。以前、とてつもなく大きな喪失感に見舞われたときに、私は、ただ力尽きて途方に暮れる以上には、どうすることもできなかった。突然アルコールを切ってしまったとこも原因かと思うが、「死にたい」という感情を通り越してしまい、「明日死んでいるかもしれない」という感情は、もうすでに自殺さえも決行できないほどの喪失感で、死ぬことさえもできなくなるのだ。何も食べられないし、何も食べたくない。身体を起こすこともできないくらい衰弱するが、身体を横たえても眠ることすらできない。ここまで来ると、何らかの医学的な治療抜きには、立ち直ることはほとんど不可能だ。薬をもらって、ようやく会社にも出かけるが、染みついた習慣にもとづいて自動的に動いている、という感じで、生きている実感すら消えていた。

そんな絶望的な状態は長くは続かなかったが、そのときに痛感したのは、生きていて良かったという前向きな感情ではなく、人間はそんなに簡単に死ねない、というあきらめのようなものだった。結局、思い切って死なない限り、人はほとんど生きていくしかない。死にたいときに、なかなか事故や病気は忍び寄ってくれないのだ。あきらめて生きていく、というのは、とても後ろ向きで、熱く生きている人間からすれば説教したくなるかもしれないが、案外、生きるとは、そんなものかもしれないと思っている。人間にとって、生命力とは、あきらめることではないだろうか。

死ぬほど頑張って死ぬ人間はいない。死ぬ気になって頑張って死ぬ人間もいない。死ぬような思いをしても、なかなか死ぬことはできない。ここ一番崖っぷちであきらめて、ようやく人は生き続けることができるのではないか。人生を見失っても、世の中に絶望しても、それでも、私は生きている。私は、大切な人には、どんなに絶望しても、無茶苦茶になっても、生きていてほしいと思う。死ぬ気でがんばれなんて、とても説教できない。生き残ってくれれば、それでいい。とにかく生きていてほしい。

相変わらず、私は方向音痴で迷子だ。それでも、生きていく。細胞が息絶える瞬間まで、精一杯息をして、私なりに生きていく。

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