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2005年7月の33件の記事

2005年7月31日 (日)

それでも生きていく

D1000174今夜は、昼と夜、四谷天窓.comfortの「Piano & Woman ~生命~」の最終夜。「生きる」意味を考える1週間も、無事最後の夜を迎えた。昼はusu、夜は、大人の魔法使いkoyo様の光臨である。このblogでは初登場のkoyo様は、珍しく御帽子を被られずに御登場になられた。koyo様の美しい天使の輪を拝見するのは珍しいので、最終夜にふさわしく、可憐なkoyo様にお会いすることができた。koyo様のお言葉とお歌を堪能した夜となった。今夜のお客様は、かなり幸運だったに違いない。間違いないっ。

この企画には、4回訪れ、計15人のアーティストに出会った。それぞれの歌姫に、それぞれの生き方があった。「がんばれ」というメッセージもあれば、「もっと気楽に生きよう」というメッセージもあった。どちらが正しいのではなく、どちらも生きるということなのだろう。

人は、そんなに簡単に息絶えることはできない。以前、とてつもなく大きな喪失感に見舞われたときに、私は、ただ力尽きて途方に暮れる以上には、どうすることもできなかった。突然アルコールを切ってしまったとこも原因かと思うが、「死にたい」という感情を通り越してしまい、「明日死んでいるかもしれない」という感情は、もうすでに自殺さえも決行できないほどの喪失感で、死ぬことさえもできなくなるのだ。何も食べられないし、何も食べたくない。身体を起こすこともできないくらい衰弱するが、身体を横たえても眠ることすらできない。ここまで来ると、何らかの医学的な治療抜きには、立ち直ることはほとんど不可能だ。薬をもらって、ようやく会社にも出かけるが、染みついた習慣にもとづいて自動的に動いている、という感じで、生きている実感すら消えていた。

そんな絶望的な状態は長くは続かなかったが、そのときに痛感したのは、生きていて良かったという前向きな感情ではなく、人間はそんなに簡単に死ねない、というあきらめのようなものだった。結局、思い切って死なない限り、人はほとんど生きていくしかない。死にたいときに、なかなか事故や病気は忍び寄ってくれないのだ。あきらめて生きていく、というのは、とても後ろ向きで、熱く生きている人間からすれば説教したくなるかもしれないが、案外、生きるとは、そんなものかもしれないと思っている。人間にとって、生命力とは、あきらめることではないだろうか。

死ぬほど頑張って死ぬ人間はいない。死ぬ気になって頑張って死ぬ人間もいない。死ぬような思いをしても、なかなか死ぬことはできない。ここ一番崖っぷちであきらめて、ようやく人は生き続けることができるのではないか。人生を見失っても、世の中に絶望しても、それでも、私は生きている。私は、大切な人には、どんなに絶望しても、無茶苦茶になっても、生きていてほしいと思う。死ぬ気でがんばれなんて、とても説教できない。生き残ってくれれば、それでいい。とにかく生きていてほしい。

相変わらず、私は方向音痴で迷子だ。それでも、生きていく。細胞が息絶える瞬間まで、精一杯息をして、私なりに生きていく。

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2005年7月30日 (土)

サイトを更新

D1000172夕方になって、のこのこと起きてきて、「そらめく.com」の更新をした。これで、ようやく、予定していたコンテンツをすべて完成させた。

今夜は、これにて。

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一度ライブで「良かった」と思った歌をもう一度聴きたいと思ったということは…

D1000170今日は忙しく、首都圏を東奔西走した。夕方、仕事先から小田急線で海老名へと出て、木下直子ちゃんのインストアライブ。終わると、ゆっくりする間もなく、JRで茅ヶ崎を経由して、湘南新宿ラインで渋谷に出た。ここでは、7th floorで、谷口深雪ちゃんのライブ。さらに、さらに、谷口ちゃんに「お疲れ~」と軽くあいさつをすませて、渋谷駅西口のストリートライブへ。ここでは、ウエタマミコさんが歌っていた。渋谷中央街「渋谷アコースティックライブVOL1~ダメ。ゼッタイ。ノードラッグキャンペーン~」というストリートイベント。東京都福祉保健局も後援している由緒正しいライブである。

1日に3本のライブをハシゴすることは滅多にない。1週間に1、2本が平均だ。ライブに通い詰めている人からすれば、まだまだ私はひよっこだが、普通の人よりライブに通う回数は多いほうかもしれない。

本音を言えば、「あの歌をもう1度聴きたい」という欲求は、少し後ろめたさが漂うものだ。実は、次に聴きたいと思っている、その瞬間、すでに「あの歌」のフレーズはほとんど忘れてしまっている。ライブ会場でとても素敵な歌だと感動して、ライブの余韻に浸りながら、家路につく。すると、帰りの電車の車中ではもう、素敵な歌のフレーズは消えかけている。電車が家の最寄りの駅につく時間には、そのフレーズどころか、その素敵な歌の何が素敵なのかもよく思い出せないことがある。「良かった」という、根っこのない感情だけが心のあたりに胸焼けのように残って、気になって仕方ないのだ。下手をすると、その歌のタイトルさえも忘れて、家に帰って、パソコンを開けて、さあ、アーティストの掲示板に感想を書こうとした瞬間、その歌のタイトルを忘れて、その場でかたまる。

「3曲目の歌が良かったです」

とてもせつない。沸々と胸焼けのようにわき上がってくる、「あの歌」の亡霊が、もう1度ライブハウスで、あの感動に会いたいという気持ちを盛り上げる。運が悪いと、次のライブの前に、他の人のライブで、その人がお客様として来ていて、「ああ、この間はライブ来ていただいてありがとうございます。新曲、良かったでしょ?」とか言われて、顔を引きつらせながら、「何だっけ?」と心の中で引き出しを開けまくり、「うん、良かったよ。最高だ」と、とりあえず、その場をつくろうのだ。「良かったでしょ?」なら「良かった」と答えればベストだが、「どうでした?」は、やっかいだ。「うん。君らしい歌だね」などと、当たり障りのない感想で乗り切るのは、なかなか日頃の鍛錬が必要なのだ。

CDを発売しているアーティストなら、ライブで聴いて気に入った歌があれば、その場で本人から買って、ゆっくり家で復習することも出来る。でも、世の中でインディーズで活動してるアーティストのほとんどは、自分の音源がなかったり、あったとしても、ほんの一部にすぎなかったりして、その瞬間良かったと思った歌も、次の瞬間、忘れているのだ。だから、本当に良かったと感じたなら、もう一度、何が良かったのか思い出しに、次のライブに通うことになる。2度目の歌を聴いて、ようやく、ああ、やっぱり良い歌だと再認識する。でも、それさえも、家路につく途中の電車の車中で、ケータイのアプリにはまっているうちに、記憶の彼方に追いやられてしまい、次の日にはタイトルしか思い出せない。

今夜、最後に聴いたウエタマミコさんが、帰り際に2曲入りのMD音源をくれた。「9月の雨」と「帰り道」。ライブではすっかりお馴染みだが、おそらく、不意に「どんな歌?」と聞かれると、笑ってごまかすしかない。今日からは、やっと、忘れたら、もう一度聴けばよい。

そう言えば、usuと出会って1か月くらいの頃にも、usuがライブ会場で2曲入りのMD音源をくれた。「化石」と「羽根」。1年4か月が過ぎた今年5月に発売されたusuのミニアルバム「うすうた」には、その2曲が収録されていた。

一度ライブで「良かった」と思った歌をもう一度聴きたいと思ったということは…、

それは、つまり、その歌がどんな歌なのか、もう忘れてしまっている確率が極めて高い、ということなのだ。

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2005年7月29日 (金)

48時間

D1000166いったん動き出した世界は、雪崩を打つように加速を始めた。夕方、会社で会議があり、異動が内示された。おそらく、これまでより遙かに忙しい部署になる。そらめいている暇などなくなるかもしれない。ここのところ、虫の知らせというか、やけに予感のようなものが、私の周りを霧のように周回していた。「歩き出せ」と言われているような、少し焦りにも似た予感を感じて、何とかそれをとどめようと、もがいている自分がいた。

かつて、私は、プライベートな時間をいっさい消し去るほど、仕事の鬼だった。周りの同年代の同僚よりも10人分くらいの仕事を引き受けていたし、実際、こなしていた。世界を全速力で駆け上がってきた。毎日、毎日、ジェットコースターのような精神的な浮き沈みを繰り返しながら、ドボドボとアルコールを注入し、自分でもおもしろいくらい、世界を我がものにしていた。でも、そんな無理な毎日は、私から、決して取り返しのつかないものを奪ってしまった。私は、ハシゴを外されたように、こけて、すっころんだ。

今の私には、あの頃に戻る力は、もう残されていない。私は、もうアルコールを借りてテンションをあげることはできないし、そもそも野望もない。守るべきものもない。

でも、今、私の周りで動き始めた、目に見えない「力」は、私をこのままにはしてくれない、ということを、ここのところ、予感と共に感じていた。ハイヤーパワーは、私に歩き始めることを求めている。もがいて、抵抗することはできるかもしれない。が、どのみち、自分にコントロールできる力学からは外れた「力」だ。

先のことは分からない。相変わらず、私は方向音痴で迷子だ。が、見えない力が、私の背中を押している。アルコールを断って、1年8か月が過ぎた。初めて、何かが動き出している予感がした。

37歳、まだ2日目。1年8か月分の48時間を駆け抜けた。

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2005年7月27日 (水)

生きろ

D1000164朝起きると、雲1つない青空が広がっていた。私は、躊躇せず、まず池袋まで髪を切りに行き、マッサージで体中のアクを抜いて、サンシャインシティのスターライトドーム「満天」で星空に酔った。番組は、「星降る沖縄~STARDUST ISLAND OKINAWA」(~9月11日)。BEGINの名曲を聴きながら、沖縄の青い海、美しい日没、夏の天の川、降るような星空を満喫できる。すっかり浸ったあとは、サンシャイン国際水族館でラッコやイルカに癒された。夕方、四谷天窓.comfortへ。3夜目を迎えた「Piano & Woman ~生命~」。お目当てのアーティストがいたわけではないが、今日は、「生命」を感じたい1日。やはり、〆は、私らしく、ピアノ弾き語りだと思ったのだ。

とにかく、37年間、生きてきた。少なくとも、人生の半分以上は終わってしまったと思う。「生きてきて良かった」と思ったことは、あまりない。振り返ると、トラウマばかりが目立って、幸せが埋もれてしまっている。生きるとは、息をすることだと思う。人生に大きな看板を掲げる人は多いが、結局のところ看板倒れだったり、看板に押しつぶされる。日本の経済は、バブルが崩壊して、国土は埋め立てて広くなったが、私たちの居場所はどんどん狭くなっている。限られた杯の中で人々は争い、自分の居場所を奪い合う。時折、そんな激しい闘いの中で、息をすることも忘れて、生きよう、生きようともがいている人がいる。生きるって、そんなに激しいことではない。息をすることなのだ。

「Piano & Woman Episode03」でもお馴染みの堀下さゆりちゃんが、「カゼノトオリミチ」という歌を唄っている。その歌の中に、戦うのも守るのも疲れてしまった、という詩が出てくる。日本の社会は、攻める方も、守る方も、疲れ果ててしまっている。立ち止まって、しっかり深呼吸しなければ、息をすることも忘れてしまう。私は、この1年半くらい、ようやく安心して息をすることができるようになった気がしている。

炎天下で黒毛和牛が逃走した。ぶきっちょだが、やつも、生きている。

私も生きる。1年で一番、「生命」を感じる1日。真っ青な空を見上げながら、私は、私に、「生きろ」とはっぱをかけた。

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PIANO & WOMAN ~生命~

D1000160昨日からスタートした四谷天窓.comfortのイベント「Piano & Woman ~生命~」を訪れた。前作「Episode03」以来、1年7か月ぶりのイベント。計36人のアーティスト全員が、「生命~いのち~」というテーマに沿った歌を用意する。今回は、1週間限定のポイントカードを実施している。最終日の7月31日まで、4回来場すると、全員のポラ写真&サイン入りオリジナルポスターがもれなくプレゼントされる。

今夜の顔ぶれは、小林未郁、孔井嘉乃、つだみさこ信保陽子の4人。小林さん以外は、何度かお目にかかっている。

今回は、何と言っても、つだみさこさんの歌と言葉に心打たれた。彼女のライブは、絵本の断片を切り取ったような、素敵な世界に浸ることが出来る。でも、リアリティのないファンタジーではなく、私たちがいつも感じていること、日常の何気ない出来事から、生きていくことの大切さや楽しさのようなものを実感したり、普段は気づかないことに気づかせてくれたりして、心を暖かくしてくれる。今回のライブでは、「生きるってこと」という歌を唄っていた。「生きている」と感じて生きている人はあまりいなくて、でも、それが生きているということなのだ。「人間は、殺してしまうことには際限ないけれど、生むのはせいぜい5人くらいが限度じゃないですか」・・・「生命」を心底感じるステージだった。

さて、明日以降のPiano & Womanは、以下のスケジュール。

7/27 19時start Emili、鈴木あい、鈴木美海、おかべゆきこ

7/28 19時start 大須賀聡子、戸城佳南江、伊藤久美子、水嶋美子

7/29 19時start furani、永山恵里、大津歩美、ミゾグチリョーコ、川原一砂(O.A)

7/30 13時start あべさとえ、さくまひろこ、醍醐尚味、bisq

7/30 18時半start しほり、川崎萌、いいくぼさおり

7/31 13時start 入日茜、いわさききょうこ、usu、Tealla

7/31 18時半start 由来、あっこ、KOYO、eji~Na

ん?なんかblogっぽいこと書いているな(笑)

たまには、こんな日もあるさ。

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2005年7月25日 (月)

台風前夜

子どもの頃、台風は、災害ではなく、冒険だった。朝、自分の街が暴風圏内なら、学校は休み。テレビのニュース映像を見ながら、迫り来る台風に向かい、「来い!」「来い!」と念じていた。台風が近づくと、町中が独特の緊張感に包まれて、その雰囲気が大好きだった。商店街がみんなシャッターを閉めていたり、デパートが早く閉店したり、電車がストップしたり、都市の機能が止まる瞬間を見ようと、強風が吹く中を出かけたこともある。

子どもというのは、残酷な生き物なのである。

大好きな台風は、そう簡単に私の住む街を直撃してくれなかった。前の晩、台風が 着々と近づき、上陸間違いなしと分かり、浮かれ気分で布団にもぐり、外を吹く強風の音にわくわくしながら眠った。でも、朝起きると、空は雲一つない青空で、道のあちこちにゴミや木の枝が落ちていて、台風の痕跡だけが残り、もちろん、学校は平常通りだったりして、大きなショックに陥ったりした。ちゃんとした記録はないのだが、台風の上陸は、昼間より、夜の方が多い、というイメージが強い。

昔、工藤夕貴が主演で『台風クラブ』という映画があった。「台風は楽しい」という子どもの心境をそのまま映画にしていた。

大人になったが、未だに台風が近づくと、ワクワクと胸が騒ぐ。不謹慎極まりない大人なのである。台風真っ直中の、閑散とした電車に乗ったり、繁華街を家路を急ぐ人たちの逆方向に歩いてみたり、やけにガラガラのお店でご飯を食べたり・・。基本的に、私は、子どもっぽい、っていうか、幼いのだろう。子どもの頃は、台風のときには家でおとなしくしていないと怒られたが、今は、お構いなし。すぐに冒険に出かけたくなる。

もっとも、最近の天災は、そういう冒険心を包み込むには、あまりにも過激になってしまった。異常気象は、こんな大きな都市を一呑みにしてしまう。想像を絶する災害が多すぎる。ワクワクしている場合ではなくなった。地球は怒っている。

明日の夜、台風は上陸するらしい。何と、私は、四谷天窓.comfortのpiano&womanに出かけてしまう。先日は、震度5強。今度は、どんな災害が私を待ち受けているだろうか。今年の四谷方面は、かなり過激に盛り上がっている。

もしも、無事だったら、明晩、このblogで。おやすみなさい。

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2005年7月24日 (日)

迷子vs迷子

とにかく、私がusuに道を教えてもらうなんて、方向音痴が迷子に道を教えているようなものなのかもしれない。

今夜は、急遽昨日になって、ライブ会場が明らかになり、それでも時間が午後5時から7時くらいの間で未定という、何だかアバウトなライブだった。usuからは、「戸塚駅下車」とお知らせがあったので、言われるがまま戸塚で降りたのだが、どうも、おかしい。だって、ライブ会場は藤沢市内の住所なんだもの。しばらく、うーんと考え、駅前の図書館に駆け込んで地図を物色したが、ちょうど良い地図が見つからなかった。私は図書館の中でも迷子になってしまうのだ。それで、すぐ前のコンビニで地図を立ち読みさせてもらい、どうやら、駅前の長後街道をまっすぐと小田急線の長後駅に向かえばいいことが分かった。

ところがだ、駅前には2カ所のバスターミナルがあったのだが、どこを見ても、駅前から、長後駅前行きのバスは走っていなかった。よくよくバスターミナルで調べてみると、ようやく、市営地下鉄の立場駅から長後駅行きのバスが走っていることが分かった。私は、地下鉄に飛び乗り、立場駅を目指した。駅に着くと、バスターミナルにはすでに長後駅行きのバスが入っていた。やっとのことで、私は目的地に向かうバスにたどり着いた。運良く、「上高倉」という、ライブ会場の住所として聞いていた住所に似た名前のバス停を見つけた。そのバス停のちょっと手前で、ライブ会場の「live&cafe WIZ」の看板が見えた。

おそらく、戸塚駅下車、というのは、私が下車していい駅ではなく、usuが下車して、イベント主催者に拾ってもらう駅のことなのだろう。ただの客の私が、拾ってもらうわけにはいかない。私はやはり、JRで藤沢まで行き、小田急線で長後駅に出る、というのが、スタンダードなアクセスだったのだと、この時点で気づいた。危うく路頭に迷うところだった。午後5時くらいに店に着くと、お店の前に店員さんがいて、「だいたい午後6時くらいから」とアバウトな答えをいただいた(笑)そこで、6時まですぐ近くのサイゼリヤでお茶をして待った。

「live&cafe WIZ」は、昨日オープンしたばかりのできたてのカフェ。お店には、グランドピアノがデーンと控えている。雰囲気もよく、料理も美味しい。テラス席もあり、星空を見上げながら、ライブもお酒も料理も楽しめる、という、素敵なカフェだ。店員もテキパキと丁寧に仕事をこなす。ライブの音もよくて、響き方も良い。

usuは、相変わらず、私の涙腺を弛ませてくれた。usu唄は、いつも私の心の中を覗かれて、少ししみる目薬をさされたような気分に浸る。もしかして、彼女は、私の何もかもお見通しではないかと疑いたくなるほど、つくづく、その瞬間の心にあったレシピをそろえてくれる。これだから、迷子になりながらも、遠くまで参戦したくなるのだ。

グランドピアノが、盛り上げてくれたのだろうか。ライブは、午後6時半にスタートし、終わると午後9時ちょっと前。長丁場だが、あっという間に時間が過ぎた。

今夜は、とても、気持ちよい夜だった。帰りの湘南新宿ラインの車中では、ボケーッとライブの余韻に浸っていた。こんな風に浸る夜は、滅多にない。

浸り系の夜・・・何かが始まる予感がした。

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結婚式

目が覚めてしまった。昼間大きな地震があって、すっかり興奮してしまったらしい(笑)25時間テレビもやっているから、余計目がさえる。本当は、今夜書こうと思っていた話を、もう書いてしまおうと思う。

海の日の7月18日、私がこよなく崇拝する、あるアーティストさんが結婚式をあげた。以前から、そろそろかなと思っていたので、あまり大きな驚きはなかったが、1ファンが式に出ることができるわけでもなく、静かに穏やかにその日を迎え、今日に至っている。本人から報告があったわけでもないが、まあ、世の中は狭いものだから、いつの間にか風の噂は広まるものだ。とにかく、どのアーティストさんも、とってつけたように、「友達の結婚式」「友達の結婚式」と繰り返していて、本人たちは隠しているつもりなのだろうが、状況証拠を積み重ねると、結局、君しかいないんだよな(笑)

何はともあれ、結婚おめでとう。たぶん、これは端から見た感想でしかないけれど、彼は誠実そうだし、真面目そうだし、きっと君を幸せにしてくれると思う。心から祝福したいけれど、表だって何をするわけにもいかず、とりあえず、blogの片隅からひっそりと祝福したい。

このblogでは何度も振り返っているが、君と出会うまでの私は、テンションばかり高くて、中途半端な正義感ばかり強く、目的の達成のため、人を傷つけても何とも思わない人間だった。自尊心が強くて、プライドばかり大きくて、自分が傷ついた責任を他人にばかり転嫁して、卑屈になって、ますます角が立っていたような気がする。それが原因で、私は、取り返しのつかないものをなくしてしまい、自分を見失って、途方に暮れていた。もう明日も生きられないのではないかと思っていたときに、不意に出会ったのが、君の歌声だった。

君のライブは、優しくて、でも寂しくて、いつの間にかなくしてしまった「何か」に会える。母親の懐に抱かれているような暖かさがあったし、でも、孤独な切なさにも浸る。言葉の1つ1つが、私にとっての大切な宝物になったし、私を導いてくれたような気がする。

出会って間もない頃、私は、ついつい君に弱音を吐いたようなメールを送ったことがあった。そのとき君は、「『これで良かった』『きっと無駄な出来事ってない』『なんかおこることには意味があって起きてる』・・・そんな風に感じられるように生きたいです。気がつかないことに、たくさん気づいて生きたいですね」と返事をくれた。それ以来、ずっとこの言葉を心に繰り返しながら、私は生きる力にしてきた。本当にアホらしい人生だったが、1つ1つのトラウマも失敗も、何か意味があって起きているし、今日、こうして穏やかな人生を送っている、そのための試練で、確かにそこには、意味があると思うようになった。

私は、君の歌に出会って、初めて、人が人を愛すること、人が人に愛されること、そのどちらとも、特別な能力とか素質ではないということに気づかされた。母親から普通に愛されることがなく、虐待を受けていた私は、自分が愛されない存在だと最初から決めつけていて、愛されるために必死になっていた。相手が息苦しくなるほど愛し、拘束し、コントロールし、ちょっとした反逆にショックを受けて、苦しんだ。君の1つ1つの言葉はもちろん、君の周りにはいつも、君を愛する人が集まり、君にも愛してもらい、暖かい幸せに包まれている、それを見て、私は、ようやく人を愛すること、私自身が愛されることの意味が分かってきたような気がしてきた。

君の仲間たちとも、ずいぶん仲良くさせてもらった。みんな、君と同じで不器用だけれど、暖かくて、頑張り屋さんだ。君の唄と同じくらい、いつも元気をもらっている。

唄を歌う人が、歌うことでしか何かを届けられないのと同じように、唄を聴く人も、聴くことでしか、何も返すことができない。だから、たぶん、これからも、君が歌い続ける限り、その歌声を聴き続けるしかないのだと思う。私には、できることは限られている。これは、出会ったときの宿命だから、ちょっとせつなくもある。でも、これからもずっと、私は、君の唄を大切にしていきたいし、君の唄を、君が歌い続ける限り、聴き続けたいと願っている。

本当に、心から、出会ってくれて、ありがとう。

本当に、心から、歌い続けてくれて、ありがとう。

本当に、心から、仲良くしてくれて、ありがとう。

そして、本当に、心から、ご結婚、おめでとうございます。

親愛なる、親愛なる、うたうたい様。

方向音痴で迷子のもりちより。

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東京・足立区で震度5強

D1000159とにかく、運が良かったのだろう。今夜は、松岡ヨシミちゃんの誕生日ライブ。私は、少し早めに家を出て、四谷に向かい、まずは20分のマッサージでリラックスした。その後、20日の松岡ちゃんの制服ライブのデジカメ写真をプリントにDTPショップへ。そのプリント中に、まず最初に足下に小さな横揺れを数秒感じた後、どーんと縦揺れに襲われた。

すぐに、デカいと悟った。震源地はここではないな、とも。当時、店には店員が1人いるのみ、客は私1人。店員の女性が、不安そうな顔で立ち上がっていて、ぼう然としていた。

私「デカいっすね」店員「そうみたいですね」

今振り返ると、とぼけた会話だ。

都心部の鉄道は、全線麻痺していた。JR四谷駅では、券売機に「準備中」の表示が出て、アナウンスで「全線でストップし、復旧の見込みがない」と繰り返しアナウンスしていた。何百人もの乗客が途方に暮れていて、携帯電話で連絡をとったり、ただただぼう然と立ち尽くしていた。駅から新宿方面に向けて、歩道には、いわゆる「帰宅難民」が徒歩で大移動を始めていた。休日のオフィス街、普段なら閑散としている歩道に、人があふれていた。私は、とりあえず、松岡ちゃんの誕生日プレゼントにと、駅のすぐ上にある店でチョコレートを買って、「帰宅難民」に混じって、四谷天窓へと向かった。

P1010521途中、50代くらいの男性が、「電車動いてないんですか?」と声をかけてきた。「みたいです」と答えると、「この人たちは、それで歩いているんですか?」と聞いてきたので、「そうです。復旧の見込みはないみたいですよ」と言うと、男性は参ったなという顔で天を見上げた。

四谷天窓.comfortは、お客様もほとんど来ていなくて、当日出演予定のアーティストの1人も、横須賀から向かう途中に地震に遭遇し、まだ到着できていない状態だった。午後6時半過ぎに開店したものの、お客様もまばら。ライブは、30分遅れでスタートした。1人目のアーティストが歌っているうちに、少しずつお客様が増えていき、1人目の終わりの頃には、客席はほぼ埋まっていた。でも、電車で無事到着できた人は少なく、タクシーを乗り継いだり、バイクで来たりと、苦労したようだ。

東京は、こんなにもろいものだったのか。

私は、1994年に上京し、翌年、阪神・淡路大震災があった。震災とすれ違ったような感じで、少し気色悪かった。震災は、多くの思い出や友人を奪った。自分がそこにいなかったことに、何故か罪悪感を感じていて、いつか自分の足下が襲われると思っていた。今回も、地震は私の足下を通り過ぎた。

東京での震度5は、1992年以来だという。こんな日に誕生日を迎える人は、おそらく、奇跡に近いだろう。一生忘れることはない。汗だくで駆けつけるお客様、電車がストップして来れないお客様、遅れても駆けつけるお客様、いろんなドラマが生まれる。

私も、もしも、松岡ちゃんの誕生日でなかったとしたら、おそらく、早めに四谷に向かったこともなかったろうし、そうでなければ、ストップした電車の車内で途方に暮れていたことだろう。写真をプリントする時間、プレゼントを物色する時間・・・。こんな風に偶然は訪れる。

だから、きっと松岡ちゃんにしろ、私にしろ、かなり運がよかった。被害を受けた方には申し訳ないが、とりあえず、ハイヤーパワーに感謝しておこう。

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2005年7月22日 (金)

掲示板の憂鬱

D1000154私が最初にインターネットを始めたのは、1995年の冬のことになる。以来、自分でもサイトの運営に携わったこともあるし、様々なサイトの掲示板でいろいろなコミュニケーションを楽しんできた。

私のサイトの掲示板には、イヤになるくらいの注意書きが書かれている。これ、実はイズミカワソラさんの公式サイトの掲示板にある注意書きを少し改変して引用している。著作権上まずいかなあと思ったのだが、他に良い例もなくて、結局使わせてもらってしまった。掲示板をめぐるトラブルを、イヤと言うほど経験してきたからこそ、ついつい掲示板で書き込む前に、いろいろと読んでもらいたいことがたくさんある。

掲示板の運営上、最も大変なのは、荒らし対策だ。「荒らす」というと、ものすごく確信犯的な響きがするが、「荒らし」と呼ばれる人たちのほとんどは、自分が掲示板を「荒らしている」という自覚がない。結果として荒れていたとしても、その現実を前に「私のせいではない」と開き直る人がほとんどだと思う。無自覚で無邪気。だから、やっかいなのだ。「荒らし」が現れるのが最も多くなるのは、午後11時以降で、春・夏・冬休みの期間中なのだという。それは、「荒らし」には学生が多いからだという説がある。ただ、最近、ケータイを使ったネットサーフィンが簡単になり、ケータイで書き込みができる掲示板が増えてきたので、その辺の境目がなくなってきたようだ。

確かに、“ある人の発言に噛みつく”という典型的な荒らしの引き金を起こすのは、日頃掲示板での発言に慣れている人よりも、むしろ、掲示板のやりとりに慣れていなかったり、普段は発言しない人に多い。それも、場当たり的で感情的、前後の脈略がない。現実の社会に例えて言えば、道端で議論している人たちの間に、通行人が突然割って入り込み、いかにも私が正しいですという顔をして言いたいことを言う、こんな感じである。現実にこんなことをすれば、その通行人は喧嘩になってしまい、思わぬ怪我をすることになる。だから、道端でそんな喧嘩をしている人はいない。なのに、ネットに入るだけで、そこのみさかいがつかなくなるのだ。

もちろん、「荒らし」の中には、確信犯的に荒らす人もいるのだが、その人たちは一部のプロなので(笑)、とりあえず、この話からは除外する。

ケータイの普及により、掲示板はますます荒らしやすくなった。時間も場所も関係なく、電波さえ届けばいつでも掲示板に書き込める。この環境が、場当たり的で感情的な発言を増やしてしまう土壌となっている。おそらく、若い人たちの間には、自分が掲示板を荒らしているとも気づかず、朝から晩まで、いや周りが寝ている時間帯までも、ケータイとにらめっこして、目に見えぬ「敵」と闘っている人も多いのだと思う。

私が長年経験して出した結論は、掲示板でコミュニケーションは不可能だと言うことだ。掲示板とはあくまで、発言者それぞれの意見を不特定多数に対して一方的に伝える場であって、その発言に対する反応はあっても、それはコミュニケーションとは言えない。相手の顔も見えないやりとりは、反応の連続技であっても、コミュニケーションではない。だから、私は、掲示板というツールに、あまり可能性を感じていない。それでも設置しているのは、掲示板での会話のやりとり、発言者の顔ぶれが、そのサイトの個性を表すからだ。この掲示板の雰囲気を守るのは、何より、サイトの雰囲気を守ることでもある。だからこそ、ちょっとした「荒らし」には特に気を遣うのだ。

私も、様々な掲示板で噛みつかれたことがある。そういう場合の対策は、いつも決まっている。掲示板の管理者に迷惑がかからないよう、喧嘩を受けて立つことはしない。

それは……。

ないしょである(笑)

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2005年7月21日 (木)

飲みたいのに飲めないということは…

D1000153私がアルコールを断ったきっかけは、会社の後輩がいろいろな争いに傷ついて会社を辞めたことだった。守るべきものを守ろうとしていた闘いの1つ1つが、その人にとっては、ただのおせっかいに過ぎず、むしろ自分の闘いがストレスの元になってしまっていたと気づいたのだ。それに、自分の闘いが少なくとも周りの人間には理解されていると思っていたことが、ただの妄想に過ぎず、私はピエロのように騒いでいただけで、周りはそれを遠巻きに冷ややかに見つめていただけで、私は逆に後輩を追いつめていた。

その後輩は、入社した当時からの飲み友達のようなもので、今になって振り返れば、アルコールがつなげていた関係なのかもしれない。「闘う」と言えばかっこいい響きがあるが、実は、その異常なまでのテンションは、アルコールがつくりだしたものだったし、アルコール依存症特有の関係のつくり方がもたらした、ある意味、特異な能力だった気がする。私にとっては、酒は、ポパイのほうれん草のようなものだった。そのテンションが、ただのはた迷惑な道化師と自分で認識したとき、私の中にあった「すべて」が流れ落ちてしまった。言葉は悪いが、「流産」のようなものだったと思う。

私は、3年ほど前、両親が闇金融に手を出して夜逃げして、家族を失った。会社は唯一のよりどころだったし、だからこそ、私も必死になれた。全速力で走っている人間の足下をはたくと、その人は吹っ飛ぶ。私の挫折は、そんな感じだった。

後輩が退職すると聞いて、私はそんなようなことをすぐに悟って、酒をやめようと思った。酒をやめる人は、最後に思い残すことなく飲んでやめる人が多いが、私の場合、あまりにも衝撃が強くて、飲みたくても飲めないところまで追いつめられていた。最後の思い出にと、あれやこれやと考えたが、すでに力尽きてしまっていた。

酒が飲めなくなってから、おそらく2、3か月は、明日の朝、自分が生きている自信がなかった。「死にたい」のではなく、「死ぬかもしれない」という恐怖が、毎日のように私を襲っていた。後輩を殺したのは自分だという、強い罪悪感が抜けず毎晩苦しんだ。1人で部屋にいると、とにかく止めどもなく涙が流れてきて、自分で自分の感情がコントロールできなくなっていた。

流産・・・男だから、そんなの、したくてもできないが、おそらく、それに似たような精神的な流産があったような気がする。「流れる」というのが、一番当時の状況にフィットしている。私は、たぶん、「私」を流してしまったのだ。その原因は、いろいろな要素があるのだろうが、結局のところ、アルコールにあったような気がする。

私は、いまだに、流してしまった「私」を探して、彷徨っている。最近、もう取り返しのつかないものなのだと、少しずつ認識しはじめた。ここにいる私は、「私」ではない。私のコスプレをして、私の記憶を持ち、私の真似事をする、他人だ。

ただ・・・。

時折、私の中で、「お酒を飲みたい」とつぶやく「何か」がいる。不意に、彼を見つけたとき、私はホッとして、彼を優しく抱きしめようとする。でも、すぐに消えていく。

「私」は、ここにいる。今も1人で泣いている。

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高校時代

D1000151私の中学時代の成績は、見事に端から端までオール3だった。当時、オール3で合格できる高校は少なく、公立高校の滑り止めで受ける私立高校が2、3校あっただけだった。もちろん、頑張って、少しレベルの低い公立高校を受け、私立を滑り止めにすることもできたが、私は、プロフィールにもある通り、座右の銘は、「安全第一」である。間違いなく合格するレベルの高校としては、最も最高峰の高校を選んだ。

以前にも書いたが、その高校は、プロテスタント系の男子校で、おかげさまで女っけは何1つなく、3年間の高校時代を男臭く謳歌した。得意科目は、意外にも、信心の欠片もないくせに「聖書」。旧約聖書って基本的に歴史書と昔話と伝記の複合体だったし、新約聖書は暗号文の解読みたいなところがあって、意外に楽しんでいたのだ。しかも、高校では信仰を強制しないのが教育方針だったので、少々、イエス・キリスト殿に逆らっても、落第点を与えられることはなかった。ただ、例えば、100点満点の小論文が95点だったりして、わずか5点が、おそらく、罰当たり学生に対する牧師先生の意地だったのではないかと思う。

とにかく、その高校は、オール3以下の最高峰だものだから、オール3の私は、かなり多くの科目で学年トップ10くらいの成績だった。これが、某大手予備校の模試を受けると、偏差値が30~40くらいになってしまう。何と隔離されたおとぎの国で、私は勉学に励んでいたのだろうか。頭が良いと勘違いする学生は後を絶たず、噂によると、当時推薦入試で某有名私立大学に進学した学生は、毎年1人ずついるのだが、10年以上にわたり、1人も4年で卒業できなかったという。そのうち、私が卒業する頃には、推薦枠すら消えてしまった。かつては名門だったが、朽ち果ててしまったらしい。

ところで、今夜は、四谷天窓で、松岡ヨシミちゃんのライブだった。そのイベントタイトルが、「天窓高校~優等生なんかじゃない~」だったので、ついつい高校時代を思い出した。私は、決して優等生ではなかったが、優等生と思われていた。3年間の幻想に過ぎなかったが、それはそれなりに優等生気分を味わったような気がする。

高校で学んだことは、神を拝んでも人格的には破綻している教師がいるという、納得する事実であったり、神は信じなくても、私たちはコントロールできない「力」に支配されているという、後になって気づいた真実であったり、世界には凡人とエリートがいるという、ごく当たり前の常識であったり、いろいろだ。悔やむなら、なぜ男子校だったのか。せめて、この時期にいろいろと経験を済ませておけば、おそらくその後の人生における、いろんな意味での失敗はなかったような気もする。

高校時代・・・それは、それなりに、私の青春が詰まっていた。

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2005年7月19日 (火)

またまた迷子な昼下がり

D1000150とにかく、取材先までには、時間の余裕があった。午前中、西武新宿駅のスタバでのんびりお茶をした後、西多摩方面のある中学校に取材に向かった。例によって、中央線は使わない。西武線で拝島に出て、JR青梅線から目的地へ向かった。駅を降りると、1時間近く余裕があったので、しばらく公園でのんびりすることにした。これが間違いだったかもしれない。

今日は、祝日明けだから休園日なのだ。

途方に暮れると、仕方なく、駅に戻った。ふと駅前のロータリーを見ると、見慣れない看板があるのに気づいた。この春から新たに走り出したコミュニティーバスの停留所。ちょうどいい感じの時間に目的地のすぐ前まで走るバスがあったので、それに乗ることにした。これも、間違いだったかもしれない。

コミュニティーバスは、循環バスだった。

時間通りやってきたミニバスだったが、乗り込んで、バスが出発した後で、車内の案内を見て、自分の誤りに気づいた。このバス、駅を起点にしているわけではなく、市役所を起点に循環していたのだ。駅を出たバスは、いったん「終点」の市役所に向かい、そこで8分ほど停車するのだ。これでは、時間に間に合わない。

私は、バスが終点に着くと、慌ててバスを降りて、走った。これも間違いだった。例によって、ちゃんと地図も確認せずに、目的地があるであろう方面に向けて、疾走したのだ。考えてみれば、そのままバスに乗っていれば、10分くらい遅刻してしまっただろうが、目的地には着いたのだ。ところが、私は、無我夢中で走った。が、すぐに自分の間違いに気づいた。

私は、どこにいるのか、分からなくなったのである。

結局、目的地にもたどり着けないまま、駅へと戻ってしまった。疲れ果てて、その取材は断念した。

こんな迷子は、日常茶飯事。今日もやってしまった。

私にとって、日本の地平線は、とてつもなく広大で、その果てはそらめいている。明日もどこかの街で、迷っているかもしれない。

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2005年7月18日 (月)

湘南新宿ライン

D1000148いつ頃からだろうか。湘南の海が大好きになった。理由はあまりない。山が嫌いだから。盆地とか山間部って、人が鬱屈としていて、苦手だ。そんなわけで、休みになると、フラッと江ノ島や鎌倉あたりに出かける。江ノ電で稲村ヶ崎に出て、砂浜を延々と歩き、鎌倉高校から再び江ノ電で江ノ島に出て、水族館を回ったり、江ノ島を散策する。海はそらめくには最高の場所だ。空が広いから。

ちなみに、私は、金槌である。

今日、新宿から湘南新宿ラインの特別快速に乗った。私は、子どもの泣き声が大の苦手だ。フラッシュバックが起こるから。湘南方面に向かう電車は、親子連れでいっぱい。これでは、目的地に着くまでにへばってしまうので、最近事前にsuicaで買うと安くなるグリーン車に乗った。これが、間違いだった。

なるべくファミリー層を避けようと、2階席を避け、1階席へと降りた。これも、間違いだった。天下のグリーン車に、子ども連れは2組もいて、その2組はお互いお友達だったのだ。途中、戸塚に着くまで、可愛い、可愛い幼児は、泣くはわめくは大暴れ。しかも、きーっとか、がーっとか、人間の耳では聞き取るのが厳しいくらい奇声を発した。

乳幼児がグリーン車で人目もはばからず大暴れ。日本もすごい時代になったものである。

江ノ島近辺を散策した後、帰りは鎌倉から湘南新宿ラインに乗った。今度は、朝の失敗を避けようと、2階席に上がった。これまた、間違いだった。大宮方面へと向かうおばさん3人組が、まるで子どものように大暴れしていたのである。話し声くらいで文句を言うつもりはないが、この人たちのすごいのは、その笑い声だった。ひゃっひゃっひゃっひゃ・・、きゃっきゃっきゃっきゃっきゃ・・、ひゃーっ、ひゃーっ、ひゃーっ・・。新宿で降りるとき、ふとおばさんの顔を見たらおばさんと言うには少々若すぎたが、ここは、おばさんと言わせてもらおう。

そこで思ったのだ。子どもがグリーン車に乗るべきではない、という説教などではなく、人間は、子どもでも大人でも、グリーン車に乗ると、嬉しくてはしゃぐのだ、という、素朴な発見なのだ。一昔前まで、グリーン車では会話をすることすらはばかられた。金持ちしか乗れなかったのだ。少し高価なタバコの香りが充満し、背広姿の、顔が脂ぎったおっさんとか、化粧がけばいおばちゃんしか乗っていなかった。

今は、新宿から鎌倉まで、たかだか750円プラスするだけ。ちょっとリッチなサラリーマンは、通勤に使う。アホみたいにはしゃいでいるおばさんが、それほど無理をせずに使える贅沢になってしまったのだ。

だから、せめてJRさんにお願いしたいことがある。高い車両と安い車両を分けるという、一律な時代は終わった。ぜひ、静かな車両と、騒がしくしてもいい車両を分けてもらえないだろうか。初心者用車両を作って、大いにはしゃいでもらう、というのは、どうだろうか。

おそらく、それ以前に、貧乏人は一般車両に乗ってろ、って、この台詞は、泣き叫ぶ幼児やはしゃいでいるおばちゃんに対してではなく、私自身に向けた戒めである。

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2005年7月17日 (日)

うにゅにゅ…

D1000147だらしなく、そらめいていた。今日は、心も休暇。明日も、心の休暇。静かにそらめき、汗をかく。暑い。

今日のそらめく写真…木の上に何かいる。おどろおどろしく何かいる。

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初めてのアルコール

生まれて初めて飲んだお酒は、予備校時代、当時、現代文の講師が予備校で講演会を開き、その実行委員会のみんなでお疲れ様コンパを開いたときだった。とにかく、ビールがうまい。普通に飲み、普通に食い、普通に酔った。意外に飲める自分に驚いた。次の日、汗が酒臭かったが、気持ちよく二日酔いしていた。二日酔いが気持ちよかったのは、後にも先にも、これが最後だったような気がする。

こんな酔いどれ予備校生だったのに、京都の、結構有名な私立大学に滑り込んだ。大学入学後は、毎日飲んだくれていて、日に日にアルコールの耐久度は強化されていった。新入生の歓迎期は、一気飲みで倒れる学生がたくさんいるが、私は、一気飲みなんてモノともせず、とにかく飲んで飲んで飲みまくった。銭湯帰りの生ビールが何とも快感だった。朝方まで飲んでも、次の日の講義に平気で出ていた。ずいぶん、美味しいお酒を飲ませていただいた気がする。いい仲間に支えられたのだと思う。

お酒を飲んで本当に楽しめたのは、20代で終わったと思う。そこから先は、大好きな野球チームの消化試合みたいなもんだった。

ジャニーズ所属のアイドルが、仙台で酒を飲んで補導されたニュースを見て、相変わらず、飲酒の低年齢化が進んでいると痛感する。酔って公園で大声を出すなんて、かなり年季の入った酔っぱらいだ。私は、そういう酔い方をするようになったのは、少なくとも飲み始めて4、5年後だった。アイドルだから許されるとか、いっしょにいた大人がいけないとか、いろいろと言われるのだろうが、やはり、若いうちから、いかにも依存症チックな酔い方をしているのなら、依存症経験者としては、社会的責任云々よりも、むしろ、蝕まれているであろう、彼の心身を心配したい。

アルコールは、ちょっとしたおイタでは済まされない。それに気づくのは、逝くところまで逝ってしまったあとだ。誤解されることが多いのだが、未成年が酒を飲む、というのが、単に法律の問題で許すとか、許さないという問題に矮小化されて、許す側も許さない側も、飲んだ本人の心の問題から、目をそらしてしまいがちなのだ。

未成年は論外だが、二十歳を過ぎた若い人たちに、酒を飲むなとは言えない。むしろ、若い頃は、どんどんお酒を飲んで、たくさんの経験をしてほしい。でも、どこかで力尽きる、ということを、頭に置いておきたいものだ。

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2005年7月16日 (土)

夏休み

D1000145学校に通っていた頃、この時期はとにかく、夏休みが来る日を毎日カウントダウンしていた。平凡な学校生活しか経験していなかった凡人にとっては、夏休みは、お正月に次ぐ一大イベントだし、その期間の長大さを考えれば、お正月以上の意味を持っていた。おそらく、夏休みは、もう1つの人生だったし、そこには学生としての自分ではなく、おそらく、もう1つの青春を謳歌する自分がいた。

その休みの長さからすれば、だらしなく、意味もなく1日をそらめくことなど、何のためらいもなかった。とりわけ、1日の大半は、夜に集約され、日付が変わる0時ちょうどを起きたまま過ぎる快感を、毎日のように享受していた。さらに、この先、夜が明けてくるまでの、独特の静寂、街の音、臭い、光・・、それらは、大人になりきれない私たちが体感できる「大人の時間」だったし、そこには、無限の世界が広がっているような想像力を働かせていた。

だから、30歳をとっくの昔に突破し、今になっても、この時期になると夜更かしをする癖が治らない。夜中になるとワクワクするし、動物的な本能がわき上がるし、深夜の独特な人間の営みが嬉しくなる。ついつい、夜中にコンビニに買い物に出かけたくなるし、深夜のファミレスでお茶をしたくなる。明け方に牛丼を食べたくなるし、テレビでNHKのオープニングを見たくなる。

もっとも、私はすでに立派なサラリーマンなので、そんなことをやっていては、早晩破綻する。だから、夏の夜は寝苦しい。

今夜は、四谷天窓でgeminiのライブ。午後6時30分にスタートしたライブは、トリのgeminiが登場する頃には、すでに午後10時。まったりとほっこりと落ち着き、気だるい空気が流れ、でも、何故か瞳は夢心地、できれば帰らずにこのまま朝まで飲んでいたい・・・そんな独特の天窓の空間は、あの少年の頃の夏の夜にとても似ていると思った。

こんな風に日付が変わったとしても、時は止まったままで、明日もそらめいたまま、惰眠をむさぼることができたら、どんなに幸せだろう。こんなに無駄にまみれた時間と空間が、永遠に続けばいいのにと思う。

夏休みがやってきた。またもや、私の心の中には、あの少年の頃の青い空がどこまでもずっと、地平線の向こうまで広がっている。

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2005年7月14日 (木)

空があるから

D1000143息苦しいときややるせないとき、人はなぜ、空を見上げるのだろう。

地上は、さんさんと太陽が照り輝いても、心の闇が行く手を阻んで前に進めない。悔しくて、どうにも哀しくて、止まらない涙が視界を遮って、それでも、人は次の1歩を踏み出したくて、立ち止まったその場所から、空を見上げる。深呼吸して、青空の彼方に目をやる。

でも、都会の空は、ビルに挟まれて狭く苦しくて、出口のない突風が吹き抜けるばかりで、手を伸ばしても届かない。誰が私たちから空を奪ったのか。その空の向こうには、もちろん月の裏側も見えるはずもなく、スモッグに覆われて、下手をするとビルの先端さえも曇っている。あがいても、あがいても、空は遠ざかるばかり。何度も何度も、空に向けて、ぐーっと手を伸ばす。

それでも、人は、空を見上げ、何かを求めて手をかざす。

潰されそうになったら、空を見上げる。

人は、その空に、大切な人の顔を描く。人は、その空に、大切な人の名前を思い浮かべる。人は、その空に、大切な言葉を並べる。人は、その空に、大切な夢のかけらを置く。人は、その空に、自分の姿を映す。過去も未来も現在も。

前を向いたら、現実にしがみついて、前に進む。何度つまずいても、何度こけても、何度傷ついても、何度泣いても、何度壊れても。

さあ、今日も、進もう。その日を生きよう。空は、今日も、君を静かに見下ろしている。

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2005年7月13日 (水)

スピッツとイズミカワソラ

D1000141どうして、あんなに、朝から晩まで、年中無休で、「ソラ」「ソラ」と騒いでいられたのか、今さらながらにして恥ずかしい限りなのだが、とにかくイズミカワソラちゃんとの出会いは、何か運命的なものを感じたんだ。

最初は、MXテレビで「電リクBB」という番組があって、毎週火曜日にソラちゃんがパーソナリティとして出演していて、何だか毎週見るようになってしまったのだ。東京に来て、生の関西弁に出会うのは、そんなになかったから、番宣でソラちゃんがほんわかしゃべっているのを見て、ちょっと懐かしかったのだろうと思う。生放送で、ファックスのリクエストを受け付けて、アーティストのプロモーションビデオを流すという番組。調子よくペラペラしゃべる関西弁が何ともホッとしていた。この頃、まだ1998年、何とまだ20世紀である。

1999年の春に、ソラちゃんのレギュラーも終わり、あの癒し系なほのぼの関西弁に会えないと思うと少し寂しかった。最終回の映像は、未だに我が家にビデオとして残っている。その最終回の一番最後に、彼女は、「最後に私の一番好きな曲を流させてください」と、スピッツの「楓」のPVを流した。ソラちゃんに出会うまでは、さっぱり音楽音痴だった私は、そのとき初めてスピッツの音楽とも遭遇した。

それから1年ほど過ぎて、彼女が所属レコード会社との契約が切れ、2000年3月にインディーズレーベルを立ち上げて、「普通電車にのって」というマキシシングルを出すことになった。今でさえ、インディーズでデビューするのは当たり前になったけれど、当時、メジャーの契約が切れるというのは、即引退みたいなイメージがまだ強くて、もう、ソラちゃんの唄にも出会えないのかなあと思っていたから、インディーズでの復活はホントに嬉しかった。ここからは想像になってしまうのだが、きっと彼女も、相当苦しんだ上で、それでもやっぱり歌い続けようと決意したのだろう。

彼女は、同志社大学卒業で、大学生活が少しだけ、私が京都の大学に在学していた頃と重なっている。普通は重ならないはずなのだが、私は7年も大学に通ったので、最後の数年だけ。もしかすると、京都のどこかですれ違っていたかもしれない。その後彼女は、大阪の保険会社に就職し、OL生活を送っていた。しばらくして、やはり唄を歌いたいと、上京し、1998年2月14日に最初のシングルCDを発売する。私のほうはというと、1994年にドラマのシナリオライターを目指して上京し、何の関係もない会社に就職し、それでも頭の片隅で夢を追っていた。

これは、こっちの勝手な思いこみでしかないのだが、私は、彼女に対して、自分が実現できなかった夢を託していたような気がする。メジャーの道を進んだものの、契約が切れ、それでも歌い続けると決めて、インディーズから再デビュー。そんな、よみがえっていく彼女を見ているのが嬉しくて、すっかりはまってしまっていたのだ。自分の夢も、どこかで道が開かれるような気がしていた。

彼女は、2000年9月に、「泉川そら」から「イズミカワソラ」に改名し、「浮かれビート地下1階」をリリース。ソラちゃんの、今日に至るまでの快進撃?は、おそらくこの辺からスタートしたと思うし、この時期くらいから、私も、ライブというライブはすべて顔を出すようになった。首都圏はもちろん、仙台、宇都宮、名古屋、大阪、京都、岡山、広島、松江・・・、とにかく、炎の全国行脚に明け暮れた。

そんなわけで、今日のBGMは、スピッツの「正夢」。スピッツの唄を聴いていると、ふと、全国行脚に明け暮れた、あの頃が懐かしくなる。今、生のソラ唄に触れる機会は減ってしまった。ソラちゃんとの出会いは、今、ここに続く、たくさんの出来事につながっている。あの頃の自分は、もうここにはいないけれど、今ここにいる自分は、あの頃からつながっている。ソラちゃんが導いた、というのは大袈裟だが、そのくらい、私は、イズミカワソラにぞっこんなのである。

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2005年7月12日 (火)

京王線各駅停車

D1000139今日は、午前中、仕事先に向かうまでに時間が余ったので、お客さんがあまり乗っていない各駅停車に乗った。京王線の各駅停車は、何とも好きなのだ。始発から終点まで乗っても、1時間くらいしかかからないから、ちょっとしたスケジュールの空白を使って、のんびりと各駅停車でコトコトと目的地に向かうことがある。

今日、この日の京王線も、昼間とあって、各駅停車はガラガラで走っていた。聖蹟桜ヶ丘駅を過ぎた頃、ふと床に赤いペンで何かが書かれたメモ用紙が落ちているのに気づいた。誰かが落としたのか、それともどこかから落ちてきたのか。そこには、悪魔がどうだとか、鬼がどうだとか、何やら妙なメッセージが書いてあった。誰が、何のために、こんなものを書いたのか、よく分からなかった。

夕方、会社を出て、再び京王線の各駅停車に乗って、家路についた。すると、今度は、電車のドアの上にある広告を挟むフレームに、昼間と同じような、赤ペンでメッセージが書かれたメモ用紙が挟まっていた。

D1000140 ブラウザではよく読めないと思うが、このメモには、「悪 腹黒は 弱い者を見たら おそいかかる鬼 悪魔だ (得にねらわれやすい人 老人 子供や身障者 ホームレス 女性 貧しい人 皆さん 悪党にきいつけてや」と書いてある。昼間のメモも、同じようにドアの上のフレームに挟んであったのが、床に落ちたのだろう。これは推測だが、おそらく今日の京王線各駅停車には、かなり同じようなメモが同じ位置に挟んであったのではなかろうか。気づいた人はほとんどいなかったろうし、気づいたとしても、その内容を読んだ人はほとんどいないだろう。

このメッセージ、意味不明だ。誰が誰に対して発しているメッセージなのか分からない。漢字が間違っているのも痛い(「得に」→「特に」)。微妙に関西弁なのが、さらに痛い。この紙を電車に貼り付けて、誰かが助かるわけでもない。これを読んで、「そうか、気を付けなくっちゃ」と思う人はいないだろう。そもそも、ドアの上に貼り付けては、この紙が警告している腰のまがった老人や、背の小さい子供には見えず、やはり意味がない。

本人は、必死に「鬼 悪魔」と闘っているつもりなのだろう。1人の人間が偶然1日に2回も見てしまったのだ。おそらく、あちこちの電車にはりまくっていることだろう。どんな気持ちで、紙を貼ったのだろう。悪魔のささやきに恐れながら、鬼の足音に怯えながら、電車を渡り歩いたに違いない。少しせつない。

各駅停車は、何気ない物語や事件に遭遇する。特急であっという間に目的地に着いても、決して出会うことのない、小さな世界がそこにある。今もどこかで、誰かが、たった1人で「悪魔」と闘っているかもしれない。明日も、あさっても・・・。

気持ち悪いと思った人・・・、いやいや、blogだって、結構似たようなものかもしれないよ。いつどこからともなく来る人に向けて、自分だけの自己満足な日記や主張やつれづれとした独り言を綴る。書いたからといってどうなるわけでもない。どんなに仰天するようなメッセージを残したって、相変わらず地球は回り続けるのだ。インターネットは、壊れている人間を標準化する、不思議な世界だ。

私たちだって、十分すぎるほど壊れている。ただ、気づいていないだけなんだ。そう思うと、各駅停車のメモ用紙に少し感情移入してしまった。

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2005年7月11日 (月)

ほへ~

朝起きると、心のエンジンがエンストしていて、真っ白になっていた。よくあるんだ、こーゆーの。深刻な状況ではなく、とにかく、何となくぷつって切れている感じ。会社に「休みまーす」と連絡を入れて、今日は完全休暇にした。

永山健康ランド「竹取の湯」に行き、新しくできたサウナでがんがん汗をかき、60分間じっくりマッサージしてもらい、仮眠室でボケーッとして、帰宅した。

んなわけで、今夜は、ただの日記。

完全休暇ですから。お休みなさい。

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「そらめく」

D1000136「そらめく」を辞書で調べると、「確かでないようにみえる。浮わついた感じがする」(Yahoo!辞書)と出てくる。「そら」という言葉は、「絵空事」とか「空言」のように、嘘とか本当でないこととして使われる。私たちが、「そら」という言葉からすぐに思いつく、青くて、澄んでいる空とは、ずいぶん印象が違う。

このサイトで使われている「そらめく」という言葉は、造語だ。その語源は、次の2つから来ている。

(1)イズミカワソラの「そら」

(2)usuの「sorameku」の「そら」

2人とも、私の人生に大きな影響を与えた歌い手さんだ。

私は、一昨年の冬、自分の弱さが原因で、大切なものを失ってしまい、何もかも空っぽの毎日をおくっていた。酒もやめたし、自分の人生観も世界観も、社会での地位も名誉も、みんな捨ててしまった。毎日のように、辞書で調べるような意味で、まさに文字通り、そらめいていた。たくさんの人と出会って、いろいろなことを考えた。その中から、大切な言葉の1つ1つをちゃんと表現して、残したくなった。誰のためでもなく、自分のために。

9.11の同時多発テロ以来、世界では国家と民族が激しくぶつかり合っている。テロをする側も、それに報復する側も、決して終わることのない紛争の連鎖から抜け出すことができていない。それどころか、戦争を2度と起こさないと憲法で宣言したはずの日本が、有事法制までつくって、テロと戦争の脅威と対峙している。でも、世界は、攻めるのも、守るのも、疲れ果ててしまっている。傷つき、苦しむのは、いつも、丸腰の民間人ばかり。今、世界が必要としているのは、誰にも負けない強い国家でもないし、本当に正しい宗教でもないし、一番優れた民族でもない。誰でもいいから、まず武器を置くことではないだろうか。

JR福知山線で起きた列車脱線事故。多くの犠牲者を出してまで、JRが追求しようとした便利さやスピードって、何なのだろうか。日本の列車は、時間に厳しい。たかだか2、3分遅れたくらいで、車掌が車内アナウンスで平謝りしているのは何故なのだろうか。こんなに狭い日本の国土を、そんなに急いでどこに行こうとしているのだろうか。目的の場所に着かなければ、それは確かに問題だ。でも、ほんの数分をもったいないと思うほどの生活は、かなり慌ただしくて、ビデオの早回しを観ているような感じではなかろうか。ほんの些細な出来事でも、思い出に残るくらい、ゆっくりと、でも、確かに歩んでいくこと、できないだろうか。

私たちは、壊し、壊されながら、今の社会を維持している。大きな会社も、小さな会社も、他人をけ落としたり、傷つけないと、自分を守ることすらできない。毎日毎日、緊張しながら厳しい社会を生き抜いてきて、結局、その人に残されるものは何なのだろう。小さな井戸の中で勝ち誇って、満足だろうか。生き抜いた自分には、何が残されているだろうか。

私は、逃げることは、決して悪いことではないと思う。誰かに壊されそうになったり、つらくて、自分で自分を壊しそうになったら、逃げて、逃げて、逃げまくればいい。

私は、負けることは、決して悪いことではないと思う。勝ち負けは、絶対的な価値ではなくて、その人なりの相対的な価値でしかないから。勝ちたいときに勝てばいい。

だから、このサイトでは、「そらめく」ことを推奨したい。頑張りすぎない。勝ち負けを気にしない。傷ついたら逃げまくる。存在感は、消えない程度がちょうどいい。何もしたくないときは、何もしない。通行人のジャマにならない程度にゆっくり歩く。立ち止まって、そらめいていても、再び歩き出したら、迷わず前に進む。

そんな、私なりの「そらめく日々」を、つれづれなるままに綴っていきたい。

blog検索で来てくれた方、そっちは勝手口のようなもの。ぜひ正面玄関の方からそらめいてもらいたい。

http://www.sorameku.com/

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2005年7月 9日 (土)

メガネ

D1000129今日、昼間、急遽出演が決まった松岡ヨシミちゃんのライブがあり、四谷天窓.comfortへ行った。入口で松岡ちゃんがいて、話をしていたら、「メガネ変わりましたね」と。そうなのだ。1年ぶりくらいでメガネを買い、度数も調節してみた。私は、右目だけが極端に視力が弱いので、右の度数が強いのだが、メガネ屋さんで相談していたら、「遠くを見る仕事でないなら、少し度数を減らしてもいい」と言われた。私は、日本野鳥の会ではないので、遠くを見なければならない仕事はほとんどないし、むしろ、1日の大半、パソコンとにらめっこしていることが多いので、度数を減らしたほうが目のストレスには良いらしい。

新しいメガネは、青っぽいフレームで、レンズにもほんの少し紺色が入っている。我ながら、すごく美しいラインのメガネなのだ。

私は、小学校、中学校を通じて、視力がものすごく良かった。それが、なぜ、いつの間にか、視力が落ちたのか、分からない。ただ、高校に入って、初めて、読書をするようになって、通学中は小説にかじりついていた。健康診断で目が悪いことが明らかになり、正直、ビックリした。眼科に行き、生まれて初めてメガネを買った。たかだがメガネだが、生まれ変わったような気分だった。

小中学校、ずっと、私は、いじめられっ子だったし、窓際族というか、クラスでは目立たない存在だった。それが、メガネをかけた途端、変化した。集団のリーダー的な存在になったり、他人から相談されるようになったのだ。私自身は、どこまでも、私でしかなかった。なのに、この時期から、人付き合いの苦手さや不器用さを忘れるようになった。

考えてみれば、中学校時代、国語は大の苦手で、通信簿で2か3しかもらったことがなかった。漢字はいつまでたっても覚えられなかったし、文章を書くのは苦手だった。高校に入って、急に私は、小説を読むようになり、小説を書いたり、ものを書くことに快感を感じるようになってきた。そのきっかけが、どんなに考えても思い出せない。

こんなに簡単に人生が切り開かれてしまうものなのだろうか。案外、そんなものなのかもしれない。人は、努力だ根性だ、人生観だ社会勉強だのと、大袈裟に考えすぎる。もしかすると、メガネをかけた、外した、コンタクトに変えてみた、髭をはやしてみた、剃ってみた、そんな直接人生とは関係のないような、他愛のない出来事が、長い目で見れば、人生の大転換だったりするのかもしれない。

メガネをかけて、急に自我が成長してしまった、あの時期・・・。

人生のターニングポイントは、道端にひっそりと落ちている。もしかすると、すでに拾っているのかもしれない。そのくらいの気持ちで、静かに流れに身を任せることも、時には必要なのかもしれない。

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追っかけの深層

D1000128いわゆる“追っかけ”と言われる種族は、レーベルからCDを出し、少しばかり名の知れたアーティストなら、たいていは寄生しているものだ。

あくまでも一般論だが、“追っかけ”の“追っかけ”たる深層心理には、男性が女性に対して、であれば、母親願望・・・つまり母性を求めているし、女性が男性に対して、であれば、恋愛感情を求めていると考えて良いと思う。本人たちは、自分が、仮想の母親像を描いて追っかけているという意識はあまりなく、恋愛感情とはき違えていたり、友達意識と勘違いしているケースが多い。

私は、1999年にイズミカワソラさん(当時は「泉川そら」)に出会った。このときまで、女の尻を追っかけたことはあっても、アイドルや芸能人を追っかけたことはなく、追っかけらしい追っかけなどしたことはなかった。生のソラちゃんに初めて出会ったのは、広島だった。私は、ラジオ番組のイベントに参加するため、前日に東京から各駅停車で広島に向かった。当時、ソラちゃんが歌っていた曲は、「普通電車にのって」だったからだ。

それ以来、とにかく、ソラちゃんのライブというライブは、東は仙台から、西は広島まで、全国各地を行脚した。今から振り返ると、ただただ無謀としか言いようがない。

この歳になったから言えるのかもしれないが、私も、一般論が当てはまらないほど常識外れの人間ではなく、やはり、ソラちゃんに対しては、母性を求めて追っかけていたような気がしている。今になっては懐かしい思い出だが、ライブに出かけ、CDを買い握手会に出席し、カメラで写真をとる・・・この一連のワンパターンのコミュニケーションは、勘違いや思いこみがないとできなかっただろう。

私は、そういう追っかけ意識抜きで、ソラちゃんの唄を聴けるようになったのは、この2年くらいのことだと思っている。長い期間が過ぎたが、哀しいかな、ようやく、彼女の歌声が、私に届くようになった気がした。変わったのは、私も彼女も、お互いなのだろう。

これも一般論として書くが、“追っかけ”は、嗜癖(しへき)であるケースが多い。現実の人間関係の中でぽっかり穴が空いてしまった部分があって、アーティストという理想の存在との関係の中でそれを埋めたような気になる。これが、追っかけの追っかけたる所以だ。だが、アルコール依存症と同じで、嗜癖(しへき)を持つ人が、自らの嗜癖(しへき)を認めることは、かなり困難だ。おそらく、ほとんどのケースが、追っかけを「やめられないもの」ではなく、「やりたいもの」と思いこんでいることだろう。

現実に社会でできた人間関係のほころびは、例え、アーティストであれ、アイドルであれ、その関係の中で修復することはできない。往々にして、その人なりの「関係」の持ち方は、誰を相手にしても変わらない。愛情と契約関係を勘違いしているのだ。

こうした認識に至ったのは、ピアノ弾き語りのアーティストに出会ってからだった。私自身は、押しも押されぬ“追っかけ”そのものだ。でも、その関係の持ち方や音楽との接し方は、無我夢中でソラちゃんを追っかけていたときとは、同じにしたくなかった。

とりあえず、私は、非武装主義者になった。カメラも録音機器も、めったに持たない。基本的には丸腰で唄を聴いている。写真を写しても、飾る場所があるわけでもなく、録音してもその場の臨場感までは味わえないからだ。それに、丸腰だからこそ、その瞬間をとことん楽しむことができる。外で行われるイベントライブで気まぐれでたまに写真を写したり、お目当てのアーティストがしばらくライブをお休みしてしまうようなケースで音をとるくらいか。

おかげで、いざこうしてサイトをつくろうとすると、アーティストの写真がなくて困ってしまうことになる。しょうがないから、今度のライブはカメラ片手に、ひさしぶりに武装しようと思っている。

私は、ようやく安心して唄が聴けるようになったと感じている。

そんなわけで、このblogでは、ライブレポなるものは、まったくない(笑) 私は、聴きたいライブを聴いているだけだから、そのライブのセットリストや評価に興味がないのだ。音楽についてはド素人だから、専門はよく分からない。ここで書いているのは、音楽やアーティストの紹介でもないし、ライブのレポートでもないし、情報提供でもない。私なりの、アーティストや音楽との「関わり方」「感じ方」なのだと思っている。

私も、方向音痴で迷子だから、はまるべくして、はまっている。だからこそ、私自身に本当に唄が届いているかどうか、しっかりと耳を澄ませて音楽と接したいと思っている。

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2005年7月 7日 (木)

七夕

D1000125人は、結局、天まで昇らないと、願いを叶えたり、トラウマを癒すことができないのかもしれない。今日、7月7日、人は、どれだけたくさんの願いや夢を、織り姫と彦星に託したのだろう。天気はあまり良くなかったが、織り姫と彦星は、1年に1度の遠距離恋愛を成就できたのだろうか。こんなにも、日本中から願いを託されているというのに、肝心の主役たちが破局していては、あまりにも悲劇だ。天の川は、平穏無事だったのだろうか。

“いつも損ばかりしていたけど、空はすごくきれいだった”・・・これは、usuのファーストマキシシングル『sorameku』のジャケットにある一節。空に、何かの希望を託すのは、人間の不思議な習性だ。空が青ければ、とても気持ちよく、雲が広がれば、憂鬱になる。元気が出ない朝は、青空を見上げていると、心が透きとおる。

竹内結子が主演した映画『天国の本屋・恋火』では、人は天国に昇ったあとも、生きていたときと同じトラウマを抱えて、それを克服しようともがいていた。地上と天国ときっかり100年間生きると、ようやく過去の記憶から解放されて、新たな人生が始まる。過去の傷を癒す場所は、やはり天国なのだろうか。

人がこうして青空に夢を描き、絶望を癒すことができるのは、空を飛ぶ翼を持っていないからだと思う。空を飛ぶ鳥には、青空を見上げる必然性はないからだ。手を伸ばしても届かないところに、自分の夢や思いを受け止めるキャンバスがある。青空は、いつも私たちを静かに見下ろしている。時には、絶望を受け止め、時には、希望を受け止め、時には、短冊の願い事を叶え、1年に1度、壮大な宇宙で繰り広げられる遠距離恋愛の舞台を演出する。地上をはいつくばりながら生きている私たちからすると、空は、ものすごく尊敬できる、偉大な存在ではないか。

私たちは、空を見上げ、空を感じ、空に問いかける。

それは、私たちにはコントロールできない、「力」でもある。

7月7日七夕の日。今夜も空は、静かに私たちを見下ろし、見守っている。

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2005年7月 6日 (水)

その道は遙か遠く彼方に

D1000123とにかく、道は険しかった。

午後、府中の某所で仕事を終えると、会社に戻る前に新宿にある東京電力の窓口で電話料金を払っていこうと、京王電車に乗った。府中駅では、ホームに新宿行きの各駅停車が止まっていた。少し待って、特急の新宿行きに乗れば、新宿まで一番早いのだが、暑いホームで立っているのも辛くて、各駅停車に飛び乗った。どちらにせよ、調布で後から来る特急に乗り換えることができる。

各駅停車は、席もガラガラでクーラーもよく効いていたので、私は、これ以上なく心地よくまったりとそらめいて、お気に入りのピアノ弾き語りのアーティストの音楽ばかり集めたMDを聴きながら、ボケーッとしたり、ケータイをいぢったりしていた。

あまりにも気持ちよかった。ふにゃーあ・・・としていた。

ハッと気づくと、各駅停車は、調布駅を出ていた。

なあんてこった!!!

私は、仕方なくつつじヶ丘までそのまま各駅停車に乗った。つつじヶ丘駅で、新宿行きの特急が通過した。その後ろから急行の本八幡行きが来たので、今度はそれに飛び乗った。東京電力には、「新宿3丁目」で降りればいい。これがまずかった。

電車は快調に新宿へ向けて走った。笹塚から京王線から外れ、地下へと潜る。耳元では、癒し系なピアノ弾き語りの歌姫の優しい歌声。少しウトウトしていた。新宿に着いて、さあ、次の駅だと思って、とんでもないことに気づいた。これは、急行だ。新宿3丁目には止まらない。

なあんてこった!!!

実にグッドタイミングで、耳元から松岡ヨシミちゃんの「サガシモノ」が流れ始めた。せつなく、もの悲しいメロディーがやけに身にしみた。

“見失いそうになる~♪”

電車は、次々と駅を通過し、市ヶ谷まで来てしまった。仕方なく市ヶ谷で降りて、反対側のホームに向かい、折り返して新宿3丁目にたどり着いた。

電気料金を払うくらいのことで、何と私は人生を寄り道して迷子になってしまうのだろうか。普通の人が何気なく前に歩いて、目的地に向かうのだって、私にとっては大旅行だったりする。世界は、広い。私の歩く地平は、どんな地図でも収まりきらない。どこまでもはみだしていて、気まぐれで、東西南北がうつろでそらめいている。

明日は、朝一番で吉祥寺に向かう。場所は完璧に把握している。問題は、私だ。私自身なのだ。

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2005年7月 5日 (火)

聖書

D1000122キリスト教にはまったく縁のない人生を送ってきた。1年に1回、クリスマスの日だけ、食卓にはケーキが現れたが、それを食べる以上の行為は皆無だった。幼稚園には、サンタクロースが登場したが、大人びていたのか、ひねくれていたのか、ただの変装だと分かっていた。

それが、急展開したのは、高校時代だ。私の高校は、プロテスタント系の男子校・・・、もう、これだけで身震いするというか、重苦しくなるというか、聖書を抱えた学ランがウロウロしていたら、それはもう、普通に不気味に感じたのだが、哀しいことに、自分が入学した高校がプロテスタント系の高校だということに気づいたのは、入学式の日だった。キリストには、カトリック系とプロテスタント系、さらにいくつかの宗派があると分かった。

高校の敷地には、大きな教会が立っていた。そこでは、週1回、朝のミサが行われ、牧師の校長がありがたーい説教をし、男ばかりがハスキーな低温で賛美歌を歌った。学校の時間割には、週1時間、「聖書」の時間があり、聖書を読んだり、キリスト教の歴史を学んだ。ミサも授業も強制だったが、信仰を強制することはなかった。だからだろうか、平気で生徒に体罰を与える教師がいたし、学生たちの陰湿ないじめは、普通に横行していた。

哀しいかな、キリスト教から学んだものは何もなかった。それなのに、先日、部屋の整理をしていたら、荷物の中から、高校時代に使っていた聖書が出てきた。高校時代に読んで以来、手も付けていなかったのに、捨てるに捨てられないまま、ずっと持ち続けていた。

神の存在を信じたことはない。でも、私は、いつも、ハイヤーパワーを感じて生きている。私は、いつも、ハイヤーパワーの下に屈服し、白旗をあげている。今振り返ってみると、キリスト教は、私に、自分にコントロールできない「力」に対して、謙虚になり、受容することを教えてくれたような気がする。だからこそ、私は、不器用でもぶきっちょでも、方向音痴で迷子でも、今、目の前にある道を歩いてこられたような気がしているのだ。

それは、同時に、目の前の道を切り開くこと、変えるべきものを変える力にも転嫁したような気がする。だからこそ、私は、アルコールを断ち切ることもできたのではないかと、実に勝手に自負しているのだ。

たぶん、これからも私は、イエス・キリスト殿には、不義理を続けてしまうのだろう。読みもしない聖書をそっと抱えて、立ちすくんでいることだろう。だらしなくて、そらめいていて、何だか、かっこ悪いけれど、これもハイヤーパワーの導きなのだと思っている。

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2005年7月 4日 (月)

選挙と髪の毛

D1000121あらかじめ、お断りしておく。選挙の話はするが、選挙の話ではない。ほとんど馬鹿話なので、真面目な選挙の話題が欲しくて、キーワードで検索して、アクセスしてしまった、そこのあなた、期待には添えないので、他を当たって欲しい。

首都の政治決戦・東京都議会議員選挙が終わり、各党の議席が確定した。開票日には、各党の党首が、党本部とかで会見を開いて、コメントを出したりする。このとき、議席の増減を、党なりにどう評価しているのか、その言葉の選び方は、人が髪の毛の増減を表現する言葉と重なるものがある。

あ、だから、選挙の話ではない。くどいようだが、選挙の話題は、他のblogを当たって欲しい。

例えば、庶民感覚からすれば、議席が増えれば勝ちで、議席が減れば負け、と思いがちだ。普通の感覚だと思う。ところが、日本を代表する政党が、そう易々と負けを認めるわけにもいかない。議席数は減ったが、予想よりは減りが少なかったり、得票数は増えた場合などは、党首は「議席の後退」を数字として認めることはあっても、「敗北」とは決して表現しないものだ。「踏みとどまった」とか「後退はしたものの一部の選挙区では善戦健闘」とか、何とか前向きな言葉を生み出そうと苦しむ。逆に、議席数は増えていなくても、党公認候補が全勝すれば、それが例え候補者を絞り込んだ結果だとしても、「現状維持」とか「前回比減」という表現はせず、「大勝利」ということになる。

それは、そのまま、髪の毛の増減を表す、微妙な言葉の使い回しと似ている。髪の毛が例え減っていたとしても、おでこの広さが結果として広がり、生え際が「後退」したとしても、なかなか「禿げた」とは表現できないものだ。潔く負けは認めず、「この歳のわりには踏みとどまっている」などとクールに振る舞いたい。若干薄くなっているのは認めながらも、一部の生え際が後退しているだけで、髪の毛総体ではそれほど大きな髪の減少は見られない、と、結論づけたい。

議席を後退させてしまった党首と、最近髪の毛の薄さが気になり始めた人とは、心情的に共感できるものがあるのではないかと思っている。

そこで、最近の自分はどうなのか。

確かに、生え際は若干後退を始めていると言わざるを得ない。特に、おでこの両サイドはかなり後退を始めている、正直、厳しい。だが、頭全体、髪全体を眺めてみると、全体としては大きく踏みとどまったのかなと思う。やはり、情勢を楽観視せず、生え際の後退に対しては、育毛剤で積極的に打って出た効果が出たのかなと感じている。とりわけ、最近、効果の高い育毛剤に挑戦しており、一部ではあるが後退に歯止めをかける足がかりにはなったと確信している。

                        ・・・決して禿げたわけではない。断じてない。

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ふにゃー

ようやく仕事を終え、帰宅し、飲むヨーグルトをゴクゴクと飲んでいる。

え? こんな時間まで何の取材かって? 朝刊読もう。大変だったのだ。おやすみなさい。

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2005年7月 3日 (日)

忘れ物

D1000119とにかく、忘れ物が多すぎる。一昨日は、また傘を忘れた。ユニクロの2本1000円の黒い傘。今年に入って、10本近く忘れている。地球環境に厳しい性格らしい。新宿駅で電車を降りて、自分の手に傘がないことに気づいた。振り返ると、動き出した電車に傘が見えた。悔しいから、その足で新南口へと出て、ユニクロに行き、まるっきり同じ傘を買った。空を見上げると、雲間から太陽が顔を覗かせていた。

日常の些細なことから、会社の大事な仕事まで、とにかく、忘れる。毎日の予定は、つい数ヶ月前まで、ケータイに入力して、アラームで60分前に教えてもらっていた。さすがにケータイにコントロールされている男では哀しいので、今はライブの予定だけにしている。

朝、忘れ物をしていることを思い出して、家に帰って、いろいろしているうちに、忘れ物を取らずに家を再び出る・・・なんて、こんな冗談が多すぎる。慌てて電車に飛び乗って、どこに行くのか忘れたり、夜中に調べモノを思い出してパソコンを開けて、ブラウザを立ち上げて、yahoo!につなぎ、さあ、検索窓にキーワードを入れようとして、はて、何を調べるんだっけ、とか、調べるモノを調べずに、他のサイトを眺めていて、調べずにパソコンを閉まってしまったり・・・。

アルコールの量が増えると、脳が萎縮してしまうというが、1年半ほど前に脳をスキャンしてもらったが、脳は正常だった。それにしても、酒を断ってから、忘れっぽくなりすぎだ。

そう言えば、前に買って読んだ本を再び買うことも多い。コミックで何巻も出ていると、同じ巻を2つも買って、読んでいる最中に読んだことに気づく。我が家の本棚には、いくつか同じ巻が複数あるコミックがある。

ん?

何を書こうとして、忘れ物の話を書いたんだっけ?

・・・・

ん~。

今夜は、オチを忘れた。

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2005年7月 1日 (金)

アルコールから解放されて

D1000118最後にお酒を飲んでから、すでに1年7か月が過ぎた。周りの人間は、「お酒を飲んでいない君なんて考えられない」とか「よく飲まずにいられるね」などと言われる。お酒をやめてしばらくのうち、処方箋で断酒薬をもらっていたが、真面目に飲んでいたのは最初の数週間だけで、それでも主治医は、「“お守り”と思って出しておくよ」と出し続けた。断酒会に通うよう薦められたが、抵抗感が払拭できないで、ついに顔も出さないまま、ここまで至った。

断酒の期間が長くなるにつれ、なぜ断酒しているのか、分からなくなることが多い。私には、壊す家族もないし、酒なしで生きていくほど幸せでもない。お酒を飲んでいるからといって、会社の地位が危うくなるほどお酒は飲んでいなかった。むしろ、お酒をやめたことで、これまでのエネルギーは消えてしまい、それまでに気づいた地位はほとんど崩れ去ったと言ってよい。先々、いつまで生きているか、その自信すらないのに、断酒で頑張って、いったい何がおもしろいというのだ・・・。

でも、そんな、悲しみなのか、怒りなのか、絶望なのか、訳の分からない飲酒の欲求があっても、結局、ここまで1滴もお酒を飲まなかった。

今では、深夜の電車に乗っていて、酔っぱらいが横に座ると、その臭いで卒倒しそうになる。会社で、朝、酒の臭いをさせている人がいると不快だ。目の前に酒があると、その香りが鼻について、思わず遠ざける。身体は、むしろ酒を拒むようになった。

ところが、精神的には、お酒を欲している。お酒を飲んでいた頃、お酒を飲みたいと思ったときに、心の中にぽっかり空いた穴ぼこが、ぐうーっと口を開くのが分かる。心のスポンジが、アルコールを吸収したくなっているような、不思議な不快感だ。きゅんとなる、というか、じんとなる、というか、じわじわする、というか・・・。それを解消する策は、例えば、マッサージ屋さんで徹底的にもんでもらうとか、炭酸飲料をひたすらがぶ飲みするとか、そう、最近は、外国産の硬いミネラルウオーターで、しかも炭酸水がいい。

結局、自分は何故、お酒を飲まないのだろう。案外、その理由は、断酒の期間が長引けば長引くほど薄れていくもののような気がする。

ただ、1つあえて言えば、断酒後につながった人間関係だろう。例えば、このblogに登場するアーティストの皆さん。人生最後の私の酔っぱらい姿を目撃した谷口ちゃんは別として、usuも、松岡ちゃんも、木下ちゃんも、和代さんも、共通して、私がお酒を飲んでいるところを見たことがない。こういう、酔っぱらっている自分を見たことがない人たちが周りにどんどん増えていき、ついに会社の人たちやこれまでの飲み友達よりも多くなると、昔にスリップすることなど考えられなくなる。人間関係の築き方も、断酒前後では変わっていることに気づく。相手が、お酒を飲まない人間として私を扱う。お酒を飲むことで壊れる関係が、いつの間にかできていることに、ふとある日気づいた。

以前も書いたが、一生断酒しようと決意したことは、一度もない。でも、一生お酒を飲むことはないと思っている。お酒をやめたのではなく、力尽きたのだ。白旗を振り、降参したのだ。でも、本人の生命力とは関係なく、お酒をやめると、いつの間にか、新しい「関係」が始まる。そこに真実があるかどうかは、まだ分からない。私は方向音痴だから。でも、正しくても、間違っていても、変わったことだけは確かなのだ。そこには、間違いなく、新しい道がある。しばらく、天を仰いでそらめいていてもいい。歩き始めたら、迷わず、前に進もうと思う。その向こうには、たぶん、幸せも不幸も、私なりに横たわっているような気がしている。

そう信じている。

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サイト更新完了

D1000117そらめく.com」の更新作業が終わったら、この時間。意外と手間がかかるものだ。blogは、こうして書いて、画像貼り付けるだけ。大違い。

でも、blogではできないことを追求したいと勝手に思っている。

今夜はこれでご勘弁を。

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