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2005年6月の29件の記事

2005年6月29日 (水)

方向音痴

D1000113とにかく、私の迷子っぷりは、かなり重傷だ。典型的な方向音痴で、右に回ろうとして左に回るタイプである。

先日、自由が丘にあるマルディグラへライブを観に行ったときも、15分ほど彷徨っていた。マルディグラへ行くのは2回目で、前回の記憶を頼りに地図を片手に、まさか迷うとは思わずに歩いたのだ。にもかかわらず、歩けども歩けども、閑静な住宅街へと入っていく。日が暮れた住宅街をウロウロしていると、ほとんど変質者に近い。

そもそも何故迷ったのか。地図には、駅出口から歩いた突き当たりにコンビニのampmがあるはずなのに、何故かなかった。普通ならここで、「間違えた」と気づき、引き返すなり地図を確認するだろう。ところが、私は、「コンビニなくなったのかな」と、非常に自己中心的な発想をしてしまう。やっかいなのはここからで、それでも間違えた道を進めば、地図と矛盾するから間違いに気づくはずだが、うまい具合に、マルディグラの前には駐車場があって、間違えた道の先にも駐車場があった。

マルディグラがない・・・。

迷子は、元来、根拠のない自信家なのだと思う。自分が間違えていても、地図のほうが間違っていると思いこむ。

それでも、前回の記憶が残っているのだから、こんなアホな迷子にはならないはずなのだ。その原因は、散々彷徨ったあとになって分かった。その記憶は、前回も同じ誤りを犯して迷子になったときの、間違った道を歩いた記憶だったのだ。だから、当然、まったく同じ、間違えた道を歩いたことになる。そういえば、前回も同じように地図を読み違えた。地図上の東急の東横線と大井町線を間違えて、東西南北がめっちゃくちゃになったのだ。

仕事であちこちを歩く。もちろん、仕事柄、初めて行く場所も多い。こんなんだから、着くはずの場所に着かないことは、日常茶飯事だ。先日、昭島市長選挙の取材に行ったときは、駅の出口を逆に歩き、いつの間にか立川市を歩いていた。道路標識に「立川市」と書いてなければ、延々と私は彷徨っていたかもしれない。

そんな私の秘密兵器は、ドコモのGPSケータイ。FOMAとデュアルネットワーク契約をしていて、切り替えて使う。自分の居場所をGPSで確認し、目的地を入力すると、行き先までの道順を地図上に示してくれる。これなら、間違えることは、ほとんどない。

え、じゃあ、はじめから使えって?

いや、だから、迷子は、自信家なのである。恥ずかしい限りである。

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2005年6月28日 (火)

私たちの世代

D1000112私たちの世代は、あちこちで壊れている。

私の1年後輩は、タイで強盗犯に殺された。東南アジアを自分探しの旅に出ていた。写真雑誌に死体が掲載された。奈良で幼女を誘拐し殺害した男も、同じ30代の独身。小学校で包丁を持って大暴れして児童を殺した死刑囚は、少し年齢が高いが、少し私たちの世代に足を突っ込んでいる。ここのところ、新聞紙上で、30代独身が話題になることが多い。そういえば、ライブドアの堀江社長も、同じ世代だっけ。でも、彼はまだ、壊れていない。フジサンケイグループにぶっ壊されそうになったが、今のところ、順風満帆と言えるのかな。でも、あの喧嘩の売り方は、壊れていると思われても仕方ないかもしれない。

私たちは、団塊の世代ジュニアで、中学校は荒れていた。いじめが横行して、自殺者が出た。ブラウン管では金八先生が、青春を説き、中学生が妊娠していた。中学時代、高校時代と、受験戦争に翻弄された。大学時代、バブル経済が最高潮に達した。私の親でさえ、香港に遊びに行くのにファーストクラスに乗っていた。アホみたいに潤っていたが、どこから金が沸いているのか、さっぱり分からなかった。大学ではたくさんの友達をつくったが、こうして就職して気づいたが、正社員として雇用されているのは、仲間内でも少数派だった。相変わらずバイトだったり、相変わらず資格試験を取りまくっていたり、働いていても契約社員だったり、鬱になったり、酒ばかり飲んでいたり、酒をやめてしまったり。

いったい、どうしてしまったのだろうか。

結局、団塊の世代は、どんな社会をつくりたかったのだろうか。どんな子どもたちを育てようとしていたのだろうか。

例えば、企業ではどこでも団塊の世代がでーんと居座り、再雇用だの定年延長だのと、リタイアする気配が見えない。労働組合の事務所には、団塊の世代がたむろしていて、後輩たちの時代が来るとはとても思えない。リストラの苦労話はあちこちから聞こえてくるが、若い世代の雇用の門戸は広がる気配がない。団塊の世代は、本当に私たちに社会を引き継いでくれるのだろうか。私たちは、団塊の世代を支えるために働き、団塊の世代の年金や福祉を支え、自分たちが同じ年代になったときに、自分で自分の面倒を見ることになるんじゃなかろうか。

が・・・、私たちの世代の悲鳴はあまり聞こえない。忍耐強いのか、声が小さいのか・・・。壊れていく人たちは静かに社会から退場していく。

団塊の世代を責めるつもりはない。ただ、この悲鳴が届いているかどうか、不安なだけだ。組織や社会の中で安泰として座っていられるのは、悲鳴を上げている世代があるからだ、と、それだけ感じていてくれれば、「近頃の若いもんは…」と説教をする人も少しは減ってくるだろうと思う。

今の社会のひずみは、階級や政治、国家観ではなく、世代の対立が生み出しているものだと感じることが多いのだ。

私もまた、壊された1人だと思っている。

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2005年6月27日 (月)

夢の足跡

D1000111京都から東京に出たのは、1994年の冬。大学を卒業した後、ドラマのシナリオライターになる夢をどうしても忘れられず、テレビ局などのメディアが集まる東京を目指した。最後に、友達のお母さんから3万円の餞別をいただき、その3万円を握りしめ、京都を深夜に出る寝台急行「銀河」で上京して、その日のうちに練馬区の石神井に新居を構えた。

東京では、シナリオセンターの講座を受けた。ここのゼミは、毎週テーマに沿って20枚シナリオをひたすら書き続けるというもので、とにかく毎週、毎週、シナリオを書き続けた。同じようにシナリオライターを目指す友達も出来た。そのうち、食っていかなければならず、今の会社に就職して、働きながらシナリオを書き続けた。

難しいもので、しっかりと仕事をすると、それなりに会社でも地位も高くなり、期待も大いに受けるようになり、だんだんシナリオを書くことも忘れかけていた。シナリオを書く暇もないほど仕事をしていた期間もある。シナリオセンターに通う暇さえなくなってしまった。いつか、自分の夢を実現しようという欲求が、日に日に薄れていた。

ある事件がきっかけで、私は一度、記者の仕事を離れた。いろいろと理由はつけたが、ジャーナリズムという、訳の分からない抽象的な言葉に嫌気がさした、というのが、一番の本音だった。酒もやめて、すっかりジャーナリストとしてのテンションは消えてしまった。もともと、そんな肩書きは、酒の勢いがつくっていたものだったのかもしれない。ほんの数ヶ月で記者の仕事に戻ったものの、昔のテンションが戻ることはなかった。

プロフィールの通り、私はサラリーマンである。

1年半前から、再びシナリオセンターに通い始めた。

もう、夢を追う歳ではないと思う。でも、夢を追わない理由も見あたらない。書きたいものが、シナリオなのかどうか、私にはまだ分からない。でも、何かを書いているときが、一番楽しい。それは、小説かもしれないし、blogなのかもしれない。

夢は、目指すもの。でも、歩いた跡は、目指した通りにはならないかもしれない。それでいいのではないかと思う。いろいろな紆余曲折はあっても、私は、結局、この道に戻ってきた。足跡は、ずっとここまで続いていた。空っぽになって、残されたものは、これしかなかった。

たった3万円を握りしめていた私は、まだ、東京の空の下で灯りをともしている。11年もかけて、ようやく、この迷子の私を、見つけることが出来た。

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サガシモノ

D1000109 松岡ヨシミちゃんのライブを観に、夕方、渋谷にあるBAR Road&Skyへ行った。すごいところだ。カウンター席8席、ソファー席8席。ここに4組のアーティストが集まる。1人が4人のノルマを達成すれば、満員御礼。とてもライブができるスペースではないのだが・・・だって、入口を開けると目の前はステージなんだもの(笑) おそらく、ライブがない日は、すっごい雰囲気の良いBARなのだと思う。

松岡ヨシミちゃんが歌う「サガシモノ」という歌。渋谷の街を題材に歌っている。

渋谷は、サガシモノをするにはぴったりの街なのだ。私は、心の中が空っぽになったとき、まず渋谷の街を訪れてみる。人混みが嫌いな人は敬遠しがちだが、人が多いわりには、人間に興味のある人が少ない。群れているが、1人1人はバラバラで孤立している。だから、誰かに声をかけてくる輩に、ろくなやつはいない。人間に興味のない人たちだから、目当ては自分ではないと思った方がいい。お金だったり、宗教だったり、暴力だったり、麻薬だったり・・・。人混みで1人になれる街・・・、いや、みんながひとりぼっちの街なのだ。

空っぽの私は、この街を彷徨うとき、まず、ハチ公前のスクランブル交差点の角にある本屋を訪れる。ここに並んでいる本を眺めているだけで、東京が何を考えているのか分かる。東京の頭をパックリと割って、中身を覗く。それが飽きると、服を探したり、メガネを変えてみたり、とにかく自分のなりたい自分になろうと、いろいろともがく。たくさん服を買って安心することもあれば、結局自分が見つからずに途方に暮れて帰ることもある。

渋谷に愛着はない。何度訪れても、ここはあふれるほどの人の群れしか見えない。でも、何故だろうか、渋谷を隅から隅まで歩くと、自分を見失いそうになったり、逆にいつの間にか新しい自分がいたり・・・、他人のことではなく、自分のことを考えている。

渋谷に自分の居場所はない。でも、この街の足跡は、そのまま「私」になる。私は、今日もまた、渋谷の街で何かをさがしている。どこかに置き忘れた私をさがしている。

今日は、メガネを買った。レンズに微妙に色をつけてみた。青っぽいグレー。まぶしい街が、少し優しくなるような気がする。

「サガシモノ」・・・松岡ヨシミちゃんは、大人の迷子を包み込む。私のような、身体も心も方向音痴な人間には、優しすぎるサウンドかもしれない。

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2005年6月26日 (日)

「そらめく.com」スタート

いろいろといぢっているうちに、日付が変わってしまった。「そらめく.com」をようやく立ち上げたのだ。

アドレスは、http://www.sorameku.com/ ・・・そうなのだ。コアな常連さんなら、つい昨日まで、このアドレスを入力すると、ここのページが現れたのを覚えているだろう。今日からは、まず正面玄関から入ることになる。少々面倒なことになるが、「blog」のボタンをクリックすると別ウインドウが開いて、ここにリンクしている。

今月中には、工事中の箇所がない状態にしたい。

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2005年6月24日 (金)

なんてこった

D1000108昨夜、てっきりブログを更新したつもりになってパソコンを閉じた。今朝、仕事に行く途中、ケータイに保存してあるデータを見て、ハッと思い出した。ブログを更新するためにパソコンを立ち上げ、コメントやトラックバックがないか確認し、さらに現在準備中のサイトの作業を行い、さて、何のネタで書こうか悩む。

・・・・・気がつくと、電気を消して、布団にもぐり、眠っていた。

ここでお知らせ。

明日と明後日、新たに私のホームページを立ち上げるため、ドメインの移行作業を行う。現在、sorameku.comから来てくれている方は、土日の半日程度、sorameku.comからはアクセスできなくなるので、つながらないようなら、http://sorameku.air-nifty.com/blog/のアドレスからつないでほしい。移行作業終了後は、同じ@niftyのホームページにつながるようになる。ここへは、そこのトップページからリンクしているので、今後も末永く遊んで欲しい。

では、今夜はこれまで。おやすみなさい。

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2005年6月22日 (水)

私の愛したケータイ

初めてのケータイは、いわゆる携帯電話ではなく、PHSだった。CASIOのPH100という機種。当時、携帯電話は今ほどスタイリッシュな機種は少なく、PHSのほうが小型でオシャレな機種が出た。ところが、この機種は、とにかくデカい。真っ黒で、まるで昔の家にあった黒電話みたいだ。でも、バッテリーでも、市販の乾電池でも動くという点が、今では考えられないが、非常に優れている点だった。

その後、Victorのフリップタイプにして、パソコンとケーブルで結ぶ無線通信を始めた。このVictor製は酔っぱらってカラオケボックスになくし、京セラ製のフリップタイプに機種変更した。

大きな転機になったのは、2000年に登場したfeelH"対応端末、三洋製のRZ-J90だ。これは、2インチの液晶画面を持つ折りたたみ式。別売りの小型デジタルカメラユニットを装着すると、今でいうカメラ付きケータイになる。電話帳に画像添付でき、着信画面に相手の顔を表示できたり、メール送受信フォルダを自動で振り分けることができたり、当時のPHSとしては初めてEメールの自動受信も可能になった。初めてケータイでメールを体験したのだ。さらに、これがすごいのは、ネットから音楽をダウンロードして、ケータイを音楽プレーヤーとして使うことが出来るという点だ。

そう。この機種、今のケータイが売り物としている機能を、すでに実現しているのだ。ケータイを手放せなくなったのは、この頃かもしれない。

2001年末になって、auのcdmaoneに乗り換えた。ezアプリがスタートしたばかりで、日立製のストレート端末を購入した。これがとにかく使いにくい。今は、しゃれたスライドケータイを出しているが、当時は、手が疲れるばかりで、退屈な端末だった。

2002年春に、同僚がドコモのケータイを使っているのを見て、NEC製のN211iに手を出した。これには感動した。さすが、天下のNEC。メールの使い勝手も、iモードの便利さも、何もかも新鮮だった。が、なんせ通話料が高すぎる。

2002年夏、ついに私は、FOMAを購入した。NEC製のN2002。・・・・・これがひどい。iモードはさくさくとスピードが速いが、さっぱりつながらない。バッテリーは午前中でなくなり、予備バッテリを持ち歩くという、一世代昔に逆戻りしたような気分だった。しかも、feelH"が実現していた機能を、この端末はさっぱり持ち合わせていなかった。でも、会社で一番最初にPHSを使い始めた私としては、これを手放すのは気が引けた。会社で一番最初にFOMAを使っている・・・これでいいではないかと思ったのだ。

さて、その後、FOMAは、F2150、F2120V、F900i、D901iと、着々と新しい機種へと乗り換えている。ちなみに、NEC製から富士通製へと乗り換えたのは、当時、イズミカワソラちゃんが富士通製のムーバを使っていたから。富士通製から三菱製へと乗り換えたのは、特に意味はないが、F901iがやけにデカくて、ごっつい上にボタンの配列が微妙に変更されたのが不安だったのと、お財布ケータイに抵抗があったので、それならと、同じOSを使っている三菱製へと変えたのだ。D901iは、FOMA初のスライド端末。スライド式だから四角くて、角が若干出っ張るが、機能面ではほとんど不満はない。

なぜ、こんな話をしたのか。

私は浮気性なのである。覚悟して欲しい(爆)

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9月の雨

風がほんの少し秋の香りを帯びてくる頃、9月に降る雨は、どちらかというとなま暖かくて、残暑は厳しいものだから、シャワーのように浴びていても構わないと思える。梅雨や10月のように、シトシトと静かに降り続ける雨と違って、この時期の雨は、台風や熱帯低気圧がはるか南方から連れてくるものだから、どことなく過激で、強風で激しく打ち付けたり、突然どしゃぶりのように降り出すイメージがある。

子どもの頃、この時期の雨は大好きだった。学校帰りに激しい雨に見舞われると、傘が壊れたふりをして、わざと傘をささないで家までびしょぬれで帰り、親に怒られた覚えがある。でも、冷たい雨ではないから、風邪を引いたりすることはなく、一種の自然のシャワーのようなものだった。雨の中をちゃぷちゃぷと歩くと、何故か世界の主人公のような気持ちになって、びしょぬれの自分に陶酔した。

不意に降り出す夕立は、触るとやけどしそうなほど熱いアスファルトを一気に冷却する。ざあーっと降った雨がやむと、地面からムンムンと水蒸気が上がり、カラッと晴れ上がった青空に昇っていく。ゆらゆらと揺れる世界が、幻想的で、下の方から吹き上げる湿気が、乾いた身体の隅々まで染み渡っていく。

9月の雨は、過激で、優しい。

ところで、今は、6月。なぜ、「9月の雨」なのか、それは、今夜、ウエタマミコさんのライブで自由が丘にあるマルディグラというライブハウスにお邪魔して、ウエタマミコさんが、「9月の雨」という歌を唄っていたからだ。それで、急にこんなことを考えていたわけだ。いつの間にか、深夜1時41分。ウエタさんのライブは、これで6回目くらいになる。その出会いと軌跡については、また次の機会に。

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2005年6月20日 (月)

谷川俊太郎

D1000105先週土曜日、四谷天窓.comfortのお昼のライブに登場した、つだみさこさんが、谷川俊太郎さんの詩を紹介していて、ふとその詩を読んでみたくなった。・・・が、その詩が何に収録されているのか忘れ、さらに、夜が明けると、詩自体も忘れてしまい、ほのかな感情だけが残っていた。

今日、昼間、本屋にふらりと寄ったとき、ふと谷川俊太郎さんの詩集が置いてあり、あれこれ開けてみたが、どうしても思い出せない。

仕方ないから、当てずっぽうで『二十億光年の孤独・愛蔵版』(日本図書センター)を買ってしまった。スタバでストロベリークリームフラペチーノを飲みながら、この詩集をむさぼり読んだが、お目当ての詩には巡り会えなかった。でも・・・、

「万有引力とは引き合う孤独の力」・・・

・・・このフレーズが、やけに心の憶測に染みこんで、詩集をめくっているうちに愛着もわいてきた。

私は、文章を書く仕事をしているくせに、おせじにも読書家ではない。1冊を最後まで読むには、かなりパワーが必要だし、買ってきた本の半分は挫折する。家には、読みもしない本があふれかえっている。少しずつ捨てているが、いつの間にか本の山が復活している。頼りない男は、お城を築きたがるのだ。本って、一番知性と理性があふれているような気がして、積んでおけば安心する。これも、酒と同じで、嗜癖(しへき)の一種だと思っている。

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2005年6月19日 (日)

2日間でライブ4本

D1000101さすがに、疲れます。

今日は、午後、幕張ガーデンウオークへ、谷口深雪ちゃんのライブ。夕方は、四谷天窓comfortへ、木下直子ちゃんのライブ。土曜日から、4本続いて、ちょっと疲れ気味。

今夜は、洗濯して、もう寝ます。

・・・・って、おお・・、やけにですます調だ・・・(笑)

おやすみなさい。

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sorameku

D1000100今日は、お昼から四谷天窓.comfortで、usuのライブ、そして、夕方からも、同じ四谷天窓.comfortで、谷口深雪ちゃんのライブ。これだけ長時間、同じライブハウスで過ごすのは、初めてかもしれない。ダブルヘッダーってやつだね。

usuとの出会いは、一昨年の12月25日、東武百貨店池袋店でのピアノオムニバスアルバム「piano&woman Episode03」のインストアライブ。私は、いろいろなことがあって、何もかも失って、抜け殻のように街を彷徨っていた。何もかも空っぽだった。「piano&woman」には谷口深雪ちゃんも参加しているので、ちょっと顔でも見に行くかなあと、いつの間にか会場に足が向いていた。クリスマスでにぎやかなフロアに、6人の歌姫が勢揃いした。その中に、usuの姿があった。

彼女の歌は、少しさびしくて、それでいて優しい。熱くはなく、冷たくもない。道に迷うこと、走りすぎて疲れたら休むこと、突っ張りすぎていて逃げ出したくなること・・・そんな人の弱さやはかなさ、痛みを優しく包み込んでくれる。

彼女はこのオムニバスアルバムで、「雛」という歌で参加している。私は、その年の年末年始、「雛」をくり返し聴いていた。

年が明けて、私は、新宿の高層ビルで全面窓ガラスに激突して、鼻骨折という災難に見舞われた。ある日、鼻にばんそうこうを貼り付けて、町田にあるカーバンクルというライブハウスに出向いた。入口を入ると、まず最初に反応してペコリと頭を下げてきたのが、usuだった。ライブハウスでお金を払ってusuの唄を聴くのは初めてだった。「雛」も含めて、この日歌った5曲に、私はすっかりはまってしまった。

2月初旬、usu主催の企画があり、初めて四谷天窓へと足を運んだ。このblogではgeminiでお馴染みの松沢和代さんが、この日、最後にステージにたった。和代さんは、usuのボーカルスクール時代の親友。usuは誰より和代さんを崇拝し、和代さんは誰よりもusuを崇拝する。トリを飾った最後の曲は、「sorameku」という曲だった。2000年7月にusuが初めてインディーズで発売した唄だ。usuも、自らピアノのサポートで登場した。「sorameku」との出会いだった。

・・・・「そらめく」という言葉には、いい意味がない。ぼけーっとしたり、ぼーっとしたりすることだ。でも、彼女は、苦しくてどうしようもないときに、やさしいところにいてもいいけど、歩き始めたら迷わないぞって、とても前向きな意味でこの唄をつくったという。ずっとずっと全速力で走り続けていた私にとっては、「立ち止まっていたければ、立ち止まっていてもいいんだよ」というメッセージは、痛いくらいに心に突き刺さって、心が落ち着いていった。立ち止まってもいいんだよ、でも、一度歩き始めたら迷わず前に進もうと。私は、長い人生の中で、初めてぴったりと立ち止まることができた気がした。大きな重荷を下ろして、人生の棚卸しをしようと思ったんだ。

この「sorameku」は、小さな奇跡を起こした。どうしても、発売当時のusuの音源を手に入れたかった私は、あちこちのCDショップを回り、検索サイトを検索した。すると、驚くことに、ある大手インターネット通販で手に入れることができた。しかも、表示が、「sorameku」ではなく「sarameku」だったのだ。本人もびっくりだった。すっかり廃盤とばかり思って、歌った本人でも家に1つしか持っていないというのに、4年も過ぎたあと、まさか手に入れることができるなんて。

2月の下旬、相模大野にあるカフェレストラン「ラシェット」で「水曜日のうた会」というイベントがあった。お客様が音の石を4つもらい、4人のうち好きなアーティストに投票できるという企画。私は、手に入れたばかりの「sorameku」をカバンに入れて、駆けつけた。この日のうた会には、不思議な魔法がかかっていた。usuのおしゃべりが、うける、うける。歌を歌えば、静まりかえったようにお客様が聴き入った。最後の曲を歌うとき、usuはじーっと考えをめぐらしていた。何十秒かの沈黙を経て、usuは、「これから歌う歌は、soramekuというんですが…、考えて見れば、usuはここから始まったんだなと…」・・・そう言って、「sorameku」がインターネットで手に入ったエピソードを紹介すると、「sorameku」を歌った。いよいよ、音の石の投票が始まり、1位の栄冠に輝いたのは、usuだった。

あのとき、オムニバスCDに「雛」があったから、私は、おそらくusuという人のライブに行ったのだろうし、usuが「sorameku」を世に生み出したからこそ、今のusuがいて、2月のusu企画での和代さんとのコラボもあり、うた会の1位にもつながる。いろんな小さな偶然が重なって、何か1本の赤い糸をつむぐような日々に少し夢中になっていたのかもしれない。

私は、この人の唄を聴き始めて、ずいぶん変わった。肩の力が抜けたというか、マイペースになった。政治とか哲学とか抽象的なものを嫌うようになった。がむしゃらに頑張ろうと思わなくなった。いろんな荷物を下ろした気がする。まだまだ、下ろすべき荷物がいっぱいある。
でも、どんどん荷物が軽くなっていく。いったいこれまで、途方もなく重い荷物を抱え込んで、どうして生きてこられたのだろう。人間は、もっと当たり前のように存在して、普通に生きているものじゃないだろうか。私は、私らしく、私なりの人生を歩みたい。

・・・「そらめく」という言葉には、そんないろいろな思いが詰まっている。

長くなってしまった・・・。この続きは、また次の機会に。

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2005年6月18日 (土)

昭島、新宿、三軒茶屋・・・誕生日

D1000099とにかく朝から焦っていた。今夜は、お馴染みgeminiのライブで三軒茶屋に行く予定。スタートは午後7時半。間に合わないかもしれない。

説得力のない男は、手が込んでいる。誕生日のプレゼントを渡すなら、そのまま渡せばいいのだが、そのままでは不安なので、驚かせようと、あの手この手を考える。普通に渡していては、あっ、そう、で終わってしまいそうな・・・いや、そんな冷たい人は世の中あまりいないはずなのだが、生き様が卑屈だったために、不安に陥るから、いろいろと演出を企む。

昨日は、geminiのボーカル・松沢和代さんの誕生日。そこで今夜は、花束でも抱えてライブに行こうと思っていたのだ。でも、ただ渡すのは、説得力のない私としては心苦しい。とりあえず、「忙しいから行けるか分からない」と伝えておく。これも一応、最初は演出の1つだった。しかし、ライブの日が近づくにつれ、あながち冗談でもなくなってきた。

こんな仕事をしているから、相手先の都合に合わせて、予定が後ろへずれていくことも多い。今週はとにかく、会う人会う人、片っ端から予定がずれる人ばかりだった。今日は、午前中に昭島市へ行く予定ができてしまい、ライブ開始時間に三軒茶屋に間に合うのは、ほとんど奇跡に近くなった。

午後、新宿に戻ったら、すでに午後2時。記事の入稿予定時刻は5時だが、すでに間に合わないことは間違いなし。三軒茶屋までは1時間はかかるから、午後6時半には出たいところ。同僚には申し訳ないが、これ以上ないスピードで仕事を片づけ、残業を続ける同僚を置き去りにして、山手線に飛び乗った。三軒茶屋には午後7時20分頃到着。駅前の花屋に駆け込んで、誕生日用の花束をつくってもらった。

花を選んでくれた店員さんは、言っちゃ悪いがおばさんで、出来上がった花束を見て、「あら、ちょっと大人っぽく、シックなできねえ」と顔を曇らせた。でも、文句も言っていられない。暗いからとりあえずOKとしよう。葬儀用でなければ文句はない。

花束抱えて、三軒茶屋のグレープフルーツムーンというライブハウスへ走った。走った。走った。

お店に着き、地下に降りる階段の途中で、和代さんの聴き慣れた歌声が聞こえてきた。こりゃいかん、もう始まっている。慌てて入口の扉を開けると、何と会場はガラガラ。花束を持った私が丸見えだった。これではサプライズにならない。とっさの判断で入口の横に花束を放置し、店に入った。歌の合間のMCで誕生日の話題になったので、ここぞとばかりに放置していた花束を取りに戻り、ようやく本人に渡すことが出来た。

私は、つくづく演出家なのである。時にその演出は、自分でも痛いくらいに手が込んでいることがある。その企みは、今日のように墓穴を掘って、演出ではなくなり、マジになることも多い。説得力のない男は、その生き様は必死なのである。

何はともあれ、お誕生日おめでとう。

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2005年6月16日 (木)

服を買って、髪を染めた

D1000098アルコールをいっさいやめて、心が空っぽになってから、私は、街へ出ると、まず洋服を買いあさった。

昔から、ファッションには無頓着というか、興味がないというか、そもそも、センスがないし、知識もなかった。子どもの頃、親から与えられた服をただ着ていただけだった。もっとも、与えるといっても、ファッションという言葉とはほど遠く、適当な服を適当に組み合わせるだけだったから、下手をすると穴だらけのジャージ姿で近所を走り回っていた。

ずっと、オシャレからは無縁だった。ファッション雑誌は自分とは関係ないものだった。ヘアスタイルは、伸びっぱなし。髪は適当に伸び放題で、うっとうしくなると切る、本当にただ切るだけだった。小学時代は坊主頭だった。高校になってようやく伸ばし始めたが、どういう髪型にしたら良いのか分からなかった。

生まれて初めてだと思う。ファッション雑誌を見たり、街の店を回ったり、改めて自分の姿を眺めたりした。お店の人と、いろいろと話し合って、どんなファッションが似合うのか、真剣に考えた。

洋服を一通りそろえると、だらしない髪型に気づいた。散髪して短くしたが、何か、ピンと来なかった。いろいろと髪を染める方法を研究して、茶色に染めた。

そんなこんなで、1年半ですっかり容姿が変わってしまった。

自分の世話をする・・・・これは、依存症から回復するための重要な儀式だと思う。私を飾るのは、私にしかできない。私は、ようやく自分が可愛くなった気がしている。

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2005年6月15日 (水)

エビチリ餃子弁当

今夜の夕食は、近所の弁当屋さんのエビチリ餃子弁当。美味しゅうございました。

私は、かれこれ1年半年ほど、自炊をしていない。ずっと台所に立っていない。ちょうどお酒をいっさいやめてから、包丁も持っていないし、お皿も出していない。冷蔵庫の電源は落ちているし、買い物もしていない。毎日、外食か弁当か。昨年から家庭ゴミ収集が有料化されたので、できればゴミを出したくないのだが、来る日も来る日も弁当箱が溜まるばかりで、ゴミの量がすっかり増えてしまった。

自炊は大好きだった。大学時代、京都に住んでいた。最初につくった料理は、カレーライスだった。朝から、オムレツやサラダをつくったこともあるし、ご飯にみそ汁というスタンダードなメニューも、難なくこなすことができる。生協の個人宅配を頼んでいた時期もあり、冷蔵庫にはいつも新鮮な野菜や牛乳、納豆などが入っていた。仕事が不規則な時間だから、毎日晩ご飯を自炊するわけにはいかなかったが、一人暮らしの男性としては、かなりマメに自炊をしていたと思う。

お酒をやめてから、自炊はしていない。理由は、自分でもよく分からない。かなり精神的に落ちていた時期があるから、部屋も汚くなくて自炊どころではなかったし、精神的にそんな気持ちにはならなかったのだろう。お酒といっしょに、かなりやめてしまったことがあるが、自炊はその代表的な習慣かもしれない。

自炊をする、という行為は、非常に自己満足な世界だ。作るのも私、食べるのも私、片づけるのも私、太るのも痩せるのも私。1から10まで、自己完結型の行為と言える。誰かと暮らしていれば、受け手が増えるが、自分で食べて、片づけるのは、同じことだ。結局、自分が可愛くないとできないし、自分に関心がないとできない。

お酒をやめると、自炊をすると良いと言われる。お酒を飲んでいるうちは、味わうとか、噛みしめるということがあまりないのだ。依存症であればなおさらで、食べる時間をしっかりと享受するということに、依存症の人間は無頓着なのだ。だから、本当は、私も自炊をしたほうがいいのだと、自分自身には認識がある。

ところがだ、どうしても、自炊をする気がしない。お酒をやめて、かなり太ったような気がする。ピーク時と比べると10キロくらいやせているが、一番やせていた時期より5キロほど太っている。あちこちで自炊しろと言われるが、台所に立つ気がしない。

まだ私は、抜けるべきところを抜けていないのだろう。アルコールは、物理的には完全に抜けたと思う。でも、1人という時間をどう享受したら良いのか、分からない。自分という存在に執着できない。どこか透明人間で、どこかマシュマロ的な魂で、どこかよどんだままの心なのだ。

自炊を始めたら、たぶん、きっと、私は、迷子から卒業する。私が、私をつくる、という、生きていく上で一番の基本的な真実を、やっと受け入れられると思う。

自炊ごとき、と、思われるかもしれない。

その「ごとき」ですら、私は、どこかに置き忘れてしまっているのだ。

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2005年6月14日 (火)

雨のあとは

D1000095お昼休みに大手町のサンケイビルのランチタイムライブに向かった。今日は、谷口深雪ちゃんが登場。こういう仕事をしていると、ゆっくりとお昼を食べる時間がない。仕事と仕事の合間を縫って、バタバタと片づけることが多い。だから、せめてお昼の時間くらい、まったりと過ごしたい。そんな時間の、ピアノ弾き語り。もう、午後に仕事をしたくなくなる(笑)

今日は雨が降らないと予報があったというのに、ライブが始まる時間になって、急に雲が出てきた。谷口深雪ちゃん、この人、自他共に認める“雨女”である。筋金入りといってもいいかもしれない。このランチタイムライブも、先月雨で中止になって以来のもの。これに限らず、中止になった途端、雨が止むこともある。

彼女との出会いは、2003年8月、横浜ランドマークプラザでのインストアライブだった。関東初のインストアライブとなったその日、関東地方には、その当時、史上最大とも言われた大型台風が上陸した。突風が吹き荒れる中、人通りまばらなランドマークプラザ前で、彼女は自らライブのチラシを配っていた。ライブ会場は、片手で数えるほどのお客様しかいなかった。

昨年7月、台風10号が上陸したときには、関東を向けて一直線に向かってきた台風10号は、関東を目前に突如として進路を西に変えた。そうなのだ。その日、谷口ちゃんが東京から関西へと移動したのだ。彼女の足跡は、低気圧の進路になるらしい。

そんな冗談はさておき、そんな彼女は、昨春くらいから、めきめきと頭角を現してきた。日に日に、ファンも増えてくる。がむしゃらに歌っていただけの女の子は、少しずつ人を感動させるアーティストへと成長しつつある。最近、雨女伝説も外れることが多くなった。今日だって、雲は出てきたが、雨は降らずに、踏みとどまった。

彼女は、きっと傷ついた心を優しく紡いでくれる。お奨めは、彼女の初めてのオリジナル曲「雨のあとは」。

疲れているあなたは、ぜひ1度、試してほしい。

ただし・・・・、例え、気象庁が降水確率を0%にしても、雲一つない青空だったとしても、彼女のライブは、傘だけは忘れないでほしい。

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2005年6月13日 (月)

人生最後のアルコール

D1000092あの日、空は気持ちよく晴れ渡っていたが、私は、空の色が分からないくらいに絶望して、真っ暗闇を歩いていた。日曜日で仕事が休みだというのに、心は騒がしくて、周りに誰もいないのに、私の頭の中には、たくさんの登場人物が勝手に出入りして、大会議を開き、自分の35年間の人生に批評を加えていた。その1つ1つの言葉に、私はいちいち傷ついて、走ってもいないのに、心臓病でもないのに、動悸が止まらず、酒を飲んでもいないのに、二日酔いの朝のようなけだるい状態が続いていた。

夕方、近所の居酒屋に行って、酒を飲んだ。これでもか、これでもかと、お腹に熱燗を注ぎ込んだが、2時間くらい飲んでも、飲んだ気がしなかった。私の心の中にポッカリと空いた穴ぼこは、もう、アルコールくらいでは埋まらないほど肥大化していた。どんなに強いアルコールを注ぎ込んでも、穴ぼこには、空しい突風が吹き抜けて、酔いはしても、もう、心を満たしてくれることはなかった。

ふと、その夜、谷口深雪ちゃんが、町田駅前でストリートライブをやっていることを思い出した。私は、居酒屋の会計を済ませて、電車に乗った。

町田駅前は、凍えそうなくらい寒かった。JRから小田急へと通じるペデストリアンデッキで歌っている彼女を見つけた。夜8時くらいから終電の直前まで、じっと彼女の歌声に耳を傾けていた。なぜなのか、その理由は分からない。とにかく、何かにすがりつきたかっただけだ。誰かのそばにいたかっただけなのかもしれない。彼女の歌声を聴きながら、たった1つのことを考えた。

これで何もかも終わりにしよう・・・。

どうして、そういう結論に至ったのか、その過程が思い出せない。私は、すべてに降伏して、降参した。夜空に向けて、白旗を揚げていた。お酒だけではなく、人生の何もかも、翌朝には消えてなくなっている気がした。私は、終電で帰り、近所の弁当屋でカツ丼を買って、家に戻ると、泣きじゃくりながらそれを食べた。

次の日、私はまだ生きていた。あれ以来、お酒を飲んでいない。「やめた」というより、力尽きた、といったほうが正しい。谷口ちゃんは、これは本人すら知らないことだが、酒を飲んでいる私を見た最後の人物である(だから、何だっていう意味はない(笑))

一生酒を飲まない、という覚悟は、正直あまりない。でも、もう、一生酒を飲むことはないだろうと思っている。

あれから、1年と半年。終わってしまったというのに、私はまだ生きている。かといって、何かが始まっているわけではない。明日生きているかどうか分からなかったのに、そのうち1か月くらい先は生きているような気がした。今は、あと2、3年は生きているような気がする。

今日、梅雨のお休みに雲間から覗いた青空は、透きとおっていて、きれいだった。あの日も、あの空は、私を見下ろしていた気がする。今年の夏も、冬も、そして、来年の夏も・・・。生きている限り、あの空は、私を見守っている。歩き出す私を、ずっと待っている。

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2005年6月12日 (日)

恵比寿ガーデンプレイス

D1000089午前中は猫のようにボケーッと布団の中に潜っていたが、午後になって、オシャレユニットgeminiのライブに、恵比寿ガーデンプレイスへ向かった。ライブ会場は、ガーデンプレイスの地下にあるグラススクエアというフロア。真ん中の吹き抜けの広場は、ガラスの屋根から自然光が差し込み、気持ちの良い空間となっている。

ライブ会場の目の前は、「R gath」(アールギャズ)というカフェバー?ワインバー?。私は、お酒をまったく飲まないので、ワインのリストが充実しているかどうかは分からない。ここは、それよりむしろ、ミネラルウオーターの抱負なストック。世界中の水と炭酸水を飲むことが出来る。グラスも、冷蔵庫で冷えたものを出してくれる。値段もさほど高くない。

D1000090ちなみに、私が飲んだのは、これ。ドイツの・・・・何て読むのか忘れた(笑)炭酸入りの硬水・・・かなり硬かった。穏やかな自然光、清潔なカウンター、さわやかなミネラルウオーター、オシャレなgeminiサウンド・・・、これ以上、贅沢な日曜日があるだろうか。

恵比寿ガーデンプレイスには、昔、後輩を誘って、会社をさぼって昼間から飲みに来たことがある。酔いどれて、こんな空間には気づくことが出来なかった。

アルコールから解放された人だけが享受できる幸福だと思う。

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2005年6月11日 (土)

華麗なるMacな日々

D1000086あまり公に自慢してはいないが、昨年の冬、少ないボーナスを使って、ibookを買った。今どき、Windowsパソコンなんて、その辺のおっちゃんでも軽々と使ってしまう。Macくらい使えないと、先々、「使える」人間とは思ってもらえないと思ったからだ。

ibookは、512MBのメモリを増設し、さらに、「macromedia studio MX2004」を、これも大金をはたいて買って、インストールした。サイズは12インチ画面だが、ibookとしてはずいぶん仰々しいものとなった。

これが、何とも、目から鱗だった。今まで使っていたWindowsパソコンが、どれほど使いにくいものだったのか、どんくさいものだったのか、かっちょ悪かったか、痛感した。真っ白なボディ、appleのロゴ、スタイリッシュなマウス、そして、使いやすいソフト、機敏な動き。

macromediaのソフトをそろえたので、これだけあれば、商用のWebサイトまで作れそうな勢いだが、まずは、自分のサイトをしっかり作り直さねばと思った。実は、1997年からホームページを始めて、まったく更新はされなくなったが、今も細々と公開している。

以前のサイトは、Windows対応の「ホームページビルダー」を使っていた。今回は、Mac版「DreamweaverMX2004」を使う。前者は素人でも使えたが、癖がありすぎて、一部のブラウザでは正確に表示できないサイトになった。後者は値段は高くて、使いこなすのが難しいが業界標準のソフト。さてさて、いろんな勉強もしたし、そろそろ本格的に使いこなしていこうと思っている。

ん?

今夜はやけに、意欲満々だなあ・・・・。

1年に、2、3回あるんです。こーゆー夜が。朝起きると、何でもできるスーパーマンに大変身していそうなハイテンションな夜。起きると、逆戻りしてるんだが。

おやすみなさい。

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2005年6月10日 (金)

鳩の群れ

仕事で午後、雨の中、多摩センターに向かった。

多摩センターの駅前には、パルテノン多摩に向けて、広いメインストリートが続いている。その両脇には、側道というか、平行して通路が続いている。何のための通路なのか、見ていても分からない。メインストリートは、車が走らないから、人はわざわざ側道へ遠回りしなくても、真ん中を堂々と歩く。従って、この側道にはあまり人はいない。

今日、傘をさしながら、駅前の写真を撮影しようとウロウロしていると、この側道に迷い込んだ。写真を写すのに必死で初めのうち気づかなかったが、足下に何やら蠢いているものがあった。ふと下を見下ろすと、それは20羽、いや30羽以上いるだろうか、鳩の大群だったのだ。人通りがめったにない側道の上で、鳩はみんな私を見上げていた。

「おっさん、誰の許可を得て、ここ歩いてんねん!」

・・・そんな声が聞こえる気がした。

さらに、私が、周りを見回すと、手すりの上にも鳩が群がっていた。いつの間にか、私の周りは鳩だらけになっていた。

私を挑発するように、鳩はバタバタと飛び立ったり、ジッと私の姿を見つめていた。近寄ると逃げる鳩もいたが、まるで勝負を挑むように立ち尽くして私をにらんでいる鳩もいた。

私はだんだん怖くなって、その場をそっと逃げ出した。

今夜は、帰りに焼き鳥を買って、食べた。

やけにうまかった。

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2005年6月 9日 (木)

中学の初恋

D1000084中学のとき、好きな人がいた。彼女は、当時の女の子にはありがちな、おかっぱ頭で眼鏡をかけていた。特別に美人だったわけではないが、性格は明るくて、元気はつらつだった。

中学3年のとき、ある日突然、彼女は、化粧をして学校に来た。眼鏡は外して、コンタクトレンズをはめていた。ぐれるようなタイプの子ではなく、前日に「明日はお母さんに化粧してもらう」と宣言していた。担任の先生も、「今日だけだぞ」と笑っていた。クラスメイトは、みんな一様に驚いていたが、化粧をした彼女を誉める人はあまりいなかったようだ。男の子は、ほとんど冷やかしの言葉しか浴びせなかった。私は、教室で彼女と席が隣同士だったので、すぐ隣で彼女のふくれっ面を見ていた。ふと、彼女が、私のほうを見て、何となく目が合った。何か言わねばと焦り、

「きれいだよ…」

と、キザな台詞をつぶやいてしまった。彼女は、キョトンとして、ハッと我に返ると、「でしょ!でしょ!ねえ、ねえ、きれいだって!」と、冷やかしばかりの男子に反撃に戻った。

私は、結構、ドキドキしながら、それを見ていた。恋愛感情なんて、ほとんどなかったのに、このとき急に芽生えたような気がする。

次の日、彼女は再び、おかっぱ頭のメガネ少女に逆戻りしていた。「高校に入ったら、コンタクトにしよう」と、彼女が話していた。ここが恋心の複雑なところなのかもしれないが、その彼女を見て、「やっぱりメガネをかけていたほうがかわいいと思う」と心の中で思っていた。その後、席替えで彼女と席は離れてしまった。

卒業が迫ったある日、担任の先生が、教室である提案をした。1人が3人に匿名のメッセージを贈ろう。1人に3枚ずつ紙が配られた。私は、ずいぶん悩んだあげく、そのうちの2枚は、いつも遊んでいる男の子に、何ということもない言葉を書いた。これは、贈られた側に送り主がバレバレだった。あと1枚は、前述の彼女に対して、メッセージを書いた。

「メガネはかけていたほうがきれいだと思う」

用紙が回収され、先生が1人1人にメッセージを振り分けた。メッセージを受け取った彼女が、ギョッとした顔をして周りを見回した。周りの女友達に、「誰?ねえ、これ、誰?」と聞いていたが、結局分からずに困惑していた。彼女は、私のところにも来て、「ねえ、これ書いた?」と用紙を見せた。私は、「知らないよ」と知らんぷりをした。

あれから、もう、20年以上が過ぎた。今、母校は、すっかり近代的な校舎になったが、校舎の配置は今も変わらない。クラス会は、最初の数年は続いたが、いつの間にか連絡も途切れてしまった。今になって、その頃の思い出がよみがえることが多い。

彼女は、今も、メガネをかけているのだろうか。

当時、抜群の視力を誇った私は、今では、メガネを手放せなくなっている。メガネを外した自分は、まるで他人のようで、現実味に欠けてしまう。でも、今でも、私は、メガネをかけた彼女に恋をしている。

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2005年6月 8日 (水)

花粉症対策のその後

D1000083今年に入ってからすぐ、私は、CALPISから発売されている「インターバランスL92」を毎日1本ずつ飲み続けている。今年は、花粉症がひどいと言われていたので、何でもいいから、予防しておこうと思ったのだ。

この飲み物は、花粉症の薬ではないから、直接症状を緩和することはできない。ただ、花粉症になりやすい体質の改善には役立つらしく、そのおかげなのか、たまたまなのか、花粉症はそれほどひどくはなかった。私は、環境や季節の変化に弱いのだが、ここのところ、こいつを飲み始めてから、体調も悪くなく、だまされたと思って、毎日飲んでみようと思っていたのである。

ところがだ…、花粉症の季節が終わった途端、「インターバランスL92」は、あちこちのコンビニから姿を消し始めた。まあ、シーズンオフだから仕方ないのだが、でも、おかしな話だなと思う。この飲み物は、薬ではない。花粉症を直接治すことはできない。だから、花粉症の季節だけ飲んでいても、症状にはほとんど関係ない。

で、ふと考えたのだ。これが、花粉症ビジネスってやつなのだろうなと。思えば、今年の初め頃から、あらかじめ花粉症が猛威をふるうと予想され、コンビニやドラッグストアでは、花粉症対策の商品がずらりと並んでいた。その中には、即効性のない商品もあったと思う。つまり、その時期だけ飲んでも意味のないもの。花粉症対策に、と飲んだ人たちは、果たして、今、どのくらい飲み続けているのだろうか。

うちの会社でも、若い女性社員がやはり花粉症に苦しんでいて、私の姿を見て、真似して「インターバランスL92」を飲んでいた。もう手遅れだったが。

たぶん、今年、花粉症に死ぬほど苦しめられた人たちのほとんどは、花粉症の苦しみなどすっかり忘れてしまっているだろう。そして、来年も同様に花粉症に苦しむ。何だか、もったいない苦しみ方だなと思う。

これからも、程度の差はあれ、毎年のように、花粉症は猛威をふるうと思う。そろそろ、誰か、本気で花粉症を根絶しようとは思わないのだろうか。いつまで花粉症ビジネスの餌にしておくつもりなのだろうか。

ま、そんな私も、釣られた1人なのだが…。

あ、ところで、私は、CALPISのファンではあるかもしれないが、何の関係もない。この飲み物で花粉症が治ったかどうか、正直分からない(笑) こういう健康対策は、意地になると逆にストレスになる。健康の秘訣は、コツコツと続けること、結果がすぐ出なくても、「ま、いっか」・・・そんなことだろうと思っている。

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空は、あの向こうにある

D1000080そらめこうにも、屋根がある。ここを訪れたのは、かれこれ3年ぶりくらいになるだろうか。いつの間にか、名前も変わっていた。インボイスSEIBUドーム。インボイスって何だ?それって、つおいのか? 食えるのか?

夕方、会社を出た後、京王線の新宿駅のホームで、突然、野球が見たくなった。ふと西武ドームでセ・パ交流戦があると思い出し、改札口を出て、JRに飛び乗った。ドームに到着すると、すでに19時を過ぎていて、試合は始まっていた。エース松坂が、スワローズ打線に打ち込まれていた。

最初にこの球場を訪れたときは、屋根がなかった。ライオンズがホームランを打ったり、試合に勝つと、花火が上がった。途中で雨が降ると、濡れながら観戦した。そのことには、誰も不満を感じなかったし、誰も屋根をつけてくれと言った覚えはなかった。雨が降れば、試合が中止となり、灼熱の太陽が注いでいれば、暑い。自然で良いではないか。野球は室内競技ではない。無理に屋根で覆う必要なんてなかったと思う。

球場では、いつも3塁側に陣取る。つまり敵陣だ。ライオンズが嫌いだからではない。そっちのほうが空いているからだ。特に、関西の球団が来ると、ガラガラだ。のんびりと野球を観戦できる。でも、今夜は、様子が違った。相手は、セリーグのヤクルト。在京球団だから、レフト側外野席はぎっしり人が埋まっていた。これじゃあ、どっちでも同じだと思い、ライト側へと移動した。

型にはまった、日本独特の応援は苦手だ。できれば、そっとしておいて欲しいが、外野席に座ってしまうと、そんなわけにもいかない。周りはみんなライオンズの攻撃が始まると、立ち上がって、飛んだり、踊ったり、忙しい。ポツンと座っているのは、居心地が悪い。結局、外野席後方の通路にもたれかかり、観戦していた。

私のさらに後方では、少しいかついおじさんが、ガラガラ声でヤジを飛ばしていた。

「読売じゃなんだから、走って点を取れ!」「栗ーっ(栗山巧外野手のこと)、自分の役割わかってるよなー。つないでくんだぞー!」「大島!走れ!走れ!」「サンペー!(中村剛也内野手のこと)、つなぐんだぞー」

・・・・何とも正論である。このおじさんのガラガラ声は、おそらく外野席の大応援団の大歓声にかき消されて、届いたとしてもせいぜいスワローズの外野手くらいだっただろう。でも、言っていることは、的確かもしれない。なんか不思議だ。

この日、ヤクルトの真中外野手が、通算1000本安打を達成した。ライオンズ応援団が陣取るライト側からも、大きな拍手と声援が飛んだ。

野球場には、テレビ観戦では体験できない、たくさんの物語がある。懲りない負け男がいれば、ベンチなみの的確な指示を野次るおじさんもいるし、相手チームの栄誉を拍手で祝福する応援団もいる。

この空気が、心の中の導火線に火をつける。勝つか負けるかなど、二の次になる。静かな世界が動き出す。

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2005年6月 6日 (月)

激辛麻婆豆腐

D1000076辛いモノが苦手だ。昔から、刺激のある食べ物があまり食べられなかった。辛子は、咳き込む。わさびは、鼻が痛くなる。

が、辛いモノが大好きだ。何を訳の分からぬことを。いや、苦手だが、大好きなのだ。「好きだけど、嫌い」・・・これは矛盾する。でも、辛いモノは、苦手だが、好きだ。大好きな女の子って、案外苦手なタイプなのに好きになったりしなかっただろうか。私の辛いモノ好きは、そういうことなのである。

月に2、3回、無性に辛いモノが食べたくなる日がある。特に、中途半端に暑かったり、微妙に寒かったり、頭がスッキリしない気候には、辛いモノがよく合う。

そんなわけで、今日は、午前中に青梅に出かけた後、例によって西武新宿線で新宿まで戻ってくると、例のすり鉢にある麻婆豆腐屋さんで、辛い、辛い、麻婆豆腐を食べた。

いやはや、辛いの何のって。口が燃える。

隣の席の、若い女性とおばちゃんも、激辛麻婆と格闘中。途中で、おばちゃんが、激しく咳き込み、死にそうな顔で喘息のような咳を放った。ようやく咳がおさまったかと思うと、おばちゃんは、「はあ。死ぬかと思った。息ができなかった」と、涙ながらにつぶやいた。その前で、若い女性は、「辛いですよねー」とクールな微笑みで麻婆を食べ続けた。おばちゃんは、やめたらいいのに、再び食べ始めた。げほげほと咳き込んでいた。

おばちゃん、ほんまに死ぬかもしれへん。

おそらく、激辛を食べるときは、上下関係のない人と食べようと思う。きっとおばちゃんは、余裕綽々で激辛を食べ尽くしたかったに違いない。私だって、若いもんには負けないわよって、ペロリと麻婆豆腐を平らげたかったに違いない。しかし、不覚にも咳き込んだ。不覚にも死にそうになった。まずいっ。前の席にいる、彼女は平静だ。やせ我慢しなければならないランチなんて、最低だ。ランチ完食くらいに意地をはりたくない。

おばちゃん、無理するな・・・・。

心の中でつぶやきながら、私は席を立った。

余談だが、辛いモノの後は、甘いモノが食べたくなる。すり鉢では、この店の対角線上に、ソフトクリームが売っている。麻婆豆腐からソフトクリームへ。この流れが、心地よい。この瞬間のために、激辛も我慢する。

そう。私は、甘党なのだ。

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2005年6月 5日 (日)

アルコール依存症

D1000073私は、アルコール依存症だ。でも、かれこれ1年と半年、酒を1滴も飲んでいない。

酒を飲み始めたのは、19歳の頃だった。予備校の飲み会(笑)で飲み始めて、大学時代はほぼ毎日飲んでいた。大学卒業後も、一時期切れたり、また復活したりしたが、かなりマメに飲み続けていたと思う。会社帰りに本屋に寄って、漫画を1冊買い、近所の飲み屋で延々と飲みながら読んだ。酒を飲むと他人に絡む人が多いが、私はほとんど人に絡まない。カウンターで1人、黙々と本を読む。飲み屋のマスターは、「静かだからいるのを忘れる」とまで言っていた。

こんな風に、『ぼくの地球を守って』『悪女』『ぽっかぽか』『先生!』などを全巻読破したのだ。←ちょっと趣味が変だ。

2003年11月、ちょっとした事件をきっかけに酒をやめた。

いつかはやめなければ、と思っていた。酒を飲んで気持ちよくなれることは、ほとんどなくなっていた。ただ、酒で他人に迷惑をかけたことはあまりなく、家族もいないから、破壊させる家族もなかった。やめよう、というより、力尽きた、といったところか。医者に言われる前に、自らアルコール依存症を認識できる人は珍しいと思う。逆に、やめるから何とかならんかと、医者に相談した。

君は、底を見ていないから、患者として難しいんだな。医者がそう話した。

酒をやめて、困ったことはあまりない。かといって、何が変わったのかというと、あまり身辺に変化はない。酒をやめた前後を知る家族がいないからだろう。評価する人間がいないのは、もしかすると不幸なのかもしれない。ただ、毎日を過ごすスピードが、かなりスローになったのは確かだった。ちょっとしたことをケロッと忘れたりすることもある。身体から精神的な柱が抜けたような感じだろうか。テンションは低い。

でも、でも、でも、たぶん、これでいいのだろうと思っている。怒りや憎しみは、嫌いになった。今日1日を、心静かに過ごせることが、何より幸せに感じる。

憂鬱になることはあるが、鬱になることはあまりなくなった。

「そらめく」・・・この言葉には、いろんな意味が込められている。

憂鬱になると、深呼吸してそらめく。そらめくと、たくさんの気づいていないことに気づくことができる。私の大事な儀式だ。

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2005年6月 4日 (土)

完全休暇

D1000072今日はポカーンとしている。お昼頃起きて、ボケーッとして、フラフラとマッサージ屋さんに行き、1時間、しっかりもんでもらい、カレーを食べて、またもやフラフラと帰宅した。

2週間に1回くらい、こーやって、真っ白になって、だらしなく1日を過ごす日がある。何も考えていない。何もやらない。起きて、食べて、寝て。

こーやって、ブログに書き込んでいるなんて、画期的かもしれない。少なくともこの瞬間は、小さな意味がある。

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私の存在感

D1000069今日は1日、新宿で仕事をしていた。こんな日は珍しい。週に1日あれば、幸運なほうだ。

久しぶりに新宿でランチをしようと、街へ出た。ある有名ホテルの1階に、フロアのど真ん中に船が浮かんでいる?居酒屋でお昼にしようと、その店に足を踏み入れたのだ。店員が、まず私の顔を見て、キョトンとした。ここから変だ。客が来たのだから、キョトンとしている場合ではない。5秒ほど間をおいて、ようやくお客様として迎え入れられ、ど真ん中に居座る船の上へと案内された。しかも、船のかなり船尾?部分にあたり、店全体が見渡せる場所だった。

ここでは、今度は、メニューがなかった。でも、入口の展示品で焼き魚定食が美味しそうだったので、店員が来るとすぐに、「焼き魚」とオーダーした。店員は、元気よく、「カレイの煮付けですね!」と。「あ…」違う、違うんだ、焼き魚だと、そう訴える時間さえなく、店員は元気よく船尾から船首方面へと駆け下りて行った。カレイは、あまり焼く魚とは思えない。おそらく、店員が言うような「煮付け」に間違いないだろう。それほど時間を置かずに届けられた定食は、やはり煮付けだった。しかも、「カレイの煮付け定食」ではなく、「魚の煮物定食」というメニューだったのだ。

私は、この店を責めているわけではない。むしろ、私自身を責めているのだ。私がレストランや食堂に入ると、店員が私を見つけられない確率が、かなり高い。店を入っても、店員が出てこない。席に案内されても、お冷やを持ってきてくれない。オーダーしたくても、店員が来てくれない。オーダーしても、お目当ての料理が出てこない。・・・・私は、透明人間になったのではないか、と、本気で不安になる。

そう言えば、先日、某コーヒーショップでレジに並んでいると、店の奥から現れた女性客が、何のためらいもなく、私を抜かして、レジの前に立った。レジの女性店員も、何のためらいもなく、それに応じた。すぐ横でラテにホイップを入れていた男性店員が、私の姿に気づき、女性店員を見て、「おい、違うよ」という表情を見せた。が、彼女には伝わらなかったようだ。

私は、時折、この世界で透明になっていることがある。私は、ここにいる。ここにいるよ。誰か、私を探し出してください。

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男は手作りに弱い

D1000070今夜は、渋谷多作へ、松岡ヨシミちゃんのライブを見に行った。松岡ちゃんは、ピアノ弾き語りのアーティストさん。ピアノ弾き語りオムニバスアルバム「piano&woman Episode03」で、usuや木下直子ちゃんと仲良く名前を並べている。

彼女のライブは、音楽だけではなくて、もう1つの楽しみがある。それは、3日前までに予約した人だけにもらえる、松岡ちゃん特製手作りお菓子だ。これが楽しみで、松岡ちゃんのライブに足を運ぶ人は少なくないに違いない。間違いないっ。

ただし、そのお菓子は決して、絶品、というわけではない。まずいとは言わない。でも、美味しくて、また食べたくなるというほど、松岡ちゃんの腕は良くない。私が最初に食べたお菓子は、とにかく堅かった。そのうち、毎回、ライブを重ねるごとに、甘さも柔らかさもしっとり感も、いい具合に仕上がっている。

だが、男はアホな動物である。味や食感など、二の次なのだ。手作り・・・女の子が1個1個、愛情込めて?小さな手で生地をこねていると想像するだけで、もう夢気分なのである。彼女がいても、嫁がいても、その辺のスケベさは、決して克服できない。

そんなわけで、今夜も、帰宅してすぐに、松岡ちゃん特製お菓子に舌鼓を打つ。

甘くて美味しい。今日は特に、香りがいいね。

・・・・・・・・・・あ、私もアホなんです(笑)

松岡ちゃんが、例え、日本を代表する大アーティストになったとしても、この手作りお菓子の儀式だけは続けてほしいと思う。武道館は、3万人は入るのかな。さすがに3万個のお菓子を作るには、生産ラインを確立しなきゃいけないのだろうか。「松岡印」の商標登録も必要かもしれない。ライブ前1か月は寝る暇もないだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・いや、だから、私はアホなんです。

つまり、そういうことなのです。

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2005年6月 2日 (木)

雨の八王子

D1000066この街に立つと、途方に暮れる。とにかく遠い、とにかく広い、とにかくデカい。例によって中央線は使わない。運賃が高いし、時間がかかるからだ。

冬と夏は、気候が厳しい。盆地だからだろうか。寒い冬の朝、朝一で仕事をこなすために京王八王子駅の階段を上ると、足下から冷気が絡みついて、全身を襲う。夏は、とにかく蒸し暑くて、まとわりつくような湿気に悩まされる。この気候、京都に似ているかも。

今日は、京王八王子駅に着いた途端、ポツポツと雨が降り出した。これほど雨がうっとうしい町はない。目指す市役所は、バスで20分あまり。雨が降ると、道路が混む。さっぱり動かないバスの車内は、苦痛でしかない。

でも、スタバはやけに空いていた。雨だから?

八王子が嫌いなわけではない。市役所は、26市では一番仕事がしやすい。大きな本屋さんもいくつかある。暇つぶしの場所も抱負だ。何故かJRの特急はすべて止まる。スーパーあずさなら、新宿まで30分。お酒を飲んでいた頃は、お気に入りの居酒屋も多かった。高尾山のビアマウンテンからの夜景は最高だ。

え?じゃあ、何が不満なんだ?

うーん。とにかく遠い、とにかく広い、とにかくデカいのだ。

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2005年6月 1日 (水)

新宿から福生へ

D1000063 私は、JR中央線を使わない。尼崎の脱線事故のはるか前から、東京を東西に移動するときは、出来る限り中央線を使わないよう心がけている。その理由は、1つは、いつ止まるか分からないから。人身事故は当たり前。それにしてもよく止まる。2つには、混んでいて疲れるから。

今日は、朝新宿に出社し、午前中に福生市へ移動というコース。まず、西武新宿から急行拝島行きに乗って、拝島まで出て、拝島から青梅線に乗り換えて福生に出る。実は、中央線で新宿からJRで福生まで出るより、西武線経由のほうが運賃が安くなる。もちろん所要時間は西武線のほうが若干遅くなるが、気になるほどではない。西武新宿は始発駅だから、楽々座ることができるし、西武新宿線は空いているので、のんびりと拝島まで行くことが出来る。

難点は、パスネットを使って西武線に乗ると、拝島駅でいったん改札口を出て、Suicaで入り直さないといけないという面倒くささか。

そんなわけで、拝島から西多摩方面、あきる野、福生、羽村、青梅、瑞穂、奥多摩、日の出などへは、西武新宿線が定番となっている。ちなみに、国分寺、小平なども西武線。八王子へは京王線。

JRが嫌いなわけではない。こういう危機管理をしている、ということだ。

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